◆◆ 第2篇 残夏・見送る夏と隣のキミに ◆◆

Chapter2. 車道 舞side



 夏休み中。
 約束通り、清香と一緒に遊んだ。
 地元からは時間が掛かるが、電車で街に出て、ウィンドウショッピングをして、好きな曲を教えてもらい、1枚だけCDを買った。
 清香は中学までピアノを習っていたので、クラシックの曲に詳しかった。
 正直、聞いてすぐに眠くなる自信があったが、興味というものはそこで止めてしまっては先に進めない。
 舞の性質がわかっているからか、清香が選んだのは比較的聞きやすい曲の詰め合わせだった。
 その帰り。
 電車に揺られながら、空いた車内で2人はぼぉっと話をした。
 話す内容が内容だからか、いつも迷うように2人は機会を逸しかける。
「……聞きたいことがあった」
「うん?」
 車窓から差し込む夕日が、色素の薄い彼女の髪を透かす。
 清香は特に舞のほうを向くことなく、窓の外を見たまま次の言葉を待っていた。
 4人掛けの、対面式の座席に腰掛け、舞だけが彼女の横顔を見つめていた。
 疲れたのか、清香は少々眠そうに目を細めて、視線をふらつかせている。
「……どうして、気が変わったのか、聞きたかった」
「私だって、色々考えてる」
「あ、や、それは……わかるんだけど、さ」
「……単純に言ってしまえば」
 清香はそこでこちらを向いた。
 なので、舞は少々握る拳に力をこめた。
「拒絶された人はどんな気持ちだろうと、想像したところから始まったの」
「え……?」
「自分の嫌悪感のままに、言葉を口にしたはいいけれど……」
「…………」
「嫌悪するほどのものなのかなって、思った」
「……清香……」
 舞はどういう表情をすればいいのかわからずに、ただ清香を見つめることしか出来なかった。
 清香は赤いピン留めをパチリと音を立てて直す。
「……ただ、受け入れるのに時間が掛かるだけで、よく考えてみたら、それは普通の感情なのじゃないかと」
 真剣な目が舞を映す。
 恥ずかしくなるくらいに、真っ直ぐに。
「常識って、自分が決めてしまうものだから」
「…………」
「でも、その常識に沿わないものが間違っているかと言えば、それは違うことも、わかるし」
 ……自分は”普通じゃない”と。
 舞は、ずっと思ってきた。
 柚子にあの日”出会う”までは。
 けれど、それは柚子の世界での普通で、舞のいる狭い世界が、それを”普通”と判定することはない。
 それは当然で、仕方のないことだと思っていたのだ。
 けれど、間違っているのはどちらなのか。
 舞は間違っているつもりはない。
 けれど、きっと世界も間違っていない。
 ……結局、正解など、この世界にはないのだ。
 正解はない。
 けれど、囚われる。
 人間は、括りというものが、本当に好きだから。
「出来るかはわかんないけど、自分の枠を、取っ払うことは出来ないだろうかと」
 静かに清香は言う。
「努力を、してみようかと」
「あのさ」
「うん」
「その努力っていうのは、どういう努力? あたしを理解する努力? それとも、こういうことを認める努力?」
 舞はハキハキと尋ねた。
 頭はテンパッているのに、言葉は嘘のように鋭く綺麗に発される。
 清香はそれを聞いて、少々困ったように微笑んだ。
 ……舞は彼女を困らせている張本人だ。
 こんなことをキッパリ言う立場では、ないのかもしれない。
 けれど、聞かずにはいられない。
 聞かなければ、距離を測りかねる。
「それほど愛しているなら、シンデレラの王子は、どうして自分で彼女を探しに行かなかったのか」
 清香が突然そんなことを口にした。
 舞はきょとんと目を丸くする。
「落としていった靴、それだけを手がかりに探すなんて、王子は彼女の顔を覚えていなかったのか。それなのに、ここで熱烈に愛を語って、調子のいい男にしか見えない」
 舞はその言葉で、ようやく思い出す。
 自分が、感情移入できずに何度も何度も考えた箇所。
 元々、作品から感情を読み取ろうとしない舞にとって、演劇の主役というのは、思っていた以上に大役だった。
