第八節 月とすっぽん
コンソールをカチャカチャいじくりながら、男の子は真剣な眼差しでディスプレイを見つめている。
カチャカチャカチャ……音が響く。
指が跳ねる。
これでどうだ! と思い切りenterキーを押す音。
けれど、男の子の入力は排除されてしまったのか、画面には全く変化が見受けられず、そこにトワの顔をデフォルメしたような可愛らしい絵が浮かび上がった。
こちらにあっかんべーをして、そのまま画面が真っ暗になる。
男の子はすぐに通信用のトランシーバーのボタンを押した。
「何?」
「おっまえ……少しは手加減しろよ!!」
「手加減したら怒るくせに」
「っっなこと言ったって! お、オレ、操作不能じゃねぇか!!」
「……無能が吠えるな」
「な……」
「所詮、あなたは私には勝てないように出来てるの。やるだけ無駄。わかった?」
「…………」
「ミカナギは頭脳労働は向かないの。だから、普通の人よりは優秀でも、私には敵わない。センスの問題よ。わかったら、もうこういう勝負はなしね」
「ぐ……」
「じゃ、おしまいね♪」
プツッと通信をあちらから切られる音がして、男の子は仕方なさそうにポンと机の上にそれを投げ出した。
ミカナギはそれを見つめて、フー……とため息を吐いた。
「……やーん、いじめられた……」
男の子がふざけたようにそんなことを言って、そのまま机に突っ伏してしまう。
気にはしている。
ミカナギのコンピュータ能力が40とするならば、トワの能力は倍の80。
優秀と言われるツムギが50であることを考えれば、決してミカナギの能力が低いというわけではないものの。
それでも、やはり、月とすっぽん。
対として生まれたものの、このプラントで役に立てる能力は何ひとつ持っていない。
ミカナギが役に立てるのは、本当に優れた身体能力で、大切な人を護ることだけなのだ。
男の子ははぁぁとため息を吐いて、ゆっくりと体を起こす。
「大体比較しようなんて馬鹿馬鹿しいのよ」
突然ドアが開いて、女の子が部屋に入ってきてそう言った。
サラリと高飛車に髪を掻き上げ、ふんと鼻を鳴らす。
不機嫌そうに女の子は男の子を睨みつけて、ペタペタと男の子のほうへと歩み寄っていく。
男の子は女の子を見上げ、女の子はある程度近づいたところで、思い切り足の裏でガシンと男の子の腿を蹴りつけた。
タイヤが衝撃で動いて、男の子の体が椅子ごと後ろへと下がる。
「馬鹿じゃないの」
男の子は蹴られた腿をさすりながら、女の子を見上げる。
そして、次の瞬間笑った。
「ハハッ」
女の子は見透かされたのが悔しかったのか、ふいと横を向いて唇を噛んだ。
ミカナギはそんな女の子の横顔を見つめて、ふっと笑みを浮かべる。
いつも思うことだが、損な人だ。
きっと、自分でなかったら意味も分からないだろう。
この人は、比較の対象には出されても、決して自分と誰かを比較するようなことはしない。
それは彼女が恵まれているからこそ……なのだろうけれど、一応、自分が何を気にしているのかを、察してはくれていたようだった。
「能力なんてスピードと閃きの差でしょう? それを抜かせば、時間があれば、誰だって答えに辿り着けるものなの」
「うぅん……でも、それが才能ってやつでしょ」
「ミカナギはたくさん持っているのに、それ以上に何が欲しいって言うのよ」
「……たくさん……? オレが?」
「自覚がないなんて可哀想に」
「…………」
「まぁいいわ。それが良さなんだし」
「はぁ」
男の子が首を傾げながら答えると、女の子ははぁぁ……とため息を吐いた。
ママだったら、もっと可愛らしくて、自信を持たせるような言葉を探し出すのだろうな。
きっと、そんな感じのため息だろうか。
おやおや。なんだかんだ言っても……。この人も自分と誰かを比較するようなこと、あるんだなぁ。
ミカナギはそんなことを心の中で呟いて、いやらしくほくそ笑んだ。
きっと、姿が見えていたら、自分は恐ろしいくらいに変態だ。
彼女の気持ちが、少しずつ異性的な好意に変わり出した時期……。
たぶん、そう思う。
自分自身は……まだ、ママに淡い恋心を抱いたまま……。
時は流れてゆく。
第九節 優しいもんな
「子供が出来ました…………あの人の子供です」
恐れていた瞬間が訪れた。
ツムギが素早くママの頬を叩き、その顔には苦渋の表情が浮かんでいた。
男の子がすぐに止めに入る。
「なんだかわかんねーけど! やめろよ!! 女に手上げるなっていつも言ってるのは、ツムギだろ?!」
「子供はあっちに行っていなさい! ほら、トワと一緒に!!」
「……み、ミカちゃん、いいのよ。悪いのは、ママだから」
「なにが?! 赤ちゃんいるなら、手荒なことなんて、尚のことダメじゃん!!」
「ミカナギ、いこ……」
「何がだよ?! 意味わかんねー!! 兎環、お前黙れ!!」
