『時の砂が全て流れ落ちる時。
 それが本当の裁きの時である。
 神は我らを罪としない。
 むしろ、我ら迷える子羊を救うのである。
 我らは被害者なのだ。
 我らは何も悪くない。
 悪いのは、神の名を騙った者たちなのだから。』


第五節  時の流れを読む者。会話は読めないけどな。


「……で、何やってんの?」
 夕暮れ時になって、ようやく起きてきたカノウは状況が分からずに、ミカナギにそう問いかけてきた。
 ミカナギはすぐにニールセンを押さえる手を離して、ハァ……とため息を吐く。
 アインスは夕飯の準備のために、林の中で食べられるものがないかを探しに行き、天羽もそれについていったので、ミカナギは、この忌々しいおっさ……基い、ニールセンと共に小屋に残ることになってしまったのだ。
「おぉ、少年よ。手伝え手伝え」
 カノウは昨晩綺麗にしてから眠ったはずの小屋が、元の姿を取り戻しつつあることに激しい憤りを覚えつつ、ニールセンを見つめた。
 ニールセンはバサバサと本を放り投げ、どんどん、床を埋め尽くしてゆく。
「おっさん、これから飯食おうってのに、こんな埃くさい本どもで、小屋の空気汚すなよ」
「何を言うか。小生は落ち着かんのだ。こうでなくては落ち着かん。本に囲まれてなくては落ち着かん」
「…………ボクは、汚くて落ち着かないよ…………」
 ぼそりと呟いた後に、仕方がないと切り替えたのか、カノウは床に落ちている本を拾い上げた。
 パラパラとページを捲って、パタンと閉じる。
 すると、もわぁっと埃が舞い上がった。
「こほ……」
「カノウ、あんまり乱暴に扱うと、くしゃみが止まらなくなるから気をつけろよ」
 ミカナギは遅れながらもそう言って、再びニールセンの体を後ろから羽交い絞めにした。
 細身のニールセンは動きを止めて、ジタジタと腕を動かす。
「青年よ、邪魔をするな。邪魔をするな」
「とりあえずよぉ、陰干しくらいしてから乱そうぜ。勘弁してくれよ。少なくとも、明日までは、ここ泊まらせてもらうんだからよ」
「……その代わりの条件は飲む気になったか?」
「あーーーーー、ちょっとなぁ、そこはなぁ」
「ならば、出て行け。小生はプラントに行きたいのだ。条件なしで、宿泊できるほど、この小屋は安くはないのだ」
「……おっさん、また電波で眠らすぞ……」
 ミカナギはニールセンのそんな言葉に対して、聞こえないようにぼそりと黒いことを吐き捨てた。
 それを見て、カノウはクスクスと少しばかり声を漏らす。
 自分が眠っている間に何があったのか知らないが、ミカナギにここまで言われる人間はなかなか見ることがない。
「昨日掃除してて思ったんだけど、おじさん、歴史学者? 違法者?」
「…………」
 カノウの問いに、ニールセンは少しばかり黙り込んだ。
 そして、すぐに動揺を見せながらも口を開いた。
「しょ、小生の名は、ニールセン・ドン・ガルシオーネ二世……である」
「ああ、そっか。じゃ、ニールセンさん。どうなの? 別に気にしなくっていいよ。プラントを目指してるボクらも、似たようなものだからさ」
「……おい、違法者はお前だけだろ」
「知ってて見逃してる人だって、罪にはなるのだよ、ミカナギくん」
「……ああ、さいですか」
 カノウの言葉に、ミカナギは呆れたように目を細めて、ため息を吐く。
 ニールセンから手を離し、ミカナギはとりあえず、人が座れるスペースだけでも作ろうと、適当に本を拾い上げて、本の山に投げ上げた。
「真実を究めること。それを求めることを、違法とするのは」
 しばらくの間黙っていたが、ニールセンはようやくそう言葉を切り出した。
 ミカナギも驚いて、すぐに振り返る。
 思えば、理由なんてものは何一つ聞いていなかった。
 ニールセンは会話の流れというか、まず、会話がほとんどできていない。
 一方的に自分の言いたいことを言って、それでおしまい。
 そんなテンポだったから、食い物の恨みも加算されて、どうにもミカナギはきちんと聞いてやろうという気にはなれなかった。
 面倒見がよく、よく気がつくミカナギからすると、ニールセンの周囲を全く顧みない語り口や行動は水と油である。
