◆◆ 第2篇 残夏・見送る夏と隣のキミに ◆◆

Chapter5. 二ノ宮 修吾side



「修ちゃん修ちゃん、米持ってない?」
 勇兵がいつものごとく突然現れて、ぎゅうっと後ろから抱きついてきた。
 修吾はすぐに勇兵の手を除けながら静かに言った。
「今日は学食の予定。だから、ない」
「…………ちっ…………」
 小さな舌打ちが耳元でして、修吾は笑う。
「何? お腹減ったの?」
「うん……」
 その返事とともにぐーぎゅるるるーと盛大に勇兵のお腹が鳴った。
 けれど、修吾は本当に何も持っていないので、何も反応を返せなかった。
 すると、修吾の隣の席の女子がこちらを向いて、ポッキーの箱を差し出してきた。
 修吾は驚いて目を丸くする。
 勇兵は特に動じずにニィィと笑った。
「くれんの?」
「うん、どぞ」
「サンキュー! 助かったぁぁ」
 そう叫んで素早くポッキーを受け取り、パリパリッとパッケージを開ける。
 ようやく、修吾の肩から勇兵の重みがなくなった。
 修吾はふーと息を吐いて、腕を回し、その女子を真っ直ぐに見つめて、頭を下げた。
「あの、佐川さん、ありがと」
「え、あ、いや、その、そんなに高いもんでもないから、そんなに気にしなくていいよ」
 ポポポポッと女子の頬が赤くなったので、修吾も恥ずかしくなって、すぐに勇兵のほうを向いた。
 勇兵はポッキーを10本ほど口に含んでモグモグと口を動かしていた。
「勇兵、お前ね……」
 そう口を開いた瞬間、勇兵が差し出してきたポッキーが口に入る。
 なので、カシカシとリスのように噛み砕いて、モグモグと口を動かした。
「全く……お弁当は?」
「朝練で食べた」
「……頑張ってるんだ」
「おぅ! 何せ、明日だからね!!」
「レギュラーは、取れそう?」
「あ、言ってなかった! 一応、俺で確定したの! 今回はリベロ」
「リベロ?」
「うん。拾うの専」
「へぇぇ」
 勇兵がアンダーパスのフォームでクイクイと腕を動かすので、そこで理解したように修吾は頷いた。
 ちょうどその時チャイムが鳴った。
 勇兵が慌てて立ち上がる。
「しまった。和みすぎた!」
 ガラガラッと教室の戸が開いて、次の授業の教師が入ってくる。
「ん? 教室、間違えて、ないよな?」
 勇兵の姿を見て、そう言う教師にクラスメイトたちがどっと沸いた。
「塚原、さくさく教室戻れ、馬鹿もん!」
「すんませーん」
「……お前、その手に持ってるのはなんだ?」
「あ、俺、パッケージ集めてるんですよー」
「見え透いた嘘を……」
「中身ないんで見逃してくだっさいー。んじゃ♪」
 白い歯を見せて笑い、ヒラヒラと手を振って、タタタタッと教室を出て行った。
 修吾はそれを見送り、素早く机から教科書を取り出した。
「全く、アイツはどこのクラスの奴だかわからんなぁ」
 その教師の言葉に、再び教室が沸く。
 修吾は少しの引っ掛かりがあるような気がして、もう一度勇兵の出て行った戸を見る。
 見たところで、何もないのは分かっているのだけれど……。
 気づかなくてはいけない何かを、見逃したような……そんな気がした。



 ヨーグルト。
 生姜焼き弁当を手に取って、その後、それが浮かんだ。
 大好きではないが、時折食べたくなる不思議な奴。
 甘くないプレーンタイプがいい。
 そっと手を伸ばすと、最後の一個だったプレーンタイプにほぼ同時に手を伸ばした女子がいた。
 すぐに修吾は手に急ブレーキを掛ける。
 色素の薄いふわふわ髪の……堂上ヒロトが可愛いだの、タイプだのと騒いでいたから、顔は知っていた。
 けれど、名前までは思い出せない。
 その女子も伸ばしていた手を止めて、こちらを見上げてくる。
 背は……修吾より5センチほど低い程度。
「どぞ」
 修吾はぽそっとそう言い、踵を返した。
 けれど、くいっとシャツの裾を掴まれて立ち止まり、振り返る。
 修吾のシャツの裾を引っ張れる女子なんて、舞と柚子くらいだ。
 なので、若干怯む。
 その女子はほんわり笑って、ヨーグルトを手に取り、修吾の生姜焼き弁当の上に乗せてきた。
「え、あの……」
 突然のことに、修吾は仏頂面を更にむすっとした形にして、首を動かした。
 本当は困っているのだが、それが相手にどう伝わっているかはわからない。
「どぞ」
 その女子は柔らかく笑い、小首を傾げてそう言うと、すぐにストロベリー味に手を伸ばした。
「私、ヨーグルトはどれでも好きだから」
 おっとりーとそう言うと、再び修吾の顔をジッと見、にこっと笑った。
 な、なななななな、なんだ、一体?
