夜空に輝く虹。
 それは私たちの常識では考えられないもの。

 この話は、50年以上前に起きた、大きな宗教テロの際に放たれた核爆弾のせいで、すっかり空気を汚染されてしまった、架空の未来の話。
 夜になると、濃厚なスモッグに覆われ、昼は恐ろしく暑い。
 環境は最悪。
 人間の人口も、半分に減ってしまった、そんな未来。

 昼夜問わず、不変の輝きをもたらす虹。
 雨も何も要らない、そんな不思議な虹。
 その虹に支えられる、世界の、お話。



プロローグ

 桜色の髪の少女が、クルクルと器用にターンを繰り返して、軽やかに踏んだステップごと、宙へと舞い上がった。
 夜に、少女の影が舞う。
 小柄な体躯とフワフワの髪。
 年のころは、13、4歳だろうか?
 大きな目がキョロキョロと動き、無邪気そうな口元がほころんでいる。
 セーラーカーラーが風にふわりと浮き上がり、そのカーラーから翼が生えた。
 カーラーに引き上げられるようにして、少女は空へと上昇していく。
 少女は楽しげに笑い声をこぼした。
 高度が上がると、夜空に浮かんだ虹が見えてきて、その虹の輝きが、少女の顔を映し出す。
 ……この世界には、月がないのと同じだった。
 夜になると出てくる濃厚なスモッグのせいで、地上からは月を愛でることができない。
 少女は笑いながら、翼をモチーフにした髪留めに触れて、位置を直し、更に上へ行く。
 月が見たければ。
 虹の上に昇るしかない。
 少女は笑顔で、虹の橋に着地し、トタタタタと駆け上がっていく。
 徐々に、カーラーから出ていた翼が小さくなり、ふっと消えた。
  「こんばんは、お月様♪ お兄ちゃんは、今日も元気ですか? あたしも早く探しに行きたいんだけど、ミズキが駄目って言うの。だから、お月様、代わりにお兄ちゃんを見守ってあげてね?」
 少女の声はとても澄んでいて、静かな空の上で、キリリと響いた。
 白い息がふわりと風に吹かれて舞い上がっていく。
「お姉ちゃん、……また連れて行かれちゃったの。だいじょうぶかなぁ……心配だなぁ……。お兄ちゃんが、いれば、なぁ……」
 少女は悲しそうに呟き、むむむ……と表情を引き締める。
 少女の名は、天羽(アモウ)と言った。
 天使の羽。それを持つものだから、天羽。
 そう言ったのは、彼女の、生みの親だ。
「あ! お月様は暗いの、嫌いだったよね? ごめん! お詫びに歌うから。聞いててね?」
 天羽はしょんぼりしたことを取り消すように、大慌てでそう言うと、すっと自分の胸に手を当てて、スゥ……と息を吸い込んだ。
 声を紡ぎだそうとした、その瞬間、激しい風が吹き付ける。
 天羽は慌てて、カーラーに意識を集中しようとしたが、それよりも速く、風は天羽の体をスモッグの中へと引きづりこんでしまった。
 虹の上で輝く月は、とても綺麗だった。
 ……地上の穢れなど、知ることもないように、その日の、この夜空は、いつもどおり、綺麗だった。




第一章 第一節・第二節 ***
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