子供の頃、いつも氷は独りだった。
 閉ざされた部屋。その部屋の扉が開くのは、日に三回。食事の時間だけ。
 自分の力をコントロールできなかったために、部屋はいつも冷たい空気に満たされていた。
 食事を持って入ってくる者は一様に、その冷たさに表情をしかめたものだ。
 氷はその顔を見るのが嫌で、いつも食事が運ばれる時間になると、適当にテレビをつけ、熱中してそれを見ているフリをした。
 窓の少ないプラントには珍しく、その部屋には天井窓がついていた。
 昼は閉ざされているが、日が落ちると自然とブラインドが開く。部屋を暗くして、その窓から空を見上げるのが、幼少時の氷の楽しみだった。
 スモッグに包まれる空に、時折チラチラと光が覗く。その光が、星というものだと知り、色々なことを調べ、部屋には段々と月のポスターや天体図などが増えていった。
 部屋から出られない代わりに、氷が望むものは何でも用意された。
 それは自分を造ったタゴルがそうするようにと言っていたのか、時折顔を見せてくれる優しい女性がしてくれていたのかは全くわからないことだったけれど、とにかく、氷はぬくもりを知らない代わりに、物には一切不自由せずに暮らすことができたのだ。
 そして、20年前。氷は、トワに出会った。
 いつものように明かりを消して空を見上げようとしていたのだが、突然、窓の外に翼の生えた子供の影が現れたので、慌てて明かりを点けた。部屋の明かりで、ぼんやりと浮かび上がる少女。白く澄んだ肌に、とても可愛らしい顔立ち。桜色の長い髪。華奢だけれど、すらりと高い背のおかげか、頼りなさはさほど感じない。氷は思わず見惚れてしまった。
 トワは少し疲れた表情で呼吸を整えていたが、中にいる氷の姿に気が付いて、静かに目を細めて笑った。
『あなたも……囚われてるの?』
 彼女はふわりと笑顔を浮かべて、そう言ったのだ。
 嘲りを含んだその言葉と、彼女の笑顔は、全くと言っていいほど不似合いだった。
 それを出会いと認めたのが自身だけであったことは、再会時のトワの反応で、手に取るように分かってしまったのだが、そんなものは関係なく、彼女との出会いが氷に与えた影響は大きかった。
 年はそれほど変わらないだろうに、彼女には子供ながらに、既に艶があった。


第七節  救いの騎士は王子よりも早く


「う……」
 トワはプッツリと切れた意識の糸を手繰り寄せて、ようやく意識を取り戻した。床の上に直に寝かされていたらしく、背中が痛かった。
 ゆっくりと起き上がり、周囲を確認する。見覚えは無かったが、そこがどこなのかはすぐに分かった。虹の塔の最上階だ。太い柱が高い天井を支え、ただ広いだけの空間。右手にはエレベーター。左手には虹をプラントと連結させるための装置群と、虹を通すためのドーム型のガラスが天井にあてがわれており、それらが見えた。
 トワは表情を歪め、みぞおちのあたりに触れた。ジンジンと鈍い痛みがまだ残っている。
 二、三度擦り、痛みを誤魔化してから、スッと右手をかざしてみた。
 青い光が小さく閃いて、徐々に大きくなり、ホログラフボールが姿を現した。
「作戦、成功したのね」
 微笑みかけると、ホログラフボールはふよふよとトワの周りを意思を持つかのように楽しげに回った。
 安定した青い光。先程のような不穏な明滅を繰り返すことは無かった。
 幸い、今、氷はこの階にいない。
 これならば、回線を開いて、ミカナギに居場所を伝えることぐらい出来そうだ。
 トワはいつもやっているようにホログラフボールを両腕で包み込み、ミカナギのトランシーバへの回線を開くように命じた。
 だが、回線が通じるよりも前に、ホログラフが目の前に浮かび上がった。
 『NG』
 『アクセスエラー』
 『不許可』
