◆◆ 第2篇 残夏・見送る夏と隣のキミに ◆◆

Chapter10. 車道 舞side



 将観堂のミックスジュース。
 ゴンボのお礼。清香のおごり。
 そのうえ、デザートまで付けてくれるという。
 今日の清香はずいぶんと大盤振る舞いだ。
 舞は先に席を取って、彼女がレジで頼んでいる様子を見つめていた。
 柔らかい表情で、メニューを指差しながらおっとりとした声で注文をしている清香。
「あれ、遠野さんじゃね?」
 トレイを持って、男3人が舞が陣取ったテーブルの後ろの位置に座った。
 ちょうどついたてで影になっていたからか、舞のことには全く気が付かなかったようだ。
 舞は少し聞き耳を立てる。
「可愛いよなぁ。同じ学年の奴らより少し大人っぽい感じが、オレ、好きなんだよ」
「また始まったよ、堂上の遠野さん好き好き話」
「ハハッ、だって、柔らかそうな女の子ってよくない? なんでも従ってくれそうな感じあってさ」
「うーん。オレは気が強い子のほうがいいなー。言い返してくれないと手応えなくない?」
「オレは、あー、委員長かな」
「お前も個人指定かよ!」
 楽しそうにそんな話をしている。
「でも、誰と来てんだろうな?」
「彼氏じゃん? いそうな雰囲気あるし。おしゃれしてんじゃん」
「えぇぇぇぇ……もしそうなら、オレ、泣く。どこだ、どこの席だ?」
「お前、本気でキョロキョロすんなよ……」
 この辺一帯では有名な甘味処とはいえ、クラスメイトが傍のテーブルに座ったのは、正直気まずい。
 舞は頬杖をついて、清香のほうを見つめた。
 よかったね、堂上くん、彼氏じゃなくて。
 そんな言葉を言ってやりたかったが、虚しくなるのでやめにした。
 ただ、従ってくれる女の子を求めているのなら、正直清香は外れだと思う。
 彼女は……非常に芯が強い。
 席を移ろうかどうしようか迷ったが、ちょうど清香がトレイを持ってこちらに来たので、何事もなかったように手をヒラヒラと動かした。
 コトンとトレイを置いて、向かい側の席に座る。
「はい、ミックスジュースと……ブルーベリーチーズケーキ」
「サンキュ。清香は何頼んだの?」
「うーん。抹茶オレと……マンゴーヨーグルト」
「食べ合わせ悪くない?」
「そう、かな?」
 清香は首を傾げながら、普通にストローで抹茶オレをかき混ぜ始める。
 後ろでコソコソ声がした。
「女みたいだ。友達か……救われた」
「お前、聞き耳立てんなよ。本気でやばい奴だぞ」
 ……大丈夫。
 清香のことにかけては、やばい奴がこっち側にいるから。
 舞は、清香が美味しそうに抹茶オレを飲む姿を見つめた状態で、そんなことを心の中で呟いた。
 女であれば敵ではないなんて、なんて短絡的な思考回路だろう。
 おめでたいことこの上ない。羨ましい限り。
「くーちゃん、食べないの?」
「……うん、今食べる」
 舞は髪を耳にかけてから、フォークを手に取った。
「くーちゃん、チーズケーキ好きだったよね?」
「ええ」
「ここの、そんなに甘くないから口に合うと思う」
「へぇ……」
 フォークで切ってひと口含む。
 ほのかな甘みとブルーベリーの酸味が口の中に広がった。
「お」
「美味しい?」
「うん、合格」
 偉そうに言う舞を見て、清香はクスッと笑った。
「何様だ」
「お子様」
「ふっ……昔言ったことある、それ」
 楽しそうに笑う清香。
 舞はミックスジュースをコクリと飲み、懐かしい味を口いっぱいに感じた。
「童心に帰りたいなら、将観堂のミックスジュースよ」
「くーちゃんってば……」
 清香がマンゴーヨーグルトを食べ始め、少しの間沈黙して、2人は各々目の前のデザートに戦いを挑んだ。
 時折、後ろで声がする。
「なぁ、もう1人の声って、車道さんじゃね?」
「……だから、お前は……」
「堂上、アイス溶けてるからオレ食ってるぞ」
「え?! こらこら、ちょっと待て」
 こちらの会話も筒抜けかもしれないが、あちらの会話も筒抜けだ。
 店のBGMでいくらか和らいではいるものの、聞かれているのかと思うとあまり気分のいいものではない。
「そういえば、くーちゃん、CD聴いてくれた?」
「え? あ、クラシックの?」
「うん」
「本読みながら聞いてる」
「そっか」
 清香はその返答でも満足なように笑う。
「眠くならない?」
「う……ん、それほどではないね」
「よかったー。結構有名な曲ばっかりだから聴きやすいでしょう?」
「ええ」
「あ、それで、今日1枚持ってきたから、聴いてみてほしいんだ」
「何?」
「アイリッシュ音楽なんだけど、くーちゃん、好きだと思う」
 そう言われたら、好きだと言ってしまいそうになることを、彼女は分かっていて言ってるのだろうか。
「民族系の音楽のほうが、くーちゃんのイメージに合うかなぁって。お父さんのCDをちょっと漁ってきた」
「あたしのイメージってどんなんよ?」
「奔放な、風?」
「へぇ……」
「ふふ」
「なに?」
「んーん」
 清香は首を可愛らしく横に振ると、抹茶オレを口に含んだ。
