◆◆ 第1篇 恋の味・ときめきビターチョコミント風味 ◆◆
Chapter5. 車道 舞side
「ふー……やっぱり、いくら細くても折りたたみに2人は厳しかったかなぁ」 なるたけ、柚子が濡れないように気を配りながら、舞は柚子の傘を持ち、バス停に着いてから、濡れた肩を軽く払った。 完全に染み込んでいるので、どうしようもないが、明るく笑う。 柚子はスケッチブックを大事そうに抱えて、申し訳なさそうに目を細めた。 「ごめんね。わたしが荷物多いから」 「ううん。問題ないよ。貸してもらってるんだし」 「……舞ちゃん、二ノ宮くんに傘貸してあげて……。やっぱり優しいね」 柚子が思い出したようにふんわりと笑う。 その表情を見て、舞はふーとため息を吐いた。 不思議そうに首を傾げる柚子。 濡れた髪を少しだけ絞る舞。 「二ノ宮タイプは、ああでもしないとすぐ縁切れるからねー」 「え?」 「律儀で真面目でしょ」 「……う、うん」 「なんか用事ないと、話しかけてこないでしょうが」 「…………」 あんたのためにやったのよ、わかってんの。といった眼差しを柚子に向ける。 ……が、柚子はそうとは受け取らなかった。 「さすがだねぇ、舞ちゃん」 キラキラと羨望の眼差しをこちらに向けてくる。 そこで舞は頭痛を覚えて頭を押さえた。 軽く傘の柄で柚子の頭を小突く。 「いたっ」 「……天然」 「え? え?」 柚子が不思議そうにまばたきを繰り返す。 「ふー。これは、二ノ宮が可哀想になってきた……」 「え?」 舞の思考回路を必死に追いかけるように、柚子がカチコチと頭を動かしているが、その頭ではおそらく答えにはたどり着けないだろう。 天然爆弾だ。この子は。 「よかったー、間に合ったー」 「ちょっと濡れちゃったね」 「うん。でも、バス逃すと、また一時間以上待つようだし、このくらい我慢の範疇でしょう」 「そうだね」 バス停に駆け込んできた2人の女の子。 片方の声がすぐに耳について、舞の胸がドクンと跳ね上がった。 ざわりと、濡れた肌が急激に冷えた気がした。 「……舞ちゃん?」 柚子がその様子にすぐに気が付いて、こちらを見る。 なので、舞は取り繕うように笑った。 「なんでもない」 柚子は”彼女”の顔を知らない。 自分が平気な顔をしていれば、何のことはないのだ。 「あれ? 舞だ。舞ー! 久しぶりじゃない? クラス離れちゃったから」 「え? あ、ユンじゃん」 「いつも、この時間じゃないよね?」 「うん。今日はちょっと寄り道してて」 「そっかぁ……あれだよねー。舞だけさ、新棟のほうの教室だから余計に会わないんだよねー」 「だねぇ。でも、あたし、ツカの顔だけはほとんど毎日見てるような気がすんだけど」 「ああー、勇はだって! アイツ、休み時間、どっかのクラスに乱入してるみたいだもん。入学三ヶ月にして、一年のうちじゃ知らない顔なしだよ、アイツ」 「なるほど」 舞はそこで納得したように笑った。 横で話を聞いていた柚子がクスッと笑う。 「何? どした?」 「塚原くんって感じだなぁって思っただけ」 「今日話したの初めてでしょ?」 「うん……でも、いっつも二ノ宮くんにおぶさったりしてたから、自然と顔覚えちゃった」 「ああ」 舞はそこで頷く。 この子、いつも見てるのかなぁと。そんな言葉が頭を過ぎる。 「二ノ宮くん……?」 ”彼女”がポツリと呟いた。 「そういえば、舞って二ノ宮くんと同じクラスかー」 「どうかしたの?」 「どう?」 「どう? って?」 「話した?」 「ああ、今日、ツカ繋がりでちょっとね」 「へーーー」 「ツカ、うちのクラスじゃ、二ノ宮と仲良いみたいだから」 「へーーー。意外。あんな馬鹿を相手にするんだ」 ユンの言い様につい噴出してしまった。 「二ノ宮、意外と天然かもよ」 舞は笑いながらそう言って、2人のほうを見た。 ”彼女”と視線が合って、ドキリとする。 ”彼女”は困ったように視線を逸らして、湿気を含んだふわふわの髪をいじくり出した。 「舞は打ち解ければ人気者だからなぁ。