 まるで、トワのことをせせら笑うように次々とメッセージが浮かんでは消えていく。
「う、そ……」
 信じられない表示に、トワは目を見開いた。起こりえない現実に手が震える。ぎゅっと拳を握り締めて、親指の爪を噛んだ。
 頭が真っ白になった。
 停電になっている間に、設定を書き換えられたらしい。
 権限の象徴であったホログラフボールが、虚しく明滅を繰り返す。
 ごめんねと言う様に、その光はとても控えめだった。
 しばらく、思考が停止していたが、ゆっくりと手を下ろし、そのまま髪を掻き上げた。
 唇の端が吊り上がる。
「やってくれるじゃない」
 その言葉と共に、トワの瞳に光が宿った。
 取られたならば、取り戻すまで。とはいえ、氷が戻ってくるまでの時間が如何ほどであるかが分からないので、ひとまず、ミカナギに自分の居場所を伝えることを目標に据えた。
 青い光が閃き、トワの髪がなびいた。
 通信失敗1回目。
 トワは舌打ちをして、再度念じる。
 サーバ権限を得ようとしている訳ではないのだから、このくらい見逃せと言いたくなるが、このように厳しい設定を行なったのが自分自身であったため、煩わしく感じても、怒るに怒れなかった。
 くっと息を飲み、指を軽く動かした。目映い光が広がり、またもや、風が吹く。
 通信失敗2回目。
「あー……もう、私を誰だと思ってるのよ!」
 そう叫んだ瞬間、ポンッと目の前にミカナギの顔が浮かび上がった。
 向こうも驚いた表情で、こちらを見ている。汗だくなうえに、肩で息をしていた。
「兎環? お、お前、今どこだ?!」
 いくらなんでも、ごり押しで通るなんて事があっていいのだろうか。
 まさか、トワの声に反応したわけでもあるまいし。
 そんなことを考えて、つい笑みが浮かんでしまった。
「こら、笑ってる場合じゃねーだろ! 無事か?!」
「静かにして。そんなに大きな声出さなくても聞こえるから」
「いや、だって……」
「虹の塔」
「へ?」
「虹の塔にいる」
 ミカナギがその言葉に何かを考えるように口を噤んだ。
「早く来なさい」
 トワは彼の意図が読めたが、彼が言い出すのを待つように、あえて無視をした。
「……なぁ、兎環」
「なに?」
「オレの、考えてること、わかるか?」
「ええ」
「駄目って、言うんだろうな」
「ええ」
 トワは躊躇うことなく、ミカナギの言葉に対して頷いてみせた。
 虹の力を解放しよう。彼はそう言いたいのだ。勿論、それは今ではなく、『いつか』なのだと思う。けれど、虹の力を解放するには……自分たちの命の保証がないと来ている。
 髪を掻き上げ、目を伏せる。
 面と向かって言うには、自分には可愛げが無さすぎた。
「……死にたくない……」
 心の底から吐き出される言葉。
 そして、あなたにも死んで欲しくない。言おうとして、けれど、声にならなかった。
 2人の間に沈黙が流れる。
 トワはチラリとミカナギの映るホログラフを見た。ミカナギは目を細めて、下唇を噛んでいた。
 しばらく、その表情のままだったが、ふと我に返り、彼は笑ってみせた。
「すぐ行く」
「ええ」
「何も、されて、ないよな?」
「たぶん」
「あんにゃろ……ぶっ飛ばさないと気が済まん」
「ミカナギ」
「ん?」
「彼、どこか様子が……」
 そこまで言いかけた時、エレベーターの到達音がした。
 慌ててトワはホログラフボールごと通信を切る。
 数秒して、エレベーターの扉が開き、氷が入ってきた。
 トワは身を強張らせ、思い切り睨みつけた。
 しかし、氷は周囲を警戒するように視線を動かし、トワ以外誰もいないことを確認してから、タタタッと駆けて来た。
「トワ、助けに来た」
 その言葉に、トワは小首を傾げる。
 助けるも何も、攫ったのはあなたでしょう。そんな言葉がこみ上げてくる。