 半ズボンタイツも、正装もよく似合ったけれど、演技だけがぎこちなかった。
 あまりに上手く出来ない舞を見かねて、清香が自主練を手伝ってくれた時のことだ。
 舞の言葉に、清香はやんわり笑って答えてくれた。
 舞が当時の清香の言葉を思い出しながら口にした。
 返ってくるのは当時の舞の言葉。清香はスラスラと言ってのけた。
「王子は、どこの誰かもわからないシンデレラを正妻として迎えるために、王様と戦っていた。そう想像したら、かっこよい人にならないかな?」
「元々花嫁選びの場でしょうに」
「花嫁選びの場だった。でも、王様は画策をして、王子が気に入るような身分の高いお嬢さんをたくさん呼んでいたに違いないのよ」
「ふーむ」
「王子の視点に立つことって、そんなにないと思う。だからさ、くーちゃんは自由に想像して、作っていいんだよ」
「苦手なのよね、そういうの」
「……お姫様は女の子の夢だけど、王子様だって、夢の塊であるべきじゃない?」
「清香の、そういう夢見がちな視点……とっても羨ましいわ」
 そこまで言って、清香はクスクスと笑いをこぼした。
「私、あの時、嫌味を言われたのかと思ったよ」
「や、あれは……」
「うん、違ったのはすぐわかったよ。くーちゃん、切り替えが早かったし、それに、台詞もアドリブでだいぶ変えたじゃない? シーンだって、突貫工事で無理やり変えさせたり……。いつでも、くーちゃんは投げやりなようでアクティブ。真面目だけど消極的な私とは、ホントに正反対」
 ふんわりと彼女が笑う。
 彼女のあの時の言葉は、とても、心に響いたのだ。
 夢の塊。
 あほらしいけれど、それでも、それを求めている人がいる。
 ならば、納得の行く形で、格好のいい王子を作り上げてやろうじゃないかと。
 その気にさせたのは、彼女だ。
 まさか、その後半年間、女子モテ地獄に突入するとは、あの時は露と想像もしていなかったのだが。
「正反対なのに、居心地はいいの」
 溜めて溜めて、清香は言った。
「居心地の悪さが、我慢できなかったのも、あるんだよ。この結論に至ったのは」
 舞はすっと目を細めて、彼女の手を見つめた。
 落ち着かないように指が微かに動いている。
「今は、認めるので精一杯。その先は、保証できない……答えに、なってる、かな?」
『傷つけるかもしれない。傷つくかもしれない』
 あの時の言葉が過ぎった。
 あの言葉は、相当の覚悟だと、舞は思った。
 消極的な彼女が、出来るだけ重くならないようにすかっと言い放った言葉。
 大切な、言葉。
「……うん」
 こくりと頷きも加えた。
 舞は少し間を置き、ゆっくりと視線を清香に戻す。
「傷つけて、たくさん」
「え……?」
「あなたの厳しさを受け取った時から、覚悟は出来てる」
 舞は静かに言い、清香の手を取った。
 ビクリと清香の手が震える。
 その先に待つのが、どんな結末か知れない。
 ハッピーエンドか、さよならか、ただただ果てなく続く平行線なのか。
 それはわからない。
 けれど、行き着く先で、舞は必ず胸を張ろうと思う。
 自分は、本当に大切な人に出会った。
 大切な恋をした。
 大切な友人を持てたことを、誇りに思うと。
 勿論、一番最良の答えを思い描かないわけではないけれど。
 それを大きく期待できるほど、自分は、強くはなかった。



 図書室帰り。
 修吾の言っていた本も確保して、舞は教室に戻るところだった。
「あ、舞ちゃんだー」
 パタパタと足音を立てて、柚子がスケッチブックを抱き締めた形で駆け寄ってきた。
「柚子のところは、やっぱ作品展示?」
「ん? ああ、文化祭?」
「そ」
「うん♪ わたし、無駄にたくさん描いてるから、3つくらい飾るかもって」
「ほぉ……それは楽しみ。ニノの絵はあるのかな?」
「え、え? ニノって二ノ宮くんのこと? な、ないよ。あるわけない」
「超必死ね」
「う」
 舞が楽しそうに目を細めるのを見て、柚子は上目遣いでこちらを見、まるでにらめっこのように目を逸らさない。
 舞はそれを見て、ポンポンと柚子の頭に触れ、にっこと笑った。
