「……よし、あったよ、兄さん」
 ハズキは揺れが続いているにも関わらず、医務室の奥の奥からチアキに必要だと言われた機器を台車に載せて引っ張り出してきて、タイヤ留めを踏んだ。
 ミズキも目的のものを見つけたようで、デスクの上には血液の入ったパックや透明の液体の入ったパックなどが積み上げられていた。
 けれど、ミズキ自体の姿は見当たらず、ハズキは首を傾げる。
「兄さん……? 兄さん、どこ?」
「あ、ご、ごめん、ごめん」
 ミズキが慌てたようにカーテンで区切られたベッドスペースから姿を現した。
 手にはトランシーバが握られており、落ち着かないようにボサボサの髪を掻く。
「どうしたの?」
「あ、いや……状況の確認をしようと思ったんだけど……ミカナギが通信に出なくて……。今、アインスに様子を見に行ってもらえるよう、お願いしたところ」
 ミズキはそわそわしながら、デスクに積み上がっているパックをカートの中に放り込んでいく。
 なので、ハズキもそれを手伝うために、ミズキと肩を並べた。
 ミズキの顔色は蒼白だった。
 揺れが時折緩やかになったり、激しくなったりと、緩急が淀みなく続く。そんな中、揺れが激しくなると、ミズキは眉間に皺を寄せて、天井を見つめた。
「兄さん」
「あ、ご、ごめん。今は、それどころじゃないよね。コルトやハウデルが瀕死の状態の時に、他の心配なんてしてたら、トワに怒られちゃうよ」
「…………。あまり誉められたものじゃないけど、でも、兄さんにトワを心配する資格は、あるんじゃないの?」
 ハズキの知る幼い頃の兄は、それはそれは無愛想で、負けず嫌いで、人に全く興味を見せないひねくれた子供だった。そんな兄だが、たった1人だけ、豊かに感情を表現した相手がいたのだ。それは今も変わらないのだろう。
「兄さん、俺とラメルで、物は運べる。行ってきなよ」
「け、けど……」
「兄さんが行ったからって、何が出来るとも思わないけど」
「う……」
「ここにいたからって、どのみち、兄さんに出来ることはないし、それに、行かなかったら行かなかったで、後悔することもあるかもしれない」
 ハズキは静かにそう言い、ふわりと笑ってみせた。
「俺は、ミカナギを信じているから。治療の手伝いをしているよ」
 ハズキの言葉に、ミズキは迷うように目を細めたが、ゆっくりと眼鏡を外して、それを預けてきた。
「ハウデルとコルトのこと、頼む」
 いつものチャランポランな発言など想像もできないほど、強い眼光の兄がそこにいた。
 その表情はまさに子供の頃の兄そのもの。
 自分の想いが叶わぬことを知りながら、想い人を静かに想い続ける。
 相手が幸せであること……彼はそれだけを望んでいる。
「天羽がね」
「え?」
「その眼鏡、天羽がくれたものなんだ」
「…………」
「一生使うつもりだから、大事に持っといて」
 ミズキは静かにそう言うと、ハズキの肩をぽんと叩いて、横をすり抜けていった。
「トワは、もう十分苦しんだよ……。これ以上、何を奪おうって言うんだぃ」
 ミズキは怒りを吐き出すように低い声でそう言い、次の瞬間駆け出したのか、ハズキの髪を激しい風がさらっていった。
 ハズキは目を細め、ミズキの眼鏡をジッと見つめた。
「どうか……無事で……」


第四節 カノウの強さ


 カノウは落ち着きなく、帽子の位置を調節し、うろうろと制御室内を歩き回っていた。
 アインスがプラント内の電力供給状態を確認しており、ニールセンは椅子に腰掛け、グルグルと回しながら、カノウの様子を見つめていた。
 カノウが絶え間なく続く揺れに、堪えかねて口を開いた。
「ねぇ、この揺れ、何なの?」
「塔が、震動しているようです」
「……塔?」
「このプラントの中央には、虹を繋ぎ留めるための塔が存在しています。それのことです。ミズキ様は、虹の塔、と呼んでいます」
「……気にはなってたんだけど、あの虹って、何なの? 乗れるし、硬いし」
「さぁ?」
「さぁ? って……」
「おれは、何でも知っているわけではないのです」
「…………そう、だよね。ごめん」
「いえ」
 アインスはカノウに対して向けていた視線を、再び画面へと戻した。
 カノウはため息を吐き、先程会った自分と同じ髪の色の男のことを思い返した。
