『流れる砂を戻そうとするなど、愚かな行為です。
 どんなに知恵を得たとしても。
 私達は、落ちてゆく砂を見つめるだけ。
 それは、神との約束なのです。』



第六節  銀の髪の、傲慢少年


「もう……本当にタゴル所長には、内緒なのでしょうね?」
 乱れた着衣を大慌てで直しながら、亜麻色の髪の、聡明そうな女性がそう尋ねてきた。
 崩れた髪形もそそくさと結い上げ直して、最後に枕元に置いてあった白衣に手を伸ばす。
 それを、ベッドの上で、女性の横に横たわっていた銀の髪の少年が阻む。
「なに?」
「白衣着てないほうが、オレは好みだな」
「もう……また、そんなこと言って。誰でもいいくせに」
「賢い女が、わざわざ、自分は賢いんですってカッコする必要なくね?」
 少年は当然のようにそう言って笑い、ゆっくりと起き上がって、背中から女性を抱き締める。
 年の頃は17、8歳くらい。
 いかにも遊び人らしい風体で、短い銀の髪はふわふわと柔らかそうな天然パーマだ。
 切れ長の目に、紅玉のような瞳。
 左目の下にはほくろ。
 ベッドサイドにはゴテゴテとしたアクセサリが転がっていた。
 さすがに、もみくちゃしている間に、邪魔になって外したのだ。
「……氷(ひょう)」
 女性が少しばかり切なげにそう呼んできた。
 ああ、女なんて、ちょろすぎる。
 氷は心の中でそう呟いて、どうでもいいように目を閉じた。
 せっかく直した服のボタンに、再び手を掛ける。
「ちょ、ダメよ。そろそろ、時間……」
「……ちぇ」
 つまらなそうに、氷は舌打ちをして、女性から体を離し、あとは興味がないようにごろんとベッドに寝転がる。
「……また、今度ね?」
「つまんねーの」
「え?」
「オレの言うこときかねぇ女なんて、つまんねー。ほんっとに頭の固い女しかいねぇ、ここは」
「……馬鹿女が御所望なら、わたしはその期待には応えられないけれど?」
 女性が少し子供を扱うような口調でそう言った。
 すると、氷の表情が一変する。
 女性が氷を気遣って手を差し伸べようとした瞬間、彼女の手がピシリと音を立てて凍りついた。
 あまりの激痛に表情を歪める女性。
「馬鹿女? はっ! お前、どんだけ頭いいつもりでいるわけ? オレなんかにやられてる時点で、お前だって、馬鹿な女にちげぇねぇだろうがよ」
「ひょ……氷?」
「さっさと行けば? 親父に怒られんだろ?」
「……あなた……」
 女性はすぐに溶けた氷に胸を撫で下ろしながらも、恐ろしいものでも見るような目で、氷を見つめた。
 氷はどうでもよさそうに睨みつけて、それで終わりだった。
 女性はすぐに白衣を手に取って羽織ると、パタパタと足音をさせて部屋の外へと出て行った。
 氷はふーー……と息を吐き出す。
「あ、また、名前忘れた」
 ほんの数時間前まで当然のように呼んでいた名前を忘れても、どうでもいいように氷は欠伸をするだけ。
 すると、女性が出て行ったドアから今度は伊織が入ってきた。
 とても恐々とした表情で、こちらへと歩み寄ってくる。
 胸に抱きかかえたテラも、少し怖がるような目でこちらを見ている。
「なんだよ?」
「氷ちゃん、お仕事なの」
「あ?」
「パパがね、お仕事って」
「ハズキのガキが?」
「が、ガキじゃないも」
 氷はどうでもよさそうにもう一度欠伸をする。
 伊織だけが少しだけ不機嫌そうに表情を固くしただけ。
「ガキなんだよ、オレから見れば。……で?」
「 ? 」
「親父からは無許可なんだろ? アイツが直々にオレに言いに来ないってことは」
「う、うん……たぶん」
「で? どんな仕事よ? オレァ、つまんねー仕事はしねぇぞ」
「も、モニター、つけて」
「…………」
 無言のままでリモコンに手を伸ばし、氷はぴっと電源をつけ、適当にハズキがよく使う回線に合わせた。
 少々乱れてはいるが、金の髪に赤い目の男の映像が目に飛び込んでくる。
 おそらく、ツヴァイ視点の映像なのだろう。
 男は人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべて、何かを一言二言、ツヴァイに言っては、軽い身のこなしで、ツヴァイと同等ほどの動きを見せている。
「あ、あのね。映像はもっと先で」
「誰だ? こいつ」
「え?」
「オレと同じ目しやがって」
 氷は不敵に笑って、ゆっくりと舌なめずりをした。
 その表情が怖かったのだろう。
 伊織はカタカタ……と体を震わせて、それ以上は何も言ってこなかった。
『……まだ、トワって奴が、オレ好みの美人なのかも、確認してねーしな』
 映像の中の男が言った。
 『トワ』という名を聞いて、更に氷の眼差しが険しくなる。
 天使の翼の、桜色の髪の少女を思い出す。
 あれは……一体何年前だったか。
 白衣など着てなくても賢く、誰よりも聡明だった。
 もし、また会うことがあれば、自分のものにしたいと、思っている。
 その女の名を、軽く口にした……この男。
 ベッドの周囲まで、ビキビキ……と氷の花が咲いていく。
 伊織はテラを強く抱き締めて、一歩二歩と下がった。
「嫌なら、ツヴァイに頼むからって、パパが……というか、ぼくが嫌だ……やっぱり、氷ちゃん怖い……」
「嫌なもんか」
「え?」
「コイツはオレが……潰す」
 氷は狂ったように表情を歪ませて、にぃや……と笑った。
 その表情に伊織はビクリと体を震わせる。
「わ、わかった。パパに、そう伝えておくから」
 恐怖に震える声。
 すぐに踵を返し、タタタッと部屋の外へと駆け出していった。




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