◆◆ 第2篇 残夏・見送る夏と隣のキミに ◆◆

Chapter7. 二ノ宮 修吾side



 ドキドキ。
 腕の時計と一緒に鼓動が騒ぐ。
 自分なりに、頑張ったと思う。
 友達だし、遊びに行くことくらい不自然じゃない。
 ……デートなんて舞が言ったせいで、どうなることかと思った。
 舞のからかいを思い出して、カァァッと顔が熱くなる。
 修吾は前髪に触れ、落ち着くように息を吐き出した。
「気持ちに気づかれないように、なんて調子がいいんだよな、きっと……」
 涼しい風に、紫色のパーカーのジッパーを引き上げる。
 市営体育館前で待ち合わせ。
 味も素っ気もないけれど、田舎なんて大体そんなものだ。
 体育館周辺で、待ち合わせるのに便利な場所があるのなら、こちらが教えて欲しい。
「あの……」
 可愛らしい女の子の声に、修吾はすぐに顔を上げた。
 長いストレートの髪が風に揺れている。
 丈の短い薄手のカーディガンと、レイヤードの利いたロングキャミソール。それにキュロットスカート。
 修吾は一瞬誰だか分からず、ぽかんと口を開けた。
「ご、ごめんねぇ、待たせちゃった……?」
「え、……渡井?」
「あれ? わ、わかんない?」
「ううん、言われて見れば」
「ああ、もしかして、髪、かな?」
 心許なさそうに柚子は長い髪に触れて、小首を傾げる。
「変……?」
「あ、ううん。下ろしたとこ見たことなかったから。ほら、女の人って、髪型だけでガラッと変わるでしょ」
「あ、うん」
 修吾の言葉に納得したように、柚子は胸を撫で下ろすように笑った。
 修吾も吊られてニコッとぎこちなく笑う。
 似合うねって言え。
 似合うねって言え。
 心の中で、ざわざわと騒ぐ人がいた。
 今しかないぞ。似合うよって言うの。へたれはタイミングに生かされるしかないんだぞ。似合うって誉めろって。
「わ、渡井……」
「なに?」
「に、ににににに、に……」
「?」
 不思議そうな柚子の表情。
 修吾は上手く動いてくれない口に、諦めモードで黙った。
 む。
 り。
 しゅしゅーん……と空気が抜けるように、修吾はくたーと肩の力を抜いた。
「やっぱり、なんでもない……」
「? あ、中入ろうっか? 試合前に塚原くんと話せるかも」
「うん、そだね……」
 緊張の糸がぷっつり切れてしまい、少々弱弱しい声で頷いた。
 柚子がテクテク歩き出して、修吾もそれに合わせるように歩く。
 突然、ふっと彼女が顔だけこちらを向いた。
「どうしたの?」
 修吾はすぐにそう尋ねる。
 柚子はにこぉと笑って、ほわーんと言った。
「夏休みも思ってたんだけど……二ノ宮くん、結構センスいいよね」
「え……あ、さ、サンキュ」
 柚子の言葉に、修吾は照れながらも、なんとかボソッとそれだけ返した。
 ああ、ホント。
 へ。
 た。
 れ。
 彼女はいつも修吾の上を行く。
 精一杯精一杯、修吾は考えて実行に移せないことのほうが多いのに、その実行に移せないいくつかの部分を、彼女は簡単に乗り越えていくから、余計に……心が騒ぐ。



