◆◆ 第2篇 残夏・見送る夏と隣のキミに ◆◆

Chapter6. 車道 舞side



「全く。何泣いてんの……焦ったじゃない」
 放課後一緒に帰りながら、舞はため息混じりにそう言った。
 柚子がスケッチブックをぎゅっと抱き締めて、居心地悪そうに細い肩を強張らせている。
「だ、だって……酷いよぉ、舞ちゃん」
「……うん。デリカシーなかったわね、ごめん。柚子なら大丈夫だと思ってたのよ……調子乗りすぎた」
「…………」
 まだ警戒するように、柚子は舞をじっと見据え、その後、俯いてポソリと言った。
「……だめだなぁ、わたし」
「ん?」
「舞ちゃんのことはいっぱいいっぱい応援しようって思うのに、自分のことは、全然出来ない」
「大丈夫よ」
「え?」
「恋愛なんて……誰も上手く出来てるなんて思ってしてないから」
 舞は静かにそう言って目を細めると、励ますようにポンポンと柚子の肩を叩いた。
 柚子は下唇を噛み締めて、恥ずかしそうに下を向く。
「あの時だって……びっくりしただけで、嬉しかったのに……」
「可愛いなぁ?」
 舞がなんでもないように言うので、柚子はすぐにカァァッと頬を赤らめた。
「……もしかして、オーバーヒートだったの? あの時のって……」
 舞の言葉に、柚子は何も答えられないように、どんどん小さくなっていく。
 柚子のその様子を見て、舞はふっと笑いをこぼした。
 肩を震わせて笑いながら、柚子の顔を覗き込み、ぷにっと柚子の薄い頬をつつく。
 柚子はそこでようやく舞のほうを見た。
「可愛いなぁ、柚子は」
「……舞ちゃん……」
「ただ、映し出すだけの鏡なんてなくなったじゃない」
「…………」
「柚子はずっと来たかった鏡の外に、出たのよ」
 そっと柚子の前髪を撫ですかし、舞は本当に嬉しくて笑った。
 柚子の感じている居心地の悪さも、自己嫌悪も、全て恋から生まれるものだ。
 だから、素直に嬉しく思う。
「……怖いよ……」
 傷つくのが怖かった、鏡の中のお姫様。
 他人の傷を想像して泣くことは出来ても、自分の心を上手く噛み砕いて飲み込めない。
 誰に言われるようになったか知れない、柚子は変、という言葉が、彼女にとっての大きなコンプレックス。
「わたし、変じゃないかな……?」
「柚子は可愛い。柚子は優しい。……柚子の良さは、人とちょっとズレた変なところ」
「…………」
「変で何が悪いの? 他人と一緒で、好かれる個性なんて、どこにあるのよ。らしくない」
 柚子は目を細めて、その後、柔らかく笑った。
「そ、だよね」
「ええ」
「……あ、そ、そうだ。明日、何着てこ!? 何、着てこ……」
「夏休み中は私服じゃなかったの?」
「絵を描きに学校に来てたから……」
「……ああ、なるほど」
 納得したように舞は顎に指を持っていき、うーむと首を傾げて、その後、横から手でカメラの形を作って、柚子を覗き込んだ。
「三つ編み、解いてみる?」
「え、え、……に、似合わない?」
「似合わないんじゃなく、サプライズサプライズ♪」
「え?」
「あーあ、ニノの反応を横で見られないのが残念」
「ま、舞ちゃんも行こうよぉ……」
「あー、約束あるってのは本当なの」
「うぅ……」
「服選びは、手伝ってあげてもいいよ」
「え?」
「さや……約束は、午後からだから」
 舞は言い掛けた名前を引っ込めて、そっと目を細め、笑った。
 柚子がその言葉に助かったように胸を撫で下ろした。



