◆◆ 第1篇 恋の味・ときめきビターチョコミント風味 ◆◆

Chapter6. 二ノ宮 修吾side



 テスト前期間に入り、部活動も禁止となったので、放課後に勇兵が修吾の元にやってくることが多くなった。
 部活がなくても、結局ここに来てしまうのでは、あまり意味はないようにも思うのだが、修吾は修吾で、授業と休み時間で予習・復習は勝手に済ませてしまっているタイプなので、特になんとも思わずに、勇兵の相手をしていた。
 前の席に、背もたれを抱えるような形で腰掛けている勇兵。
「でさー、もしかしたら、秋の新人戦、俺、出れっかもしんねーんだよ」
 勇兵はバレー部に所属していて、170ない修吾からすれば、十分に勇兵は背が高い人なのだが、バレーというスポーツ的には背が高いというほうではないらしい。
 その中で、しかも、一年でありながら、スタメン入りが出来るかもしれないというのは、すごいことだというのは、修吾でもわかった。
「へー、すごいね」
「だろ? したらさ、修ちゃん、見に来てくれる?」
「……土日だったら、行けるけど」
 平日は当然授業なので。
「まだ日程わかんねーけど、俺頑張るわ!」
 修吾の返答に勇兵は嬉しそうに笑って力こぶを作ってみせた。
 修吾はクスリと笑う。
「何?」
「勇兵はさ」
「うん」
「僕が見に行かなくても、頑張るでしょ」
 にっこり笑ってそう言うと、勇兵は一瞬動きを止めて、小さく苦笑を漏らした。
「修ちゃん、いけずだなぁ」
「いけず?」
「……うん。でも、俺は修ちゃんのそゆとこ、気に入ってんだ」
 修吾の机に頬杖をついて、穏やかに笑う勇兵を見て、困ったように修吾は俯く。
 あんまり、そういう言葉には慣れていない。
 昔から、自分は人と親しくするということが得意ではなかったから。
 少しの間静かになって、その後に、修吾は優しく言った。
「勇兵」
「ん?」
「それだったら、補習とかなったら困るでしょ」
「う、うん。まぁ……それは……」
「勉強、教えてあげるよ」
「へ?! あ、いや、そ、それはちょっと……」
 勉強と聞いて明らかに嫌そうな顔をする勇兵。
「ここで頑張って補習を減らすか、ここで頑張らないで部活のチャンスを逃すか。どっち?」
「う……」
 痛いところを突かれたとでも言うように、勇兵が胸をわざとらしく押さえる。
「僕は、教えることは一向に構わないけどな。バレーの試合、生で見たことないから、見てみたいし」
 修吾は静かにそう言って、学生鞄にノートとペンケースを押し込んだ。
 勇兵は静かに修吾を見つめている。
「なに?」
 修吾は学生鞄を閉じて、勇兵の視線に気が付き、首を傾げてみせる。
 勇兵は穏やかに笑って言う。
「やっぱり、修ちゃんはいけずな人だね」
 と。