 ザワザワが止まらない。その上、集中力を殺ぐような揺れがずっと続いており、カノウの心は全く落ち着かなかった。
 ニールセンとタゴルのやり取りにふと思案が行って、カノウはすぐに尋ねた。
「ニールセンさん、さっきの人って……ニールセンさんの知ってる人?」
「……プラントの若き創立者」
「そんなのはボクだって知ってるよ。それ以外で、だよ。ニールセンさん、他にも何か知ってるんじゃないの?」
 ニールセンは椅子でクルクルと回ることを止めることなく、3回転ほどしてから答えてくれた。
「核爆弾のテロが行なわれるより以前、この世界の中心として君臨する国があったのだ」
「え?」
「あの男は、亡国の亡霊。テロが起こった際は、まだ、10も越えていなかったかもしれん」
「…………」
「目の前で、両親である王と王妃……それから側近たちを殺されたらしい。テロリストたちの狙いは、国家の転覆であったのか、世界の破壊であったのか、今となっては一切合財が闇の中だが……どのような理由があろうと、子供に見せられるようなものではなかったろう」
「ミズキ様のお父上は……?」
「第二王妃の子だろう。東洋人であったようだから」
「ニールセンさん……何を知ってるの?」
「……知っている、というほどのものはない。ただ、プラントの資料を漁っていて、見つけた情報のひとつであっただけのこと」
「何の情報?」
「空のような水色の髪は……王位継承者の証、であるということ」
 その言葉に、カノウは動きを止めた。
 アインスもコンソールを弄る手を止めて、こちらを見た。
 ニールセンは椅子をグルグル回すのを止めて、真っ直ぐカノウを見据えてきた。
 ゴクリと、自分の喉が鳴った。
 何を言っているんだろう。心はすぐにそう呟いた。けれど、その言葉を聞いて、納得したようにザワザワが消えていく。
 彼を見て感じたもの全て、そのピースを当てはめることで、カチリと完成し、そこに答えが浮かび上がった。
 カノウはグッと拳を握り締め、ニールセンを睨むように見た。
「ニールセンさん、知ってたの?」
「ん?」
「あの人が……ボクの、お父さんだって」
「……ああ。ただ、知っていた……とまでは言えん。そうではないか、という程度だ」
「なんで、教えてくれなかったんですか?」
「推測で、君の心を惑わせと? カノウ、小生はそれを選ぶことは出来なかったのだ。許せ」
 初めて、ニールセンはカノウの名を呼び、真面目な声でそう言った。
 カノウは目を細め、床に視線を落とした。
 たとえ、先にそう言われていたとしても、先程の場面でそのようなことを言われたとしても、自分はきっと何も出来なかった。選び取った行動は違ったかもしれないけれど、それでも、何かが出来たとは思えない。結局、彼に『それは違う』の一言を言ってやることは出来なかったと思う。
「ニールセン・ドン・ガルシオーネ二世。推測の域は、脱したのですか?」
「ああ、あの男の表情で……な。カノウ、教えて欲しかったか?」
「ニールセンさん、以前、言ってましたよね?」
「ん?」
「何も知らずに、物事を言うことは簡単。でも、知ることが出来るなら、口だけでなく、知るべきだ。認めることで、人間は進める。どんな真実がそこにあっても、それを知ることで、どんな考えに至るのか、それは各人の自由だって」
「そんなことも、言ったか」
「はい。ボクは……何も出来なかったかもしれない。でも、たとえ、推測であっても、ボクは知りたかった」
 カノウは帽子を外し、クシャリと握り締めた。
 涙がこみ上げてくる。
 3つの時、ゴミ捨て場のような廃棄場に、自分は捨てられた。何があったのかは分からない。気が付いたら、鉄くずの転がっているサビ臭い空間にいた。それ以前の記憶は、全くと言っていいほどなかった。ただ、母も、父らしき人も、とても優しかったこと、それだけは覚えていた。
 しばらくの間、孤児を預かってくれる施設にいたけれど、機械いじりに対して興味を示し始めた頃に、追い出された。幸運だったのは、その頃には、自分で考えて生きる術を身につけていたことだったと思う。
 そうして、旅を始めてから、1人の時間が増えたのもあるだろうか。よく、こんなことを考えた。
 ボクは、捨てられたんだろうか? 捨てられたんだとしたら、両親は、ボクの何が気に食わなかったんだろう?