 空がやや遠い。
 天気はいいが、まさに秋、といったような風を感じながら、舞は腕時計を確認した。
 待ち合わせは1時半。
 清香が部活が終わってからこちらに向かうことになっていた。
 あと、5分。
 ドクドク、と血の巡りの速さを感じて、恥ずかしくなってくる。
 最近、とみに実感することがあった。
 待つことが、とても……楽しいということ。
 青のカーディガンの袖を直した後、風でなびいた髪を撫でた。
「くーちゃん!」
 彼女の声がして、すぐに舞は視線をそちらに向けた。
 カツカツ……とサンダルの音を鳴らしながら、こちらへ駆けてくる清香。
「走らなくていいよ」
 舞がそう言っても、清香は特に気にも留めずに駆け寄ってきた。
 薄いタートルネックのシャツに、深いVネックの斜め切りワンピース。
 その様子を見て、舞は首を傾げる。
「部活は?」
「着ていった。ジャージも靴も部室に置いておいたから」
 舞の問いに清香はそう答え、すぐにスカートの裾を直した。
「……先輩には怒られちゃった」
 笑いながらそう付け加える目の前の人。
 舞はそれに対して苦笑を漏らした。
 清香がバッグから帽子を取り出して、カポリと被り、ふーと息を吐き出す。
 舞は時計を見た。
「どうするの? 今からじゃ遠出は無理だし、あたしは普通にショッピングかなぁと思ってたんだけど」
「ん? あー、ねぇ、くーちゃん」
「なに?」
「私、行きたいところがあるんだ」
 断るわけでもなく、行くのはもう決定しているような言い方。
 最近大きく変わった認識のひとつとして、これがあった。
 清香は……結構言葉が自己完結的。
 ふわふわしているその容姿からは想像できないくらい、気丈。
 舞を振ったあの時の彼女が、一番彼女の素に近かったのかもしれないと思えてくる。
 だからといって、それで引くことなど何一つなかった。
「どこ?」
「市営体育館」
「え……?」
「勇くんに見に来てねぇって宣伝されたの」
「アイツ、何やってんの……」
 舞は清香の笑顔を見て、前髪を掴むように掻き上げながらポツリとこぼした。
 清香がすっと目を細めて何かを考えるように俯き、すぐに顔を上げる。
「2時からって言ってたから、急ご」
「……ホントに行くの?」
 嫌そうな舞の顔を見て、清香がクスクスと笑った。
「くーちゃん、ホント、勇くんに対して酷いなぁ」
「だって、別に見ても見なくても一緒だし」
 ため息混じりの舞を、清香はそっと身を屈めて覗き込んでくる。
 慌てて舞は体を仰け反らせた。
 ヒールの高いサンダルを履いているものだから、いつもよりも更に彼女の視線の位置が高いのだ。
「な、なに?」
「私、昔勇くん好きだったなぁ」
「…………。何の嫌がらせ?」
「……昔の話だから、嫌がらせでもなんでもないよ」
 ふわっと笑ってみせる清香。
 舞はそっと彼女から視線を外す。
「だから……くーちゃんのこと、嫌いだった」
「……ぇ?」
 舞は慌てて顔を上げた。
 不安さが顔に出たのだろう。
 清香が静かに目を細めて、その後に小さく笑った。
「昔の話、だよ」
 笑う清香。
 舞はきゅっと唇を噛み締めた。
「だから、くーちゃんはすごいよ」
「……何が?」
 舞が不機嫌になったのが分かっているからか、歩くのを促しながらも、清香はこちらを見なかった。
 もう、体育館へ行くことは決定らしい。
 舞は何も言うことなく、清香についていくことにした。
「嫌いから……意識する人まで持っていった」
 舞はその言葉につい足を止めそうになった。
 清香は特にその後は何も言わずに、カツカツとサンダルを鳴らしながら歩いていく。
 だから、舞も彼女と並んだ。
 何を言えばいいのか。
 普段ならいくらでも冗談や減らず口が出てくるのに、彼女の隣はその自由が利かない。
 ただ……舞の感情を受け流すことなく、どんどんその気にさせるようなことを、彼女が言うことをどのように受け止めればいいのか、それだけを考えてしまう。
 清香がそっとこちらを見た気がした。
 舞も横目で様子を伺ったが、清香は舞側の手で持っていたバッグを両手で持ち直し、俯いて歩いていく。
 ポケットに手を入れて、空気に耐えられず、ふーと息を吐き出す舞。
「あ……」
「え?」
「な、なんでも」
「?」
 清香の意図がよくわからず、首を傾げ、そのままペースを落とさず歩き続ける。
「そういえば、あの猫どうした?」
「ん? ゴンボ?」
 どこか遠くでカラスが鳴いた。
 舞は怪訝な表情で首を傾げる。
「……ごんぼ?」
「あ、名前」
「名前付けたの……?」
「不味いかな……」
「高校の重鎮にする気か、あのドンくさい猫を」
「う……でも、連れて帰れないし」
 残念そうに言う清香。
 なので、舞はすぐに素っ気無く言った。
「ウチの高校、そういうのいないし、ちょうどいいかもね」
 その言葉に、ようやく清香が表情をほころばせた。
 彼女の考えていることが読めない。
 小悪魔なのか天然なのか……。
 彼女のギャップにどぎまぎさせられっぱなし。
 けれど、ただの友達を続けることを選んでいたら決して見れらなかった面を見ていると思えば……。
 もう、あの時の行動に、自分が後悔をするようなことは、今後絶対にないと思えた。



「よかった……間に合ったみたい」
 ハンカチで軽く汗を拭いながら、清香は手すりに手を掛けた。
 小さな市営体育館。
 応援席なんてないので、2階についている渡り廊下からコートを覗き込む。
 舞はキョロキョロと周囲を見回し、修吾と柚子の姿を確認した。
 若干、不自然な距離を取って、並んでコートを見つめている。
「微笑ましいこと」
 舞は静かに呟いた。
「くーちゃん?」
「ああ、ごめんごめん」
「ううん……何見てた、の? ……シュウちゃん?」
 舞の見ていた方向を清香も見、ポツリとこぼした。
 慌てたように口元に手を当て、なんでもないようにコートに視線を戻す清香。
『二ノ宮くん……?』
 雨の日の、清香の呟きを思い出した。
 なので、清香の隣に並んで手すりに肘を乗せ、尋ねた。
「清香、ニノのこと知ってるの?」
「そりゃ、有名だし」
 なんでもないように彼女が言うので、舞はその後は続けなかった。
 シュウちゃんなんて呼ぶ女子、そうそういないっての。
 心の中で呟きながら、舞はもう一度2人に視線を向けた。
 柚子が忙しく動いて、何か話している最中だった。
 それに修吾が相槌を打って笑っている。
 舞は柚子の頑張り具合を見るにつけ、自然と笑みがこぼれた。
「喋りすぎて失敗しなきゃいいけど」
 そんな言葉を呟いて、クスッと笑う舞。
 隣で清香がそんな舞を複雑そうな表情で見つめていた。



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