その調子で頑張ってよ」 「何よ、その調子でって……」 「だって、女子で二ノ宮くんに話しかけられる人、現時点じゃ知り合いにいないんだもの」 「何? 気になるの?」 「ん? んーー。いや、可愛い顔の子がいるってさ、結構評判で」 「……本人聞いたらむっとするな」 「そっかなぁ」 「うん」 照れて、だけど。 「あ、あの……」 ”彼女”が勇気を振り絞ったように声を出した。 なので、舞は軽く息を吸ってから、そちらを見た。 「何?」 「あ、う、ううん。ごめん、邪魔して。続けて……」 ”彼女”は繊細で、とても潔癖症な人。 舞はそっと目を細めて、クッと息を飲み込んだ。 「あ、バス来たー」 「15分も遅れてるし」 「この雨じゃねー」 周囲の学生たちが口々にそんなことを言いながら、バスが停まるのを待った。 プシューと扉が開き、先頭で待っていた男子が軽やかにバスに乗っていった。 舞は柚子がバスに乗ってから、傘をすぼめて閉じ、すぐに乗る。 雨のせいで部活が中止になったのか、学生の数がいつもより多かった。 いつも乗っているバスより一本遅いのもあったのだろうけれど。 「ちょ、待って! 待って!! 俺も乗る!!!」 そんな叫び声が、雨が降っているというのに、車内に響いた。 閉じかけた扉が開き、ずぶ濡れの勇兵が飛び乗ってきた。 「はーーー。危なかった……!」 大きな声でそう言い、次の瞬間、周囲の人間にペコペコと頭を下げる勇兵。 そして、人ごみの中でも目ざとく舞を見つけて、近づいてきた。 「ちょーっとすいません。そこの位置譲ってくださいー」 「来るな、ツカ」 「来ちゃった♪」 ニシシとおかしそうに笑いながら、つり革を握って、舞の顔を覗き込んでくる。 運よく席に座れた柚子がにこにことそんな勇兵を見上げている。 「今日はお騒がせしました、渡井さま」 「ううん。むしろ、わたしのほうがお騒がせしました」 「人の意外な一面って俺好きだから、問題ナッシング☆ ただ、数字見すぎて、今頭痛いの。なんか、甘いもの持ってない? シャドー」 甘えたような口調でそう言ってくる大型犬。 舞よりも2回り大きいくせに、恥ずかしげもない。 「ない」 「持ってんだろ〜」 「ツカに食わす飴はない」 「やっぱあるんじゃん!」 頭痛がしてきて、舞ははぁぁ……とため息を吐いた。 「後ろにユンがいるからそっちにねだったら?」 「へ? あ、ホントだ。斉藤〜」 「舞! 振るな、こっちに」 「悪い。今、本当に持ってないから」 「私だって持ってないよ。”サーちゃん”持ってる?」 その瞬間、ドキンとまた胸が跳ねた。 きゅっと唇をかみ締める。 柚子がその様子をしっかりと見ていた。 「しょうがないなぁ。ほら、勇君」 柔らかい”彼女”の声。 少し鼻にかかった甘い感じの声が、いつもの彼女の声だ。 勇兵はチョコをもらえて、かなり嬉しそうに笑い、何度も”彼女”にサンキューと言い、包み紙を開けた。 「うーー。うめぇ」 本当に美味しそうに勇兵は頬を緩める。 「それはよかった」 「シャドーも持っててよ」 「無茶言わないの。大体すぐ後ろに同中の子いるんだから気づきなよ。八方美人が取り柄なんだから」 「んーーー。俺、八方美人ではないぞ」 「ほっほう?」 「懐く相手は選んでるもん」 その言葉に、さすがの舞も止まった。 柚子が2人を見比べている。 「じゃ、何? あたしは懐かれてるの?」 「ん。いや、そうでも……ない……? ある……?」 「どっちよ」 あやふやな勇兵の言葉に、舞ははぁとため息を吐いた。 勇兵はポリポリと濡れた頭を掻き、次の瞬間派手にくしゃみをした。 舞は少しだけ勇兵から離れる。 「ちょっと」 「ごめん。濡れたから、少し寒くて」 「タオルは?」 「……ない。今日部活も体育もなかったから」 その言葉を聞き、しようがないので、舞は鞄からハンカチを取り出した。 視線を合わさずに、勇兵のほうに突き出す。 「…………。はい」 「へ?」 「ハンカチ」 「え?」 「頭を拭くのよ。鼻はかむなよ」 「あ、うん。でも、いくら?」 「このくらい、タダでいい」 「……そか。サンキュ。洗って返すから」 「いいよ、そのままで」 「アイロンかけて返すから」 「うざい。