◆◆ 第2篇 残夏・見送る夏と隣のキミに ◆◆

Chapter8. 車道 舞side



「ツカ、出ないじゃない……」
 舞はコートを見つめて、ポツリと漏らした。
 さすがに男子の試合だけに迫力はあるが、高校生の……地区大会レベルでは、それほど見入れるほど楽しいものでもない。
 隣で清香が心配そうに勇兵のことを見つめている。
 なので、舞は気がかりだったことを尋ねた。
「あのさ」
「なに?」
「なんで、ツカが清香に今日の試合のこと言うのかな? それほど、2人が仲いいって認識なかったんだけど」
「勇くんは色んな人に言ってるでしょ?」
「言わないと思うなぁ」
「……な、なんで?」
「だって、今日の試合を見てもらいたいと思ってた相手なんて、ツカのことだから、ニノだけだもの」
「…………」
 舞は体を真っ直ぐに清香に向け、真面目な表情で見上げた。
 清香は動揺するように髪に触れ、きゅっと唇を噛んだ。
「何を知ってるの? 清香」
 舞の問いに、清香は答えない。
 ただ、勇兵のことだけを見つめている。
 勇兵は試合中ずっとコートから視線を外すことがなかったが、試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、ふーと息を吐き出して立ち上がった。
 そして、手を叩きながらも、キョロキョロと周囲を見回し、初めて舞と清香の存在に気がついたように、呆然とした表情をした。
「清香」
「……何も、ないよ」
「…………」
「知ってることなんて、何もない……」
「本当に?」
「…………」
 舞の問いに、清香の反応は鈍かった。
 なので、舞は踵を返して1階へ向かうことにした。
「くーちゃん」
「あたし、はっきりしないこと嫌いなのよ、知ってるでしょ?」
 突然返ってこなくなった大宮からの手紙。
 野島は、どれだけの間、やきもきと苦しんだことだろう。
 ついに見限られたかもしれない。一生涯の親友でありたいと思っていた彼に、もう自分の全てを聞いてもらうことはできないのかもしれない。
 なんだかんだで、大宮も野島も、一番に失うのを恐れたのは、真の友である互いのことだった。
 少しだけ、わかった気がした。
 あのタイトルの意味。
「ツカに聞くわ」
 すぐに、きゅっとカーディガンの裾を握られて舞は前進できずに立ち止まる。
「教えてくれるの?」
 けれど、ふるふると彼女が横に首を振ったのか、カーディガンの裾がブルブルと震えた。
「私の口からは言えない」
「……じゃあ……」
「ただ……」
「なに?」
「ん、んーん。なんでもない……私、ジュース差し入れに買ってから行くから、勇くんと話してて」
「うん、わかった」
 そっと彼女の手が裾から離れ、舞は颯爽と歩き出した。



