第1章 何事もなく過ぎる時間 | |
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真城は読み終えた手紙を机に置くと、うぅんと唸り声を上げた。 何度も書いては出すのを思い止まった自分とは違い、紫音の手紙は彼らしい真っ直ぐなものだったからだ。 紫音は真城より3つ年上で、真城が通っている学校の卒業生にあたる。 今年の春に卒業を迎え、そのまま志願して国境警備の任に就いた。 昔から自分の手でこの国を護りたいと熱望していた彼だから、その志願も全く意外なものでなかったが、この国の武闘大会で年齢制限つきの大会だったとはいえ、優勝を果たすほどの剣の使い手が、騎士ではなく、一介の兵士としての任務を熱望したことが周囲をどんなに驚かせたことか。 因みに真城はその武闘大会で紫音に敗れ、準優勝だった。 女だてらに腕が立つと有名になったのは、去年の武闘大会からである。 同じ村から優勝・準優勝者が出たことで、この村のアカデミーも今年は入学者が増えたとの話だった。 たとえ、中立国家であっても、周囲の戦火に恐怖を覚えている民も多く、武芸を我が子に学ばせようとする親が軒並み増えていた。 真城は今年で16になる。 色素の薄い髪と少年のような顔立ち。 風緑に広がる青空のように綺麗な瞳が印象的な少女だ。 風緑(ふろく)アカデミーに通う10期生で、勉強は得意じゃないが、運動神経だけなら男にも負けないほど。 腕が立つ上に顔立ちがどちらかというと中性的な彼女は、本人が望まずして村の女たちからの人気も高かった。 男勝りで見た目も少年くさくては、女扱いされることもそんなにない。 真城は元々堅苦しいのが好きではないので、むしろそのくらいの扱いのほうが嬉しいようだが。 「お嬢様。そろそろアカデミーの時間ですよ」 コンコンと叩かれるドア。 その後に優しく落ち着いた声が聞こえた。 真城はその声に目を細めて、まだ立ち去ってはいないであろうドア向こうの彼に声を掛ける。 「だいじょうぶ、起きているよ。月歌(つぐた)、久しぶりに話がしたいからお入り」 「は。しかし……」 「別に取って食いやしないよ。お入り。それと、様づけで呼ぶのはやめてくれない?」 「真城様、それは無理ですよ。私の忠誠の証ですゆえ」 答えながら部屋のドアを開け、執事にしてはだいぶ年若い青年が入ってきた。 オールバックにされた黒髪とエメラルドグリーンの瞳にかかった縁つきの眼鏡。 腰にはホルスターを下げている。 長身によく映えたタキシードの襟を緩めながら、月歌はドアを静かに閉めた。 「どうにも困りました。旦那様がお怒りになって、勝手に給仕にお暇を与えてしまったものですから、真城様のお世話まで私に回ってきてしまいまして」 「困ったって……。昔はボクの面倒を見てくれていたのはつっくんでしょう?何を今更……」 「ふふふ。冗談ですよ」 「え?」 「やっぱり、真城様の御用係は私でなくてはいけませんよね。もう、給仕たちの仕事の遅さといったら、見ていて何度イライラしたことか!!」 クールな印象の容姿とは裏腹に、月歌は目をキラキラさせて、また真城の世話係ができて嬉しいと何度も口にする。 真城はその様子を見つめて呆れつつも、昔抱いたほのかな想いを思い出した。 いや、今でもまだ胸の中にある想い。 月歌がお世話係から身を引いた理由を、真城だけは分かっていた。 自分のせいだから。 「真城様は甘口のカレーがお好きだというのに、スパイスをふんだんに使ったカレーなんぞをお運びしようとしていた時には、弾丸の一発や二発喰らわせてやろうかとさえ思いましたよ」 「お、穏便にね……?」 「ええ、我慢しましたとも」 「つっくんは相変わらずなんだねぇ」 「そりゃ、真城様のことが、大すきですから。は!こ、ここ、これはですね。臣下としてのですね」 「……わかってるよ……」 「……はい、無駄口が過ぎました。申し訳ありません」 真城は口を尖らせて、机の上に置いておいたバッグに手を伸ばした。 真城の表情に、月歌が困ったように目を細めている。 「紫音殿からのお手紙はどうでしたか?」 「最近の村の様子を聞いてこられたよ。色々書くことも多そうだから、返事はまた後だね」 「そう、ですか。もしも、何か知りたいことがあれば、私になんなりとお尋ねくださいね?村のことでしたら、真城様よりも詳しいつもりですので!」 「ああ、そうだね」 ドアを開けながら笑いかけてくる月歌に笑い返して、真城は赤絨毯の敷かれた廊下を軽やかな足取りで駆け抜けていった。 月歌はそれを注意したようだったけれど、そんなことには構いはしない。 庭に出ると、窓から月歌が顔を覗かせて、 「いってらっしゃいませ!!」 と爽やかに真城を見送ってくれた。 真城も朗らかに笑みを浮かべて、そんな月歌に対して手をブンブンと振る。 仰々しいのは好きじゃないはずのに、どうしても堅苦しい話し方になってしまうのは、この屋敷のせいだろうか。 木こりの息子の龍世(たつせ)と屋敷の門を出るところですれ違った。 龍世は赤い髪に赤茶の瞳を持つ少年で、緑色のベストを青色のタンクトップの上に羽織り、胸元には木こりの証となる赤い印が5つついている。 12歳にしては筋肉の発達が顕著だが、背はまだ成長期前ということもあって低い。 それなのに、一人ではとてもじゃないが持てそうにない樹木を、ズルズルと引きずってゆく。 大きいとは言えない体格なのに、どこにそんな力があるというのだろう。 「真城、行ってらっしゃい」 「おはよう、タツ。今日は早いんだね」 「うん、父さんが風邪で寝込んじゃったから、今日はオレだけだったの。だから、少し早めに木を切りに行ってきたんだ」 「……お前は、その、アカデミーには通わない……のか?」 「いつ必要になるかわからない力より、今は食べていく力だから。また今度、真城と葉歌に教えてもらうよ。葉歌の詠唱呪文は無理そうだけど、真城の剣術指南ならなんとか物に出来そうだしね」 樹木から手を離して、背に担いでいた大きな斧でブンブンと素振りをしてみせる龍世。 「オレ、頭よくないから体使うほうが向いてる」 「ああ。それじゃ、また、暇になったら丘の上においでよ。楽しみにしてるから」 「葉歌に邪魔者扱いされないかな?」 「あれは冗談だよ。大丈夫だから。絶対においで?」 「冗談でもないと思うんだけどなぁ。うん、父さんの風邪が治ったら行くね。それじゃ、行ってらっしゃい」 「うん、行ってくる」 楽しそうに体を弾ませて手を振ってくれる龍世に、真城も同じようにブンブンと手を振って、ようやく屋敷の門を抜けた。 少しゆっくりしてしまったのもあって、歩くスピードを上げる。 歩きながら空を見上げた。 風緑の村の空には爽やかな風が吹いている。 紫音の望んだように、澄んだ清らかな空気が漂っていた。 村は、今日も平和そのものだった。 |
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