懐くのは二ノ宮だけにして」 「……はぁい。ったく、シャドーはホントこういうノリの時だけ、どっか冷たいよなぁ」 ブツブツ言いながら、ハンカチを広げて、頭を拭く勇兵。 舞ははぁぁとため息を吐いて、柚子に話しかけた。 「なんか、どっと疲れたわ」 「あは、にぎやかだもんね」 「そう、ね」 目を細めてそう言うと、柚子がちょいちょいと舞に手招きするので、そっと顔を近づける。 すると、柚子は耳元で小さく、 「大丈夫?」 と聞いてきた。 舞は驚いて唇を尖らせる。 そして、すぐに耳打ち返しをした。 「柚子は、変な気を回さなくていいの」 と。 すると、にこぉと柚子は笑って、口だけ了解と動かした。 誤算と言えば誤算だった。 バスから降りた後の傘のことを考えていなかったのだ。 帰り道は”彼女”と同方向で、傘がないと知って、”彼女”もさすがに心配そうに舞を見ていた。 「くーちゃん……あの、入ってく?」 あの放課後の美術室で放った冷たい空気など、ひとつもなく。 ”彼女”はそう言って、傘を差しかけてきた。 舞はシャッターの下りた酒屋の屋根の下で、迷うように目を細める。 参ったことに、この近辺にはコンビニという便利な存在もない。 わざわざ家に傘を持ってきてというのも面倒すぎる距離で、走って帰ることも出来た。 ただ、そうすると今週は冬服での登校になることが確定する。 クリーニングは避けたかった。 「いいよ、無理しないで」 舞は出来るだけ平静を保って、優しい笑顔を浮かべる。 「大丈夫だよ。本傘だから、2人入っても、へ、いき」 「あたしが大丈夫じゃないから」 「……くーちゃん」 「大丈夫だと思ったんだけどなぁ」 「…………」 「意外とダメージでっかくて、だから、ね?」 この言い方は、卑怯だろうか? ”彼女”は頑張って声を掛けてくれたのかもしれないのに。 「……帰れる?」 「知ってるでしょ? 家近いの」 「ん。そ、だね」 ”彼女”はそっと長いまつげを伏せ、柔らかそうな手を小さく振って、帰っていった。 アクアブルーの傘が、少しずつ遠ざかっていく。 舞はふぅ……とため息を吐き、次の瞬間、気合を入れるように息を吸い込んだ。 「冬服地獄決定!」 そう叫んで駆け出した。 冬服だとやはり暑い。 そう思いながら、いつも通りのギリギリ登校。 昨日の雨はなんだったのかと思うほど、今日はカラッと晴れていた。 湿気は相変わらずではあるが。 「車道さん」 教室に到着してすぐに、修吾が声を掛けてきた。 少々女子の視線が痛い。 隠れ人気下馬評ランクAだ、コイツ。 そう思った。 放課後に声掛けて来い、馬鹿。 そう思った。 すぐに舞は修吾の腕を取り、廊下に出る。 時間ギリギリなのもあり、誰もいない。 が、窓から何人かこちらを見ていた。 修吾は不思議そうに舞を見て、遅ればせながら「おはよう」と言い、きちんと畳んである折り畳み傘を差し出してきた。 「貸してくれてありがとう。それと……母さんから、これ」 傘を受け取った後、小さな犬のマスコットを手渡される。 「何?」 「傘一本しかない女の子から借りるなんてって叱られた。で、お礼に渡せって……」 「ふっ。可愛いね」 柴犬を思わせる色のそのマスコットをジッと見つめて、笑ってみせた。 律儀なのは、どうやら遺伝らしい。 「好き? こういうの」 「ええ。犬は好きよ」 舞の言葉に安心したように、少しばかり修吾の表情が緩んだ。 「それなら、よか……」 「主従関係を理解する生き物だから」 「え……」 「なんてね。冗談よ」 「あ、うん」 若干引きつった修吾の顔を見て、舞はおかしくなって笑った。 「柚子さんも好きだから、こういうの」 「え?」 「どこに売ってるか、教えてくれる?」 「あ、ああ。母さんに、聞いとくよ」 「よろ」 修吾が和やかに笑った瞬間、本鈴が鳴った。 舞はすぐに教室に戻り、修吾もその後から入ってきて、ゆっくりと席に着いた。 傘を机に一旦しまい、机の上に小さなマスコットを置く。 ……結構、いいとこあんじゃん。 舞は、少しばかりほくそ笑んで、心の中でそう呟いた。 |