 何がどうなってこうなったんだろう。
 修吾は静かに心の中で呟いた。
 気が付いたら、自分の部屋の人口密度が高い状態になっていた。
 母に頼んで、足の短い机を借り、タンタンタンと階段を昇る。
 母は、息子が友達を連れてきたことが素直に嬉しかったのか、ニコニコ笑いながら、オレンジジュースをコップに注いでいた。
 極めつけは……、
『傘貸してくれたの、どっちの子なの?』
 だ。
 修吾は特に表情も変えずに俯いて、
『貸してくれたのは、車道さん。荷物が、少なかったほうの子』
 とだけ答えた。
 あとで、お菓子とジュースを持ってくると言っていたが、とてつもなく不安だったので、用意できたら呼んでくれと付け加えておいた。
 カチャ……とドアが開き、ひょっこりと柚子が顔を見せる。
 その瞬間、トク……と脈が少々早まった。
「あ、何? どうしたの?」
「えっと……足音したから、開けたほうがいいかと思って」
「あ、ああ、うん。助かる。ありがと」
 修吾は少しばかり目を細めて、そう言うと、ドアに肘を引っ掛けて、そのままカニ歩きで中に入った。
 中では勇兵と舞が好き勝手に修吾の部屋を漁っていた。
 机を部屋のほぼ真ん中に置き、ふー……とため息を吐く。
 柚子が座らずに立っているので、すぐに声を掛けた。
「どうかした?」
「で、電話、借りていいかな?」
「へ? あ、そっか。うん。階段下りたとこにあるから」
「ありがと」
 柚子はペコリと頭を下げて、廊下へと出て行った。
 修吾はポリポリと頭を掻き、本棚から漫画を取り出してきた舞と、勝手にゲームを始めようとしている勇兵に声を掛けた。
「君らさぁ、何しに来たか、わかってる?」
 さすがにその言葉を聞いて、勇兵は電源に伸ばした手を引っ込めてこちらを向いた。
「ん? 柚子さんの勉強」
 舞は悪びれることなくそう言って、クスッと笑った。
「二ノ宮、意外と漫画持ってんのね。真面目な本のほうが多いけど」
「漫画は息抜きに丁度いいんだよ、すかっとするし」
「少年漫画ばっかだけど」
「少女漫画読みたいの?」
「んーん。そういうわけではない」
 舞はにこっと笑って、漫画を机の上にタンと音を立てて置いた。
「部屋も広いし。二ノ宮、結構坊ちゃんだ」
「そういうわけではないよ」
「そう?」
「うん」
 修吾は言葉と一緒に頷いてから、適当に勉強机の上にある教科書と参考書を掴み、持ってきた机の上に置いた。
「積み上げられるとやる気がーーー」
「ツカ、アンタが一番問題児なのよ。弁えなさい。図書室もアンタのせいで追い出されるし」
 はぁ……とため息を吐き、舞は困ったように目を細めた。
 修吾は2人のやり取りを見て、クスッと笑みをこぼす。
「修くん〜、準備できたから持って行ってー」
 下から母の声がして、修吾はすぐに廊下に出て、階段を軽やかな足取りで下りた。
 まだ柚子は電話の途中らしく、修吾は静かに横を通る。
「う、うん。勉強教えてもらうことになったんだって……。男の子の家だけど、舞ちゃんもいるから大丈夫だよ……。帰りは舞ちゃん家の車で送ってくれるって話だから。うん、金曜だし、うん、わかってる」
 修吾は台所に入って、母が用意したお盆を手に取った。
 オレンジジュースの入ったコップとクッキー。
「あの三つ編みの子は何ちゃん?」
「渡井さん」
「ふーん。渡井何ちゃん?」
「ゆ、柚子、さん。車道さんは……舞さん……」
 母は楽しそうに修吾を見上げてくる。
 なので、
「ツンツン頭は塚原勇兵」
 と続けた。
「みんな良い子そうでよかったわ」
「うん」
「勇兵くんみたいな友達、修くんにもできるのねー」
「な、なにそれ……?」
「だって、修くん、シャイだから」
「う、うるさい」
 修吾は反応に困って、むくれたような表情になった。
 母はその様子を見て、クスッと笑い、その後に続けた。
「夕飯、何が食べたいか聞いてみてね」
「え?」
「お腹空くでしょ。遅くまでいるんなら」
「あ、ご、ごめん。そこまで考えてなかった」
 母の手間が増えることを真っ先に考えるべきだったのに。
「そういうんじゃないの。勇兵くんなんてたくさん食べそうだし。はりきっちゃうなぁ」
 母は嬉しそうに笑って、冷蔵庫の中を覗き出した。
「母さん、今日、父さんは……?」
「ちょうど、今忙しい仕事が入ってるから、週末も事務所に缶詰だって」
「そう」
「お兄ちゃんも、今日は会社の飲み会だってから」
「……うん」
「だから、下で食べようねぇ。お母さん、お話したいな、お友達と」
 母はそう言って、楽しそうに笑った。
 修吾の家は、母方の家が昔この辺一帯の地主だったのもあり、それなりに裕福だった。
 なので、それほどガンガンお金を稼ぐ必要性はないのだけれど、仕事人間の父はあまり家に帰ってこない。
 兄も、進みたい進路を父に阻まれて、地元の会社に就職して以来、家に早く帰ってくることが少なくなってしまった。
 母はいつも明るいけれど、……それなりに寂しい思いをしていることもあると、修吾は知っていた。
「母さんの得意料理でいいよ」
「え?」
「メニュー」
「グラタン?」
「うん。あれ、自慢したいし」
 修吾は優しい声でそう言って笑い、すぐに照れたように俯いた。
 母は嬉しそうに微笑んで、コクリと頷いた。
 修吾が慎重にお盆を持ち、廊下へ出ると、ようやく柚子の電話が終わったところだった。
「ごめんなさい、ちょっと長くなっちゃって」
「いや、構わないよ。電話なんて、うちだとほとんど置いてあるだけだし」
「……ありがと。あ、手伝うよ」
「ん……? じゃ、クッキーの乗ってるお皿お願いできるかな」
「うん♪」
 柚子が嬉しそうに笑って、大きめのお皿を持ち、タンタンタンと階段を上がっていく。
 すぐに気がついて、修吾は上を見ないようにして、階段を上った。
 上りきってから思い出したように、柚子がスカートを押さえる。
「ご、ごめんなさい。見えた?」
「ん……? 上見てない」
 修吾はオレンジジュースの入ったコップを見つめながら上りきって、ふーと息を吐いた。
 柚子が真っ赤な顔をして、慌しく修吾の前を歩いていく。
「夕飯、グラタンだから」
「え……?」
「食べて、いってね。母さんの得意料理、だから」
 修吾の言葉に、柚子は振り返って、逡巡するようにこちらを見上げてくる。
 少しの間を置いて、コクリと頷いた。
「ご馳走になります」
 ドキドキしながら、修吾は柚子の表情を見つめていた。
 何のことはないことなのに、その言葉を受け取って、嬉しい自分がいる。
 修吾は悟った。
 ……これが、恋なんだ、と。