男の子の服の裾を掴んで、状況を把握したであろう女の子がそう言ったが、男の子は勢いのまま怒鳴りつける。
男の子がいつになく怖い表情で睨みつけるので、いつも気丈な女の子もおどおどと視線を落とした。
その様子を見て、少しばかり冷静さを取り戻したのか、男の子はすっと額に触れ、一瞥もせずにぼそりと言った。
「わり」
「…………」
「ツムギ……、ママ殴るなよ? もし殴ったのわかったら、オレがその100倍ぶん殴るからな!!」
そう叫んで、すぐに女の子の手を取り、部屋を出ていってしまった。
ミカナギはその場に留まり、少しばかり様子を窺う。
ツムギは叩いてしまったママの頬を優しく撫でながら、ポツリと呟く。
「ごめん……」
「んーん……。怒って当然です」
「堕ろしては……くれないよね……?」
「はい」
しっかりとした口調で返事を寄越すママを見て、ツムギは本当に辛そうに眉を寄せた。
「……兄さんのことが好きなのは……知っていたけど」
「……ええ、最低な女です。謝りもしません。好きなだけ責めて、恨んでください」
「サラさんがそう言う時は……何か事情があるんだよ」
「…………」
「何を条件にしたの?」
「…………」
ツムギは真っ直ぐにママを見つめて、決して視線を逸らさなかった。
ママもいつもからは想像できないほど気丈な眼差しで、ツムギを見つめ返している。
どれだけの長い時間、2人の視線の絡み合いが続いただろうか。
最初に折れたのは、ママのほうだった。
ふぅ……とため息を吐いて、苦笑を漏らす。
「あなたには、敵いません」
「サラさんが大好きだからね」
「……わたしも、大好きですよ」
「サラさんは、みんなを平等に好きなんだ」
「…………」
「でも、兄さんが気になって気になって仕方ない」
「…………」
「でも、そんな感情だけで先走るほど、サラさんは子供じゃない」
「子供ですよ」
「子供じゃないよ」
「……あの人を、1人にしたくなかっただけ、ですもの」
ママはそう言って、それ以上の追及を拒むように自分から話し始めた。
「子供の頃にあの人への想いが叶わなかったことを、今更引っ張り出したんです。それだけのことです」
だから、ツムギも真意を察した上で、彼女のペースに合わせたようだった。
彼の目には食えないような光が宿っていた。
自分で調べるさ。そのくらい簡単なんだから。
そんなことを言いそうな眼差しだった。
ミカナギはそれ以上は見ていられずに、壁をすり抜けるようにして外へと出た。
廊下では、男の子が女の子に簡単な解説を受けて、頭に血が上るのを必死に堪えている状態で立ち尽くしていた。
「子供じゃないんだからわかるでしょう? 感情がそこにあったかどうかはわからないけど……そういうことよ」
「タゴルおじさんが……。か、感情なんてあってたまるか……! アイツ、無理矢理、ママに迫ったに決まってる……!!」
「ミカナギ、ちょっと待って。ママは冷静に言っていた。この結果も、覚悟の上だったってことに……」
「うるさい!!」
男の子は女の子の言葉を遮り、叫んだ。
声が廊下にビリビリと響き、女の子もそんな男の子の様子をやるせないように見つめている。
「ミカナギ……」
「ママが……ママに限ってあるわけない! あるわけない!!」
男の子は思い当たることを振り払うようにブンブンと首を横に振りながら叫ぶ。
認めたくなかった。
ツムギだからこそ、自分は穏やかな気持ちでママを見つめることが出来たのだ。
ツムギ以外の男に、ママの心があったなんて、そんなの認められない。
認めることは自分が許せない。
許してしまったら、自分の感情も、止められなくなってしまうからだ。
男の子は弾かれるように駆け出した。
あっという間に50メートル先の角を曲がって、タゴルの居住区へと向かって走っていった。
女の子は部屋のドアに視線をやったが、2人に声を掛けることはせずに、ペタペタペタと走り出した。
「止めなくちゃ……」
男の子を追いかけて、彼女なりに一生懸命走っていった。
バキリと室内に鈍い音が響いた。
頭1つ分ほど小さい男の子がタゴルの体を殴り飛ばしたのだ。
不意を突かれたのもあってか、タゴルは殴られた頬をさすりながら、少々戸惑うように目を細めている。
「何のつもりだ? 小僧」
「ママにしたこと詫びろ、謝れ!!」
「あちらが望んだことだが?」
タゴルはからかうようにクク……と笑いをこぼす。
男の子のパンチ力がどれほどのものか、最初の一撃で分かったにも関わらず、それでも全く恐怖のようなものは目に浮かんでいなかった。
その様子に最後の良心が完全に無くなったように、男の子の目が血のような怪しい色に変わる。
無言・無表情でタゴルの顔を殴り、体を蹴り飛ばし、マウントポジションで顔の形が変わるほどの回数殴りつけた。
肩で息をしながら、女の子が部屋に駆け込んできて、すぐに男の子を止めるために駆け寄ろうとしたようだったが、男の子の視線を1つ受けただけで動けなくなり、体を震わせた。
