◆◆ 第2篇 残夏・見送る夏と隣のキミに ◆◆

Chapter3. 二ノ宮 修吾side



「怪我してる……?」
 ゼェゼェ言いながら修吾は静かに勇兵に声を掛けた。
 それは騒がしい球技大会の最中。
 サッカーの試合で、修吾のクラスと勇兵のクラスが当たった時のことだった。
 勇兵とは体育が一緒で、彼の運動神経の良さはよく知っていた。
 特に仲は良くなかったが、なんとなく目に付いて、そう言ってしまった。
 理由なんて簡単だ。
 運動神経普通の自分が、勇兵からボールを奪えるなんてコトが、まずあるはずないと思っていたから。
 敵側のゴールサイドで、ボールがあっちこっちと行き来している。
 それを眺めながら、勇兵はニッカシ笑って言った。
「いんや。すげーね、二ノ宮くん」
「…………」
「はああ。疲れちった……。でも、優勝するって決めたからねー」
「無理しなくてもいいんじゃない? たかが、行事だし。……怪我してるならなおさら」
「限界ってさ、あると思う?」
 勇兵はにこやかに笑いながらも、声だけはしっかりと腹から絞ったようないい声を出した。
「……え……?」
「好きなことにかけては、俺は限界なんて言葉認めないんだ。天井はぶち破っちまえばいいと思わねぇ? そうすれば、その先には空があるよ」
「……はぁ」
 修吾はどうしてそこまで勇兵がやる気でいるのかわからずに、少々気のない返事をした。
 運動で溢れてきた汗が不快で、修吾はグイと額を拭った。
「天井の先に、青い青い空があることを知るためには、多少の苦行はなんでもないんだ。むしろ、快感? ああ、俺って頑張ってる……みたいな?」
「マゾヒストだね」
「くはっ。Mってこと?」
「……うん」
「まぁねぇ。そっかもね。スポーツマンなんて、誰でもそうじゃん?」
 勇兵はさわやかに笑って、すぐに思い出したように肩を震わせる。
「どうしたの?」
「ん? そっか、俺はMかって思っただけ」
「それがそんなにおかしいの?」
「うん♪」
 白い歯を見せて笑う大型犬。
 修吾はよくわからずにただそんな勇兵をマークし続けるだけだった。
 結局、勇兵のクラスは、優勝は出来なかったけれど、1年にしては大健闘で、3位入賞を果たした。
 彼のクラス自体のポテンシャルが高かったのもあるだろうけれど、勇兵のゴール数は、全クラス中1番だった。
 ……ただし、球技大会後の体育を、勇兵は捻挫で見学した。
 目に見えて痛そうにひょこひょことびっこを引き、修吾と目が合うと、苦笑してみせた。
 思い返せば、それからだったろうか。
 彼が修吾の元を訪れるのがまるで習慣のようになったのは。



 書く題材も決まり、修吾は書いては消し、書いては消しを繰り返していた。
 以前まで教室で書くことを常としていたけれど、今ではすっかり図書室が居心地がよくなってしまった。
 受験勉強に勤しむ学生も多いし、個人用のボックス席もあるため、カモフラージュするにはこちらのほうが勝手がいいことに、入学して約半年で気が付いたのだった。
 とはいえ、教室は教室で、刺激となって書ける部分もあり、捨てがたいところではあったのだけれど。
 今日も今日とて、脇にはなぜか舞がいた。
 彼女は最近専ら小説を読み耽っている。
 何があったのかは特に聞かないけれど、教室でも読んでいるのを見かけるほどで、漫画しか読まないと言っていた彼女を今では想像するのが難しい。
「そういえば、シャドー、『友情』読んだ?」
「……ええ」
 パラリと隣でページを捲る音。
 修吾も原稿用紙を1枚捲った。
「どうだった?」
「……うーん。読んでいる状況によって、感じ方の違う作品なんじゃないかと、思うわ。……まぁ、小説でも漫画でもなんでも、そうなんだけどさ」
