第十節  歌姫はゲンキン


 彼女の歌声は、染みるように伝わる。
 その声は聞こえなくても、彼女が歌っている間だけ、プラント内の空気が少し和らぐのだ。
 そんなことを、彼女は知る由もないだろうけれど、ミズキは、それを知っているから。
 久しぶりに、ゆっくりと眠れそうだった。
 彼女の歌声をスピーカー越しに聞きながら、こうして、ベッドに横になるのも悪くない。
 ……一体、何年ぶりだろうか?
 まるで、今の歌は子守唄のようだ。
 こんなに優しい、トワの歌声は、何年ぶりだろう。
 そう思うと、なんとなく、目を細めてしまう。
「ミズキ?」
「なに……?」
 まどろみつつあったミズキに、スピーカー越しにトワの声がした。
 ミズキは仕方ないので、眠そうに声を返す。
 トワが静かにホログラフを開いた。
 ミズキのベッドまでススス……と移動してくる映像。
 トワは歌うのをやめ、小首を傾げてみせた。
 時折、彼女の仕種は母にかぶる。
 性格は似ていないのだけれど、仕種が時折……似ていることがある。
「ほんっとうに、迎えに行かないの?」
 それははやる気持ちを抑えられないような、少女の声だった。
 本当に、トワは不思議な女性だと思う。
 綺麗で、大人で、……でも、子供なのだ。
 ミズキは枕元の眼鏡を掴んで、かちゃりと掛け、くくくくと笑い声を上げた。
 それに対してトワが困ったように眉をひそめる。
「……な、なに?」
「いや、本当に、恋する人というのは、こんなにも可愛いのかと思っただけさ」
「…………。た、単に私は、また何かあったら大変なんじゃないかと……」
 トワが唇を尖らせてそう返してくる。
「迎えを出してもいいのだけどねーーー。けど、アインスが自分で何かやるべきことを見つけたのなら、僕はそちらを優先して欲しいなぁなんて、親心として思ってしまうんだよねぇ」
「……天羽たちだけこちらに、なんてことは……」
 ミカナギと言わなかったのは偉かったと思うが、それはあまりにも酷くはないか。
「アインス1人じゃ大変だよ。あの子はまだまだ何も知らないんだ。道理だけで、外は歩けないからね。そのためにも、誰かが傍にいるべきさ」
「ミズキが行けばいいじゃない」
「え?」
「天羽たちをこちらに戻して、ミズキがアインスと旅でもしてきたら? いい気分転換よ」
「……まったく、歌姫は大切な弟をなんだと思っているのかねぇ?」
「……だって……」
「はいはい。分かっているよ。キミは歌姫だからね、大いにお姫様でいいけどさ。僕みたいなプラント培養人間じゃ教えられないことは、きっと外には山ほどあるからね。機会があるのだとすれば、何かと知ってきて欲しいのさ。僕のいないところでね」
「…………」
「ご理解いただけたかな? ミカナギに会いたいのは分かるけれど、もう少し辛抱してくれないかい? これは、僕の我儘だから、いくら罵ってくれてもいいよ?」
「……本当に、あなたはアインスが好きなのね」
 トワが腕をさすりながら、自分の発言を後悔したように目を細めてそんなことを言った。
 ミズキは腕枕に頭を乗せて、にこちゃんと笑って返す。
「ああ。天羽が一番だけれどね♪」
 その笑顔を見て、トワが苦笑を漏らす。
 何かを考え込むように真面目な顔をするので、すかさずミズキは言った。
「外に出るのは駄目だよ?」
「出ない」
「そう? トワは時々見境ないからね。この10年、脱走しようとしなかったことが奇跡なくらいに」
「…………ミカナギに怒られるから出ないわ」
「あはは! そっか。いいなぁ、ミカナギはそんなに怖いのかい?」
「ツムギと同じで、怒ると怖いのよ」
「……そう?」
「ええ」
 居もしない人に怒られることをそこまで恐れるなんて、なんとも可愛らしい。
 それだけ、ミカナギが怖いということなのかもしれないが、そのいじらしさを、彼女は自分で気がついているのか?
