◆◆ 第1篇 恋の味・ときめきビターチョコミント風味 ◆◆

Chapter3. 車道 舞side



「うー……」
「どうしたの? 奇声上げて」
 柚子は、廊下を舞と並んで歩きながら、日本史の教科書とノートをきゅっと胸に抱き寄せて、困ったように唇を尖らせた。
 舞は先ほどまでとは打って変わっての落ち着いた雰囲気で柚子の顔を覗き込んだ。
「絶対変な子って思われたー」
「……柚子は変だからしょうがないよ」
「…………。わたし、何のためにおとなしくしてるのかー、してるのかー!」
「おとなしくしなくてもいいのに」
 ポソリと呟く舞。
 柚子が舞を見上げて、眉根を寄せた。
「だってー。わたし、変なんでしょう? 目立たないほういいでしょ?」
「害のある変ではないんだから気にしなくていんじゃない? 柚子は寛容すぎる、の変だから」
「……そ、そう?」
「ええ。ほやーんとしてて、寛容。根はおしゃべりなんだからもっとガンガン喋ればいいのに」
「あ、はは。何口走るかわかんないし」
「…………。あたしは別に構わないけど」
「え?」
「柚子が目立たないのは、あたしにとっては良いこと」
「…………。あは、舞ちゃんてば」
 舞はジッと柚子を見つめ、困った表情をしながらもこちらを見つめ返してくる柚子に、笑みが漏れた。
「ほら、寛容」
 舞は目を細めて、ポンと柚子の細い肩を叩いた。
 そして、少しだけ柚子より前へ出て、軽くターンをする。
「柚子」
「なに?」
「どっちかに、変って思われたくなかったの?」
「…………う? うーん。変なんてのは、できるだけ思われたくないものだよ? 舞ちゃん」
 柚子は誤魔化すようにそんなことを言ったけれど、わかりやすすぎた。
 舞は追いついてきた柚子の三つ編みに手を伸ばす。
 そっと指で取り、静かに笑う。
「当てようか?」
「……やめてください」
「そ?」
「うん。やめて」
 普段ぼんやりめの柚子の目が、少しばかり真剣なものに変わったので、舞はすぐに頷く。
「……舞ちゃん。辛くない?」
「何が?」
「ん。なんでもない」
「変な気回さなくていいのよ、柚子は」
「…………」
 舞のその言葉に、柚子は黙り込み、静かに頷いてにこぉと笑った。
「わかった」
 なので、舞も笑い返す。
 この子の、この空気が好きだ。
 絶対的に平等で、優しい。





 あの日のことはよく覚えている。
 不思議なくらい、教室はオレンジ色に染まっていた。
 放課後の美術室に、誰かがいるなんて思っていなかった。
 だから、あのタイミングしかないと思って、舞は勇気を出して、告白したのだ。
「中学の頃から、好きだったの」

 静かだった。


 ”彼女”の動きが、カチンと止まったのも、よく見えた。


 わかっていた。
 自分がおかしいのは、わかっていた。
 けれど、修学旅行の夜に話す好きな人の話を聞いていても、恋とはどういう感じのものかと尋ねても、そこから結びつく結論が、”彼女”だったのだから仕方ない。
 この気持ちの答えが知りたくて、告白した。
 言ってしまえば、晴れる何かがあるのじゃないかと、思ったのだ。
 覚悟もしていた。
 そう、そういう目で見られる覚悟も。

 ”彼女”はゆっくりと振り返って、嫌なものでも見るように眉根を寄せていた。
 好きでもない者から想いを寄せられたら、自分でもそういう顔をする。
 仕方がない。
 それに加えて、同性だ。
 今まで積み上げてきたもの全て、崩れるのも察していた。

