◆◆ 第2篇 残夏・見送る夏と隣のキミに ◆◆

Chapter9. 二ノ宮 修吾side



 頑張ったって、結果が出なくちゃ意味がない。

 勇兵は強い人だ。
 だから、そう言う彼にも納得がいく。
 でも、結果結果と焦って、壊れかけた心を修吾は知っている。
 それは……自分自身だったから。
 良い話を、良い文章を書けるようにならなくちゃ。
 そして、大人になった時、すぐに結果を出せるような人になりたい。
 そのためにできること。
 やらなくちゃいけないこと。
 けれど、思い描いて積み重なったそれらは全て、修吾の翼をもぐ原因になった。

 結果って何だ?
 単に、カタチになるだけのものだ。
 一番分かりやすい。だから、自分が安心できる。
 たった、それだけのものだ。
 負けでも、勝ちでも。
 それに立ち向かっていたら、勇兵は後悔しなかったかい?
 いーや。
 君は試合に出ていたら、今度は勝たなくちゃ意味がないって言ったんだ。
 今日は勝ったけれど、もしも、君が試合に出て、怪我のせいで満足にプレイできなくて負けたとする。
 そうしたら、君はきっと、またそのことで後悔したろう。
 ……人間なんて、そんなものだよ……。
 勇兵、だから、君がしなくちゃいけないことは、泣くことでも、先輩のことを悪く言うことでもない。
 次は後悔しないように、頑張ることだ。
 しゃかりきに何かすることだけが、頑張るってことじゃない。
 休むことだって、その中のひとつで、怪我で無理そうなら、自分から試合に出ないほうがいいと思います、という発言をすることが、スポーツマンとして、必要な頑張りだったのじゃないかい?

 修吾は出掛かった言葉全て飲み込んで、ただ、トイレの扉を見つめていた。
 勇兵なら、言わなくても分かっている。
 そんなこと、修吾に言われるべくもない。
 分かっているのだ。
 分かっているけれど、心がついていかない。それだけだ。

 修吾は知っている。
 信じて、見守ること。
 自分がしなくちゃならないのは、それだ。
 自分にとっての母・春花のように、味方でいること。
 必要なのは、それだけ。
 ああ、自分はどうしようもないほど、勇兵を友達と認めているんだ。
 大切な大切な友達だ。
 だから、ずっと味方だ。