 舞の物真似通りの要領で、言葉が心の中を飛び交う。
「二ノ宮くん?」
「へ……? あ、うん」
「二ノ宮シュウゴくん」
「うん……」
 もしかして、変なのに捕まったのかな……?
 なんとなく、そんな言葉が過ぎった。
「覚えてない?」
「え? な、何を?」
「そっか」
 彼女はマイペースに納得して、全くの状況説明もなしに去っていった。
「なんだよ……あれ……」
 修吾は小さな声でぽつねんと呟き、財布を持っていたほうの指で軽く頭を掻いた。
 会計を済ませて、テーブルに弁当を置く。
 ガタッと椅子を引いて、丁寧に腰掛けた。
 ちょうど目の前に幸せそうな顔でプリンを食べている、三つ編みっ子がいた。
「渡井」
「あ、え、あ……しゅ、に、二ノ宮くん」
 柚子はわたっと体を動かして、コトリとプリンの容器を置いた。
「もう、食べ終わったの?」
「え?」
「だって、それ、デザートでしょう?」
 修吾の言葉に、とても居心地の悪そうな顔をする柚子。
 なので、修吾は弁当の蓋を開けながら、彼女の顔を覗き込んだ。
「違うの?」
 ちょうどそこに定食の乗ったプレートを持って、舞がやってきた。
 当然のように柚子の隣に座り、修吾に向かって何かを企むような笑みを浮かべてみせる。
「どしたの、シャドー」
「いやー。話したら、柚子さんに怒られるのかなぁと思いつつ、でも罵られるのもそれはそれで快感かと思いつつ」
「ま、舞ちゃん……」
「とりあえず、シャドーが変態になってきたのはわかったよ」
 話したそうな舞を必死にすがりついて止める柚子。
 修吾は静かに笑ってそう言い、パチンと割り箸を割った。
 モクッとご飯を口に含み、咀嚼。
「ニノってさ」
「?」
「前から思ってたけど、食べ方リスに似てるよね」
「ぶふっ。ごほっごほ」
 舞の発言に修吾は咳き込んで、口元を押さえた。
 とりあえず、外界には飛ばしてないことだけ確認する。
「……頬袋」
「ない」
「こう口いっぱいに物を入れる感じがね……」
「うるさい」
 修吾は赤くなり始めた顔を誤魔化そうと、弁当を持ち上げてガツガツと食べ始めた。
「柚子さん、ニノのためにダイエット中なのに〜」
 修吾の動揺した顔が拝めなかったのがつまらなかったのか、舞はすぐにそんなことを言った。
 修吾は驚いて、箸を止めた。
 ……それに加えて、若干、近くにいる男子の手も止まったように感じた。
「舞ちゃん、話を広げないでよ。私はただ……ちょっと食べる量減らしてるだけで……! 二ノ宮くんのためとか、完全なでっちあげやめてよ」
 柚子が舞の腕をぶんぶん振りながら、小声で諌めるように言った。
 そのおかげか、周囲の男子の殺気がすぐに和らいだ。
 ……人気者だ、渡井。
 そんな言葉が心を過ぎる。
 暑さとは違う汗が伝って、ちょっとひやひやした。
 舞が仕方なさそうに目を細めて、オムレツ定食を食べながら、周囲にあまり聞こえないような声で話し出した。
「だって、柚子さん、面白すぎるんだもん」
「な、なにが……?」
「大好きなプリンは食べたいからって、お昼プリンだけなのよ? あほでしょう?」
「あほって言わないでぇぇぇ……乙女心だよぉ、わたしだって必死だよぉ」
 あうあう言いそうな表情で、周囲を気にするように声だけは潜めながら、そんなことを言う柚子。
 修吾もさすがにその話では、プッと噴出した。
 手の甲で口元を押さえ、クククッと笑う。
 周囲で聞き耳を立てているであろう男子たちには、そのやり取りは聞こえていなかったようで、若干背中に圧迫感を感じた。
 修吾があんまり笑うからか、柚子が少々むくれてみせた。
「そんなに笑わなくても……」
「いや、だって、……あんまりにも幸せそうに食べてたもんだから……、納得というか、なんというか……可愛いなぁ、渡井……ぁ」