 その答えが、あるのだ。あったのだ。すぐ傍に。
 ただ、記憶の中の父らしき人と、タゴルは一切一致を見せないこと。それが少し引っ掛かりはした。
 カノウの様子に、アインスがゆっくりと歩み寄ってきて、ポンと肩を叩いてくれた。
「カノウ……あなたは、捨てられたわけでは、ありません」
「アインス……」
「事故だったのです。とても凄惨な……事故だったそうです」
「事故?」
「ミズキ様が、1度だけ話してくださったことがありました。きっと、思い出したくなかったのでしょう。なので、詳しいことは聞けませんでした」
 カノウはアインスを見上げた。
「父親の違う弟が1人いたのだ……と。ただ、実験と称した儀式で、両親は死に、その子も……どこかに消えてしまった、と。その子の本当の父親についてのお話は、してはくださいませんでした」
「それが……ボク?」
「とすれば、合点がいくのではないですか?」
「ミズキさん、気付いたり……してたのかな?」
「……気付いていたら、あの方ならば、きっと教えてくださったと思います。茶化すのは大好きですが、嘘が……何よりも嫌いな方ですから」
 カノウはグッと下唇を噛み締めた。
 何も出来ない。知ったからと言って、何も出来ない。
 けれど、知らなければよかったとは、思わなかった。
 カノウは頬を伝っていた涙を拭い、乾いた声で笑った。
「あはは……あのミズキさんが、ボクの、お兄さんか……あははは、参ったな……それじゃ、天羽ちゃん、好きになるはずだよね……きっと、お母さんの面影とか、無意識に感じたりして……はは……」
「カノウ……」
「カノウ、それは違う。恋とは、運命。ひとつひとつ積み重ねる情の連鎖ともまた違う。いかづちのように突然落ちてくる。感情の否定は良くないぞ」
 空元気のつもりで言った言葉に、らしくもなく、ニールセンが真面目にそう言ってくれた。
 全然からかおうという意思を感じられない。
 普段のニールセンを知る自分からしたら、気味が悪かった。
 それだけ、自分のことを案じてくれたのだと、思う。
「ありがとう……ニールセンさん」
「唐突になんだ」
「ニールセンさん、結構ボクのこと好きでしょう?」
「男の中では、青年の次にな」
 ニールセンはフッと笑みを浮かべ、ようやく、椅子から立ち上がった。
 のらりくらりとこちらへ歩み寄り、ぎこちない手でガシガシとカノウの頭を撫でて来た。
「痛い痛い! 痛いよ、ニールセンさん」
「少年を見くびった。許せ」
 ニールセンは笑いながら、視線を合わせることなく、そう言った。
 それがどうしようもなく、申し訳なかったから、目を見てくれないのだと気が付いて、カノウはニッと笑った。
「ボク、成長したでしょ?」
「ああ。本当に、な」
 その言葉だけは、真っ直ぐに視線を向けて、優しい声で言ってくれた。
 カノウは顔が熱くなるのを感じて、口元を覆い、息を吐き出した。
「……言いたい……な」
「ん?」
「あの人に、ちゃんと、言いたい。生きてる限り、変われないなんてことは絶対にないって。それを認めさせたい」
「少年……」
 ニールセンが驚いたように眉を持ち上げた。
 すると、その時、急にアインスが声を発したので、2人はそちらに視線を向けた。
「はい」
「アインス?」
「揺れていますね。……はい。え? トワとミカナギが? ……わかりました。大丈夫です、落ち着いてください。確認後、そちらに連絡すればよろしいですか? はい、はい……。それでは、外部より確認を試みます。……ミズキ様、あまりご自身を責められぬよう」
 独り言のようなその言葉は、やがて終わり、アインスは2人の視線に応えるように視線を返してきた。
「カノウ、行きましょう」
「え?」
「タゴル殿に、一言物申しに」
 アインスはそう言うと、素早く、カノウの腕を掴み、そっと引っ張った。
「え? な、なに? どうしたの?」
「ニールセン・ドン・ガルシオーネ二世、先に区画へ戻っていてください」
「……わかった」
「え? ニールセンさんだけじゃ危ないんじゃ……」
「小生なら大丈夫だ。子供ではない。なんとかなる」
 ニールセンは親指を立てて、OKサインを出し、にんまりと笑ってみせた。
 カノウはアインスに引きずられながら、制御室を出る。
 来た道を戻るでもなく、アインスは迷いなく廊下を歩いてゆく。カノウもようやくアインスの歩調に合わせるように駆けて、アインスの腕を払った。
「どうしたのか教えてよ! ビックリするだろ」
「……タゴル殿は、とんでもないことを仕出かす気です」
「え?」
「目的は分からない。けれど、このままでは……2人が危ない」
「2人って? 誰と誰?!」
「トワと……ミカナギ」
「……ッ……」
「ミズキ様の話では、2人が、危ない」
 カノウはそれを聞いてすぐに吐き気を覚えた。
 危ない。あぶない。アブナイ。それは、死ぬかもしれないってことだ。
 死ぬ。しぬ。シヌ。……気持ちが悪い。サーテルの町の光景が頭に浮かぶ。
 もう二度と、そういう場面を見たくなかった。
「あ、アインス、急いで!!」
 必死にそう叫び、カノウはアインスの手を掴んだ。



*** 第十四章 第三節 第十四章 第五節 ***
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