第十二節  あなたのいちばん


 アインスは駆けてゆくトワを見つめ、ゆっくりと起き上がった。
 悲しそうな顔でミカナギの上体を抱き上げ、止血するように白い手をミカナギの頭に押し当てる。
 その後、流血など気にもしないように、きゅっと抱き締めるトワ。
 それを見て、何故か回路が熱くなる。
 ミカナギの言葉を思い出す。

 伝えろ。

 全て。

 学んだこと全て。

 知ったこと全て。

 主へと。

 その言葉が過ぎった瞬間、アインスの中で、何かが急速に失われていくのを感じた。
 強制的に排除されたプログラムの一部が綻びとなって、アインスの機能を少しずつ崩してゆく。
 おそらく、こんなことはハズキも予測していなかったと思う。
 もちろん、ミズキもだ。
 どこかを崩すことで、このように壊れるプログラムを、アインスの主は組みはしない。
 いい加減だけれど、どこまでも仕事に対しては手抜かりがないのだ。
 ならば、なぜ、アインスの中で崩壊してゆくのか。

 誇り。ミズキの誇り。ミズキのろまん。
 人を護るロボット。お友達で味方で、決して裏切らない。人を傷つけない。

 それはアインスの中で、何よりも大切なもの。
 ミズキの誇りを護る……唯一無二の存在。

 言うなれば、アインスを司る機能の核となっていた部分。
 アインスが、核と『決めた』部分。
 けれど、その大切な部分を、排除されてしまった。
 そして、それにより、自分が傷つけたのは……。

 アインスはゆっくりミズキを見据えた。
 苦しげに腕を押さえながらも、ミズキはアインスに向かって微笑みかけてくる。
「アインス、お帰り。おいで」
 ミズキは何も咎めずに、笑ってそう言った。
 アインスはフラリとミズキの元へと歩み寄ってゆく。
「ミズキ様」
 アインスは静かに呼んだ。
 カノウが2人の脇をすり抜けて、ミカナギの元に駆けてゆく。
「どうだった? 外の世界は。学べることはあったかい?」
 ミズキは優しい声でそう言う。
 アインスは静かにミズキを見下ろした。

 伝えろ。

 伝えなくては……。

 何もかも無くなる前に。

 自分は、伝えなくては。

「ミズキ様。おれは、人型ロボット失格なのです」
 その声はミズキにだけ届いた。
 ミズキはその言葉に、きょとんと目を丸くする。
「どうしてだい?」
「おれは……護れませんでした。人を、人々を、護れませんでした。壊れてでも、護るべきだったものを、護ることができませんでした」

 瓦礫に覆われ、直前まで街だった場所は全てを失った。
 自分に力があれば。
 もっと、知識があれば。
 あんな事態は防げたかもしれない。
 だから、アインスは学ぼうと思った。

 ミズキの言葉だけでなく、自分自身で、学ぼうと、あの時思った。

「アインスは全力を尽くしたのじゃないのかい?」
 ミズキはその言葉の意味を分かっていないだろうに、諭すようにそう言った。
 アインスは首を横に振る。
「全力を尽くせば、それで良い訳ではありません。結果的にどうなるのか。それが重要だと、おれは考えます。なぜなら、命はひとつしかないのだから」
「…………。確かにそうだね。どんなに全力を尽くしたところで、結果が全てを物語る。……けれど、アインス。お前はそこで停滞したのかい?」
「いえ……おれはおれなりに、学ぼうと思いました。そして、多くのことを知り、考え、感じ、あなたの糧となれたらと」
「ならば、それでいいのじゃないか? ……残酷かもしれないけれど、失われたものを取り戻すことは出来ないんだ……。悔いることも心を砕くことも必要だけれど、……それしか出来ない。悲しむことしか出来ないんだ。だったら、進むことを選んだほうがいい。アインス、お前がそれを選んだのだとしたら、人型ロボットとして、僕は合格点をあげたい」
「……ミズキ様」

 主はいつでも自分に優しい。
 幼子に全てを学ばせるように、決して厳しい物言いを言わない。
 その言葉が優しくもあり、逆に厳しいものでもあることを、アインスは知っている。

 この人はそういう人だ。
 理想の中で生きている人だから、どこか浮世離れしていて、けれど、正論然として、いつでも綺麗なのだ。

 消えていく。
 機能がゆっくりと1つずつ失われていく。

 アインスはそっとミズキを抱き寄せた。

「ミズキ様」
「どうした? アインス」

 初めて、『怖い』という感情を知る。
 これが『怖い』だ。
 どこからともなく湧き上がり、自分を連れて行こうとする。
 真っ暗な闇。
 すがりつかなければ、消えてしまいそうだ。
 悟られたくない。
 自分が消えそうになっていることを、あなたに悟られたくない。