 舞は1階に下り、勇兵の所在を聞くと、トイレに行ったということだった。
 そのため、出てくるのを待とうと思ったが、それよりも早く、修吾が中へ入っていったので、その場で一時停止した。
 柚子がいつの間にか隣にいた。
「嘘つき。来てるじゃない……」
「約束の相手がここに来たいって言ったのよ……」
 むくれる柚子に対して、舞はため息混じりで答えた。
 泣く子供とむくれる柚子には敵わない。
 そんな言葉が浮かんだ。
 2人して壁にもたれかかり、試合が終わって静かな体育館の中の空気をゆっくりと吸う。
 中から修吾の声が聞こえてきた。
「勇兵、出てきて話そうよ」
「ヤダ」
「どうして……?」
「だって、こんなの嘘つきだ。試合に出れるから呼んだのに、出ないなんて、嘘つき以外の何者でもない」
「……別に。スポーツじゃよくあることでしょう? 調子によって変わることだってあるさ」
「絶好調だったんだ……」
「勇兵……」
「修ちゃんが来てくれるから、絶好調だったんだよ……」
 泣いているのか、勇兵の声は微かに震えていた。
 修吾は言葉に困ったように、少しの間、黙り込んだ。
 けれど、しばらくしてから、優しい声で話し掛けた。
「怪我、してる?」
 その言葉に、舞はピクッと体が震えた。
 一週間ほど前に、木から落ちた時のことを思い出す。
 人1人が落ちてくるのを、無理やり滑り込んで彼は受け止めたのだ。
 ……なんでもないような顔をしているから、全然気を配りもしなかったけれど……まさか……。
「酷いよ、先輩……」
「うん?」
「俺、全然行けたのに……昨日、テーピングしてるとこ見られて……今日になって……試合の前になって、監督に言うんだ……ひでぇよ……」
「それは、勇兵のことを心配してくれたからでしょ?」
「……俺は、試合に出たかったんだ」
「勇兵は頑張ったよ」
「頑張ったって、試合に出れなきゃ意味ないよ!」
「……そうかな?」
「そうだよ」
「頑張った事実は、どこにも消えはしないと思うけどな。僕は、勇兵が頑張ってたの、知ってるよ」
 修吾の言葉に、今度は勇兵が黙り込んだ。
 舞は目を細めて、ただ静かに柚子の手を取った。
 柚子は少し戸惑ったようにこちらを見上げてきたが、すぐに当然のように小さな手で握り締めてくれた。
「まず、怪我を治そう? 治して、そっからでしょ。勇兵はすぐ無理すんだから。病院には行った?」
「行ってない……」
「よし、じゃ、今から行こう。整形外科? 外科? どこ?」
「……わき腹……」
「まさか、骨?」
「わかんねー」
「とりあえず、レントゲンだね……」
「ごめん、いいよ、修ちゃん。俺、1人で行けるし、それに、渡井とデートでしょ?」
「で、デートじゃないよ……全く、シャドーといい、勇兵といい」
「……違うんだ……修ちゃんみたいな人は、本当に好きじゃなきゃ誘わないと思ったんだけど、俺の勘、外れ?」
「…………」
 勇兵の言葉に、修吾は声にならないようなうめき声を小さく上げた。
 横で柚子が顔を赤らめて、口を真一文字に引き結んで、何かを考えるように目を細めていた。
 舞も目を細めて、静かに息を吐き、軽く吸い込んだ。
 目頭が熱い。
「舞ちゃん?」
 テンパっているであろうに、舞の変化に柚子がすぐに気が付いた。
 舞の目からポロッと涙が零れ落ちる。
 清香が言いにくそうにしたわけだ。
 勇兵が試合に出られなかった理由は……自分にあったのだから……。
「舞ちゃん、どうしたの?」
「あたしのせいだ……」
「え?」
「ツカを怪我させたの、あたしだ」
 その言葉を吐き出した瞬間、ポロポロ涙が止まらなくなった。
 柚子が優しく肩に手を触れてさすってくれるが、それで簡単に収まりはしなかった。
 勇兵の部活命な姿は、昔から見てきた。
 部活があれば、何も要りません、な奴。
 得意のスポーツで勝つためだったら、雨だろうと、骨折してようと、外に駆け出していくような奴だった。
 そういうど直球な馬鹿だから、腐れ縁だろうとなんだろうと、結局縁が切れることなく、友達でいたのだ。
「……だから、アイツ、嫌いなのよ……」
 グィッと涙を拭いながら、舞はそれだけこぼす。
 柚子が優しい目でこちらを見上げていた。
「わたしは、舞ちゃん大好きだよ」
 その意味の分からない間に、舞はきょとんと目を丸くする。
 困ったことに、そこで涙が止まってしまった。
 これじゃ、自分が薄情な人間みたいではないか。
「……あれ? ……もしかして、自己嫌悪してるのかなぁって、思ったんだけど……はずれ?」
「…………。あたり」
 柚子の言葉に、舞はしばらく沈黙したが、その後にポソリと小声で言い、ポンポンと彼女の頭を撫でた。
 くすぐったそうに柚子がその愛撫を受け止める。
「デートの続き、頑張ってね」
「え、え、え? 違うって、二ノ宮くん、今言ってたじゃない」
 舞は優しく柚子の手を解き、ポンと柚子の肩を叩いて、踵を返した。
「ちょっと、舞ちゃん!」
「あたしもデートの最中だから戻るわ。じゃね」
「塚原くんに会ってかないの?」
「あっちが会いたくないだろうからいい」
 静かに舞は言って、サラリと髪を掻き上げた。
 勇兵はそういう男だ。
 隠し通そうとしたのなら、こちらから何かを言う必要はない。
 ……本当に、馬鹿な男だ……。
 舞はそんなことを考えながら、廊下の角を曲がった。
 すると、その場にジュースの缶が3本置かれており、舞は首を傾げた。
「……清香……?」
 缶を拾い上げて、キョロキョロと周囲を見回す。
 が、彼女の姿はなかった。
 舞は拾い上げた缶を柚子に渡し、すぐに体育館を出た。



「清香……!」
 追いつくのは簡単だった。
 どのみち、帰り道のルートが一緒なのだから。
 それに、彼女がそんなに早く歩けるわけもなかった。
 清香が振り返り、優しくおっとりと笑った。
「あれ? あのまま、4人でお喋りタイムかと思って、身を引いたんだけどなぁ」
「何言ってんの、怒るよ」
「……うん、ごめん」
 清香が可愛らしくそう言う。
 舞はすぐに尋ねた。
「ツカの怪我のこと、知ってたの?」
 こくりと頷く清香。
「テーピング教えてって言われて、その時に」
「……なるほど」
「それで、心配になって、見に来たんだけど……よくなかったね」
「…………。そう?」
「くーちゃんに結局ばれちゃって……勇くんに悪かった」
「…………別にいいんじゃない? あたしら、距離は一生変わんないって思ってるし。何かあれば、あっちが恩着せがましく言ってくるよ、そんなもんでしょ」
 舞は割り切ったようにさっぱり言い切って、髪を掻き上げた。
 清香は静かに目を細めて、困ったように微笑む。
「勇くんは、くーちゃんのこと、好きだと思うけどな……そういう言い方、可哀想だよ」
「清香にそう言われるあたしも、結構可哀想」
 冗談口調で舞はそう言い返した。
 清香が俯いて黙り込む。
「冗談だよ」
「……うん……」
「どうしたの?」
 俯いたまま微動だにしない清香。
 舞はすぐに清香の顔を覗き込んだ。
 急に、清香の腕が動いて、ポンポン、と、舞の頭を撫でてくる。
「清香?」
「……普通にデートしてれば、くーちゃん、傷つかなかった、ごめん」
「大袈裟な……」
 清香の言葉に、怯みながらも舞は苦笑を漏らした。
 彼女の言葉は的を射ている。
 結構ダメージは大きい。そこは否定しない。
「でも、なんで……」
「清香?」
 清香は何か言いかけたくせに、すぐに口を閉ざした。
 舞は意味が分からずに首を傾げるが、清香はその話を振り払うように歩き出した。
「将観堂でおやつ食べて帰ろ」
「清香、どうしたの?」
「なんでもない」
「ほんとに?」
「うん」
 舞は、それが嘘なような気がしたけれど、頑なに彼女がなんでもないと言うので、結局何も聞かずに、彼女と並んで歩いた。



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