第十一節  胸騒ぎ


「実験?!」
「そうなのよ〜」
 15になってすぐの頃だったと思う。
 突然前置きもなく、ママがそう言って嬉しそうに微笑んだのは、……あの忌々しい日当日のことだった……。
 身長が更に伸びて、男らしい体格になった男の子が心配そうな表情でママを見つめた。
「これから?」
「ええ」
「何の実験なの……?」
「んー……だいじょうぶ。ちょっとしたテストよぉ」
「…………」
「問題はないわ」
「……そう。ツムギもそう言ってるの?」
「ええ」
 あの時、確かに胸騒ぎがしていた。
 心の中をザワザワと駆け抜けていく風があったことを、今ならば確かに思い出すことが出来る。
 どうして……あの時、自分は止められなかったのだろうと……そう悔いたこともあったのだ。
 家族全員いる前で行うような実験ならば、大したものではないのだろうと……そんな言葉を上から被せて、ただただ納得するよりなかった。
 男の子と同様に身長の伸びた女の子が、部屋に入ってきて、2人が話しているのを見て目を丸くした。
「どうしたの? こんな朝早くに。何かあった?」
「………つーか、兎環。お前、勝手に人の部屋のロック外して入ってくるクセ直せよな」
「なーによ。子供の頃は誰でも行き来できるようにってことで、部屋にロックなんて掛けてなかったでしょ? 警備の人もいるし、ロックの必要なんてないじゃないの。……1人で何をしてるんだか……」
「お生憎様、只今複雑な時期真っ最中なのでね。お姫様にはわからないでしょうが」
「……単細胞がよく言うわね」
 女の子の言葉に男の子はニヘッと笑い、ゆっくりと立ち上がった。
 そんな2人のやり取りを見て、ニコニコとママが笑う。
 ロックの施錠が必須になったのは、2人が亡くなってからのことだった。
 雇える警備の人間が限られてしまったのもある。
 副所長であったツムギの権威がそれなりに大きかったことの証明にもなろう。
「2人とも、本当に仲良しで嬉しいなぁ」
「……仲良し? どこが?」
「だって、少なくともミカちゃんはトワちゃんのこと大好きだもの。トワちゃんだって見ていれ……」
「ママ」
「あ……うん、ごめんなさい。トワちゃんはこういう風に言われるの、嫌いよね。ごめんね?」
 女の子が言葉を遮ったことで、ママは反省したように目を細めて微笑んだ。
「ミカちゃん……あんなに甘えっ子だったのに、気が付いたら良いお兄さんになっちゃってて……時が経つのって早いなぁ」
「ガキのお守りは嫌いじゃないしね」
「そうよ。コイツ、パシリ体質なんだから、好きなだけこき使えばいいのよ」
「……なんだか、聞き捨てならないねぇ、兎環ちゃん」
「トワちゃんは、変わらないわよね。あ、でも、最近はとっても情緒豊かになって、ママ嬉しいわ」
「単にどう言えば我儘が通しやすいかを学習しただけとも言えるけどな……」
 ママが嬉しそうに笑っている横で、男の子がボソリと呟くと、耳ざとく女の子がそれを聞きつけて、男の子のほうを向いた。
 ニッコリ笑う。
「何か言った?」
「んー。笑うようになって可愛くなったなぁって」
 男の子も負けじとニッコリ笑ってそう言った。
 ママはのほ〜んとした様子で、コクコクと頷く。
 女の子が男の子の言葉に、長い髪を掻き上げて、少しばかり唇を尖らせて俯いた。
 男の子は見透かしたようににぃっと笑う。
「あ、でも、ミカちゃん。トワちゃんはいつでも可愛いわよ。無表情だった子供の頃だって、ベリベリキュート☆」
「……もう……。どんな嫌がらせよ」
 トワがポソリと呟く。
 まだ俯いたままだから表情は窺えないけれど、明らかに照れている。
 ミカナギはその様子を見つめて、ふっと笑った。
 記憶がないまま、彼女と話す時、いつでもそこには自分の背中があった。
 このようなやり取りを、常に自分はイメージしていたのだ。
 ママが優しく笑って、唇を尖らせている女の子に言った。
「こういう時は、『え? ホント? 嬉しいぃ』くらい言えばいいのよ。折角可愛いんだから」
「吐き気がする……」
 ママのコメントに女の子が明らかに表情を歪ませる。
 男の子も隣でコクコクと頷いた。
「兎環がそんな風に言ったら、世界も終わりだ」
「もう……ミカちゃんったら。可愛い子のそういう言葉の威力を知らないのねぇ?」
 女の子が男の子の首を掴むより前に、ママがニッコリと笑って、顔の前で人差し指をチョイチョイと動かしてそう言った。
 男の子はママのその仕種に少々顔を赤らめる。
「トワちゃんは使い分けられるようになったらモテモテよぉ。下僕出来放題☆」