「あんまり難しく考える必要はなくてね。ここで出した解を、xに代入するんだよ。それで、左辺にある+5を右辺に移動するっていう発想ね?」
「移動?」
「うん」
 柚子が困ったような目で修吾を見るので、ノートにサラサラと書き出していく。
 困ったことに、柚子は中学レベルの数学もあまり理解できていなかった。
 どうやって受験したのかを聞いたら、無理やり一夜漬けで詰め込んだのだそうだ。
 勇兵は中学の数学までは出来ていたので、舞に任せることにした。
 勇兵の場合は本当にやらなくなったことが原因だったらしい。
「左辺から5を引いて、右辺に+5する。これが移動」
「あ、そっか。これで、yの数値が丸裸になるんだ」
 まるはだか……。
 表現がおかしくて、修吾は噴出しそうになった。
 ……が、柚子は真剣なので、そのことには気がつかない。
「そうそう。それで、x+2に+5でx=3だから……」
「y=10!」
「そうそう」
 修吾は優しくそう言い、何問か問題を書き出して、柚子に解かせることにした。
 柚子が問題を解きながら、嬉しそうに言ってくる。
「二ノ宮くん、教え方上手だねぇ」
「先生に聞きに行けば、丁寧に教えてくれるよ」
「あまりに出来てなくて、聞きづらいんだよぉ」
 困ったように柚子が眉をへの字にして、こちらを見た。
 視線がバッチリ合って、2人ともピタリと止まる。
「中学で、友達にき、聞いても、物分り悪くて……お、怒り出したりとか……あって」
 わたわたと柚子は言い、再び問題を解き始める。
「オレは別に」
「え?」
「人に教えんの、嫌いじゃないから」
「…………」
「純粋に、頼りにされてる気がして……嬉しい……」
 ほわっと、修吾の頬が熱くなった。
 自分は何を真面目に相手に言っているのか。
 照れ隠しに頬杖をついて、あくびをかみ殺す振りをして、柚子にそっぽを向いた。
「ツカ、なんで、アンタ、もっと真面目に授業受けてないのよ!? 毎日、アンタ何しに学校来てんの?」
「決まってんだろ、部活だよ」
「…………」
 机を挟んだ向こう側で、頭が痛そうにため息を吐いて、オレンジジュースを口に含む舞。
「数学はもう……出るとこ、ヤマ張ってあげるから、他行きましょ」
「ヤマって」
「あたしの勘どころが信用できないの?」
「いや、できます。あなたの成績は俺が一番よく知ってます」
「……あたしだって、日本史とか暗記系の教科の勉強するようなんだから勘弁してよ、ホント」
 舞が弱りきった声でそう言った。
 なので、修吾は舞に優しく声を掛ける。
「暗記系教科のヤマなら、オレが張ってあげるよ。6割は自信あるから」
「6割か……」
「暗記系で6割は結構でかいでしょ?」
「そうね」
 今回は1日に暗記系の教科が3つという、地獄の行軍のような日程取りとなっている。
「じゃ、教科書渡すから、線引いておいてもらえる?」
 舞は素早く自分の鞄を取って、2、3冊教科書を取り出した。
「いいの?」
「教科書なんて、汚してなんぼでしょ。売れるわけでもなし」
「そ、だね……」
 修吾は舞から教科書を受け取った。
 チラリと見えた、鞄にぶら下がっているマスコットを見て、すかさず声を掛ける。
「付けてくれてるんだ」
「……結構、気に入った。ちっさい鈴がチリチリ鳴って可愛いし」
「そっか」
「柚子さんも持ってるよ」
「え?」
 舞の言葉に驚いて、柚子に視線を動かすと、柚子は全く気がつくことなく、うー……と問題を解くのに必死になっていた。
 なので、そっと柚子のトートバッグに視線を動かす。
 すると、確かに、トートバッグにぶら下がっているマスコットがあった。
 ……ああ、だから、母はどっちが問題の子かと聞いてきたのだ。
「気に入ってもらえてよかったよ」
 修吾はそう言って、ポリポリ……と頭を掻いた。
 困った。
 上手く感情を表情に出来ない。



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