◆◆ 第1篇 恋の味・ときめきビターチョコミント風味 ◆◆

Chapter4. 二ノ宮 修吾side



 放課後、静かな教室で修吾はノートを見つめてぼーっとしていた。
 時折、人差し指でコンコンと机を叩き、文章の浮かんでこないことにため息を吐く。
 この時間に、教室で小説のネタを考えるのが、修吾なりの一日の過ごし方の一環になっていた。
 一応、この学校には文芸部というのもあるようだが、修吾は見学しに行って、あまりの閑散ぶりに失望して、入部することはやめた。
 めでたく帰宅部となった修吾は、今こうして、見事に長く高いスランプの壁にぶち当たって悩んでいるというわけだ。
「ふー……」
 頭を掻き、目を細める。
 外では、元気に部活をこなすそれぞれの部の声が混ざり合いながら響いていた。
 帰宅部ではなく、自分も汗を流すことを選べばよかったのかもしれないけれど、修吾はあまり運動は得意ではなく、運動部特有の上下関係も苦手だったので、はじめから入部リストには運動部を入れていなかった。
 文化部でも興味があったのは文芸部だけだったので、それが消えた瞬間、修吾につくはずのひとつの肩書きは空白のままとなった。
「あ、いたいた。柚子さん〜」
 廊下側の窓が開いて、舞の柔らかい声がした。
 それに驚いて、修吾はそちらに視線を動かす。
 すると、そこにはちょうど柚子の席の位置の窓を開いて、身を乗り出している舞の姿があった。
 スケッチブックに身を隠すように縮こまっている柚子の姿がその次に目に入り、修吾はきょとんと目を丸くする。
 人、いたんだ。
 それが心の中で思ったこと。
 ここで小説を書いている間、修吾はノートにだけ集中しているので、周囲の状況には全く頓着していなかった。
 一応、仲のいいクラスメイトが入ってきた時のカモフラージュ用に教科書やノートも重ねた状態ではいるにはいるけれど。
「あ、二ノ宮くん、まだいたんだ? 早く帰ったほういいよ? 今日雨降るって言ってたから」
「え、あ、ああ。そっか。うん、ありがと。車道さん」
「いいえ。……で、柚子さんは何やってんの?」
「す、スケッチ」
 修吾の言葉に舞は柔らかくにっこり笑ってみせ、その後すぐに目の前で丸くなっている猫に視線を動かした。
 確かに、勇兵の言うとおり、容姿の近づきがたさに反して、舞は気さくな性格らしい。
 柚子は困ったような声を発して、スケッチブックを机に置き、パタンと閉じる。
「ふーーん。柚子さん、特に用事ないなら一緒に帰らない? この前美味しいプリン見つけたの思い出してさ」
「え? ぷ、プリン? そっか、プリンか」
「どしたの? プリン好きでしょ? 明日と言わず、今日おごってあげる」
「あ、う、うん」
 修吾は空模様を見ようと窓際まで行って、外を見つめた。
 確かに、運動部の声に反してかなり雲行きが怪しかった。
「……今日は帰るか」
 ポソリと呟き、席に戻る。
 学生鞄に適当にノートと教科書、ペンケースを突っ込み、勢いよく立ち上がった。
 わたわたとトートバッグに机の中のものを入れていた柚子と、ちょうど立ち上がるタイミングが合って、少しばかり気まずさを覚える修吾。
 トートバッグを肩に掛け、大きなスケッチブックを小脇に抱える柚子。
 小柄で線の細い柚子と、その大きなスケッチブックはとても不釣合いだった。
 柚子はいそいそと廊下へ出て行く。
 舞がこちらを見つめて聞いてくる。
「二ノ宮くんって家どのへん?」
「え? このへん」
「じゃ、知ってる? 学校裏の坂の下の高そうなケーキ屋さん」
「ああ……うん」
「あそこのプリン美味しいよね? 意外と安いし」
「あ、僕、甘いのあんまり食べないから」
「…………。ふーん、そっか」
 修吾のそっけない受け答えに、舞が目を細める。
 修吾はスタスタと歩き、教室を出た。