「うん。時が経った時、ふと読んで、新たな発見が出来るものにオレは憧れるんだ」
「書いてみたいんだ?」
「……うん。そ……う」
 はっきりと言い切ることに照れているような言葉に舞が笑いをこぼした。
 けれど、特に何も言わずにポソポソと言葉を続ける。
「あたしは、この作品のタイトルは『杉子』でいいのじゃないかと思った」
「杉子? ヒロイン?」
「……ええ」
「ああ、まぁ、なんとなく、分かる気もするよ」
 修吾は目を細めて少し考える。
 なんとなく、舞の見解に興味が沸いたのだ。
 書く振りをしながら、舞の言葉に耳を傾ける。
「野島の見ていた杉子と、本当の杉子って言ったらおかしいかもしんないけど、そこのギャップっていうの? この作品って、そこもひとつの目玉でしょ。だから」
「……そっか」
「恋に恋している野島は、本当にロマンティストで頑固で、一本芯が通っていて、でも、決して前に出られるような器量は持ち合わせてなかった。全部、自分の描いた世界で、全部自分の描いた杉子で、……結局自分の好きなように思い描く恋の世界をずっと突き進んだ初心な青年」
「……うん」
「でも、あたしは好感持てたわ」
「へぇ」
「意外?」
「うん。まだるっこしくて、自分勝手なタイプは嫌いかと思ってた……」
「嫌いよ」
「ふっ」
 サクッと言う舞に、修吾はつい噴出した。
 本当に、彼女の言い方というのは、あまりにもさっぱりしすぎているせいか、全く後味が悪くない。
「恋をすれば、誰しもそうなるでしょ。それはそれで、その瞬間の、その時間の、……その時しか持てない自分勝手さだと思うのね。現実問題うざいけれど」
「現実問題はね」
「……で、それに対して、親友の大宮、だっけ?」
「うん」
「アイツ、あたし大嫌いだわ」
「そうなんだ……?」
「ええ」
 そこで修吾は舞に視線を向けた。
 舞はパラパラと小説を捲り、再び読んでいたページに戻る。
 なにか、辻褄が合わない部分でも見つけたのかもしれない。
「正直うざい」
「はは。どんなところが?」
「何様? って感じのところ」
「…………」
 そこで舞が小説を置いて、修吾を真っ直ぐに見据えてきた。
「頭も良くてスポーツマンで、人間も出来ててさ。だから、どうしたって思わない?」
「うーん……ぼ、オレは、大宮は理想の男だと思ったからなぁ」
「親友にさ、アイツのことを好きになってやってくれなんて、裏でやり取りされてたことを知ったら、そん時の衝撃ってホント、どんだけだろうってあたしは思ったけどね」
「ああ、まぁね」
「しかも、自分から決して言いに来ないで、公の目に触れる雑誌にそのやり取り全てを載せて、あとはお前が好きなように裁いてくれって? はっ。笑わせる」
 舞はそこでクシャッと髪を掻き上げた。
 少々声が大きくなりそうになったのを押さえるように、机に頬杖を突き、続けた。
「そこは、野島に会いに来て、こうなったからって言うか、俺も杉子が好きなんだって、言うべきところじゃないの? コイツの言ってる友情は、理に適ってないのよ。野島が見ていた大宮の誠実さなんて、本当にどこにもありはしない。本人も自覚はしていたようだったけどさ、自覚しててもそれを貫いちゃうあたり、迷惑な奴」
 野島の自分勝手さは認められるけれど、大宮の自分勝手さは認められない、ということらしい。
 確かに、道理には合っているけれど。
 でも、その後、野島は大宮に手紙を送ったのだ。
 修吾は、そこに本当の『友情』を見たように思った。
 だから、あの作品のタイトルはその通りそのままなのだと。
「……そういう見方もあるよね」
「感情移入しないつもりだったんだけどね、あまりにもあたしの嫌いなタイプで、イラッとしちゃった」
 舞はそう言って、苦笑してみせる。