 舞はよくわからずに、小首を傾げる。
「清香、なんだか、ご機嫌?」
「え? どうして?」
「ん、や、それはこっちが聞きたいんですけど」
 舞は目に掛かった前髪を直して、ブルーベリーチーズケーキの最後のひと口を平らげた。
 すると、清香の手が紙ナプキンに伸びた。
 舞はぼんやりとその様子を見ていたが、突然、それで自分の口元を拭かれたので驚いた。
 反射的に少し顔を引く。
「な、なに?」
「付いてた」
 清香は特に臆することなくそう言って、紙ナプキンを丁寧に畳む。
「それなら言ってよ。子供じゃあるまいし」
「ん? 子供に帰りたい日なのかなぁって、思ったから」
 舞のさっきの言動のことを言っているのだろうか。
 清香は両肘をテーブルについて、手に顎を乗せ、笑う。
「……なんだか、清香、変?」
「あら、それはだいぶ失礼な物言いではございませんこと?」
「……変」
 舞が何度も変と言うので、少しばかり清香は膨れてみせた。
 その表情にきょとんと舞は目を丸くすることしか出来ない。
「……どうしたの? やっぱり、機嫌いいよね?」
「くーちゃんって」
「ぅん?」
「自分のことになると、極端に鈍感だよね?」
「んん?」
 舞は清香の言葉に首を傾げることしかできない。
 清香の意味の分からない言動や行動の数々には確かについていけていないところがあるけれど、それは清香の自己完結的な面がそうさせているのであって、舞が鈍感とかそういうことではないのではないかと思うのだが。
「……ジャージで来ればよかったかなぁ」
 目を細めて、ふてくされたように言う清香。
「…………」
 舞もそこでようやく彼女が何を言いたいのか分かってきたように思った。
 出掛けるならちゃんとした服がいいからという理由だとてっきり思っていたのだが、そうではなかったらしい。
「……結構服も悩んだのに、似合うとも言ってくれないし」
 ポソッと小声で言う清香に、舞はきゅっと指に力を入れた。
「ああごめん。可愛いとは、思ってた」
「今更ー?」
「う……知ってるでしょ。あたし、なんでも可愛い可愛い言いまくる、女子のああいうテンション向かないのよ」
 舞は唇を尖らせてそれだけ言い返した。
 が、言い訳でしかありはしない。
「なんでもって。社交辞令が欲しいわけじゃないよ?」
「あ、そういう意味では」
「まぁ、服装なんてわざわざ誉める必要性もないよね」
 どうしたことだろう?
 今日は、やたらと突っかかってくる。
 いつの間にか後ろのテーブルから声がしなくなっていた。
 どうやら、もう食べ終えて店を出て行ってしまったらしい。
「渡井さん……だっけ?」
「ん?」
「あの人には優しいよね、くーちゃん」
 なんで、ここで柚子の名前が出てくるのかがわからなかった。
 畳み掛けるように色んなところから色んなものが飛び出してきて、舞の頭では処理し切れやしない。
 きっと清香の中では当然の動きなんだろうが。
「柚子さんは、友達よ」
「……私だって、友達だよ」
 ……嫉妬してる? 柚子に?
 もうホント、彼女の頭を開けて見せて欲しい。
 状況の整理がしたいなんて言ったら、口を閉ざされてしまいそうだから、懸命に舞は清香の思考回路を追っていた。
「機嫌いいと思ってたんだけど、逆なの?」
「機嫌はいいよ」
「…………」
 頭痛がしてきた。
「清香、お願いがあるんだけど」
「何?」
「今日は、ちゃんと説明してくれない?」
「え?」
「いつもは、それなりに不透明な部分があってもスルーしてきたんだけど、今日は……ちょっと、あたしじゃ追えないみたい」
 舞の言葉に、清香は目を丸くし、ようやく冷静になったように自分の行動を恥じるように俯いた。
「ごめん。ちょっと、感情のままに言い過ぎた。……悪い癖だね。これで、くーちゃんのこと傷つけたのに、直ってない」
「……清香はそれを自覚してるから、普段はやんわり一歩引いてるんでしょ? 別に、そのことに関してはなんとも思ってないよ」
 舞が優しい声でそう言うと、清香は肩を落としつつも、なんとか状況を整理するように話し始めた。
「くーちゃんが今日誘ってくれて、結構楽しみにしてたんだ」
「そっか。嬉しい」
「……服を誉めてもらえなかったのは構わないんだけど」
「根に持ってる?」
「ううん。持ってないよ。くーちゃんはそういう人だもの」
「…………」
「勇くんが試合に出てなくて……ちょっと不味いなぁって思って、それでも、私がなんとか取り繕おうと思ってたの。だけど……ジュース持ってったら、くーちゃん、渡井さんの隣で泣いてるし。だから、私は少しいじけました」
「清香……」
「だって、学校でもそうだけど、くーちゃん、渡井さんと一緒に居すぎなんだもん。渡井さんを体育館で見つけた時も、優しい目で見てるし。総合して、これは嫉妬です。それは認めます」
「あの……あれは、あまりにも微笑ましいカップルがいるなぁと思って……」
「私はデート中に他の人を見られるのは、正直不服です」
「……気をつけます……」
 あれ?