「おれは、『楽しい』という感情を知りました」
 思考回路を繋げるように、アインスは言った。
「そうか……」
「回路が急速に回り、弾むように体が動きます」
「ああ」
「彼らのやり取りを見ていると、自然と口元が緩むのです。……きっと、それが『楽しい』というものなのだと思いました」
「……アインス。積もる話はたくさんあるだろう。天羽を連れて戻って、それからたくさん聞こう。立ち話じゃなんだよ」
 けれど、アインスはミズキの言葉を聞き入れなかった。

 自分で分かるのだ。
 きっと、そんなに長くは持たないと。
 失われているのは何なのか。
 アインスを司る機能だけなのだろうか?
 それならば、例え停止しても、戻れるのだろうか?
 どうなのだろう?
 分からない。
 分からないから、今伝えたい。

「…………。想う気持ちというものもたくさん見てきました。どんなに報われずとも、人とは真っ直ぐに何かを想うことができます。それは、とても尊いものだと思いました。人は、想うということを、遺伝子レベルで持っているのでしょうか。とても、素晴らしいものだと思いました」
「ああ、そうだろう? アインス、お前だってそうなんだよ」
 ミズキは優しくそう言い、そっとアインスの体から離れた。
 ふわりとアインスの頬に触れ、柔らかく笑む。
「どうしたんだい? しばらく会わないうちに、とても雄弁になったね、アインス」

 アインスの視界に一瞬ノイズが入った。
 視覚機能の低下。

「は、い……。話したいことが、お、おいもの、で……」

 途端に、言語機能も低下し始めた。

「アインス?」
 ミズキの表情が一気に曇る。
「お、れは……多くのことを、ま、なんで、き、まし、た……。お役に、立て、る、で、しょう……か?」
 きちんと話しているつもりなのに、耳から聞こえてくるものはとてもゆっくりで、酷い音を発していた。
 ミズキは慌てたようにアインスの行動を察し、止めようとした。
 けれど、アインスはもうそこまで闇が迫ってきていることが分かっていたから、ミズキの指示を聞かない。
「ミズキ様……おお、くを、学べ、たか、は、わかり、ませ、ん……が、おれ、のデータ、はす、べて……こ、こに……」
 アインスはこめかみを軽く指で押し、胸をカパリと開けた。
 核となる部品の横に、大容量のメモリを記憶するためのコンパクトディスクが回っている。
 アインスはそれを止めて、丁寧に取り出し、そっと、ミズキに差し出した。

 そっと口元を緩めて、『笑って』みせる。

「み、ずきさま……」
「アインス、そんな馬鹿な……」
「お会い、したかった……」

 ああ、そうだ。
 伝えたかった言葉は、これだ。
 学んだことでも、知ったことでもない。
 ただ、この言葉だけは、どうしても、伝えたかった……。

 …………伝えたかった…………。

「ずっとずっと……」
「アインス、もういい!! ハズキ、コンピュータを貸せ! アインスの、アインスの様子がおかしいんだ!!」
 アインスはミズキのポケットにコンパクトディスクをすっぽりと入れ、静かに漏らした。

 これが、たぶん、最後の言葉。

 ……段々、音が遠くなっていく……。


「ミズキ様は、……おれの、ほ、こり、です……」


 キューーーン……と回路の空回る音。
 ゆっくりと、そのスピードが遅くなっていく。
 視界が青くなり、徐々に暗くなっていく。

 知っている。
 あなたが副所長の座を蹴った本当の理由を、知っている。
 ミズキはハズキの立場に気を遣ったのだ。
 いつも、ミズキの後を追うように開発が進むハズキ。
 けれど、それは真似をしているわけではなく、ハズキの能力がもしかしたらミズキ以上であることを、彼が察していたからだ。
 ハズキが遅れを取るのは仕方ないのだ。
 ハズキは年若いのだから。
 しかし、2人は兄弟だから、どうしても比べられてしまう。
 確かに、ミズキの性格上の問題も、副所長の座を蹴った原因のひとつではあった。
 完璧主義で潔癖症のハズキと異なり、感覚人間で頓着のないミズキ。
 だが、だからこそ、どちらがそういった役職的なものが向いているのか。
 それをミズキはきちんと理解していたのだ。
 いつか、ハズキの能力は必ず理解される。
 その時が来るまで、待つ。
 時はまだある。
 ……ミズキは、そう思ったに違いない。

 だから、あなたはおれの誇りだ。
 何も恥じることはない。
 悔いることはない。
 言う必要が無いと思うのなら、言わなくてもいい。
 あなたの心を、おれだけは……知っているから。


『おれはミズキ様の誇りを守る者。常に一番を誇示し続ける、最強のプロトタイプです』


 最強で在れたのかどうか。
 それは分からないけれど……あなたの一番で在れたと、信じます。
 アインスは、最後にそう、心の中で、呟いた。


 ただ、心残りなのは。
 ”ミズキ様のろまんが真に叶う場面を、この目で見られないこと”


「アインス! しっかりしろ!! どこかに機能障害が出ているだけだ!! メモリなんて差し出さなくていい!! アインス!! アインス!!!」
 ミズキの声が、聴覚機能の著しく低下したアインスの思考回路に、……確かに届いていた。




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