「悪ぃ。不意突かれて、部屋に閉じ込められた。……信じるかはアンタに任すけど、アンタを攫ったの、オレじゃねー」
「そっくりさん?」
「ああ。おかげで、塔の警備は顔パス出来たけどな。……って、信じるか?」
 氷は少々渋い顔をしている。トワは少し間を置き、視線を外した。その様子を見て、氷がまるで叱られた子供のように悲しそうな表情になる。
 氷のそっくりさん。
 タゴルならば、それを造ることに躊躇するようにも見えないし、そのピースが存在すれば、トワの中にあった違和感は完全に払拭できる。
「信じる訳ねー……よな」
「いえ、信じるわ」
 トワの言葉に、氷が驚きを隠せないように唇を尖らせてこちらを見た。
「何か、おかしいとは、感じてたから」
 目の前の氷の表情がパッと華やぐ。自信ありげに、唇を吊り上げ、笑った。
「あれ? 思ったより、アンタ、オレのこと、気に掛けてる?」
「……どう解釈すれば、そうなるのよ」
 その表情を見て、トワは頭痛を覚え、すぐに憎まれ口を叩く。
 ところどころで見せる自信過剰な反応。それが妙に癪に障るのだ。
「や、だってよぉ」
「で、その氷βは?」
「やなネーミングすんなぁ」
「だって、名前わからないもの。で、彼は?」
「さぁな。警備連中の話じゃ、親父のとこ行ったらしいが。とにかく、さっさと行こうぜ」
「塔の警備は抜けられるの?」
「顔パス。出来なきゃ、潰すだけだ」
「でも……」
「んっだよ? ミカナギじゃなきゃ嫌〜とか言うつもりか? 助ける代わりになんかくれなんて言わないから安心しな。あのクソ親父の作戦通り行くのがむかつくだけだ。いや、なんかくれるんなら、遠慮なく貰うけどよ」
 氷のイライラした表情のその言葉に、トワは今まで彼に向けたことがないであろう、優しい目で見た。
「おら、行くぞ」
「ええ」
「?!」
 あまりに素直に答えたためか、氷が驚いてこちらを見た。
 トワは素知らぬ顔でゆっくりと立ち上がる。
 氷が静かに手を差し出してきたが、その手には気が付かなかったフリをした。
「何も、されてねーか?」
「……変なの」
「あ?」
「ミカナギと同じこと聞くんだもの」
「あんな奴と一緒にするな」
 氷はミカナギという名前が出て、不服そうに唇を尖らせた。
 トワはその様子に優しく目を細める。
「……なんだよ。気持ち悪いな」
「え?」
「笑ってくれんじゃねぇかって、期待しちまうじゃねぇか」
 氷が照れくさそうに頭を掻きながら、そう言って、ゆっくりと歩き出した。
 トワは彼の背中を見つめ、唇を噛んだ。


第八節  覚悟


 ハズキは目の前の光景に息を飲んだ。
 機械エンジニアとハウデルが率いていたツムギ側の警備兵たちが、心配そうにその中心にある人物たちに声を掛けている。
 中心には、氷漬けにされたコルトとハウデルがいた。
 ミズキが膝を折り、2人にそれぞれ触れ、とても口惜しそうに目を細めていた。
 ハズキはそれを垣間見ながら、こみ上げてくる申し訳なさに足が震えた。
 自分のせいだ。
 その言葉と共に、ハズキは光景から目を逸らし、俯いた。
 ハズキの手を握っていた伊織が、その様子の変化にすぐに気が付いて、きゅっと握る手に力を込めてくれたのがわかった。
 話では、プラント内の電力供給が復旧した途端、警備兵たちは早々に退却して行ったらしく、今現在、警戒態勢は解除されていた。
「兄さん」
 人垣を掻き分けて、ミズキの傍に寄り、同じように膝を折ってハウデルとコルトにそれぞれ触れた。
「チアキを呼んで」
「え?」
「処置を急がないと」
 2人が凍り付いてからどれほどの時間が経ったのかはわからないが、ただ外部から溶かすだけでは、2人の命は助からないだろう。チアキならば、その辺の処置にも明るい。無事にとは行かないまでも、命を助けることは出来るかもしれない。