「くーちゃんは素敵だよ。良い子なのも知ってるしさ……」
「そう」
「……何の冗談かわかんないけど、変なこと言わないで? 私、そんなにからかい甲斐ある?」
「そういうつもりはない」
 舞は髪を掻き上げて、静かに息を吸い込んだ。
 夕日の差し込む教室で、真っ直ぐに”彼女”を見つめる。
 演劇の、告白のシーンを思い出す。
 男子が全員嫌がって、やることになった半ズボンタイツ王子役。
 ”彼女”はお姫様役を嫌がっていたが、舞に配役が決まってから、観念したように頷いた。
「あのね、ただ、聞いてほしかっただけなの。何も、求める気なんて、ない」
「求める気ないなら、言うのやめようよ」
「え……」
「求められても困るけどさ……」
 ”彼女”がそこまで冷たい表情をするのをはじめて見た。
「冷静に考えてみようよ。せっかく、くーちゃん、綺麗なのに。わざわざ、私? 単にさ、憧れとか……そういうのじゃないのかな? くーちゃんと私って、真逆だし」
 ふわふわの柔らかい髪を掻き上げて、おっとりした面差しを少しばかり堅くしている。
「私も、中一の時、そういうことあったよ。それを、恋愛感情と勘違いしているんじゃないのかな? それだったら、ほら、そのうち直るよ。私もそうだった」
「…………。困ったことに、そうではないと思う」
「そっか」
「うん」
「クラス、違くてよかったね」
「え……?」
「たぶん、私、しばらく、くーちゃんの顔見るの、無理だから」
 そう言って、舞の横をスタスタとすり抜けていく。
 舞はその言葉に、足が震えた。
 覚悟はできていたつもりだったのに、本人に言われた瞬間、ガラガラと崩れる音がした。
「ちょ、ちょっと待って」
 舞は珍しく取り乱しながらも声を発した。
 別に想いを受け入れてくれる必要はない。
 自分は求めていない。求めていない。求めていない。
 この感情の答えを、知りたかっただけ。
 想いを受け入れてくれなくてもいいから、ただ、この想いを認めてくれるくらい……。
 ……違う。認められたら、望んでしまう。
 受け入れてもらうこと。
 自分に、そこまで傲慢な欲があるだなんて、その時まで気がつきもしなかった。
 ”彼女”は舞の声で、立ち止まった。
「何?」
「ううん……なんでもない。不快な思いさせて、ごめんなさい」
 舞は、それを言うことだけしかできなかった。
 心の中では、言いたいことが渦巻いていたけれど、何一つ言えなかった。
 ”彼女”はしばらくそこに立っていたけれど、舞がそれ以上何も言わないのがわかったのか、そのまま美術室を出て行ってしまった。
 立っているのがやっとだった舞は、戸が閉まる音を聞いて、すぐに椅子にへたり込む。
「あたしは病人かよ……」
 そう呟いて、力の入らない手で髪を掻き上げる。
 人の感情を、直る扱い。
 さすがに……それはないだろうに。
「直球、過ぎたのかな……」
 せめて、もっと段階を踏むべきだったのかもしれない。
 けれど、今更そんなことを言ったところで、どうしようもないし、段階を踏んだところで、傷つくタイミングがずれただけだ。
 仕方がない。
 ”彼女”の常識の枠には、舞のような者の感情を理解する尺度がなかったのだ。
 そればかりは、どうしようもない。
 舞がふーと深いため息を吐いて顔を上げると、大きなキャンバスの掛かったイーゼルの脚のところから、白いハイソックスを履いた細いふくらはぎが見えた。
 人がいた。
 そう思った瞬間、さっと血の気が引いた。
 目の前がグラグラした。
 けれど、次の瞬間優しい声がして、体の熱だけは戻ったように感じた。
「ごめんなさい。聞いちゃって」
「い、いいえ。確認もせずにごめんなさい」
 舞は立ち上がることもできず、キャンバスの向こう側にいる彼女の言葉を待った。
「綺麗だからって、男の人好きじゃなきゃいけないルールなんてないよねー」
「…………」
「たまらなく好きだから言葉にしたのに、ああいう返しはないと思うし」
「でも、あの子の気持ちもわからなくはない。色々考えはしたからさ、あたしも」
 なんとなく、彼女の言葉に反論してしまった。
「あは」
「何?」
「優しい人」
「そう、かな。優しかったら、全部抱え込むでしょ」
「どうして?」
「相手を苦しめるだけだもの」
「わからないじゃない」
「そう?」
「出会うかもしれないよ、いつか。それが、同性か異性かはわかんないけど。その想いが、幸せの欠片になる時が来るかもしれない」
 ロマンチストな言葉の表現に、舞は一瞬戸惑った。
 そして、次の瞬間噴出していた。
「どうして、笑うのー?」
「いや、あんまり詩的な表現だったからさ……」
「笑い事じゃないよ! だって、あなた失恋したんだから……!」
 キャンバスの向こう側にいる彼女が、勢いよく立ち上がって、顔を出す。
 それが、渡井柚子、だった。
 舞は柚子の顔を見て、まず、廊下側の後ろの席の子だ、と思った。
 おとなしそうな、目立たない感じの女の子。
 レトロな印象を持った、可愛らしい雰囲気の子。
 その子が、なんでか涙ぐんでいる。
「車道さん?」
「なに、泣いてんの? 渡井さん……」
「こ、これはぁ……あなたの心の涙だー……!」
 もうやけくそのように、柚子は言った。
「そっか。それはあたしの涙か」
「そ、そうです」
「参ったなぁ」
「どうして?」
 舞はため息を吐く。
「あたし、ゲイかバイか知らないけどさ、女の子守備範囲かもしんないのね。今の見ててわかるでしょうが」
「しょうがないです。好きなのは」
「……そう?」
 舞が言おうとしていた言葉なんて、流れで言えなくなるような言葉だった。
「うん。だって」
 グシグシと袖を覆っているアームウォーマーで涙を拭い、柚子は顔を上げる。
 アームウォーマーについていたのか、柚子の顔が茶色く染まった。
 舞はそれを見て噴出しそうになったが、必死に堪えた。
 柚子の表情が真剣だったし、何よりも、自分を慰めてくれようとしているのだから。
 ……おかしい。ショックだったのに、それどころじゃない。
「わたしに絵を描くのをやめろと言っているようなもんです。この腕をもがれるようなもんです。それが認められないのは辛いです」
「……絵、描くの好きなんだ」
「ええ。これが出来ないなら死んでもいいくらい」
 涙ぐんでいるにも関わらず、その声は凛としていた。
「しょうがないよねぇ、好きなんだから。好きなんだからさぁ……」
 柚子はそう言って、手で顔を覆う。
 困った。
 落ち込むタイミングも、泣くタイミングも全て逸した。
 その上、舞が”彼女”にしてもらいたかったことを、柚子はいとも容易く口にした。
 それに感心してしまった。
 けれど、感心とは裏腹に舞は言わなくてはいけないことがあったので、すぐに口を開いた。
「渡井さん、それ油絵かと思うので、一応言っておくんだけど」
「え……?!」
「顔にね」
「……ま、まさか……?!」
「うん」
「あ、あうー。どうしよ。えっと、油!」
 舞はなんとか立ち上がってから言う。
「確か、洗顔クリーム持ってるから、ちょっと待ってて」
「……あ、ご、ごめん」
「それと、これ」
 スカートのポケットからハンカチを取り出し、柚子のいる場所までスタスタと歩み寄っていく。
 柚子の手を取って、ハンカチを手渡す。
「あたしの涙なんでしょう?」
「あ……」
「存分に泣いといて」
 ピシッと指差して男前な表情をしてみせた。
 すると、柚子はにこぉと笑ってこくこくと頷いた。
「う、うんー。了解。ラジャー。クリナップクリンミセス」
「……はいはい。じゃ、そこにいてね」
 舞はヒラヒラと手を振って、教室を出た。
 洗顔クリームを持って戻ったら、本当に柚子が大泣きしていて、結局ハンカチじゃ足りず、持っていたティッシュを総動員することになってしまったのだった。





