第一章 拾われた恩は、意地でも返すのだ、の章
第一節 行方知れず
白い壁に囲まれた空間。
ベッドシーツもデスクも清潔感漂う白だが、あちらこちらにディスクが散乱しており、あまり綺麗という印象のない部屋。
シューーーンと自動扉が開いて、青年がキョロキョロしながら部屋へと入ってきた。
「天羽? 天羽〜? 困ったなぁ、どこに行ったのやら……。せっかく、トワが帰ってきたというのに」
汚れた白衣のポケットに手を突っ込んで、気だるそうに青年は頭を掻いた。
徹夜明けなのか、ボサボサの髪に、少しだけ無精ヒゲプラス。
眼鏡を掛け直しながら、ため息を1つ。
黒髪に黒い目。
男としては平均的な背で、ヒョロヒョロと細い。
顔立ちは綺麗なのだと思うが、少々緊張感のない表情をしている。
年のころは、24、5といったところだろうか。
「アインス? ねぇ、天羽知らない? トワが帰ってこないって、あの子なら部屋で泣きながら寝てると思ったんだけど」
困ったように口元を歪めて、青年は部屋の隅に立っている長身の男に声を掛けた。
短い髪は綺麗な紫色で、感情を湛えないその顔立ちは、目元が涼やかで男前だった。
年のころは、19か20か……それくらいに見える。
「ミズキ様。天羽なら、昨夜外に出て行ったようですが?」
男は不自然なほどに直立不動でそう答え、キュイーーーーンと音がしそうなほどのぎこちなさで、窓の外を見た。
それを聞いて、ミズキは驚いたように眼鏡をずり落とした。
「なんだって? アインス、何をやってるんだ、君は?!」
慌てたようにそう叫んで、ズカズカとアインスの傍まで寄るミズキ。
アインスは特に表情を変えることなく、ミズキを見下ろし、冷静な声を返す。
「昨夜、ミズキ様は、構わないと、仰いましたので」
その言葉に、ミズキはパクパクと口を動かした。
……なんとなく、言ったような気もする。
研究の真っ最中、アインスが何か話し掛けてきたような、覚えが……。
あの時、か。
ミズキは思い出した記憶を消したくて、グシャグシャと頭を掻きむしった。
「あーーーー、何やってるんだ、ボクは! なんてことだ。天羽ってば、なんで帰ってこない。あーもう、あー、どうすれば!!」
「ミズキ様、落ち着いてください」
アインスは別段取り乱すことなく、そう言って、ミズキの顔を覗き込むように動いた。
ミズキはその声で、掻きむしるのをやめて、アインスを見上げる。
「問題あらば、おれが探して参ります」
「……いや、駄目さ、アインス。それはいけない」
ミズキはすぐに首を横に振って、ポンポンとアインスの胸を優しく叩いた。
気遣ってくれてありがとう。そういう意味を込めて。
人は、プログラム通りに動くのだから、主人を気遣う言葉だって容易く出せるさと言うけれど、そんなことはない。
ミズキは知っている。
ロボットにも、親を想う心があると。
……心がなければ、いや、この『心』を作り出せなければ、人類のロボット工学はいつまで経っても進むことはなかったはずなのだ。
思考回路全てをプログラムで組むなどという行為は無駄がありすぎるし、それで対応しきれる場面など、大してない。
『食事を作れ』と言っても、そのままでは何も作れない。
せいぜい、登録しておいたレシピのものが出来上がるだけだ。
けれど、『食事を作れ』という指示を受けて、人間が求めるのは、同じ食事ばかりではない。
幅広いバリエーションがいる。
そのレシピ全てを、プログラムで組むなどナンセンス。
そういうことだ。
言葉だってそう。
一字一句違わないほどでなくては、その言葉と認識しないこともあるくらいだ。
だから、求められたのは、『心』だった。
『心』は全てを吸収し、あらゆる場面に対応するために試行錯誤を可能にする。
アインスは、それを持っているから、ミズキをこうやって気遣うのだ。
それすら、プログラムだと言う者もいるだろうが、ミズキは、そんな科学の結晶であるアインスを、とても愛しく思っている。
「しかし、天羽が外に出たことが、タゴル殿に知れれば、ミズキ様も大変なのでは? おれは、天羽はいつものことだから、すぐに戻ってくると思い、……つい」
「はぁ……僕が何か言われることについてはどうでもいいのさ。いいのだけれど……」
「何か?」
「天羽が、タゴル伯父の手に渡る危険性もあるわけだ」
「…………」
「元々、興味を示しておられた。……それが心配なんだよ」
先ほどまで緊張感のない表情をしていた青年とは思えないほどに、真面目な目をしてそう言うと、眼鏡を掛け直して、ふぅ……とため息。
「……まぁ、もう少し待ってみよう。昼までに戻らなかったら、保護隊を出す」
白衣を脱いで、ハンガーに掛かっていた綺麗な白衣を身に着け直すと、ミズキは再び外へ向かって歩き出した。
「ミズキ様、食事を用意しておいたのですが、どちらへ?」
「トワの傷が酷くてね。まずは直してあげないと。……これだから、タゴル伯父は嫌いなのさ」
唇をすぼめてそう呟くと、ミズキはすぐに外へと出て行ってしまった。
1人残されたアインスが、静かにテーブルの上で湯気を立てているコーヒーを見つめた。
「……おれも手伝います。ミズキ様」
おそらく逡巡したのだろう。
自分はどこまでの仕事をすればいいのかを。
そして、アインスの中で導き出される答えは、……いつでも、『ミズキ様が無理をすることのないようにサポートする』なのだ。
第二節 ハロー、ワールド
とある街の裏通り。