「こっちは販売用小冊子の作成と、展示の準備があるよ」
「そっかぁ。舞ちゃん残念だね」
「何が?」
「活動がないから入ったんだったよね?」
「文化部だもの。文化祭くらいは覚悟してたって」
 柚子の言葉がおかしくて、すぐにそう返し、持ってた本を柚子に見せた。
「これ、読む?」
「え……わたし、活字は頭が痛くなるから……」
「ニノにおすすめされたのよね」
「え、なんで二ノ宮くん?」
「彼、文芸部員になったから」
「え?!」
 柚子が本当の本当に驚いたようで、三つ編みまで跳ねさせて声を上げた。
「そこまで驚くか」
 舞は目の前の可愛い友人を見つめて、優しく目を細める。
「だって、全然そんなの、聞いてな……」
 そこまで言って、はっと口を押さえる柚子。
「ふーむ」
 舞は細い顎を撫でて、考え込むように天井を見上げた。
「今の会話は、何かあったように聞こえますねぇ」
「ない」
 柚子は素早くそう言い切り、スタスタと舞の横をすり抜けていく。
「柚子」
「ない」
「柚子さーん」
「ないもん」
「敵多いぞ、気をつけろ!」
「何もないってばぁ」
 舞の声が少しずつ大きくなっていくのに耐え切れなかったのか、泣きそうな顔で振り返る柚子。
 舞は小首を傾げて、にんまりと笑う。
「安くしとくよ、お嬢さん」
「安くされるようなこと、してない」
 態度がそうは言ってないのだ。
 本当に、柚子は可愛いのだから。
「なら、教えて。大丈夫。あたし、口は堅い」
「…………」
 柚子は疑るように舞を見、けれど、真っ直ぐな視線に根負けしたように、こちらへと戻ってきた。
「登校日に」
「うん」
「宿題が終わらないって、言ったら」
「うん」
「教えてくれるって、言うから」
「うん。お泊り?」
「じゃないって! 舞ちゃん、わたしで遊んでるでしょ?!」
「うーん。惜しい」
「なにがですかー?!」
 本当に、紅潮した顔で涙ぐむ柚子が面白くて仕方がない。
 彼女なりに、恋はしているんだと思って、ほっとする。
「あたしは、柚子をアイシテルだけ♪」
「……うぅ、こんな愛は要りません」
「あらほんと? 残念」
 舞は笑いながらそう言って、すぐに、
「で?」
 と続きを促した。
 柚子は警戒するように唇を尖らせて、周囲を見回し、ふーと息を吐いて吸った。
「一週間くらい……二ノ宮くんの家に通って」
「通い妻?」
「…………。わたし1人で行ったから、春花さんにも喜ばれちゃって……気まずくなりながら、全部宿題終わらせた」
 舞の茶々に突っ込むのが疲れたように、まさに諦観……という言葉が似合うような表情をした後で、さっさと結論まで言ってしまった。
 舞はそっと目を細める。
「特に何も?」
「あるわけないよ。二ノ宮くんは、良い人だから、わたしが困ってるの見て、見過ごせなかっただけだろうし」
「ふ、ふ、ふ」
 この鈍感カポーほど、見てて楽しいものがあろうか。
 舞はわざとらしく口元を押さえて、笑ってみせる。
「? 根気がいいっていうか、ひとつも答えを見せることなく、丁寧に教えてくれて」
「真面目だ」
「……おかげで、休み明けテストは点数良かったです」
「ニノがいれば、柚子さんは赤点取らなくて済みそうね」
「う……でも、頼りっぱなしも、ちょっとなぁ……」
 柚子は困ったように首を傾げ、うーんと唸った。
「ま、程々にいこ」
 舞は柔らかくそう言って、柚子の肩をぽんと叩く。
 柚子が舞を見上げて、不思議そうに小首を傾げた。
 カーと烏の鳴き声が遠くでする。
「……何か、あった? 舞ちゃん」
「へ?」
「なんだか、可愛い」
「…………」
 いきなり言われて、舞は動きを止めた。
 髪を掻き上げて、ため息を吐く。
 顔が熱くなったのを感じた。
 なので、ひらひらと顔を仰ぎ、目を細める。
「唐突ねぇ」
 柚子はその言葉に笑顔になった。
 舞はその笑顔を見て、再びため息を吐いた。
 まるで、ようやく1つカウンター出来たとでもいうように、柚子はふっふんと得意そうに笑うのだった。



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