 ミズキはゆっくりと眼鏡を外して、再び仰向けになる。
 枕に頭を埋めて、胸の上で手を組み、トワのホログラフに向かって笑う。
「歌って」
「え?」
「最近寝てなくてね。トワの声はとっても安心するから歌ってよ。……そして、僕が眠ったらキミも寝るんだよ?」
「……もう」
 ミズキのなんとも坊ちゃまな発言に、トワがふぅぅ……とため息を吐いてから、歌い始めた。
 ホログラフが徐々に薄くなってふっと消える。
 スピーカーから、彼女の声。
 柔らかいのに力強くて、澄んでいるのに重みがある。
 トワの歌声は、とってもとっても綺麗だ。
「……歌姫……か……」
 ミズキは感慨深そうにポツリと呟いて、そっと目を閉じる。
 ミズキが天羽に与えた称号は、みんなのものを意味する『天使』で。
 ツムギがトワに与えた称号は、ぼくたちのものを意味する『姫』だった。
 ……でも、天羽の声も、トワの声も、ミズキにしてみたら、どちらも……天使の声だ。
 そういえば、ミカナギに与えられた称号はなんだったろう?
 あんまり父がぞんざいな扱いをするものだから、なんともイメージから思い出すということができない。
 ああ……そうそう。思い出した。
 支えるものを意味する『ガーディアン』だ。
 確かに、彼のおせっかいなほどの世話焼き加減は、その称号にぴったりフィットする。
 姫1人では寂しいだろうからと。
 けれど……対である2人は、父の考えた以上に人間らしさを得てしまった。
 応援する気はあるけれど、本当にその恋が正しいのかは、ミズキにも、さすがに、わからない。



第十一節  砂漠を越えて


 どこまでも広がっている砂漠。
 右側にそびえている砂の山を器用にかわしながら、ミカナギはハンドルをやや左に向ける。
 少しずつ日が西の方角に方見てきているのが分かったので、ミカナギはアクセルをきゅるりと回して、少しばかりスピードを上げた。
 サイドカーには天羽と自分の荷物を抱えて座っているカノウ。
 後ろの座席には、ミカナギがいつも街には持ちこまない大荷物がくくりつけられている。
 ミカナギは口元を覆っている緑色のマフラーを少しだけずらして、アインスに声を掛けた。
「このくらいのスピードで大丈夫か?」
「大丈夫です!」
 エンジン音がうるさいため、どちらの声も大きい。
 アインスは天羽を背中に乗っけて、まるでスーパーマンのようにジェット噴射で飛んでいる。
 天羽はアインスの首に掴まって楽しそうに頬をほころばせている。
 髪がふわふわと風になびいて、長い長いセーラーカーラーがまるで赤い翼のようにはためく。
 砂漠の砂に皆苦戦しているというのに、天羽だけは全くなんでもないように笑っているのだ。
 なんと、兵(つわもの)か。
「ミカナギ、もう少し……西」
「ん? ああ、了解」
「とりあえず、砂漠を抜けちゃわないとね」
「そうだな。近くに街は?」
「うぅん……なさそう」
 カノウが地図を見つめて、悲しそうに眉をひそめてそう返してきた。
 ミカナギは言われるままに進路を西に変えようと、ぐっとハンドルを動かしたが、すぐにアインスの声がして、無理やりハンドルを戻した。
 急激な方向転換だったものだから、バイクがガクンガクンと激しく揺れ、カノウが慌てたようにニット帽を押さえて、ミカナギの服の裾を掴んだ。
 手を離したのにも関わらず、持っていた荷物は上下に跳ねただけで、カノウはほっと息を漏らしたあとに、ミカナギを睨みつけてきた。
「運転は大人しくって言ってるだろ?!」
「わ、わり。今アインスが……」
 ミカナギはカノウをたしなめながら、少しばかりバイクのスピードを落とす。
 アインスに並ぶように運転しながら、声を掛けた。
「なんだ?」
「人間の反応があります」
「へ?」
「……この辺に、街はないはずだよ?」
「そうなんですが、西に1つ。北に……68……ほど」
 アインスは、目だけを、言った方角に合わせて、解析するように間を置きながらそう返してきた。
 カノウが首を傾げて、うぅん……と唸る。
「1つっていうのは、冒険者か何かかなぁとも思うけど、……もう片方は確実に集団生活してますって、数だよね?」
