最終章  そして風の通り道

『蒼緑国史料より、一部抜粋。

 約二十年にわたる争乱が、今ここに終戦を迎えた。
 その間に王の代が替わり、我が国も争乱に巻き込まれたものの、特に大きな被害も滞りもない。
 (*香里の力による被害は例外とされている)

 これから先、我が国に必要なのは、中立の真なる意味を国家として体現することである。
 中立であるために、本当に必要な力と、その力を悪用することのない清き心を育成するために、
 どうあるべきかをこれから考えていかなければならない。』










 風が吹き抜けてゆく……。
 救世主はゆっくりと目を開けた。
 風緑の村の景色が、そこには広がっている。
 村を駆け回る子ども達。
 農作業に出掛ける大人たち。
 その姿はのんびりとしていて、救世主が好きだった風景そのものだ。
 救世主はにっこりと微笑む。
 ふっと屋敷を見上げる。
 以前は、そこには親友の屋敷が立っていた。
 それは壮麗として、白と紫の色調が綺麗な屋敷だった。
 けれど、今、そこにあるのは白と青の荘厳な屋敷で、そこに住んでいる者がどんな人なのかも、救世主は知っている。

『……ありがとう……』
 救世主は、そう口を動かした。

 けれど、それは音になっていない。
 その代わり、風になって吹いた。
 屋敷の庭では、何やら賑やかにパーティーをしているようだ。
 ……とても、幸せな音色が聞えてくるようだ。
 女性の歌声が聞える。

 救世主は目を細めて、その声に合わせて口を動かす。

 風緑に伝わる、旅立つ若人のための歌。

 綺麗な声だ。救世主は心からそう思った。

 そっと、門のところから覗き見ると、緑髪の女性が色素の薄い茶髪の女性に微笑みかけて歌っているのが見えた。
 色素の薄い女性の横には、黒髪でタキシード姿の青年がいて……。
 思わず、救世主は笑みを浮かべる。
 屋敷に住む奥方様が、嬉しそうにライスシャワーを散らし、その脇では旦那様が苦笑を浮かべている。

 救世主はそっと手を広げた。
 緑の光を放って、救世主の手の中にすっぽり納まる風。

 救世主は笑う。

 こうして、あなたを包むことが出来るなんて……。
 いつも助けてくれて、いつも傍にいてくれた。
 あなたの存在は自分では気付けないほど大きかった。
 救世主は心の中でそう呟き、クルリとターンをして、その風を周囲に振りまいた。

 丘を風がすべり、木々がザワザワと騒ぐ。

 ライスシャワーが、本当の花びらのように綺麗に舞った。
 それに見惚れるように、色素の薄い茶髪の女性が空を見上げる。

 救世主の感謝の気持ちは。
 これだけでは済まないけれど。
 これしか出来ない彼女の。
 精一杯の想いだ。


 救世主の脇を誰かが駆け抜けてゆく。
 大きな体躯の赤髪の少年と、色素の薄い紫髪の少女。
 ……そして、ゆっくりとそれについてゆく、背がスラリと高い紫髪の少年。
 救世主は目を細めて笑むと、それを見送る。


『引き継がれる。
 その言葉がぴったりだと思った。
 どこまでも、どこまでも……引き継がれる。
 忘れないで。
 どこにでもある関係が、どれほど、素晴らしい価値を持っているのかを。


 それが、幸せの形だということを。
 それを忘れない限り、あなたたちの世界は、平和に包まれ続けるでしょう。


 さぁ……これで、この物語は終わりです。
 全ての幸せと、全ての生命に、わたしは祝福を述べます。
 わたしたちに舞い降りることのなかった喜びが、たくさんたくさん、あなたたちに降り注ぐように』

 救世主はにこりと微笑み、緑髪の女性に深く頭を下げる。
『幸せになって。
 今度こそ。
 ごめんなさい……。
 あなたに迷惑を掛けてしまったこと、本当に申し訳なく思います。
 でも、嘘偽りなく、あなたの恋はあなただけのものだから。
 だけど、あなたの幸せは、わたしのものでもあるから……。
 わたしはずっと見守っています。
 あなたと一緒に待っています。
 彼を……待っています。
 だいじょうぶ。彼は約束を守ってくれます。昔からそうだから』


『あかり!』
 親友の声に救世主は振り返り、すぐにふんわりと笑みを浮かべた。
 親友も長い黒髪をさらりと掻きあげて、おいでと言うように両手を広げて立っている。

 親友の隣には、水色の髪の少年が優しい笑みを浮かべてこちらを見つめていた。
 2人の左腕には、まるであつらえたようにそっくりな赤と青のブレスレットがある。
 救世主はその様子を少しだけ悲しげな目で見つめ、少しだけ考えてしまう。

 自分は……だいじょうぶか?
 保って、いられるのか?
 あの黒い風のように、なりはしないか?
 心の中で囁き続ける。

 すると、ポンと救世主の肩に大きな手が乗った。
 救世主は驚いて、すぐに見上げ、そして微笑んだ。
 彼は穏やかに笑み、救世主の頭をポンポンと何かを払うような仕種で撫でる。

『大丈夫だよ』
 彼が、いつもの無愛想な声で言う。
 その声で、救世主の心が晴れた。

 すぐに踵を返して、親友の元へと駆けてゆく。
 いつもは転ぶのに、この時だけは転ばなかった。

 彼がゆっくり歩いてついてきているのが分かる。
 救世主は親友の胸に飛び込み、こぼれるような笑顔で親友を抱き締めた。
 親友は優しい手で救世主の髪を撫でる。
 何度か言葉を交わして、ようやく2人は離れる。

 そして、丘の上に目をやると、そこでは金の髪の少女が高々と手を振って、みんなが来るのを待っていた。

 救世主は微笑む。

 風が、ザザザザ……と丘を滑り、吹き抜けて行った。


≪ 第12部 続・陽月の章
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