 ……でも、下僕なんだ。
 ミカナギはママのコメントに苦笑を漏らしつつ、心の中でそう突っ込んだ。
「女王様と下僕……?」
 男の子が、自分と女の子を交互に指差してそんなことを言う。
 女の子もさすがに慌てたように首を横に振った。
「下僕って……」
「下僕って言っても、喜んで仕えてくれる人がたくさんってことよぉ。いい女はお得なのよぉ〜。その分、相手に損したって思わせないのもコ・ツだけどねぇ」
「……我儘の被害者はオレだけでいいんじゃないの? 一応、これでも兎環、ミズキやハズキの前ではそれなりにお姉さんしようとはしてるんだぜ?」
「ふふ……」
 男の子の言葉にニコニコとママは笑い、ゆっくりと踵を返して部屋を出て行った。
 出てから振り返り、優しい声で言う。
「ミズキやハズキの前でも、気ままなお姉さんでいいのよぉ。だって、家族なんだもの」
 本当にママは心からそう言ったのだと思う。
 嬉しそうにウィンクまでして、ドアが閉まると跳ねるような足音をさせて、どこかへと行ってしまったようだった。
 女の子はその様子を見つめて、不思議そうに首を傾げる。
 男の子もそんな女の子に視線を動かす。
「なんだか、ママ……浮かれてない?」
「そうか?」
「……いつも、のほ〜んとした人だけど、なんというか……今日は子供みたい……」
 頬に手を当て、肘を引き寄せる女の子。
 その様子を見つめて、ニヒヒと笑うと男の子は言う。
「兎環に言われたくねぇぇぇ……」
「あなた、本当に癇に障るわね」
 女の子はそんな風に言いながらも、その顔は微かに笑っていて、男の子は全く動じることなく、女の子に笑い返した。
 ……胸騒ぎなんて、大したことない。
 そんなものの存在なんて、信じてなどいなかった。



第十二節  赤い世界に消えた人


「実験が終わったらパーティーよぉ」
 ママは皆が集まった部屋で嬉しそうにそんなことを言った。
 家族全員揃うことなんてそうそうないから、特にミズキとハズキは嬉しそうにママのことを見つめていた。
 ハズキが小さな体でピョンピョンと体を跳ねさせて手を上げる。
「ん? なぁに? ハーくん」
「なんのパーティー?」
「ん、んーとねぇ……ママの誕生日、かなぁ?」
「たんじょうび?」
 不思議そうにハズキが首を傾げると、ツムギ以外の家族も同じように不思議そうにママを見つめた。
 それはそうだ。
 思い返すとわかることだが、ツムギの誕生日は祝ったことがたまにあっても、ママの誕生日は……祝ったことなどなかったから。
 けれど、それはミカナギやトワも一緒だったから、さほど疑問に思うようなことはなかったのだ。
 2人に誕生日がないから、ママも気を遣ってくれているのだろうと……そんな風に思っていた。
「ママ、いくつになるのぉ?」
「こ、こら、ハズキ」
 ハズキの無邪気な発言に、男の子が慌てたようにハズキのことを止めようとしたが、ママはケイルを抱き上げたまま、なんでもないようにニッコリと笑って答える。
「誕生会の数だけならねぇ、今回で16回目よぉ」
 上手く誤魔化したなぁと、あの頃は思ったものだ。
 賢いハズキは不思議そうにしていたが、特に突っ込むこともなく、そうなんだとだけママに返す。
 ママがハズキのその様子を見つめて、クスッと笑いをこぼした。
「さて……じゃ、やろうか? サラさん」
「ん? あ、は〜い」
 ツムギの言葉に、ママは部屋の中心まで歩いていって、いつの間に出来たのか、微かにくぼみのある床に立った。
 その床の真上の天井に装置のようなものがついていて、そこからパイプが伸びており、天井裏へと通されているようだった。
「ケーくん一緒でも大丈夫よね?」
「ああ。特に危険はないから」
 ママの言葉にツムギが笑顔で答え、ママは安心したようにケイルを抱き締めて、ゆっくりと天井を見上げる。
 その後に、男の子を見、女の子を見、ミズキ、ハズキ……と視線を動かして、最後にツムギを見つめて笑った。
「いいですよぉ」
 その言葉を聞いて、ツムギはすぐにコンソールをカチカチといじくり出す。
 すると、ママの体が装置から出た光に浮き上がって、背中から翼のようなものが見え始めた。
 ママはケイルをあやしながら、目を細めて何かを思い返すような表情をする。
 ミカナギはそれを見ていられなくなって、ママの傍まで駆け寄って叫んだ。
 この記憶だけは、見たくなかった。
 見なくてよかった。
 思い出したくなんてなかったんだ。
 だって、変えられない過去なのは分かっているから。
 分かりきっている事実なら、見る必要なんて無い。