「どうする?」
「時間的にも、みなさんの体力的にも、西、がよろしいかと。西の反応も移動はしていません。もしかしたら、定住者かもしれません」
「……まぁ、そこでなくても、とりあえず砂漠を抜けないと、テントを張るのが難しいしね。ミカナギ、さっき言ったとおり、西で」
「お、おぅ。オーケーオーケー」
 ミカナギが思った以上に、カノウがアインスと言葉をかわすことに躊躇いを見せないことに、ついつい戸惑ってしまった。
 すぐにハンドルを動かして、方向転換を行うと、アインスも素早くそれに従う。
 しばらくすると、天羽がアインスの背中の上で、くたびれたように顔をしかめ始めた。
「疲れたのぅ〜」
「天羽はずっとぶら下がりっぱなしだからな。カンと交代するか?」
「…………」
 カノウは聞こえなかったフリをして、地図に視線を落とした。
 天羽のことは心配だけれど、まだそこまでアインスと打ち解けているわけではないということを、その沈黙が語っている。
 ミカナギははぁぁとため息を吐いて、口元にマフラーを当て、再び前を向く。
 天羽があまりにくたびれているのがわかったのか、アインスが一度着地して、天羽を抱きかかえる。
 お姫様抱っこのような形を取って、再び飛び、バイクの横に並んで静かに言った。
「先に行って待っています」
 その声のすぐ後に、ジェット噴射の勢いが増し、空へと急上昇していってしまった。
「おぉぉぉぅ!! アイちゃん、すっごぉぉぉい♪」
 くたびれていたくせに、そんな楽しげな可愛い声が空から降ってくる。
 ミカナギは苦笑を漏らして、少しばかりアクセルを回す。
「急ぐぞ」
「運転は丁寧に」
「了解、大先生」
 ミカナギはマフラーに覆われた口元をニィィッと吊り上げて笑むと、一気にスピードを上げた。
 揺れを減らすために、少々高度を上げる。
 燃料になっているどぶ水の減りが早くなってしまうが、そこはなんとかするしかない。
 横を見ると、カノウは地図に視線を落としていた。
「お前、よく酔わないよな?」
「……ボク、風景酔いするみたいだから、こっちのほうがいいんだよ」
「そう」
「うん」
「アインスのこと、許したん?」
「ミカナギ? 許す。許さない。その2つだけが答えじゃない時だって、あるんだよ」
 カノウはエンジン音に隠れるような静かな声でそう言った。
 視線は全く上げないけれど、彼なりの答えなのだろう。
「……へぇ、じゃ、お前が見つけた答えはなんだよ?」
「さぁ? それを、これから見つけるんじゃない?」
 ようやく、カノウが地図をパーカーのポケットに入れて、ミカナギに真っ直ぐな視線を向けてくる。
 ミカナギはチラリとその目を見て、すぐに前方に視線を戻した。
「わかったのは、無力ということ。そして、先にあるのは可能性ってこと。許す。許さない。それで区切ってしまったら、出来てしまう境目を、ボクはまだ作りたくないんだ」
「……だったら、態度も固定してくれ」
「ごめん、今はこれが精一杯だよ」
 カノウは困ったような声を発して、自分の腕の中の荷物を持ち直す。
 ミカナギはそれでも、カノウが頑張って出した答えなのだということだけは伝わってきたので、そこから先は言わなかった。
「ねぇ、ミカナギ」
「ん?」
「生きるって難しいね」
「ああ、そうだな」
「考えても出ない答えがあって、そのうえ、答えは決して1つじゃない」
 カノウは暮れ始めた空にスモッグが立ち込めてきたのを見上げながら、神妙な声でそう言う。
 ミカナギにとっては、『仕方ない』が答えだったけれど、カノウは答えが1つじゃなくて、まだ結論を出したくないと言う。
 それが、ミカナギにとっては新鮮だった。
 自分の中には、答えというのはそんなに多くない。
 アインスではないけれど、出される答えはスムーズにポンと出てきてしまう。
 だから、こんな風にアレコレと考えるカノウが、面白いと、不謹慎にも感じてしまった。
 とろいけれど、彼は彼なりに、マイペースで自分の納得する答えを探そうとしている。