 カノウはまだまだ偏屈……な程度なのだということが、ニールセンに会ったことでわかった。
 ミカナギはニールセンを見つめる。
 ニールセンはそっと足元にあった一冊の本を拾い上げ、静かに続けた。
「歴史学とは、時の中の真実を見つけ出す学問である。何が過ちで、何が功であるのか。それをしっかりと見つけ出し、同じ過ちを繰り返さぬためには、どうすればよいのか。それを、学問のない者達にも広めることができる。それが、歴史学者が必要とされた、真の理由であると、小生は考える。……小生の分野は文献史学であるから、もちろん、記録には偏りがあり、弱者の意見はほとんど手に入らないことも多い。……だが、それでも、小生は欲する。時の中の真実を。50年前に起こった……あの事件の、真相を」
 カノウがパラパラと本を捲って、適当に文章を眺めている。
 ミカナギは何も言えずに、ニールセンを見つめながら、ゆっくりとその場に腰を下ろした。
「文献というのは、時を遡れば遡るほど、偏りが酷くなっていくのだ。しかし、小生が欲しいのは、50年前の情報である。得ようと思えばいくらでも得られるはずなのだ。文献など余るほどあったろう。そして、その文献も、意見に偏りがないほどに多くの著書が残されているはず」
 カノウは少しだけ内容に目を細めて、しばらく読んでいたが、静かにパタンと本を閉じた。
 ニールセンは自分が持っていた本をカノウに押し付け、唇を噛み締める。
「真実を究めること。それが罪だというのなら、何のために生まれた学問か。小生は認めん。学を持つことが罪だなどという、こんな世界。そして、50年前のことには触れずに生きていけばよいという、多くの民の閉ざされざるをえなかった、視野の狭さを! そして、その狭さを生み出した、根源とも言える者たちの存在を、だ」
「……50年前のことは、誰だって、口を閉ざしたくなるほど、思い出したくないから……触れないこともあるよ? それでも、ニールセンさんは、それを欲するの? 広めたいの?」
「過ちは、全てが過ちではない」
「え?」
「どこかでボタンの掛け違いが生じたから起こってしまった間違いに過ぎない」
「…………」
「歴史学とは、その間違いを見つけ出すための学問だ。結果だけ見て、全てが間違いだった。そんな結論はあまりにも短絡的であろう。そこに関わった人間達の存在すら否定する、本来ならばしてはいけない行為である。……けれど、人間は白黒をつけたがる。どちらが善で、どちらが悪であるのか。そう、したがる。が、本当に必要なのは、どうして、そうならざるを得なかったのか? そこなのだ。そこが必要なのだ。何も知らずに、物事を好きに言うのは容易い。だが、知ることができるのならば、口だけではなく、知るべきである。そうではないか? 少年よ」
「触れることで、誰かの心の傷が疼いても?」
「認めることにこそ、前進はある」
「…………」
「時の砂に埋もれてしまった真実を見つけ出し、それを認めたその後、誰がどのような考えを持つのか、それは各々の自由であろう。だがしかし、知らず認めずにそこにいるのは、ただの停滞だ。流れていかぬ。時だけが流れて、何も進みはせぬ」
 ニールセンはそこでふぅ……と息を吐き出した。
 まくしたてて疲れたのか、よっこらせっと本の上に腰を下ろす。
 ミカナギもさすがに感心して、拍手さえしそうになったが、カノウが何かを考えるように二冊の本を見つめているので、二人の様子をただ見守る。
「時には……歴史には、流れがある。波がある。まるで大河を流れる水のようにだ。小生は、それを知りたいのである」
「……おっさんの人との会話には流れも波もねーけどな……」
 思わず、そんな言葉を挟んでしまったが、ニールセンはそんな言葉など聞こえなかったのか、ただ、勝手に話す。
「学問は人を裁かない」
「人を裁かない?」
「そう。そうなのだ、少年よ!」
 カノウがまだ迷うように考えながら、ニールセンの言葉を反芻すると、ニールセンは嬉しそうに立ち上がり、カノウの肩をがしりと掴んだ。
