第五節 虹の秘蹟


 サラが15歳となり、王位継承のための儀式が執り行なわれることとなった。
 この数年で、ソルは誓い通り、サラの側近へと登りつめた。誰に文句を言わせるでもなく、彼は彼自身の持つ実力をこれ見よがしに見せ付けたのだ。
「禊の後、虹の秘蹟の納めてある祠へ。姫、逃げちゃ駄目ですよ?」
「……こんなに寒いのに、水垢離かぁ」
 サラは雪の舞う窓の外を見つめて、とても不満そうに1人ごちた。
 ソルはそんなサラの様子に、クックッと笑い、髪を掻き上げた。
「冬に産まれてしまった自分を責めるしかないなぁ、サラ」
「また、そんな意地悪を言う……」
「オレは男だから、ここで段取りの説明しか出来ないわけだが、わからないことはあるか?」
「ないわ。儀式に必要な所作は全部、子供の頃から教わってきたもの」
「……そうか。じゃ、あとは虹の秘蹟とやらが、本当に龍の化身なのかどうか、見てきてくれよ」
「もう。またそういうことを言う。前、そういう口の聞き方をしたのが、母様の耳に入って、大目玉喰らったのを忘れたの?」
「そんなこともあったーねぇ。でも、ま、ここだけの話、王は王で笑ってたぜ?」
「……え?」
「代々、形式だけだとさ。オレの言葉は、国家の体面的には大問題だが、個人としては大歓迎だと。お前のおふくろさんも変わってるねぇ……」
「母様もわたしと同じで……」
「はいはい、天然なんだろ?」
「てっ、天然じゃありません! これは一応、計算された……」
「何の利にもならない部分で計算をしてるあたりが、天然なんだって」
「……うっ……」
 何も言い返せない。
 言葉の出てこないサラを見て、ソルは楽しそうに笑ってみせた。
 そんなソルの笑顔に、サラは12の時同様、ほわりと見惚れる。
 本当は王位など継承せず、彼にこの王宮から連れ出して欲しかった。
 それが過ぎた望みであることなど、サラは百も承知だ。
 それでも、そんなことを夢見ることくらいならば、自由だから。サラは心に彼への想いを秘めたまま、王位継承の儀式へと向かった。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 サラは初めて見る虹の秘蹟の輝きに見惚れた。
 それは固体でありながら、薄暗い祠の中にありながら、虹そのものの輝きを纏っていた。
 ずっとずっと、ソルと2人で馬鹿にするようなことを言ってきたことを後悔するくらいに、秘蹟は美しく、神々しかった。その石に神が宿っている、と言われたら、素直に頷いてしまうだろう。
「……綺麗……」
 祠に入ったら、捧げの歌以外の言葉を発してはならないと言われていたのも忘れて、サラは思わず呟きを漏らしてしまった。
 慌てて口元を覆うが、静かな祠の中では、そんな小さな呟きさえも反響して、泡のように消えていった。
 不味かったかな。心の中で呟く。
 母は形式だけだと言ったらしいが、実際は捧げの歌に龍が応え、その姿を見せてくれることで、王位を継承する資格が得られるというのが通例だ。
 きっと、母は龍に出会えなかった。
 その前の王も、その前の前の王もそうなのだろう。
 だから、この儀式は形式的に体裁のみを保って、行なわれることになったのかもしれない。
 けれど、儀式の所作を教える立場を代々担う家柄の女官は、本当に龍の存在を信じているようだった。
 サラは、無い物をあったと言えるほど、嘘が得意ではない。
 もしも姿を現さなかったら、啓示は受けられなかったと……正直に言おうと思った。
 そう思わせるほどに、秘蹟は神聖な輝きを放っていた。
 サラは床に描かれている陣の中に入り、一礼をし、教わったままの所作を何度か繰り返した後、膝をついて、虹の秘蹟に対し、祈りを捧げる構えを取った。
 そして、サラは歌声を紡ぎ出す。
 王位継承者として学ばされることが多かった中、唯一、サラ自身も教える側もどちらも満点だと思ったものが、歌だった。
 サラの歌声は透き通るように綺麗で奔放で、いつでも楽しげだ。
 勉強の最中、いつも表情の冴えないサラが、歌の時間だけはいつも楽しそうに笑うので、お付きの文官たちもその時ばかりは緩んだ表情を見せてくれたものだ。
 サラは歌い、歌と共に簡素化された儀式用の舞を舞う。
 一通り、歌い踊り、サラは一礼して、最後にパンと勢いよく拍手(かしわで)を打ち、そっと目を閉じた。
「よいのう……久方ぶりに歌の上手い王が来たか」
 高い子供の声が祠の中に響き渡った。
 サラは不思議に思い、目を開ける。
 が、誰もいない。誰もいないが、子供の楽しそうな笑い声が祠の中に響き、サラの髪を攫って何かが横を通り抜けていった。
「そこな娘。お主が次の王か?」
 声だけが響く。
 サラはキョロキョロと祠の中を見回すが、何もいなかった。