 舞が窓枠に肘を乗っけるのをやめて、ピンと姿勢を正す。
「二ノ宮くん」
「な、なに?」
「二ノ宮くんもプリンツアーにゴー」
 可愛らしい言い方なのに無表情の舞が、なんだかとっても面白くて、そこで修吾はつい噴出した。
「ふっ……甘いの食べないって言ってるのに」
「コーヒーもあるよ」
「雨降るんでしょ?」
「あたしと柚子さんはバス待ちなんだ」
「それ、関係ないよな」
「全く、付き合いが悪いなぁ、君は」
「なんだぃ、藪から棒に」
 舞の言葉についついポンポンと言葉を返してしまう修吾。
 勇兵の言うとおり、確かに舞には話しやすさがあった。
 お昼休みに若干ピリッとした表情を見たものだから、少しばかり腰が引けていたが、全然当人は気にしていないようだ。
「舞ちゃん、無茶な誘いはやめようよぉ」
 柚子が舞の脇で、困ったように目を細めた。
「そう? お昼に話したし、いい機会かなぁって思ったんだけどなぁ。クールそうな女子の憧れ・二ノ宮くん」
「へ……? 何それ」
「あたしと同じレベルでとっつきにくいリストに入っている二ノ宮くん」
「そ、そんなのあるの?」
 それなりに修吾は修吾で上手く溶け込んでいるつもりでいたから、そんなリストがあると聞いてショックを隠せなかった。
「冗談」
「なんだ」
「ホント」
「……どっち?」
 舞の言葉に一喜一憂といった表情をし、ついつい突っ込んでしまう。
「リストはないけど、とっつきにくいナンバー3が今ここに揃ったわけです」
「……え、え、わ、わたしもなの?」
「柚子さんは、男子が話しかけづらいナンバー1、と予想」
「ああ、そうかもね」
 柚子の雰囲気はいいところのお嬢さんという感じのものがあり、その点では確かに話しかけづらいということはあると思う。
 舞とは真逆で目立たない印象と、育ちのよさそうな雰囲気。
 年頃の男子には、最も声が掛けづらい存在と言える。
「……話しかけづらいですか?」
 修吾と舞が同調するように笑うのを見て、柚子はさびしそうに目を細めて、こちらに聞いてきた。
 修吾はその瞬間焦った。
 まさか、そこまで気にするとは思いもしなかったのだ。
「あ、い、いや」
 慌てて首を横に振るけれど、言葉が出てこない。
 お昼に見たノートのことも思い出して、顔も少し熱くなってきたし、まっすぐ柚子を見れなかった。
 その様子を見て、舞がにんまりと笑い、修吾の傍に寄ってきて、気安く腕を取った。
 そして、こそこそとこちらに言ってくる。
「柚子さん気にするからさぁ、ここは一緒にプリンツアーでどう?」
「え、え?」
「大丈夫。払いは二ノ宮くん」
「それは全くといって大丈夫じゃないね」
「……冗談よ。ま、引止めはしないけどさ。たまにはよくない?」
 言葉は引いたが、眼差しは明らかに引いていなかった。
 なので、仕方なく、修吾は頷く。
「了解」
 そう言った後、柚子が驚いたように目を見開くのを見て、修吾は大きくため息を吐いた。






「はふ……。本当に美味しい」
 柚子が幸せそうに笑いながら、ふた口目を口に含んだ。
 その様子を見つつ、修吾はコーヒーをすすった。
 窓の外を見ると、ポツポツと雨が降り出していて、濡れて帰るのを覚悟しないといけないと悟る。
「バス停ってこっち側じゃないでしょ? 大丈夫なの?」
 修吾は穏やかに舞に尋ねた。
 舞が頬杖をついた状態でこちらに視線を寄越し、コクンと頷く。
「大丈夫よ。折りたたみあるから」
「……ああ、さすが女子」
「そりゃね。色々弊害があるので、この制服」
「?」
 修吾は舞の言った意味がよくわからず、首を傾げて、ミルクを継ぎ足した。
 修吾は砂糖は入れないけれど、ミルクは欲しい派だ。
 マドラーで軽くかき混ぜて、再びコーヒーをすする。
 うん、ちょうどいい。
 そう心の中で呟き、店内に視線を動かす。