 修吾は少しだけ黙って、けれど、その後に、やんわりと言った。
「それはきっと……シャドーが、恋をしているからだ」
 言った瞬間、自分でも何を言ってるんだろうと思った。
 そして、言葉にした瞬間、耳の辺りが痒くなってきて、俯く。
 舞も困ったように黙り込んだ。
 いくらか時間が経って、舞が髪の毛をいじりながら、再び話し出す。
「誠意には誠意で。一応、あたしのポリシーだからかな……だから、杉子が許せなかった」
「…………」
「確かに、野島の杉子想像図の凄さは、異様だったけどさ。でも、そこからギャップを知って、好きになるか興醒めするかは、なってみなくちゃわからない。彼と結婚することは絶対にないと言い切る杉子もね、酷い女よ。……男の人を立てなくちゃいけない時代だったって言っても、もっとやりようはあったんじゃないの?」
「まぁ、ね」
「恋愛の話だから、誰が悪いと一概に言い切っちゃまずいんだろうけど、なんというか、こんな感じかな、あたしが思ったのは」
「そっか。でも、結構いいでしょう? 作品を読んで色々考えるって」
「そうね。ただ、読むだけよりは得たものがあったように思うわ。読後感は悪くなかった」
「……それならよかった。悪い感想しかないからひやひやした」
 修吾がそう言うと、舞はおかしそうに笑みを浮かべた。
「口が悪いのは元々。気にしなくて平気。それに……」
「?」
「それだけ熱くなれる人間像を作り上げてるってことよね。好きや嫌いって感情は、興味の沸いた証だし」
 修吾から視線を外して、長い睫を伏せる舞。
 本当に美人で、その横顔は女子なら誰もが羨むであろう透明感があった。
 修吾は静かにその様子を見つめて、優しい声を出した。
「……うん……。だから、好きなんだ、この作品」
「なるほどね」
「宮沢賢治は、そういう括りの描写はないからさ。全てに優しい感じがしてしまって」
「でも、その世界観が好きなんでしょう?」
「……うん。本当に、優しさを感じるから、ね」
 修吾はにっこり笑ってそう言うと、コホンと咳き込んだ。
 素直に語ってしまったことが照れくさくなったのだ。
「ニノは、どんな作品を書くのかな」
「どんなだろうね。きっと、読み手しかわからないものだ」
「その人の作品の良さ?」
「うん。良さは自分では探さない。粗だけ探して、書く。……もしも、読んでくれるのなら、オレに教えて欲しいな。オレの良さも悪さも」
「…………。あたしは構わないけど」
「うん」
「でも、一番は柚子さんにして」
 舞はそう言うと、こちらを向いてニコリと笑った。
 本当に柔らかく、可愛く笑う舞。
 気がなくても、さすがにドキリとした。
 美人の笑顔は、凶器だ。
「な、なななな、なんで、渡井?」
「おやおやー。いつの間にか、『さん』がなくなってる」
「よ、呼び方なんて別にいいだろ?!」
 思わず、舞の言葉に大声を発してしまった。
 図書室中の視線が、修吾に集まり、余計に真っ赤になった。
 縮こまって、机に突っ伏す修吾。
「シャドー……」
「ホント、面白いなぁ、ニノは」
「……オレは、お前の玩具じゃない……」
 クッと唇を噛んで、搾り出すように言うと、舞はクスクスと笑った。
 いつものように手の甲で口元を押さえて、気丈そうな目が柔らかくなる。
「玩具だなんて、思ってないよ」
「……嘘くさー」
「まぁ、スキなだけね。あなたみたいなの」
 そっと目を泳がせた後、目を閉じ、そう言う舞。
 言った後に少しだけ髪の毛をいじる。
「あ、枝毛……」
 ポツリと発された言葉に、修吾はただ彼女の細い肩を見ただけだった。



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