「歴史学は真実を照らすだけで、裁かない。法律学も、罪を裁くが、人を裁かない! 哲学もそうだ。経済学も、宗教学も、なんでもかんでも。学問は人を裁かんのだ!!」
「…………」
「なのに、今の世を見なさい」
「 ? 」
「学を欲するものは違法者。信心深い者は、迫害者」
「はく、害……?」
「む、少年は知らんか? そうか、あまり知られてはいないのか」
 ニールセンは1人でそう言い、1人で納得したように目を閉じる。
 ミカナギも首を傾げて立ち上がった。
 カノウがニールセンの腕をなんとか除けて離れる。
「今の世は、人知れず、人が裁かれている」
「なぁなぁ、おっさん、もしかして、アンタ、ほっとくと、無茶苦茶話が発展するタイプ?」
「なんだ、青年よ、うるさいな」
「うるっ?! おっさん、アンタなぁ」
「小生は少年と話しておる。邪魔をするな」
「いや、おっさん。だってよ、アンタの話飛躍しすぎなんだもんよ」
 ミカナギはニールセンの物言いに動じることなく、金の髪をカシカシと掻いて、そう言った。
 歴史学の話まではいいとして、それから世の真理やらなんやらのほうに話が向かいそうだったので、止めに入ったのだ。
 このままでは、ミカナギ自身、知らず知らずのうちに睡魔にやられる可能性もあったためである。
「はて? そういえば、何の話をしていたか?」
 そこでようやくニールセンは自分の行動を顧みた。
 ミカナギははぁぁ……とため息を吐いて、カノウの手にある二冊の本を掴み取る。
 肩にポンポンと本を当てながら、ミカナギは目を細めて言った。
「小屋に泊まる代わりに、プラントに連れてけと。そんな話だったけど?」
「ああ、そうだったそうだった。それで?」
「は?」
「どうなのだ?」
 ニールセンは当然のように答えを寄越せと言ってきた。
 ミカナギは正直連れて行きたいとは思わない。
 暑苦しすぎるし……、正直、彼がついてきても、もう交通手段がない。
「いやーなぁ……バイクも満杯だしなぁ」
「……小生、車ならば持っているが?」
「なに?! それを早く……」
「燃料がなくて動かないがな。ワハハ」
 ミカナギは連れて行く気はないくせに、上手くいけば借りられるとでも考えたのか、とてもいい食いつきをした。
 けれど、ニールセンがそう付け加えて、なぜか陽気に笑ったので、ガクリとミカナギは肩を落とす。
 すると、そこで、カノウが口を挟んできた。
「燃料なくても、走れるようにできるけど?」
「む?! それは本当か? 少年よ!」
「はい。ボクは、工学違法者なので」
「ならば、早くやれ。今やれ」
「え? じゃ、じゃぁ、車を見せてください」
「お、おい、カノウ。まさか、お前、おっさん連れてく気あるのか?」
 カノウがわざわざ車の改造を申し出たのを見て、ミカナギは不安に思ってそう尋ねた。
 借りるだけのつもりの自分はすぐに諦めたが……。
「え? あ、あはは。単に車を見てみたいなぁなんて」
「小生は車さえ直れば勝手についてゆくから気にするな」
「あ……あはは」
「おい、大先生」
「ご、ごごご、ごめん! ボク、欲求には勝てない!!」
 カノウはニールセンに引っ張られるままに小屋の外へと出て行ってしまった。
 それを呆れた眼差しで見送るミカナギ。
「勝手についてくるって……」
 もう、どうせついてくるなら、ニールセンの車に、自分以外を乗っけて走ったほうが安全なような気がしてきた。
 あの男1人で行動させたほうが、なにやら問題が起こりそうだからだ。
「ああ、なんだかんだで、なんか、オレ、受け入れ態勢、バッチリじゃん?」
 あーだこーだと頭の中で考えてしまった自分を嘲るようにそう呟くと、ミカナギはカシカシと頭を掻いた。
 しばらくして、外が暗くなり始めた頃、ようやく、天羽がタタタッと駆けて小屋へと戻ってきた。
 アインスの持って行った鞄の中には、いくらかの根菜が入っており、なんとかまともな飯にありつける……と、ミカナギはホォッと胸を撫で下ろした。




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