「よかったの? 塚原くん1人で帰らせて」
「大丈夫って言うんだから、大丈夫なんだよ」
 柚子の問いに修吾は静かに答えた。
 柚子は風になびく髪を押さえながら、うーん……と小さくうなり声を上げる。
「どう、したの?」
「そういうものかなぁって思っただけ」
「へ?」
「あは、わたしだったらね、舞ちゃんがあんな風に塞いだの見た後じゃ、ペタペタペタペタって後ろついてっちゃって、『うざい!』って怒られるくらい付き纏っちゃいそう」
 苦笑を漏らしながら言う柚子。
 修吾は目を細めてすっと柚子から視線を逸らした。
「男の子って、そういう部分、自立してるなぁって、思うなぁ」
「シャドーは『うざい!』なんて言わないよ」
「……え?」
「渡井には、絶対に言わない」
 修吾はポソッと言って、ふわりと笑ってみせた。
 柚子がその笑顔にぽかーんとアホみたいに口を開ける。
「勘だけど。渡井って、シャドーの弁慶の泣き所だと思うから」
「弱み?」
「ううん。なんていうんだろ。聖域?」
「セイイキ……?」
 柚子は言葉の意味がよく分からないように小首を傾げた。
 修吾も、それ以外に単語として喩えようがなく、その後に続ける言葉に四苦八苦する。
 説明するのはいいけれど、顔が熱くなりそうで怖かったのだ。
「光に包まれた……庭園、みたいな。陽だまり。春の風が過ぎてゆくような、そんな場所。触れてはいけない、でも、絶対に傍に置いておきたい……そういう感じ」
 修吾は首をさすりながら、抑えた声でそう言い、ふーと息を吐き出した。
 柚子は何も言わずに、修吾の歩幅に合わせるように早足で歩いてついてくる。
 沈黙がしばらく続いた。
 恥ずかしい台詞の後の沈黙だけに、修吾の心臓には相当のダメージだった。
 なんで、いきなり黙るんだ?
 そんな言葉が浮かんでは消える。
 さっきの言葉なんてなかったように話せばいいのだろうけれど、こういうときに限って、適当な話題が見つからないから困る。
「うーん」
 柚子が唸った。
 修吾は柚子のほうを向く。
 柚子は困ったように眉根を寄せて、コチコチと頭を動かしていた。
「どうしたの?」
「わたしにとっては、舞ちゃんはなんだろうなぁって考えてたのぉ」
「……友達でしょう?」
「あ、うん、それは勿論なんだけど! ほら、しゅ、あ、二ノ宮くんみたいにかっこいい表現してみたいなぁって思って!」
「かっこいいの? あれが?」
 修吾は柚子の言葉に、つい顔を引きつらせてしまった。
 言葉にした後、男としての言動じゃないよと思ったのに。
「ねぇ、二ノ宮くんから見たらどんな感じ?」
「え?」
「二ノ宮くんって、よく見てそうな気がするから。わたしにとっての舞ちゃんって、どんな感じ?」
 修吾はその言葉に目を白黒させた。
 舞視点なら、なんとなく推測が出来るような気がしたけれど、柚子視点で、と言われると、異様にハードルが高くなったような、そんな心地がした。
 息を深く吐き出して、吸い直す。
 そして、柚子の顔は見ないで、歩きながら静かに言った。
「夏」
「え?」
「渡井にとっての、シャドーは……夏。刺激になって、厳しい暑さを寄越しながら、それでも時たま届けてくれる涼しい風が、とっても優しい。夏の海、空、空気。……これでいい?」
「…………」
 柚子は修吾の言葉を飲み込むように黙り込んだ。
 修吾は心の中で、お願いだから黙らないで、と祈った。
「ああ、そっか」
「え?」
「だから、こんなに、心地いいんだね」
「ん?」
「だって、夏は……春の次に来るものでしょう?」
「…………」
 柚子のほうが、上手い捉え方をする。
 そう、思った。
 絵描き志望だからだろうか。
 そのへんのフィーリングの高さは、とても……尊敬できる。
「ありがと、二ノ宮くん。なんとなく、わかった」
「なにが?」
「わたしは、舞ちゃんを見送るものになる」
「ん?」
「行ってらっしゃい。お帰りなさい。そういう場所」
 修吾はその言葉に優しく目を細めた。
 そして、軽く笑いながら言った。
「大丈夫」
「え?」
「渡井は、今でも、そうだよ」
「そ、そうかなぁ……」
「うん。保証するよ」
 修吾は珍しく、柚子の目を真っ直ぐに見つめてそう言い切った。
 ちょうど、バス停の傍だったので、2人はそのまま立ち止まる。
 柚子は少し決意したような面持ちをした。
「頑張って、ならないとねー」
「ん?」
「わたし、結構心配性みたいで」
「何が?」
「……人との距離の測り方、忘れちゃったから、どの範囲までが許されるのか、分からないんだ」
「…………」
 修吾は持っていたバッグを軽く持ち直して、口元に手を当てた。
 この子なりに、何か悩んでいるのかもしれない。
「渡井」
「なぁに?」
「風は、どこに向かうのか知っていると思う?」
「……え?」
「生き物は、なんで生きてるんだろう? 人間は、なんで論理的思考能力を持ち合わせたんだろう?」
「…………」
「渡井が必死に考えていることは、それと同じことだ」
「?」
「でも、救いなのは、答えがあるということ」
 修吾は静かに真っ直ぐに口を開く。
「コミュニケーションは、1人じゃ出来ないから。相手がいて、それでできるから。だから、答えはいつでも相手が持ってる。友達は、そのカタチが当然で当たり前で、さっき言ったような世界の真理と同じように、空気として存在しているから口にすることもないだろうけれど」
「でも、それがありのままで、普遍のもの?」
「うん、そう……思う」
「あ、普遍って、用法合ってる?」
「ふっ……大丈夫、合ってるよ」
 柚子が慌てたように確認してくるので、修吾はクスクス笑いながら指で丸を作ってあげた。
 その表情に、柚子が驚いたように目を丸くする。
「どうしたの?」
「……二ノ宮くん、雰囲気が変わったなぁって、思って」
「え?」
「もっと、笑えばいいのに」
「…………」
「そうしたら、もっとたくさん……あ、でも……」
「渡井?」
「ご、ごごごご、ごめんなさい。なんでもないです。忘れて。なんでもないです、忘れてください」
 渡井の顔が見る見るうちに真っ赤になった。
 勿論、修吾の顔も熱くなった。
 笑えばいいのに、なんて。
 とてもナチュラルに言われたから、全く気にも留めなかったけれど、柚子の顔が林檎みたいに赤くなるから、一気に意識してしまった。
 修吾は止まりそうになる思考回路を必死に動かして、それで思い出したようにバッグの口を開けた。
「? どうしたの?」
「あのさ、渡井に、読んでみてもらいたいものがあって」
「え?」
 修吾はバッグから200字詰めの原稿用紙のノートを取り出して、柚子に差し出した。
「?」
 柚子はそれを見つめて意図がつかめないように首を傾げてみせる。
「文化祭出展用の話を、書いたんだ。最後まで書けたの、だいぶ久々だから、読めるような質か自信ないけど……」
「わ、わたしが読んでいいの?」
「……むしろ、あんまり本を読まない人の感想が聞きたいんだ」
「どうして?」
「その感想が、一番率直で素直なものだと思うから」
「…………。読むの、遅いけど」
「大丈夫」
「うん、わかった。借りて、いいんだよね?」
「ああ」
 修吾は頷いて、風で捲れそうになる表紙を押さえる形で差し出し直した。
 柚子がそれを受け取って、大事そうにトートバッグに入れる。
 ちょうど、バスが向こうからやってくるのが見えた。
 柚子はそれをじっと見つめて、ポツリと言う。
「今日は、楽しかったです」
「ん? なんか、ドタバタしちゃったけど。甘味処ぐらい寄ればよかったよね、ごめん、気が回らなくて」
「んーん。学校とは違う時間なのが、何よりだったから」
 黒い髪をサラリと耳に掛けて微笑むと、柚子は少しだけ修吾から離れた。
「それじゃ」
「うん」
「また、月曜日」
 バスがキッと軽い音を立てて停まり、柚子はひらりと細い手を振って、開いた扉の中へと消えていく。
 一番後ろの窓際の席に座って、ヒラヒラと手を振ってくれる。
 だから、修吾も、おずおずと手を上げて、軽く横に振った。
 遠ざかっていくバスを見送って、見えなくなってから修吾は時計を確認した。
 こちら側のバスの時間にはまだまだ時間があった。
 なので、歩いて帰ることにした。
 柚子に比べたら近いから、特に問題もない。
 今日の柚子の姿を思い出して、きゅっと唇を噛み締める。
 ……ああ、写真とかって、こういう時のために必要なんだなぁ……。
 そんな言葉が心を過ぎった。
 帰り道、秋の風が吹いた。
 修吾はその寂しさにも似た風が心地よくて、すっと目を細めて、耳を過ぎてゆく風を静かに感じた。