樽に腰掛けて、ミカナギはカノウを見下ろしていた。
「だぁかぁらぁ、お前はなんで、こんなもんを買ってくんだよ。お前、自分で言ったろ? なけなしの金って。いい加減にしろよ、このチビガキ」
手に持っていたビームサーベルの柄の部分で、ゴツゴツと相棒の頭を叩きながら、ミカナギは不機嫌そうに血管を浮き上がらせた。
「……ガキ?」
カノウがピクリと、1つの単語に反応する。
ミカナギはそれには気がつくことなく、ハァァ……とため息を吐いて、買ってきたものはしようがないので、パクパクと口の中に放り込んでいく。
怒っておいてなんだが、そのマシュマロは、それなりに美味しかった。
「しっかし、本当に当てがなくなっちまったなぁぁぁ。プラントってのは、移動かなんかしてるのか? あっちに行ったりこっちに行ったり……」
「…………。たぶん、噂が交錯してるんだよ。プラントなんて、夢物語って言う人もいるけど、ある種の人には聖地と崇められているくらいだし。そんなに簡単に場所の特定は出来ないと思う。……50年前の件で、もう地図なんて役立たずだしね」
まるで台本でも読むように、カノウは静かにツラツラと答えてくる。
どこかそっけない相棒に気がついたのか、ミカナギが樽の上からジャンプして降り、ポリポリと頭を掻く。
「オレ、なんか不味いこと言ったか?」
「……さぁ」
「言ってくれよ。オレ、記憶がねぇから、もしかしたら、言ったら不味い言葉とか、普通に使ってるかもしんねーし」
「……チビとか、ガキとか、言われて気分のいい人間はいないと思うよ」
「…………。ああ、オレはそれを二重で使っちまったんだな、すまん」
「いや、チビは本当のことだから別にいいけど」
カノウは反省するように謝ってくるミカナギを見て、ようやく優しく笑みを浮かべた。
ミカナギは長身で、サラサラした金髪の美青年だ。
年のころは、17、8といったところ。
目はルビーのように澄んだ赤。
首に長めの麻生地のマフラーを巻いて、頑丈そうな皮のジャケットを羽織っている。
気丈そうな目つきだが、先ほどのやりとりの通り、筋はしっかりした男だ。
因みに……先ほど言っていたが、記憶喪失者というオプションつきだ。
だが、記憶がないとは思えないほど、金銭面はきっちりしており、とても楽観的な物の見方をする。
一方、カノウは、男の中でも小柄に分類されるタイプで、水色の柔らかそうな髪と幼い顔立ち。
年は18で、ミカナギと同じようなものなのだが、そんな見た目のために、どこでも子ども扱いされる。
それにより、……ガキ扱いを三回すると、切れるという、嫌な特技を持っている。
ニット帽をかぶり、上着はミカナギとは打って変わって、軽装でダボダボのパーカー。
ただ、首から使い古されたゴーグルが吊られており、一応、旅しているんだねというにおいだけは感じさせてくれる。
2人は旅仲間で、出会ったのはほんの1ヶ月前だった。
しかし、目指している行き先が一緒ということが発覚し、出会ったその日のうちに打ち解けてしまった、恐ろしい2人組だ。
彼らが口にしていた、プラントというのは、今、この世界を支えるために、救援物資やら新技術やらを活発に発信している研究所のことだ。
その研究所の空間だけは、清浄な空気が保たれ、天国のような生活空間が保たれているとまで噂されている。
そういった飛躍された噂に関することを、夢物語と、言う人もいるけれど、結局、どの街にもプラントから物資は届くのだから、存在自体は、誰も否定することがない。
「とりあえず、今日はもう宿取るかぁ……。はぁ……また、明日から探し直しか」
「よくあることだよ」
疲れたようにごちるミカナギに、カノウは慣れたように笑顔でそう言う。
ミカナギはその言葉に感心したように目を細めて、うーんと伸びをし、
「了解」
とだけ返す。
カノウは強い。
……自分は、記憶がなくなる前から、プラントを探していたのかどうか、それさえ思い出せないが、こんなに色々な噂に振り回されるのは、辛抱が出来ない性分だ。
こんな作業を、10年も続けているという、カノウが、凄いと、素直に思う……。
「んっじゃば、ぼちぼち行きますかぁ」
ミカナギはポンポンとカノウの頭を撫でると、すぐに踵を返して、拓けた通り目指して歩き出した。
けれど、突然、ゴツンという激しい音と、
「むぎゅっ……!!」
という、カノウの奇声が聞こえて、慌てて振り返った。
ミカナギの目に映ったのは、予期せぬ衝撃に目を回すカノウの上に、かぶさるように倒れている桜色の髪の少女だった。
少女のセーラーカーラーから、大きな白い翼が生えていて、それが羽根を散らしながら、徐々に小さくなって、ふっと消えた。
思わず、ミカナギは目を見開く。
翼に驚いたのもあるが、桜色の髪を見て……何かが、繋がったような、気がしたのだ。
その何かが、何なのかまでは、まだ分からないが、繋がらないコードが、たった一本だけ繋がったような、ちょっとしたすっきり感があった。
「ったたぁ……。ご、ごめんなさいぃ。なかなか翼が出てくれなくって……」
少女はそう呟きながら、心配そうにカノウの顔を覗き込んだ。
カノウは気でも失っているのか、少女の言葉に反応しなかった。
「だ、大丈夫か?」
ミカナギはとりあえず少女に声を掛けた。
よく、わからないが、とりあえず、2人が衝突したらしいことはわかった。
辺りに散った羽根は、確かにそこにあるが、少女の背に、先ほどの翼はない。
なんだ、これ。
これも、人間なのか?
