第四章 落ちた砂、繰る(くる)手、の章
『もしも、神がいるのなら。
ああ、どうか、我らの声を聞き届けてください。
時は悪戯に過ぎてゆく。
時は……あなたと同じです。
優しくて、残酷。
けれど、少しずつでも、私達の痛みを取り除いてくださるから。
確かに、そこに、あなたの存在を感じることができるのです。』
第一節 学者の庵
「…………であるから、こうなって…………ふむ、それならば、こう…………か」
本にやたらと目を近づけて、細目の男がブツブツと何かを言っている。
小屋の中は暗く、蛍光ランプも時々パチパチと音を立てる。
パッと一瞬明るくなって、またもやじんわり暗くなる。
「ああ、もう、見えんじゃないか、しっかりしろ!!」
男はそう言うと、スカンとランプをはたき、すぐに自分の手を押さえて苦悶の表情を覗かせた。
「ちぃ、ランプのくせにおちょくりやがって」
それは酷い間違いなのだが、彼にとってはそうなのだろう。
男は年の頃が30代後半。細身で(というか、だいぶこけている)ぼさぼさの緑髪を適当に横で2つに結っている。
目は近眼なのか、ひどく細めている。
背はそれほど高くなく、服装も適当で、シャツはダルダルに伸びており、ズボンもユルユルだ。
部屋の中は雑然としていて、まるで生活感が無い。
汚い。
とにかく、汚い。
「ランプ……換えはどこにしまったか。ああ、いっそ、そのへんの要らない本でも燃やすか……」
面倒くさそうにブツブツブツブツ、ブツブツブツブツ。
静かな部屋に男の陰気な呟きが響き続ける。
見えないと言いながら、男はランプの換えを探そうともしない。
だいぶずぼらで、面倒くさがりな性格なのか、結局本を読み続けるのみ。
外はとっぷり暮れているが、男には時間の感覚がまるでないようだった。
「やはり限られた文献では限界があるか。やはり、プラントを……いやしかし」
男は呟きながら、ぽいと読んでいた本を投げ捨てて、傍に置いてあった(というか、落ちていた)本を手に取り、再びぱらぱらと捲り始めた。
「本当に人家だなぁ……」
「はい、確かに生体反応があります。それに、明かりも微かに見えますね」
「アイちゃんすっごぉぉい♪ ナデナデしてあげる〜」
「はぁ」
「……いいなぁ……」
外から数人の会話する声が聞こえてきて、男はピクリと手を止める。
「およ? カンちゃんもナデナデされたいの? の?」
「へ?! あ、いや、そういうのじゃないよ!!」
「”ガキ”だからな、カンは」
「な!? 違うって言ってるだろう?!!」
「あー、へいへい、わかってるって、んっなに怒んなよ」
「……顔が赤いですよ、カノウ。大丈夫ですか?」
「え? 赤くなってんの? コイツ。暗くっていまいちわかんねぇからなぁ」
「今、ライトを……」
「アインス!!」
「……カノウがご立腹のようですので、やめておきます」
「カンちゃん、お怒り〜」
「……べ、別に怒っては……いないけど、さ」
「ボクは単に、愛しの愛しの……」
「ミカナギ!!」
「おーこわ。だはは、大先生がお怒りなので、オレもしばし黙ります」
「カンちゃん、お腹でも減ったぁ?」
「え? いや、別に、そういうのじゃ……」
「そっかぁ。あんまりカリカリするのって体によくないんだよぉ? お腹減ってないなら、笑顔でいよー」
「う、うん……」
男は外の声で一気に集中力を逸してしまったように、パタンと本を閉じる。
警戒するように窓の外に視線を動かし、微動だにせずに外の反応を待っている。
それも当然か。
男は、歴史の謎を追い求める者。
世が世なら、歴史学者と呼ばれる職についていたであろう、人間だ。
専門の知識を禁じられたこの世界では。
科学だけでなく、広く知識を極めようとすることを禁じられている。