 この人はもうこの世にはいないんだと、もう分かっているんだから。
 この人がいたんだと、それだけ分かっていれば、もう全て受け止められるから……見たくない。
 夢ならば、ここまで克明に全てを刻まなくていい。
「やめろ! ママ、ここから出ろ! 死んじゃうんだ!! そこにいたら、死んじゃうんだ!!」
 ミカナギの目から涙がこぼれる。
「死んじまうんだよ!! ママァ!!!」
 ミカナギの叫びは虚空に消える。
 その場にいる誰にも届かない。
 微かにセピアがかったその世界は何事もないように時を刻んでいく。
 ママがポツリと呟く。
 その言葉にはっとする。
「……世界が、救われますように……」
 その声は静かに、ミカナギの耳に響いた。
 あの時は聞こえもしなかった……。聞こえていたとしたら、きっとそれはケイルの耳にだけ届いたのではないかと思えるほどの小声だった。
 ミカナギはその言葉に言葉を失う。
 ただ、立ち尽くして、ママを見つめることしか出来なかった。
 この人は……。
 本当に、そればかりを願っていたのだ。
 ツムギが慌てたようにコンソールをいじくる手を早めたのが分かった。
 データに異常が発生したのだ。
 あの時もそうだった。
 異常に気が付いたツムギが、ママに装置から出るように叫んで、ママの元へと駆け出した。
 ママの腕が、ボコボコ……と不可思議な形に膨れ上がる。
 ママもそれに気が付いて、慌てたように瞳を揺らした。
 けれど、逃げ出すことを優先するよりも先に、胸元から小さなペンダントを取り出して、それをケイルに握らせ、ケイルごと放り投げた。
「馬鹿! サラさ……」
 ママの目から涙がこぼれる。
 口が動いた。
 嫌われちゃったみたい。
 そう言ったのが、今のミカナギの立ち位置から確認することが出来た。
 ママの体は一瞬で膨れ上がり、そのまま爆風を起こして散った。
 装置の傍まで来ていたツムギもその爆発に巻き込まれて、右腕が吹っ飛ぶ。
 赤い血が周囲に巻き散り、ママが立っていた場所には……バラバラの肉片だけが……残った……。
 ミカナギの歯がカチカチと鳴る。
 この空間にいるのは……耐えられない。
 あの時、よく、自分は耐えられたと思う。
 ゆっくりと振り返ると、体を張ってミズキとハズキを庇った男の子と女の子の背中が見えた。
 男の子がチラリとこちらを見、その目は驚愕に揺れた。
 けれど、すぐに静かに女の子に言葉を発した。
「2人を連れて……外に」
 女の子もチラリとだけこちらを見、すぐに耐えられないように目を背けた。
 肩が震える。
 ……が、コクリと頷いて、2人にそれを見せないようにして、部屋を足早に出て行った。
 男の子はそれを確認してから、倒れているツムギの傍に駆け寄る。
 ツムギの体も酷いものだった。
 右肩まで完全に無くなってしまっていて、ただ、脈を確認したところ、微弱ながら生きていることが確認できて、あの時少しばかりほっとしたことを覚えている。
「ツムギ! ツムギ!!」
 男の子の声に、ツムギは全く反応を示さなかった。
 男の子は奥歯を噛み締め、ママの立っていた場所を見つめてから、どうしようもないことを自覚したように目を細め、すぐに立ち上がった。
 ツムギのいじくっていたコンソールに駆け寄り、医療班直通の連絡ボタンを押す。
 すると、すぐに画面にチアキの父親が浮かび上がった。
「どうした? ミカナギくん」
 チアキの父親は不思議そうにそう言ったが、男の子は状況の説明もままならずに、ただ叫ぶしか出来なかった。
「ツムギが死んじまう! 早く……おじさん、早く来て!!」
 夢だと言って欲しかった。
 嘘だと言って欲しかった。
 悪趣味なドッキリだと言って欲しかった。
 ……でも、それは全て事実で、避けることなんて何ひとつ出来ない……残酷な現実だった。
 男の子は着ていたシャツを脱いで、ビリビリと破り、即席の包帯を作って、ツムギの傷口を覆おうと試みた。
 けれど、医療的な技術のない男の子にはそれが難しくて、何度やっても、きちんと止血が出来るような形にはならない。
 男の子はブツブツと何かを言い続けながら、必死にツムギの体に巻く。
 ミカナギはその様子を見ていて、辛くなった。
 あの時、自分は必死にこう言い続けた。
「オレたちを残して逝かないで。ツムギまで消えたら……オレたちはどうすればいいの?」
 と。




*** 第十章 第十節 第十章 第十三節・第十四節 ***
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