「ぅ……小僧……」
タゴルの手が男の子の首に伸びるが、男の子はそれをすぐに払い、そのまま腕を捻り上げた。
「殺してやる……」
ポツリと呟いて、周囲を見回し、机の上に置いてある小型のビーム銃を見据えた。
タゴルの腕を思い切り捻り、ゴキリと音がした瞬間、離れて素早く銃を手に取った。
タゴルが腕を押さえて、苦痛に顔を歪めている。
男の子は銃をタゴルに向けようとした。
しかし、それよりも早く、ホログラフボールが飛んできて、男の子の周囲を漂い、ビリビリと電流が流れた。
男の子が銃をポロリとこぼして、その場に膝をつく。
ギロリと男の子の眼差しが女の子を捉える。
女の子はその視線にビクリと肩を震わせる。
いつもの彼でないことが分かったのだろう。
普段のような言葉が何ひとつ出てこない。
いつもならば、馬鹿だのミカナギのくせにだの、子供のような言い方で男の子をたしなめるのだが、それすら出来ないようだった。
床に転がった銃をタゴルが目ざとく拾い上げ、少年に向ける。
それを見た瞬間、女の子はすぐに先程と同じようにホログラフボールを飛ばし、タゴルの手にバチバチと電流を放ち、銃を取りこぼした瞬間、男の子に駆け寄った。
「行こう!」
女の子は男の子の手を取って、急いで駆け出した。
男の子が女の子の手を握った瞬間、我に返ったように女の子を見る。
あの時、彼女の手はひどく汗ばんでいた。
きっと、怖さを堪えて、自分の手を取ってくれたのだろうと思う。
「と、兎環ちゃん?」
「馬鹿! あんなに怪我させて……私たちは人間じゃないんだから、もしかしたら処分されちゃうかもしれないのよ……もっと考えてよ……!」
「……オレ……」
女の子の手が震えている。
男の子は何も言えずに、ただ彼女の手を握って、彼女を引っ張るように走った。
「ま、いっか……」
タゴルの居住区を抜けたあたりで、女の子がそんなことをぽつりと言った。
意図が分からずに、男の子が女の子を見ると、女の子は少しすっとしたように笑った。
「処分される時は一緒だわ。私も、あの人に攻撃しちゃったし」
そんなことを、なんともない風に言う対が凄いと思って、しばし見惚れてしまったことを、思い出した。
けれど、この先、そんな懸念のようなものは何ひとつ起こらなかった。
ただ、ミカナギがタゴルにひどく目の敵にされるようになったことを除けば、だが。
部屋に戻って、へなへなとその場に座り込む女の子に、男の子も肩の力が一気に抜けて、大きく息を吐き出した。
人に暴力を振るってすっきりしたと言って良いレベルの攻撃ではなかったと思うのだが、先程湧き上がってどうしようもなかったものが、とりあえず、出口を見つけたことによって抜けていってくれた。
女の子は男の子の手を握ったままで、男の子の足に頭をもたせてきた。
「ねぇ、ミカナギ……。私、前に言ったことがあるでしょう? 恋慕という感情は、私たちは持てないんだって」
「ぇ……?」
「持たないほうがいいからなんだよ。私たちが惹かれても、私たちの恋は遺伝子に阻まれるから」
「…………」
「ただ、痛いだけなら……しないほういい」
「……そうかな?」
「ミカナギ……」
「兎環は、いっつもそればっか。やるだけ無駄。結果なんて見えてる。計算で出る。学術的に許されない」
「…………」
「オレ、そうは思えねーんだ。確かに、これだけは、見送るだけのつもりでいるよ……何もしない。でも、それって意味のないことかよ?」
男の子はすとんと腰を下ろして、女の子を真っ直ぐに見つめた。
自分のシャツをギュッと掴んで、苦しげに男の子は表情を歪ませている。
これだけは。
それは……この恋は。という意味だろうか。
女の子が口を微かに開けた状態で、男の子を見る。
「意味のないことなんて……ないだろ?」
「……うん、そう、かもね……」
「傷ついた分だけ、何かが得られるはずだし。経験することって絶対無駄だなんて思えない」
女の子が少々視線を伏せる。
「サンキュ」
突然、男の子が朗らかに言った。
女の子がその言葉に不思議そうに視線を上げる。
「全部……オレのこと心配して言ってくれてるんだろ? 兎環は、優しいからな」
「優しい? 私が?」
「ああ、オレにとっては……すっげー優しいよ。ダメージもきっついけど」
「どっちよ」
「ぶはっ」
男の子の言葉に女の子も失笑に近い笑いをこぼし、その様子を見て、男の子もおかしそうに噴き出した。
なんだか失恋したはずなのに(最初から失恋だったのだが)、喋っている内に少し楽になった。
あの時、確かに、楽になった……。
2人のやり取りを見つめていて、それを、思い出したミカナギだった。
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