 目に見えて動揺しているようには見えなかったが、これくらいの判断も出来ないところを見ると、精神的ショックがかなり大きかったらしい。
「し、しかし……」
「このまま放置してたら、死んでしまうだろ」
「あ、ああ、そうだね」
 ミズキは慌しくポケットからトランシーバを取り出した。
 天羽のトランシーバにすぐに繋がり、天羽の姿が映し出される。
「どうしたの? ミズキ」
「天羽、チアちゃんはそこにいるかい?」
「う、うん。今、あたしの怪我の処置してるとこ」
「代わってくれるかな?」
「うん」
 向こう側で何やらごにょごにょと会話をしているようだったが、数秒して、声がチアキに切り替わった。
「はい?」
「チアちゃん、あの、すぐ来て欲しいんだ」
「どうしたの?」
「コルトとハウデルが、氷漬けにされてしまっていて……それで」
「2人を医務室に運べそうですか?」
「……いや、厳しいと思う」
「そうですか……。それでは、そこに装置を持っていきましょう」
「装置?」
「血液循環用の装置が必要です」
「それは、どこに?」
「医務室にあります。医務室に行って、コンピュータで検索してもらえれば、すぐにどの装置かは分かると思います」
「……わかった」
「はい。あ、あと、出来るだけ2人の体を温めてあげてください。毛布で包むだけでもいいので。それと、プラント内の室温は上げられますか?」
「今、制御室にアインスたちがまだいるはずだ。すぐに連絡を取ってみるよ」
 チアキのその言葉よりも早く、何人かの人間が、そのへんの空室から掻き集めてきたらしい毛布を持って戻ってきた。
「ミズキ様、とりあえず、これで!」
 そう叫んで、コルトとハウデルの体を毛布で包み、優しく擦って温め始めた。
 はじめは1人で擦っていたが、足らないのが分かったのか、すぐに声を掛けて、数人がかりで1人の体を擦る。
「お嬢、死ぬなー!」
「隊長、しっかりしてください!」
 口々に声が上がる。
 ミズキがその光景に目を細め、トランシーバのチャンネルをアインスに合わせながら、ゆっくりと立ち上がった。
「装置を取ってくる」
「俺も行くよ、兄さん」
「え?」
「そんなに大型の装置でないかもしれないけど、要り用な物が他にもあるかもしれないだろう? 医務室は、結構足を運んでいたから、兄さんよりは物の場所も、コンピュータの検索の仕方も把握しているし」
 床に手をついて立ち上がりながら、クラリと周囲が揺れるような心地がしたが、誤魔化すように頭を軽く振って誤魔化す。
 今は体の調子が不味いなどと言っていられる状況ではない。
「それじゃ、お願いするよ。それと、念のため、誰か警護でついてきて欲しいんだけど」
「私が行きます」
 ハウデルと同い年くらいの真面目そうな青年が穏やかに手を上げて、前へと出てきた。
 ミズキはコクリと頷く。
「ラメル、よろしく頼むよ」
「は」
「2人が心配な気持ちは分かるけれど、手が空いている者は、区画の見回りと警固をお願いしたい」
 ミズキは真面目な眼差しでそう告げ、すぐに踵を返して、医務室に向かって歩き出した。
 ラメルが素早くミズキの前に出て、ピンク色の銃でなく、レーザー銃を構えた。
 ハズキもそれについていく。
 伊織もパタパタと足音をさせて、ついてきた。
「さぁ、急ごう」
 ミズキがこちらを向いてしっかりとした口調でそう言い、再び歩き出す。
 先程の取り乱した様子は一切無かった。
 覚悟を決めたのだろう。
 助ける覚悟と、助からなかった時の覚悟。その2つを。



*** 第十三章 第六節 第十三章 第九節 ***
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