 雨が降り出したのもあって、少しずつお客さんが増え始めていた。
 どうやら、雨宿り目的らしい。
「バス停と反対方向なのによく見つけたね?」
「んー。あたし、部活文芸部なんだけど、別段活動もないから、放課後はテキトーにブラブラしてんの。ほら、この辺、遊ぶとこなんてないしねー」
「え……?」
 修吾はその言葉に驚いて、舞に視線を戻した。
「どうしたの?」
「あ、文芸部なんだって、思って」
「見えない?」
「……そういうつもりでは」
「まぁねぇ。本なんて漫画しか読まないけどね」
「なんで入ったの?」
「うーん。活動が特になさそうだったから?」
「…………」
「帰宅部よりは、聞こえいいでしょ? それだけ」
「なるほど」
「舞ちゃんは、やる気になれば凄いのに、何にもやらないの」
「でも、結構成績良いでしょ? 英語とか……数学とか」
 舞は英語や数学でのクラス分けは修吾と同じくAクラスだ。
 それ以外はわからないけれど、少なくともAクラスは、勉強が出来ない人が来るクラスではない。
「勉強なんて感性とヤマ勘でクリアでしょ」
「……ああ」
 そう言い切って、本当にそれでここまで切り抜けているのなら、舞という人物は、相当できる人間だ。
「運動も結構得意じゃなかった?」
「なんで知ってんの?」
「え……ほら、5月の球技大会。卓球と、バスケ」
「ああー。よく覚えてるね、二ノ宮」
 いつの間にか、『くん』が消えている。
「卓球はね。すぐ負ける気だったのよ。なのに、なんでか勝っちゃってさー。面倒くさかったー」
「…………」
「バスケも補欠のつもりだったのにスタメン入れられちゃって。しょうがないからシュートしてたら、何試合か勝っちゃうし」
「すごいね」
「あは。舞ちゃんは、こういう子です」
「でも、やる気ないから伸びないの。器用貧乏よ。だから、柚子さんがあたしは羨ましいかな」
 舞はクスッと笑ってそう言うと、柚子のスケッチブックを手に取って、パラパラと捲った。
「これだけのものを、長い時間掛けて書き込んでいくっていう、そういう情熱みたいなもの? あたしにはないからねー」
「舞ちゃん、あ、あんまり見ないで」
「ん? ああ、ごめん」
 すぐにパタンとスケッチブックを閉じて、元の場所に戻す舞。
 柚子はプリンを食べる手を止めて、ふー、とため息を吐いた。
「でも、絵を描ける人って、オレ尊敬するな……」
 思わず、『オレ』と言ってしまった自分に照れた。
 なんとなく、女子の前で『僕』を使えない自分。
 けれど、やはり少々の違和感があった。
 人称とは、自分を表す言葉だから、余計に。
「絵は、誰でも描けるよ」
「そんなことないだろ」
「ううん。描けるよ」
 修吾の言葉に、柚子がしっかりした声でそう答えた。
 初めて、真っ直ぐに見つめられて、再び照れる。
「……ただ、絵に、それだけの時間を割かないだけ」
「…………」
「感性とか、才能も、あるとは思うけど。……好きかそうでないかって、ただそれだけだと思う」
 ゴクリと喉が鳴った。
 それほど凄い言葉とは思わないのに、その瞬間の、少しだけスローがかった、まるで魔法のような柚子の言葉に、呑まれた。
 ここまで真っ直ぐに自分も言うことが出来たなら。
 そんな羨望の気持ちが、胸いっぱいに広がる。
「わたしは、その分、他の事に時間割かないから、駄目人間なの」
「でも、宿題はやってたよね?」
「……あは、あれは、最低限の義務かなぁって」
「すごいのよ、柚子さん」
「そ、そう?」
「ちゃんと解いた形跡あるのに、全部バツの宿題って、あたし、はじめて見た」
「う」
 舞の柔らかい嫌味に、柚子がすぐに傷ついたように眉根を寄せた。
「ど、どうせ、馬鹿だもん。何も、二ノ宮くんの前で言わなくたっていいじゃない! 舞ちゃんの馬鹿馬鹿ー!!」
