◆◆ 第2篇 残夏・見送る夏と隣のキミに ◆◆

Chapter1. 二ノ宮 修吾side



 夏休みを終え、気だるい暑さが徐々に和らぎだした9月。
 夏が終わりへと向かっていくことを惜しみながら、高校では文化祭や体育祭に関しての話をよく聞くようになる頃。
 修吾にも少しばかりの変化が訪れた。
「どういう気持ちの変化? 二ノ宮」
 図書室に入ったばかりのティーンズ小説の新刊をパラパラ捲りながら、舞が小声でそう尋ねてきた。
「何が?」
 修吾はすかさずそう返す。
「入部の件」
「……ああ。前から興味はあったんだ。入りたいと思ってたの、文芸部だったから」
 夏休み前に入部届を提出して、今日、文芸部の定例集会があり、出席したところ舞が驚いたように目を丸くしたのだった。
 文化祭に関する話が挙がり、小冊子を作るために、一人最低一作品仕上げることとなった。
 それとともに、展示が出来るようなものを一年が考えておくように、とも言われた。
 やる気のなさそうな部長だったので、その発言を聞いても特になんとも思わなかったが、よくよく考えてみると酷い話だ。
 面倒な作業は一年(しかも、たった2人しかいない)に押し付けで終了な訳だから。
「……ま、あたしは助かったけどね」
「ふ……そういえば、車道さん、文句ひとつ言わなかったね? 何か発言するかと思ったのに」
「あたしは話すの無駄なヤツに意見は言わない性質なの。面倒だし」
「面倒……ね」
 修吾は舞の言葉に苦笑しつつも、小品集をペラペラと捲っていた。
 文化祭出展用ならば、ある程度短いもののほうがいいだろうと、勉強がてらに手に取ったものだったが、かなり厳選された小品集で、思わず本気読みしそうになった。
 シャーペンをカチカチとノックし、持っていたノートにサラサラと文章を書き始める。
「何やってんの?」
「小学校の頃やらなかった?」
 舞が横から修吾のノートを覗き込んでくる。
「げ」
 そんな声を発し、呆れたように目を細める。
「まさか、それ全部……」
「うん、勉強のために写す。っていっても、この作品だけだけど」
「……二ノ宮ってところどころ訳わかんない人よね」
「そう?」
 修吾は特に気にも留めずにサラサラとペンを走らせる。
 読点・句点の置かれるリズム。
 言葉遊び。
 それでありながら、流麗で情感豊か。
 人にもしも読んでもらうのならば、こんな風に楽しい面も持っている短編のほうが面白そうだと、そう思いながら文章を写していく。
「二ノ宮、文章書くの好きなの?」
「…………うん。暗い?」
 修吾は少々躊躇ったもののなんとか頷いた。
 柚子のように爽快に言えないが、それでも、自分は頑張ったと思った。
「……や、暗くはないでしょ。むしろ、しっくりくる」
「そう?」
「あたしの見てる二ノ宮って、感じはする。明治とか大正とかの……ほっそい書生さんって感じ」
 舞はそう言うと、すぐに小説に視線を戻した。
 舞は……人に対する偏見があまりない人。
 けれど、他人からの奇異の目には敏感……なのに、気にも留めない顔をしている。
 そういう人に見える。
「車道さんは何書くの?」
「二ノ宮」
「何?」
「舞でいいわ」
「は?」
「同じ部にもなったし」
 長い睫毛越しに、すっと彼女の視線がこちらを向く。
 また、からかっている。
 そう感じて、静かに修吾は答えた。
「残念。その手には乗らないよ」
「何? その手って」
「照れない」
「ふっ」
 修吾の率直な言葉に、舞はおかしそうに笑った。
 近くで勉強をしていた男子生徒が迷惑そうにこちらを見たので、舞も笑うのをやめて咳き込む。
「ま、まままま、舞、さん。みたいな?」
「……やらないよ」
「そ?」
「うん」
「ふーん。じゃ、あたしは、ニノって呼ぶわ」
「へ?」
「修吾、は敵を作りそうで怖いからやめとく。昔、ツカのこと、勇兵って呼んだ時も大変だったし」
「??」
 困ったように目を細める舞。
 修吾はよくわからずに首を傾げて舞を見た。
 舞はふーとため息を吐いた。
「アイツ、意外ともてんの」
「……ああ、だろうね」
「だろうねって、わかるの?」
「友達だもん。良さはわかるよ。懐っこいから、無駄に人の気惹いてそうだし」
「あれは人畜無害なレトリーバーって言うのよ」
「ふ。あんまりな話だ」
 舞の言い分に修吾はクスッと笑い、すぐに本に視線を戻す。
 舞と話しやすい理由がわかった。
 彼女は、恋愛対象として、人を見ていない。
 だから、気やすい。
「シャドー」
「ん?」
「勇兵も呼んでることだし、シャドーで」
「……ああ。ま、あなたならいいよ」
 舞は本来の主旨を思い出したように頷いて、小説をペラリと捲った。
「読むの、早いほう?」
「ん? ああ、あたし、あんまり感情移入しないから」
「そっか」
「うん。だから、芥川龍之介とか? ああいうサラサラ書いてあるほうが好きかな。最初、言葉難しくてやめそうになったけど」
「ふーん」
「ニノは誰が好き?」
「宮沢賢治」
「へぇ……」
「彼のエネルギーと感性は、本当に凄いと思う」
 何よりも、こうありたいという信念を曲げずに生き抜いた人。
 過去に生きた小説家のほとんどがそうであるのだろうけれど、修吾にとってはそう見える人だった。
「シャドー」
「何?」
「武者小路実篤、おすすめ」
「え?」
「文章が平坦」
「…………」
「感情移入できなくてもいいから、一回読んでみて」
「作品は?」
「……そうだな……。『友情』とか『真理先生』っていうのもあるな」
「なんだか、くっさいタイトルね」
「ふっ、そだね」
 舞の言葉に、つい笑いがこぼれた。
 キパッと言うから面白い。
「展示、そういうのにしようか」
「え?」
「ニノ、詳しそうだし。高校生に読んで欲しい本のダイジェスト、おすすめ、みたいなの」
「図書委員の仕事じゃない?」
「上手くかぶらないようにやんのよ。頭使いなさい、優等生」
「ふむ……」
「あたしも、本読む機会が増えて文芸部っぽくなって一石二鳥よ」
 そう言って、長い髪をクルクルと指でいじる舞。
 修吾は手を止めて静かに言った。
「シャドーは、感想とか批評とか、コラムとか? そういうのが、合いそうだ」
 その言葉に舞がきょとんと目を丸くして唇を尖らせた。
「なにそれ」
「……代弁してもらうではなく、自分として書く、ほうが合ってそう」
「そう、ね」
 修吾は静かに微笑むと、小説を閉じた。
 学校にいる間に写すのは無理そうだったから、借りることにした。
「ニノ」
「何?」
「あたし、適当にやるつもりだったんだけど」
「うん」
「……真面目に書いてみるわ」
 珍しく照れたように俯いて、舞は髪をクシャッと掴むように掻き上げ、静かに言った。
 今度は修吾がきょとんとする番だった。
「どういう風の吹き回し?」
 適当に流すつもりであることは、察しがついていた。
 舞は要領のいい人だから。
「ま、ちょっとは変わらないとね」
「そっか」
「ええ」
 慣れないことを言ったせいか、舞は落ち着かないように髪をいじりながら、目だけ文章を追っていた。
 特に不思議には思わない。
 変わろうとすること。
 それは、人としての成長の第一歩だと思うから。
 自分以外にも、それを求める人がいたことを素直に喜ばしく思った。