彼の立場は、勿論、この世界では罰される位置。
だから、できる限り、人間とは関わりあいになりたくない。
「おっし、ノックすんぞ? オッケー?」
「いえ、ここはおれが開けます。何かあった時……」
「ちっちっちっ。オレの仕事を取らないの」
「……承知しました。では、念のため、カノウは、おれの後ろに」
そんな会話の後に、コンコン、コンコン……と叩かれるドア。
男はそれには反応せずに、息を殺す。
こんな砂漠を越えた林の中まで、わざわざ来る人間がいるなんて。
ドアノブがカチャカチャと軽く回される。
「ん? 開いてる……?」
きぃ……と立て付けの悪いドアが鳴いて、ゆっくりと開かれるドア。
男は意を決して、ガタンと立ち上がり、机の中にしまっておいたリボルバータイプの銃を手に取った。
最近ではなかなか見かけない、古いタイプのもの。
影が入ってきたのを睨みつけ、素早く引き金を引いた。
パンパンパン。
3発。
「出て行けーーーーー!!」
一緒に叫ぶ。
「うわぁぁぁぁ?! とっとっと……」
相手が驚くように叫んで、必死に弾丸をかわそうと、ドアを引き戻して外へ出て行った。
男ははぁはぁと息を切らしながら、本で歩きようもない床の上を、本を踏み台にして歩いてゆく。
早く、鍵を閉めなければ。
「ミカナギ、危険なようですので、テントを張りましょうか?」
「うーーーん、それっきゃねぇかなぁ。いやさ、食料も限界来てるし、大きな街も近くにねぇってんだろ? だから、できれば、ここは節約したいところなんだが」
「メンバーも増えたしねぇ」
男の悩ましげな声に、少し軽い少年の声が付け足す。
「おれは特に食料を要しません。……それに、ミズキ様から、天羽専用ではありますが、フードを預かっております」
「え? ほんと?!」
「はい。言うのが遅れてしまいましたが、旅の場合は、緊急時に出したほうがいいかと思いまして」
「わぁいわぁい。だから、ミズキ大好きー。アイちゃん好きー」
「天羽、あまり背中でバタバタと動かないでください」
「天羽、そろそろ降りれば?」
「やぁだぁ。アイちゃんの背中居心地いいんだもん〜」
発砲になどたじろいだ様子も見せずに、外の4人組(声の感じから人数推定)は小屋の外で相談をしている。
男はドアまでようやく辿り着き、鍵を閉めようとした……が、
「プラントまではどのくらいなんだ?」
という声がして、男はガチャリと、ドアノブを回して、ドアを開けてしまった。
「ここから海に出て、汽車でプラントの近くの街まで……」
「おぬしら、プラントを知ってるか? 知ってるのか?!」
急に小屋から飛び出してきた男に、4人は驚いたように(1人は特にたじろいでいなかったが)こちらを見た。
黒づくめの男の背中にぶら下がっている少女が、男の持っている銃を見て、怯えたように表情を縮こまらせる。
しかし、男はそんなことになど気がつかずに、4人に近づく。
金髪の男がにぃと笑みを浮かべて、こちらに何か声を掛けようとしてきたのだが、それよりも早く、少女の声がけたたましく響き渡った。
「来ないでーーーー!!」
その声が耳に入った途端、男の足がぐらりとよろめく。
バタリと地面に倒れこんでしまった。
「あーあ。天羽、お前なぁ……」
「だって……あたし、ピストル嫌い〜。この人さっきも撃ったじゃない……怖いもん〜」
遠のく意識の中で、あやすような男の声に、少女がぐずついた声を返しているのが聞こえた。
……何はともあれ、”歴史学者の庵”に、ようこそ。
第二節 臆病者
ハズキは静かに膝の上に座っている猫の頭を撫でていた。
ミズキ宛のメールを全て閲覧可能にしてやろうと思っていたが、技術ではやはり、ツヴァイがトワに勝てる道理はなかった。
トワは姫であり、このプラントで、もっとも機械に愛される、特別な少女だ。