 サラはその問いに答えることができず、息を飲む。
「なんじゃ? 口が聞けぬわけではあるまい。答えよ」
「……は、はい。一応、次の王です」
「一応……か。フフッ、なんじゃ、お主、やりたくないのか?」
「あ、い、いえ、やりたくないなんて、そんなことは……」
「まぁ、やりたいわけもないな。王なんぞ退屈じゃぞ。自分の時間などなく、せかせかと働いても、結果が出なければ評価されんのだ。つまらんつまらん。ワシは絶対にやりたくない」
「ぇっと」
「しかし、今回の王は久々に可愛いのぅ」
「え?」
「魂の輝きが、1代目にそっくりだ」
「最初の、王?」
「ああ、ワシが一目惚れしてな、力を授けてやったのだ」
「…………」
「よし、決めたぞ。ワシはお主ならば、ワシの加護を受ける者として認めよう」
「え? そんなにあっさり?」
「ここしばらくはどれもこれも好かなかったが、お主ならばよい。本当は気に入った者にこそ、王はやらせたくないのだが、……そうはいかんからな」
 子供の声が少し寂しそうな口調でそう言うと、虹の秘蹟の輝きも少々翳った。
「王よ」
「あ、サラ、でいいですよ? 王って言われても落ち着かなくて」
 サラはふわりと笑い、可愛らしくそう言った。
「サラ、か。いい名だ。風の音だな」
「風の音?」
「サラサラ、シャラシャラ……風で木の葉が擦れて良い音を奏でるであろう」
「ああ……」
「そうじゃな。それでは、ワシのことは……偉大なる龍の神様とでも……」
 そこまで言いかけたところで、ポンとガラス瓶の口を叩いた時のようなまぬけな音が響き渡った。
 サラの目の前に、拳2つ分ほどの大きさの虹色の鱗を持つ龍が姿を現した。
「あ……」
「うわー、可愛い〜♪」
「かわ……」
「レイドラちゃんって呼んで良いですか?」
「レイドラちゃ……」
「レインボードラゴン♪」
 虹龍は了解していないのだが、サラはあまりの虹龍の可愛らしさに勝手に呼び名を決め、そっと胸元に抱き寄せてしまった。
 国の祀る神であろうとなんであろうと、動じることなくそういう振る舞いを取れてしまう。
 それは取り柄であり、けれど、人の上に立つための威厳のなさの象徴でもあった。
「……好きにせい」
「はい♪」
「……ひとつだけ、言っておかねばならんことがある」
 サラはその言葉に首を傾げ、自分の顔の位置に掲げて大きな目で見つめた。
「ワシは1000年前からこの国に加護を与えてきた。それは、1代目の王と約束したればこそ、どんな王が現れたとて、変わらずに、だ。だが、ワシの力も無限ではない。ここ数十年においては自身の存在が消えぬように保つので精一杯。ワシには今この大きさを保つ程度の力しかない。ワシの加護はほんのひとしずく。お主のことを護る以外では発揮されぬであろう」
「…………」
「だから、国自体も今傾いておる。先に、言わせてくれ。高望みはしないで欲しい」
「……最初から、してませんよ、そんなこと」
 虹龍は寂しそうに声を発する。
 サラは虹龍の言葉に対して、優しい笑みを返した。
 サラは長い睫を伏せ、虹龍を宙に解き放つと、覚悟の眼差しで見据えた。
「人は、あなたが思うほど弱くありません。わたしは、そう信じています」
「サラ……」
「レイドラちゃん、わたしもひとつだけ言っておくね?」
「ん?」
 サラは深く息を吸い、穏やかな声で告げた。
「王家は、わたしの代で消えるでしょう」
「……ッ……」
「それが明日のことか、遠い先のことかはまだわかりませんけど」
「なぜだ? 諦めておるのか?」
「いいえ。わたしは、人の可能性を、信じています。だからこそ……予想できるんです」
 サラは、国を立て直そうと躍起になっているソルとは全く別の視点で、この国の行く末を見つめていた。
 奇しくもサラのその予想は、近い未来で現実となることになる。
 けれど、この時点で、その未来と真っ直ぐ対座していたのは……サラだけであった。
 ただし、その未来がサラの手から大切な人の命さえも奪っていくこと……それだけは、彼女ですらも考え及んではいないことだった。
 サラは人の可能性を信じていた。
 それは、タゴルやツムギに出会ってからも、ミカナギやトワのママとなってからも変わらずそうであった。
 サラは、人の善たる可能性を信じていたのだ。
 いつまでも、いつまでも……。
 だからこそ、国を閉じる際に生じる、最悪の展開にまで、考え至ることができなかったのだ。
 その考えが甘いと言われてしまえば、それまでだが。
 タゴルが称したように、サラは純正で真っ直ぐで混じりけなど一切ない、そんな少女だったのだ。



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