「修ちゃん、来てくれたんだ〜☆」
「来るって約束したじゃない」
 感動したように大仰に騒ぐ勇兵を目の前にしても、修吾はクールにそう返した。
 勇兵がそう言われて、すぐにグリグリと修吾のわき腹に肘をめり込ませてくる。
「な、なに?」
「ホント、修ちゃんはいけずなお人〜」
「…………」
「俺がこんなに素直に喜んでるんだからさぁ、はっはー、当然じゃないか、わが友よ☆ くらい言ってくれなくちゃ」
「ご、ごめん、でも、それはヤダ」
 修吾の反応に、勇兵は更にご機嫌になったように笑った。
「あっはっは……っ……」
「勇兵?」
 一瞬、笑っている呼吸が乱れたような気がして、修吾は勇兵を見上げた。
 勇兵はすぐに手を横に振って、その後、修吾の肩をバンバンと叩いてくる。
「あ、な、なんでも。ほんとーに、もう、修ちゃん、大好きだ」
「……あ、ああ、うん」
 叩かれる勢いに押されて、若干後ずさる修吾。
「渡井も、サンキューなぁ」
「あ、あは。塚原くん、頑張ってね?」
「おぅ。頑張るよぉ! おい、修ちゃん、こんな可愛い子に頑張ってって言われると、あれだな、すっごく頑張ろうって気になるなぁ。やっぱり、女マネほしー……」
 物欲しそうにそんなことを呟く勇兵。
 柚子がおかしそうに笑った。
「塚原くんは、お世辞が上手いなぁ」
 え、今の、たぶん、お世辞じゃないよ?
 修吾は心の中でそう突っ込んだが、声にはならなかった。
 勇兵が素早く笑って返す。
「お世辞じゃねぇよ。俺、嘘とか言わないし」
「え……そっか」
 勇兵の真っ直ぐな言葉に柚子はそれだけ呟いて、その後は特に何も言わなかった。
「修ちゃんも、俺に力を分けてくれ」
「頑張れ」
 修吾は棒読みで、勇兵の期待に応えた。
 勇兵はぷっと笑いをこぼしながら、白い歯を見せる。
「サンキュ。……あー、修ちゃん、男マネで入ればいいのに。俺、そしたら、100倍頑張るよ」
「勇兵は、ひとりでも頑張るでしょ」
 修吾は静かに笑んで、そう返した。
 勇兵は修吾のその言葉に、満足そうに目を細める。
「さって……じゃ、戻るね、俺。ウォームアップの途中だし」
「ああ」
 勇兵はパタパタと手を振りながら、コートの中へと戻っていった。
 トイレに行くという名目で抜けてきてくれたのだそうだ。
「塚原くん、元気だねぇ」
「試合前だから、テンション上げてるのかもね」
「そっかぁ。あ、バレーってさ、体育のバレーと同じルール?」
「え? ああ、うん、そう。ただ、25点先取、だったかな。体育は15点だよね?」
「うん。25点って、結構あるよねぇ。ハードだなぁ」
「でも、ルール変わったから、前よりは点数取りやすくなったんだと思うよ」
「え?」
 修吾は2階への階段を上りながら、簡単に説明をする。
「前はね、15点先取で、サーブ権を持っていないとポイントにならなかったんだ」
「んん?」
「相手コートに落とすとか、アウトとかで1点入るでしょ?」
「ああ、うん」
「それが、前まではサーブ権を持ってないとポイントとして加算されなかったんだよ。サーブ権ゲット、ポイントゲットの二段構え。だから、長引く試合は本当にすごく長引いてさ。テレビの尺に合わせるためにルールが変わったんだよ」
「……そうなんだ……」
「バスケットも、そういう感じでルールが変わったみたいだし、ね」
「二ノ宮くん、詳しいねぇ」
「あ、まぁ……このくらいはね。運動は好きじゃないけど、テレビでよく見るからさ」
 修吾は穏やかに微笑んで、柚子を見た。
 柚子が本当に感心したように、こちらを見上げている。
 さすがに、この程度の小話で感心されると照れる。
 少し熱くなった顔を誤魔化すように、修吾はすぐに前を向いた。
 2階に上って、試合があるコートがよく見える位置まで歩いていき、手すりに肘を乗せた。
「本当は、横からのほうが見やすいんだけど」
「ううん。塚原くんを応援に来たんだし。ここのほうがいいよ、きっと」
 柚子がにっこぉと笑ってそう言うので、修吾は頷いて、ウォームアップ中の勇兵の姿を目で追った。
「二ノ宮くん、塚原くんのこと、大好きでしょう?」
「え? と、突然、何?」
「だって、当然のように応援に来る」
「……友達だし」
「そうやって、当然のように言えるのが、二ノ宮くんのかっこよさ、だね」
 ほわほわんとした口調で言う柚子。
 修吾はカァァッと顔が熱くなった。
 髪を掻き上げて、若干うつむき、咳き込む。
「……人によっては、味気ないって言う人もいるよ」
 それに、シャイだから長々と話せないだけのことだ。
「そうかな? わたしは、当然のように言われたほうが、距離がない気がして、嬉しいけどな」
 本当に、彼女は恵まれている。
 不思議な間。
 優しい声。優しい言葉。
 じわんと広がる、そんな暖かさ。
 その柔らかさを、こんなにも心に深く感じてしまうのは、自分だけなのだろうか?
 そんな疑問が心に浮かぶ。
 手すりに頬杖をついた状態で、姿勢のいい柚子の横顔を見つめた。
 柚子は真っ直ぐに前だけ見つめて、優しい表情で続ける。
「わたし、自分から人に距離を作るところあって」
「それは誰だってそうだよ」
「そう?」
「うん。オレも、距離ばっかだし」
「……うん。二ノ宮くんは、そうだなぁって思うよ。だから、雰囲気が、すごく……」
 そこで柚子は言葉を切った。
 くっと息を飲み込むような仕草をした後、柚子の顔が真っ赤に染まる。
「わ、渡井?」
「なんでもないなんでもない! そうだ。ねぇ? 昨日の8時からのバラエティ番組見た?」
「え、あ、うん。母さんが見てたから」
「あれさぁ、わたし、いつも中盤くらいでやるコントが好きで……」
 急激に話題を変えられて、修吾は少々困惑したが、柚子がペラペラと楽しそうに話し出したので、それに合わせて相槌を打った。
 柚子は、2人だと本当によく喋る。
 修吾は……そんな彼女も好きだった。
 彼女は、分かるだろうか?
 彼女の言葉ひとつ、仕草ひとつ。
 それ全てが、修吾の心にドッカンドッカンと攻撃を仕掛けてくるのだということ。
 修吾は優しく目を細めて、柚子の得意そうな口調でのコントのオチにぷっと噴出して頷いた。
「ああ、そうだそうだ。そんなんだった。渡井、そっくり……」
 修吾の笑顔に、柚子が満足そうに笑みを浮かべた。



 試合の始まるホイッスルが鳴って、両チーム、スターティングメンバーが飛び出していった。
 コートの両端に並び、互いに深く礼をする。
 修吾はそこですぐに違和感に気がついた。
 ……勇兵が、いない……。
「あれ?」
「塚原くんは……?」
 互いにそんな声を漏らした。
 勇兵はベンチに腰掛けて、悔しそうに眉根を寄せていた。
「どうしたんだろ……?」
「……急遽変更かな? 途中で出てくるかもしれない」
「……そっかな? だって、スタメン決まったって言ってたんでしょう?」
「うん、そうだけど。調子によって、変わることもあるし……」
 何かあった?
 修吾は心の中でそんな言葉が過ぎったが、必死で振り払って勇兵を見つめた。
 試合は勝ったけれど……、その日、勇兵は一度として、リベロ用のビブスに腕を通すことはなかった。



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