タゴルはその点に関しては全く興味を示していないが、兄を出し抜くには、彼女の力こそ優先して手に入れるべきかとも思うのだ。
……それを、なかなか行動に起こせないのは、子供の頃の思い出が邪魔をするからか。
シューーーンと部屋の自動ドアが開く。
すると、ハズキの膝の上でうとうとしていたはずの白猫が、素早くそちらへと駆けていった。
「テラ〜♪」
キィと椅子を回してそちらを見ると、そこには赤い髪の、まるで恐竜をモチーフにしたようなモヒカン頭の少年が立っていた。
年の頃は10歳くらいで、背はさほど大きくない。
袖の余った青いラグランTシャツの上に、黄色の袖なしジャケットを羽織っている。
ズボンは膝より少し下まで丈があり、履いているスニーカーも、上の服と同じように青と黄色を基調としている。
可愛らしい顔立ちをほくほくさせながら、猫を抱き上げ、優しく頬ずり。
「伊織(いお)どうした?」
「え? あ、ご、ごめんなさい。テラがいなかったから、探してて……ごめんなさい、勝手に入ってきて……」
「いや、別に怒ってはいないんだが」
「あ、う、うん……。ぱ、パパは……? 何してたの?」
「兄をどう陥れてやろうかと思って」
伊織の問いに、少しだけハズキは不気味に笑んで呟いた。
けれど、距離があって聞こえなかったのか、伊織は不思議そうに首を傾げた。
「え……?」
「なんでもないよ」
その様子が可愛らしく感じて、ハズキはニコリと今度は優しく微笑んで、こちらへおいでと、手招きをした。
恐る恐る、伊織がこちらへと歩いてくる。
ミズキの子供が天羽だとするならば、ハズキの子供は……伊織だ。
「伊織」
「なに?」
「お前にやってほしい仕事があるのだが」
「え? …………お仕事…………」
ハズキの傍まで来ると、テラをきゅっと抱き締めて恐々呟く。
伊織は一言で言うなら臆病者だ。
決して率先して何かをしようとはしてくれない。
天羽が怖いもの知らずの天使であるとすれば、こちらの天使は、本当に何もかもを恐れる。
それは、伊織が優しいからだとも、言えることは言えるのだけれど。
ハズキは伊織の背中に手をやって、ゆっくりと抱き上げると、先程テラが座っていたポジションに、伊織を乗せる。
きゅっと後ろから優しく抱き締めた。
「なぁに、そんなに怖がることはないよ。氷(ひょう)も一緒だ」
「氷ちゃんも?」
「ああ。ツヴァイのほうがいいかな?」
「……どっちも怖い」
「そうか。それじゃ、強いて言うなら、どちらがいい?」
「ど、どちらって、言われても……」
腕の中で困ったように伊織が表情を歪める。
どちらが、というよりも、お仕事自体やりたくない、といったところだろうか。
本当に、この子は臆病者だ。
完全なる、ハズキの失敗作。
……いや、むしろ、失敗作の自分には丁度いい、失敗作といえるだろうか。
ハズキは優しい声で、伊織の耳元で呟く。
「パパは困ってるんだよ、伊織」
「え?」
「氷と一緒に行ってくれるね?」
「え、あ、う……」
ハズキの言葉に、伊織は顔を真っ赤にし、テラを抱き締めてもじもじしている。
伊織は分かりやすいほどに、ハズキのことが好きなのだ。
しばらくもじもじしていたが、ようやく決意したように、肩越しにハズキを見つめてきた。
「こ、困ってるの? パパ」
「ああ」
「……う、うん、わかった」
「ん?」
「ぼく、頑張る」
たどたどしくも、伊織はそう言って、テラの頭をよしよしと何度も何度も撫で続ける。
なので、ハズキは優しく伊織を抱き締めて、耳元で再び囁く。
「伊織はいい子だ」
と。
その声に、伊織が一層顔を赤くしていることも、お見通しで、だ。
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