 帰り道、日差しも和らぎ、半袖では涼しいくらいの風が吹いた。
 ああ、秋の風だ。
 修吾は静かにそう思った。
 暑さはまだまだ続くだろうが、季節は徐々に移り変わっているのだ。
 それを実感する瞬間が、夏をとても愛おしく感じる瞬間だと思う。
 春はあっという間に去り、夏は僅かな寂しさを残して秋に移り変わる。
 秋から冬へもあっという間で、紅葉を喜びながらも冬がすぐに笑顔でやってくる。
 ……そして、冬の中に微かな春を感じると、ああ、一年経ったのだと実感する。
 不思議なものだ。
 修吾は鞄を握り直し、ふー、と息を吐いた。
 自分が1センチ動いただけで、見える世界がこんなにも変わるのだ。
「修ちゃーん♪」
 突然後ろから懐っこい鳴き声が聞こえて、修吾はふと我に返った。
 察しがついて、抱きつかれるのをかわそうと警戒しながら振り返ったが、勇兵はタタタタッと駆けてきて、修吾の前で急停止した。
 黒のノースリーブTシャツに、下は制服。
 大きめのスポーツバッグを肩から引っさげ、嬉しそうにニィィィッと笑う。
 いつもこだわっている髪の毛が、汗で少しだけ落ちてきていた。
「修ちゃん、日程決まったよ!」
「へ?」
「大会の!」
 腕をジタジタ振りながら言う勇兵。
「ああ」
「1試合目、再来週の土曜日!」
 嬉しそうに勇兵は言って、ガッツポーズを決めた。
「レギュラーなの?」
「ん? まだ決まってないけど、取るよ」
「凄い自信だ」
「取れればいいなじゃないもん。俺は、取りたくて、やってるから」
 真っ直ぐな眼差しで、勇兵はそう言いきると、気合を入れるようにぐっと両拳を握り締めた。
 修吾はその様子を見つめて、優しく目を細めた。
 舞が勇兵は意外ともてると言っていたのを思い出す。
 わかると答えた理由はこれだ。
 確かに、多少軽はずみで子供っぽいところもあるけれど、勇兵は、有言実行の人だから。
 この溢れ出すパッションと、暑苦しいほどのエネルギーは、誰にも真似できないくらいに素直で正直で、羨ましくなるのだ。
「頑張って」
「うん♪」
「応援、行くよ」
 修吾がぽそっと言うと、勇兵は本当に嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
 人畜無害のレトリーバー。
 うん。その通り。
 修吾はついつい心の中で、舞の言葉に頷いてしまったのだった。



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