 そして、一気に火がついたようにそう叫んで、ポカポカと舞を叩く柚子。
 修吾はその様子に唖然とした。
 舞がそのポカポカを受け止め、柚子がぐったりするまで何も言わずに笑っていた。
 何度も何度もポカポカを繰り返した柚子は本当に疲れきった表情で、プリンにスプーンを埋めた。
「まぁ、柚子さんはこんな子です」
 舞が叩かれていた腕をさすりながら、ため息を吐いてそう言った。
 修吾は、ぎこちなくコクンと頷くことしか出来ない。
 それで、ようやく我に返ったのか、柚子がはっとしたように目を見開く。
「二ノ宮くん、わたし変?」
 いきなり、その問いを掘り出してくるあたりは、変だと思う。
 そんなことを言ったら傷つくだろうから、修吾は特に表情を変えずに静かに言った。
「別に」
「……本当に?」
「ぼ、オレは別になんとも思わないけど」
 柚子にずいぶんと高尚なイメージを持っている男子だったら、もしかしたら、ショックを受けるかもしれないけれど。
「そっか……」
 柚子は修吾の言葉に、ほぉっと胸を撫で下ろしたようだった。
 修吾はチラリと柚子を見て、すぐに視線を動かす。
「二ノ宮はこんな感じの人です」
 勝手に舞がそんなことを言う。
「何がだよ」
「え? 無愛想?」
「……悪かったな、無愛想で」
 さすがの修吾も舞のその言葉には、少しむっとして、すぐにそう言い返した。
 その表情に柚子が驚いたように、ぽわっと口を開けた。
「無愛想なおかげで、クールって言われてるのよ。二ノ宮、ある意味得ね」
「とっつきにくいんだろ? 得じゃないよ」
「無愛想。クール。言い方変えるだけで、全然印象違うもんよね」
「どのみち、とっつきにくいんだろ」
「うーん。あたしはそんなにとっつきにくいとは思わないけど。話すきっかけがなかっただけって感じ」
「……わたしも、二ノ宮くん、とっつきにくいとは思わないよ。ちゃんと、人の話、聞いてくれるし……」
「人の話聞くのは、人として最低限じゃないか?」
「うっわ、優等生語が出た」
「優等生語って……」
 柚子のフォローに対して、無効化するような言葉を言ったことに対しての諌めだったのだが、修吾はそれとは気づかずに舞の言葉に少々呆れ気味で首を傾げた。
 すると、柚子がプリンを一口食べてから、口を開いた。
「人に対して、真面目なだけだと思うよ」
 その言葉に2人の表情が止まった。
「二ノ宮くんは、きっとすごく優しいんだね」
 ふんわり笑ってそう言われて、修吾はゴホンと咳き込む。
 舞も当てられたように手団扇で自分の顔を仰ぐ。
「……天然はこれだから……」
「ん?」
 修吾は残ったコーヒーを一気に飲み干し、ガタンと立ち上がる。
「あれ? どうしたの?」
「わり。オレ、そういえば、見たいテレビあったんだったわ」
 時計を気にする振りをしながら、そう言い、素早く学生鞄を引っ掴んだ。
 コーヒー代だけ財布から取り出して置く。
「じゃ、また明日」
 ボソッと言って、踵を返したら、すぐに舞に呼び止められた。
 赤い顔を必死で誤魔化そうと、俯きがちでそちらを見る。
「傘、貸したげる」
 そう言って、赤いチェックの折り畳み傘を修吾に差し出してきた。
「え、でも……」
「いいよ。あたし、柚子さんのに入れてもらうから」
「あ、ど、どーも」
 もうほとんど無理やり、手の上に傘を置かれて、修吾はおずおずと頭だけ下げて、タタタッと店を出た。
 本当に顔が熱い。
 なんだこれ。
 心の中でザワザワ何かが騒いでいる。
 お昼に見たノートのせいだ。
 だから、異常なほど、柚子の言葉を意識している気がする。
 そうに決まってる。
 修吾は折り畳み傘を開きながら、きゅっと唇をかみ締めた。



Chapter3 ← ◆ TOP ◆ → Chapter5


inserted by FC2 system