 舞は日本史の教科書をしっかりと握って階段を昇る。
 柚子も一段遅れて昇ってくる。
「いつか出会うんでしょうに」
「え?」
「幸せの欠片なんでしょうに」
「な、何? どしたの? 舞ちゃん」
 困ったように首を傾げる柚子。
 舞は昇りきってから笑いかける。
「幸せの欠片、柚子にも出来始めているなら嬉しいです」
 舞はそう言って、人差し指を突き出した。
 ちょうどそこは柚子の胸の高さで、ちょんと指の先が触れた。
 一瞬柚子が固まる。
 そして、顔を真っ赤にし、叫んだ。
「セクハラー……!」
「なぜ、そうなる?!」
「ど、どうせ、貧乳……」
「言ってないし」
 舞ははぁとため息を吐く。
 柚子はブツブツブツと何か言いながら、こちらを見上げてくる。
「はいはい。不意打ちしてごめんなさい。触るつもりなかったから許して」
「……よし」
「ん?」
「決めた。明日のお昼はプリンです。舞ちゃん、プリンをおごりなさい」
「……はぁ。安い胸ですね……お嬢さん」
「う。う。だ、だったら、プリン3……」
「はいはい。プリン1個ね。了解了解。さ、そろそろ、山口来るからいこ!」
「あ、あーーーー」
 舞のペースが早いのか、柚子はオーバーヒートしたように奇声を上げて、舞の後ろをトテトテとついてきた。
 これだけ騒いでいれば、十分に。
 柚子の変人ぶりは誰かに知られることだろう。
 舞はクスクス笑いながら、少しだけ軽い足取りで床をタンタン蹴った。



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