 それは、せっかちな自分には出来ない、確かなたくましさを感じる。
「……楽しみだなぁ」
「何が?」
「プラントだよ」
「へぇ、お前はプラントが嫌いだと思ってた」
「嫌いさ。独占なんて最低だもの。……でも、そこで、天羽ちゃんや、ミカナギは育ったんでしょう?」
「……らしいな。思い出せねーけど」
「だからこそだよ」
「へ?」
「天羽ちゃんが育った環境についても気になるけど、……お前みたいなヤツが、どういう環境で、どういう人に囲まれていれば、そんな風に育つのか、すっごく興味があるんだ」
「特に変わり映えしねーと思うけど? それに興味持たれるほどの人間じゃねぇよ。よっぽどお前のほうが変わってら」
「はは」
 カノウはその言葉を聞いて、おかしそうに笑い声を漏らす。
 なので、ミカナギはきょとんとして、チラリとカノウに視線を送る。
「思えば真反対だもんね。ボクから見れば、ミカナギが変わってるけど、お前から見ればボクが変わり者になるんだ」
「オレから見れば、天羽も変わり者だし、アインスも変わり者」
「個性強すぎるんだよね、みんな」
「お前が言うな」
「ボク? 天羽ちゃんでしょ、一番個性強いのは」
 当然のようにカノウが言う。
 ミカナギは、カノウの目にはそう映るのか、と納得して、すぐにため息を吐いた。
 カノウは楽しそうにミカナギの横顔を見上げて笑う。
「天羽ちゃんはとっても愛されて育ったんだろうね。それで、ミカナギは、いつもお兄さんなポジションにいて、時々誰かが悪戯したら本気で怒るんだ。昔の漫画に出てくる頑固親父みたいにさ」
「…………」
「こんなに想像ができるよ。だから、その想像が合っているのか、その答えがプラントにあるのだとすれば、とっても楽しみじゃない? ボクは家族がいないから、とってもとっても、そこには興味が湧くよ。……こんなことに興味を覚えるのは初めてだし、それを教えてくれたのはミカナギだ」
 カノウがあまりにも恥ずかしいことを言うものだから、ついついミカナギはバイクのブレーキを握ってしまった。
 運転しながら聞いていたら、こけそうだったからだ。
 口元まで上げていたマフラーをそっと首まで下ろす。
 カノウがゆっくりと頭を下げる。
「この前はごめん。今更だけど、やっぱり、謝らないとすっきりしない。だって、心の中には、こんなに感謝の気持ちがあるのに」
 旅の資金にするために持って帰った銃・4丁の内3丁を、改造やら修理のために使ってしまったカノウ。
 あんな事故があったから忘れていたけれど、彼の中ではすっきりしないものがあったようだ。
 ミカナギもハンドルから手を離して、カノウをしっかりと見つめた。
 カシカシと頭を掻き、少し照れくさそうに答える。
「……いんだよ、そんなの。喧嘩して別れても数日したらなんでもない顔で話をする。それが、仲間ってもんだろ」
「そうなの?」
「……オレの中で、ちょっとばかし浮かんでくる記憶の中では、そうだ。喧嘩しても謝られた覚えがあんまりない。オレは謝ってるけどな」
 ミカナギはおかしそうに笑い声を上げ、カノウの頭をポンポンと撫でた。
「オレは謝られ慣れてないみたいだから、あんまし気にすんなよ。過ぎたことだし、オレはもうどうでもいいしな。……あ、でも、お前の土俵で考えると、やっぱ」
「 ? 」
 ミカナギはすぐにぺこりと頭を下げる。
「すまんかった。大人気なかった。あそこまで怒ることもなかった」
 しっかりとした声でミカナギは言い、すぐに顔を上げると、そこにはいつもの人を食ったような笑顔。
「って言わねぇと、すっとしねぇわな。よっし、これで終了! な?」
「うん、りょーかい」
 ミカナギのどうにも真面目になり切れない素振りを見ても、カノウは特になんとも思わないように笑顔でそう言った。
 ミカナギは、これが素なのだから仕方ないのだ。
 とにかく、これで、気掛かりは消えた。
 あとは、真っ直ぐにプラントを目指すだけだ。




*** 第三章 第八節・第九節 第四章 第一節・第二節 ***
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