「修ちゃん、修ちゃん〜」
 勇兵は電話の向こうでも元気です。
 修吾は静かに受話器を持って、そんなことを心の中で呟いた。
「どうだった?」
「骨にちょっとヒビが入ってました」
「……そりゃ痛いよね」
「ごめんなさい。止めていただいて正解だったようです」
「僕に言われても……」
「医者にも怒られちゃってさぁ。怪我したの、1週間前って言ったら! あっはっは……つ……」
「……馬鹿」
「うん」
 修吾の言葉に勇兵は真面目な声で答えてきた。
「シャドーにも電話しなよ?」
「わざわざすることじゃないっしょ」
「でも、来てたんだしさ」
「……シャドーは俺のことなんて気にしないんだって」
 勇兵は当然のように言って朗らかな声で笑った。
「そうじゃないと、気味悪いしさ」
「……僕は言うべきだと思うけど」
「なんで?」
「だって、僕がお前のこと追ってトイレ向かった時、シャドーも来てたもん」
「…………」
「お前らの腐れ縁仲がどんなものかは知らないけどさ。心配掛けたなら言ったほういいんじゃない?」
「ふ、む」
 電話の向こうで考えるように勇兵はそんな声を漏らした。
 そして、静かに続けた。
「電話はやめとくよ」
「なんで?」
「……なんか、違う気がするから」
「そう」
「うん。あとで言っとく」
「頑張って」
「頑張るとこじゃないし」
 勇兵の苦笑交じりの声。
 その時、後ろでゴホンと咳払いがして、修吾はふと顔を上げて振り返った。
 父が新聞を持って後ろを通り過ぎていく。
「あ、ごめん。うち、あんまり長電話してると怒られんだ。そろそろいいかな?」
 修吾が小声でそう言うと、勇兵は明るい声で「了解〜☆」とだけ返してきたのが聞こえた。
 カチャリと受話器を戻して、ふーと息を吐く。
 父は背中を向けたまま、ぼそりと言った。
「部活に入ったんだって?」
「え、あ、はい……」
「まぁ、帰宅部よりは内申もよくなるだろう。成績を落とさない程度にやりなさい」
「……はい……」
「賢吾みたいには、なるなよ」
 その言葉に、修吾は唇をきゅっと噛み締めた。
 何か言い返したい。
 けれど、何も言えなかった。
 この人には、何を言っても無駄なんだ。
 父の背中を見ていると、いつも、そう、思う。
「返事は……?」
「……はい……」
 静かに修吾は答えた。
 変われてなんていない。
 柚子のおかげで、確かに吹っ切れた部分は多くあるけれど、でも、根っこは全然だ。
 この人を前にすると、急激に弱腰になる自分がいる。
 母を悲しませたくないからというのもあるけれど、……自分の勇気の、問題なんだと思う。



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