◆◆ 第1篇 恋の味・ときめきビターチョコミント風味 ◆◆

Chapter8. 二ノ宮 修吾side



『あらー♪ 修くん、どうしたの? この賞状……作文コンクール? 大賞? すごいじゃないのー』
 母はとても嬉しそうにそう言って、修吾の持って帰った賞状を家にあった額縁に入れて、すぐに父の書斎に飾った。
 父が帰ってきた時、すぐ目に付くように。
 そういう配慮からだったと思う。
 結局、父はそんなものには全く触れることはなかったのだが、修吾がコンクールで賞を取るごとに、段々額縁は増えていって、貰った小さい盾も、写真立てと一緒にサイドテーブルの上に置かれた。
 昔から文章を書くのが好きだった。
 けれど、特に目立つのは好きじゃなかった。
 だから、笑顔の写真を親戚の叔母に勝手に芸能事務所に送られてから笑わなくなったし、寡黙に本を読むことが普通になった。
 ただ、それだけの話だ。
 ある時、興味を持って好きに文章を書くようになり、修吾の文章の綺麗さに気が付いた教師が応募してみないかと、いくつもコンクールを教えてくれた。
 自分が好きで紡ぎだす文章で、母が笑顔になる。
 それによって、修吾の心も笑顔になった。
 そうやって、感情の出し方が下手になった分だけ、修吾は紙の上で自分の感情を、丹念に、端整に描き出すことを覚えた。
 紙の上だけなら、言葉だけなら、自分は翼を持てる。
 空を飛べないはずの自分が、その中だけなら、誰よりも、高く飛べるのだ。
 けれど、中学1年の冬。
 兄と父が、進路のことで揉めて喧嘩になった。
 いつもは家庭になど口も挟まない父が、兄の持ってきた大学への推薦入学の話を聞いて、ふざけるなと怒鳴りつけたのだ。
 兄は昔からピアノを習っていた。
 なので、その推薦の話はもちろん音楽大学への推薦入学の話だった。
 推薦の試験を受けるという話は、父が忙しそうだったこともあり、母にだけ伝えて受験をし、合格の結果だけを兄は父に伝えた。
 その結果、父は憤慨し、こんな進路は認めん、と一蹴した。
 もちろん、母はそんな父を説得しようとしたが、父は全く聞く耳を持たず、……泣く泣く兄は、大急ぎで就職宛を探してもらい、そこに就職を決めた。
 他の分野の大学ならば許すと父は言ったけれど、元々兄は音大一本で進んできたような人だったから、その時点でそんなことを言われても、やりようがなかったのだ。
 それからだ。
 修吾の翼が、上手く羽ばたかなくなった。
 スランプというものが不定期に訪れるようになった。
 それからは……作文コンクールの結果も、振るわなくなった。
 それでも、時々見つけ出して、母だけはその文章を誉めてくれた。
 ……母は、兄と父が揉めてしまったことを、とても悲しんでいる。
 家庭の、全員の味方でいようとした優しい母は、結局、あの時、兄を護ることが出来なかったのだ。