記憶喪失の自分だから、知識が足りないのかもしれないと思い、慎重に少女を見定めようとしていた。
「あ、はい。だいじょぶでぇす! ……はにゃ? あれぇ、あれぇ……??? だ、誰だっけ?」
少女はミカナギの顔を見て、すぐに何か思い当たったような顔をしたが、それまたすぐに首を傾げまくって、あごに人差し指を当てるほど悩み始めた。
「あー、たぶん、面識ないから気にしないほうがいい」
ミカナギは先ほど感じたすっきり感など無視をして、少女にそう言い、すぐにしゃがみこんで、カノウの頬をペチペチと叩いた。
「カノウ? おーきーろー。宿取られっちまうぞ?」
「ん……ぅん……。いってぇぇぇ……」
カノウは声に反応するように、何度か頭をさすってから、すっと目を開けた。
少女がそれを見て、すぐに顔を近づけて、にっぱりと無邪気に笑う。
「あは〜、よかったぁ。無事ですねぇ〜」
「え?! え、え、え……」
目を開けた瞬間、可愛い女の子の顔があったことに動揺したのか、カノウは慌てて頭を後ずらせ、地面にごちん! と頭をぶつけた。
「いったぁぁぁぁ」
「何やってんだよ、バカ」
「だ、だって……、え、この子誰ぇ?」
カノウは痛みに顔を引きつらせながらも、尤もな疑問を挙げた。
その問いで、ミカナギも素早く少女に目をやった。
そういえば、確認しようって気にも、なぜか自分はならなかった。
「…………うぅんっとぉ」
2人の視線を浴びて、キャロンと目を見開いた後に、少女は考えるように宙を見つめて、首を傾げた。
「あれ? あれぇ? ……えっとぉ」
「まさか……」
「コイツも?」
「あ、天羽! 天使だから、天羽!!」
「え?」
「は?」
「天羽です。よろしくぅ」
少女は無邪気に笑って、Vサインすると、ようやく、カノウの上から飛びのいた。
「ごめんねぇ、下敷きにしちゃって」
可愛らしく両手を合わせて、お茶目に謝る天羽。
それを見上げて、カノウが見惚れたように、顔を真っ赤にした。
「う、ううん! 気にしないで!!」
「そうそう。カノウがとろいのが悪いんだから」
「ミカナギーーー……」
「あ、とろいは使っちゃいけないんだったな」
カノウの疎んじるような視線に、ミカナギはハハ……とおかしそうに笑って、頭を掻いた。
「カノウ?」
2人のやりとりを見て、楽しそうに天羽は顔をほころばせて、カノウを指差した。
「あ、ああ」
カノウが返事をすると、すぐにミカナギに指を向けて、少しだけ優しい目で笑った。
「……ミカナギ」
「ああ」
「カンちゃんと、ミカちゃん?」
「え、それは……ちょ……」
「……って、呼んでもいーい?」
カノウが首を振ろうとした瞬間、天羽はちょこんとしゃがみこんで、カノウの顔を覗いて笑った。
ミカナギは呼ばれ方を特に気にしないので、なんとも思わずに、カノウに視線を動かした。
カノウは大きな目と目が合った瞬間、ぴたりと動きを止めて、そして、搾り出すように答えた。
「……う、うん……どうぞ……」
赤い顔を更に赤らめて、くたーとなるように、自分の膝に顔を埋めるカノウ。
天羽は楽しそうに笑って、勢いよく立ち上がり、空を見上げた。
それが、天羽が大地に降り立って、初めて出会った人間で、ミカナギが、記憶を失ってから初めて見た……天使の翼だった……。
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