 言った瞬間慌てて口を押さえたけれど、出てしまった言葉が消えるはずもなく、柚子の顔があからさまに紅潮していく。
 それを見て、修吾の顔もだんだん熱くなってきた。
 柚子はプリンの容器を手に取って、再び食べ始める。
 だけれど、先程の幸せそうな表情はなかった。
「あの、渡井……」
「柚子さん?」
 舞もさすがに心配になったのか、箸を置いて柚子の顔を覗き込んだ。
 ポタポタッと柚子の目から涙がこぼれる。
 それを見て、舞は周囲にあまり悟られないように椅子を引き立ち上がって、柚子の手を取った。
 修吾も焦って立ち上がり、ヨーグルトと財布だけ持って後を追った。
「渡井、ごめん。オレ、なんか不味いこと言った?」
 フルフルッと柚子の三つ編みが首の動きと一緒に揺れる。
「気にしないで……」
「でも……」
「なんでもない、から」
「ホント?」
「……うん……」
 手にはしっかりとプリンの容器を握り締めて、柚子が笑う。
 気持ちはひやひやして焦っているのに、プリンを握り締めながら、涙ぐんでいる柚子はとてつもなく滑稽で、すぐにおかしさがこみ上げた。
 舞も同じことを感じたのだろう。
 すぐにクスクスと笑う。
「柚子さん、プリン命過ぎ……!」
「だ、だってぇ……」
 恥ずかしそうにもじもじしながらも、その場で再びプリンを口に含む柚子。
 渡り廊下から涼しい風が入ってきて、その風が舞の髪をなびかせた。
 修吾は2人のやり取りを見つめてぼんやりとした空気に飲まれたが、勇気を出して口を開いた。
「あの、さ」
「?」
「明日、勇兵、新人戦一回戦なんだって」
「へぇ。出るの? アイツ、一年じゃん?」
「出るって。レギュラー確定って喜んでたから」
「そう、なんだ」
 舞が目を細めて、何か考えるように口元に手を置いた。
 なので、柚子が次を促してくる。
「それで?」
「オレ、応援に行く約束したんだけど……渡井、も……あ、渡井とシャドーもどうかなって思って」
 修吾は慌てて本音を取り消して、舞もメンバーに加えた。
 舞がすぐに手を横に振る。
「あたし、パス」
「え……? 行かないの? 舞ちゃん……」
「約束、あるから」
「ああ……そっか」
 修吾は舞に断られたので、柚子も駄目だと思い、すぐに口を閉ざした。
 柚子が2人を交互に見、困ったようにプリンを口に含んだ。
 少しの間、沈黙が流れる。
「行っといでよ、柚子さん」
「え?」
「行きたいんでしょ?」
「え……っと。うん、バレーの試合って、見たことないし」
「……そうじゃないだろ……」
 柚子が上手く言い繕おうとしているところに、舞がぽそっと小声でそんなことを言う。
 修吾は顔を上げて、柚子を見つめた。
「えっと……うん、わたし、行ってみたいな」
「はい、決まり。行ってらっしゃい、観戦デート」
「デ……?!」
「ちが、違うだろ、これは」
 慌てたように修吾がブンブンと手を振る。
 けれど、舞は全く動じることもなく、にっこり笑うだけだった。
 柚子が落ち着かないように、三つ編みをいじりながら、こちらを見上げてくる。
 修吾は気恥ずかしくなって、目を逸らした。
 ただ、言いたいことだけは伝えようと口を開く。
「それで、ちょっと……見てもらいたいもの、あって……」
「え?」
「試合の後、時間、いいかな?」
「……う、うん。なんだろな。楽しみ」
 柚子はふわんと笑ってそう言うと、壁にもたれてプリンの残りを食べ始めた。
 舞があからさまにこちらを見て、楽しそうにニヤニヤ笑っているので、修吾も視線で対抗した。
 馬鹿真面目な顔が面白かったのか、すぐに舞がクックックと笑い、その様子を柚子が怪訝そうに見つめていた。



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