「修ちゃん、修ちゃん〜補習1個で済んだよ〜」
「……でも、1個あるんだ……」
 テスト後1週間で、全てのテスト結果が返ってきた。
 勇兵は見せなくてもいいのに、修吾の机にテスト用紙を置き、ぎゅうっとしがみついてくる。
 暑い……。
 心の中で呟く。
 そのうえ、クラスメイトの視線が痛い……。
 目立たないことがポリシーなのに、勇兵と仲良くなってから、目立たない、ということが異様なほど高いハードルのように思えてきた。
 75・72・70・80・68・65・62・63・30・58・68。
 並ぶ赤字に目を通し、そっと目を細める修吾。
「……なんで、政経の成績だけすこぶる悪いの?」
「……間に合わなかったんだよー。魔の暗記系トライアングルの日だったから……」
「ああ……」
「しっかも、教科書読んでてもちんぷんかんぷんだった」
「政経の補習ってどんなの?」
「ん、だいじょぶ。レポートを3つだって」
「ああ……ならいっか」
「よくもないけど、全滅を覚悟していた俺からすると、この結果は素晴らしいの一言だよ、修ちゃん」
「だって、勇兵、やらない気でいるんだもん。やらなきゃそりゃ全部赤点だよ」
「う。うん、肝に銘じる」
 ポリポリと頭を掻いて、勇兵はため息を吐いた。
「ところでさ」
「うん?」
「暑いので、どいてくんない? 勇兵」
「お、ごめん」
 ようやく背中が涼しくなって、パタパタとワイシャツの裾を引っ張って風を入れる。
「修ちゃんは、もちろん余裕だよなぁ」
「ん。まぁ、ね」
「見してよ」
「昨日までで全部返ってきたから置いてない」
「がーーーーん。奇跡の100点答案を見てみたかったのに!」
「100点はないよ」
「ないの?」
「ないよ。絶対、100点満点取れないように、意地悪問題が入ってるんだ」
「……修ちゃん、素直だから騙されるんだなぁ」
 裏を読みきれないのは確かだが、そこまであっけらかんと言われると悲しい。
 修吾はため息を吐いて、机の中のものを鞄に押し込む。
「あれ? 今日は帰るの?」
「うん。だから、勇兵も部活行きな?」
「あ、やべ。もうこんな時間か」
 黒板の上に掛かっている時計を見上げて、勇兵は慌てたように答案用紙を回収し、踵を返した。
 顔だけ振り返り、ニッカシ笑う勇兵。
「今日、家行っていい?」
「別にいいよ。父さんも帰ってこないだろうし」
「やりー☆母からさ、お礼渡してこいって言われたからさ、それも持ってきてんだ」
「学校で渡してくれてもいいのに」
「いけずだなぁ」
「何が?」
「ふっふーん。じゃね、またあとで〜」
 勇兵は楽しそうに笑ってそう言うと、跳ねるように軽やかな足取りで教室を出て行った。
 ふー、と息を吐いて、修吾は姿勢を正す。
 すると、それと同時に視線を逸らした女子が何人かいたのだが、修吾は特に気が付きもせず、ぼんやりと黒板の上の時計を見つめた。
 今日は帰ってから何をしようか?
 もう再来週から夏休みだし、やるべきこともそれほどない。
 けれど、残る気分でもなかったので、修吾はゆっくりと立ち上がった。
 まだ残っていた前の席の堂上ヒロトに「バイバイ」と声を掛けて、そのまま教室を出た。
 昇降口までゆっくりぼんやりと歩いていき、靴箱に上靴を入れ、スニーカーを出した。
 しっかりとスニーカーを履き、鞄を小脇に抱え直す。
「二ノ宮くん……?」
 その澄んだ声の主が誰なのかはすぐにわかった。
 修吾はドキドキしながらクルリと振り返る。
「今帰り?」
「うん。渡井、さんは……あ、スケッチ?」
 修吾は柚子の格好を見て、すぐに察したようにそう尋ねた。
 細い体に大きな画板と彩具袋、それに小さなバケツを持っていた。
「うん。今日は……比較的涼しいから、外の日に決定です」
「……そっか」
「……しゅ」
「ん?」
 柚子が何かを言いかけて、すぐに俯いてくたーと体の力を緩めた。
「渡井さん?」
「溶ける溶ける……」
 今日は涼しいと言っておきながら、いきなりそんなことを柚子が言った。
「?」
「二ノ宮くんも、描いてみない?」
「へ?」
「あ、暇なら、なんだけど」
「…………」
「わたしが、教えられることって、これくらいだし」
 その言葉に、勉強会の時のお礼かな? と心の中で呟いた。
「そういえば、結果聞いてなかった。どうだった?」
「……なんとか、全部赤点は免れました」
「そっか」
「数学があんなにまともな点数だったの、小学校以来」
 恥ずかしそうに柚子はそう言って笑った。
 はにかんだような笑顔に、思った以上に自分の心臓が跳ねた。
 なんとか表情には出さないように、修吾は優しく笑いかける。
「渡井さんは、授業中お絵かきしてなきゃ、たぶん、成績いいよ」
「……それは無理だよ……」
 柚子が修吾の言葉にふにゃーと肩を落として小さく答えた。
 修吾はクスッと声を漏らしそうになった。
 ここまであからさまに、これしかやりたくないんだ、と言い切れる人。
 勇兵もそうだけれど、本当に、それを真っ直ぐに言葉に出来る人は、羨ましい。
「そう言うと思った」
「うん。……で、来る? 来ない?」
 柚子は持っていたものを足場に置いて、靴箱に上履きを入れ、ローファーを取り出した。
 そっと白いローソックスに包まれた薄い足をローファーに差し入れて、トントンとつま先で地面を蹴る。
 しっかりと履いてから、また荷物を肩に掛け、こちらを見上げてくる柚子。
 修吾はゴクッと唾を飲み込んでから、きゅっと空いている手を握り締めた。
「たまには、いっかな」
「そう?」
「悪いけど、オレ、むちゃくちゃ下手だよ?」
「それでも別にいいよ」
「笑うなよ?」
「うん」
 照れから俯いて首を掻きながら柚子を見ると、柚子は本当に嬉しそうに笑みを浮かべていた。
 今更、彼女のノートのことを思い出して、余計にドキドキと鼓動が速まった。
 柚子は修吾の脇をすり抜けて、姿勢よく歩いてゆく。
 なので、修吾も少ししてから踵を返して、柚子の後ろをついて歩いた。
 少し距離を取って、不自然ではないようにのんびり歩く。
 時々、不思議そうに柚子がこちらを振り返ったが、修吾は何も言わなかった。
 舞の時はなんとも思わないのだけれど、柚子の場合は、異常なほど意識してしまう。
 ドキドキで少し上がった体温に、夏のやや涼しい風が優しかった。
 こんな少し歯痒くて、照れくさくて、けれど、こんなにも優しい時間があるのかと、修吾は思った。
 校門を出てしばらくすると、柚子が立ち止まった。
 修吾も何事かと足を止める。
 柚子が振り返って笑った。
「隣に来て。……これじゃ、お喋りできないよ?」
「でも」
「ここから行くところ、学生は来ないから。ね?」
「…………。わかった」
 柚子の声に、修吾はコクリと頷いて、小走りで追いつき、柚子の隣に並んだ。
「……二ノ宮くんと2人って、初めてだ」
 ほやぁんと彼女が笑い。
 修吾は、その言葉に異常にどぎまぎした。
 そんなことに、彼女は全く気が付いてもいないようだったけれど。



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