「でも、追いかけてきてくれたから、全部なし。私は、頭を撫でるくらいしか出来なかったけど、くーちゃんも元気みたいで安心」
 これってさ。
「追いかけてきてくれたから、私はご機嫌。至ってシンプルな話です」
 それってさ。
「シンプルじゃないって。清香の中ではシンプルでも、あたしからすると複雑怪奇だった」
「…………」
 ねぇ、清香?
 視線を清香に向けると、清香は全部言い尽くして、恥ずかしくなったのか、俯いた。
「と、友達としての、嫉妬……だよ、たぶん」
 舞の視線の意味が分かったのか、素早くそう付け加える清香。
 舞は冷静に尋ねた。
「友達より、少し前に動いてない?」
「…………」
「少なくとも、こんな清香はあたし今まで一度も見たことないよ。いつも動じないおっとりした学年1女らしい女の子」
「ちゅ、中学の頃の話でしょ」
「そっか。じゃ、高校に入ってから、清香は感情的な部分も出してるんだ」
「違っ! こんなの、普段は……普段は……見せないよ」
 自分が嫌な性格をしていると思うのは、こういう時だ。
 本当は少しどころか、清香の気持ちはだいぶこちらにベクトルが向いていることを見透かしているくせに。
 誘導尋問。
「どうして?」
「見苦しいでしょ? 感情でしか思考が回らない……そういうの、一番ヤなのに、昔から……こうで。一生懸命隠してきたのに」
「理屈こねるより万倍いいでしょ」
「……え?」
「ヤなもんよ。状況見て、計算づくで動くのも」
「くーちゃん……」
「あたしは、別に。見苦しいともなんとも思わなかったけど。ただ、説明なしで感情ぶちまけられると、困るかな。出来るだけ、理解したいし」
「…………」
「清香は、本当に女の子らしい女の子なのね。気をつけるわ」
 自分にとっての杉子はあなただと思った自分を許して欲しい。
 好きなくせに、腹で何を考えているか分からないと、疑ってかかってしまっていた。
「あ、でも、1つ許して欲しいんだけど」
「え?」
「柚子さんは、親友なので一緒に居ても怒らないで」
「……お、怒らないけど……その」
「なに?」
「わ、私は、よく分からないんだけど、くーちゃんは……他の女の子も、私と同様に見てるの?」
「意識してるかってこと?」
 舞の言葉にコクンと頷く清香。
 舞は少しだけ溜めを作った。
 だって、今日の清香は全てに素直に反応を見せてくれそうで、楽しい。
 不安そうに、清香の瞳が揺れた。
「……んー。それは見定め中なんだけどさ……でも、別に。今のところ、ないかなー。男子でも好きだなぁと思えば気に入るし」
「え、す、好きな人いるの?」
「うん」
「…………」
「目の前にいるじゃん」
 不安そうな顔が一気にからかわれたことに対する憤りに染まった。
「くーちゃん、酷い」
「あはは、だって、柚子さんバリにいじりがいあるんだもん、清香」
「きょ、今日だけ……もう、取り繕う余力もないから、今日はもういい」
「そのほうがいいよ」
「え?」
「いつもの清香もいいけど、あたし、今日の清香も好き」
 舞は穏やかに笑ってそう言った。
 すると、清香の顔が真っ赤に染まった。



 月曜日、勇兵に呼び出された。
 勇兵は話しづらそうに舞を見て、すぐに朗らかに笑う。
「修ちゃんに、心配かけたんだから謝っとけって言われてさ」
「……謝るのはあたしのほうじゃない?」
 舞が静かに言うと、勇兵は困ったように目を細めた。
「や、俺、お前助けたことは後悔してないから、それは勘弁して欲しい。舞、軽かったし……だから、怪我も大したことねーって思ったのは、そのへんもあって」
「…………。じゃ、謝らなくていいよ」
「え?」
「あたしらの距離じゃないでしょ、そういうの。問題ないから」
「うん。だよな? よかった」
「え?」
「俺も、おんなじふうに思ってたから」
 勇兵は当然のように笑って、肩の荷が下りたように安堵の表情を見せる。
 そして、少しの間の後、踵を返して、自分の教室へと戻っていく。
 が、何かを思い出したように立ち止まった。
「あ」
「どうしたの?」
「お前ら、うまくいってんのな」
「え?」
「……安心したよ」
 勇兵はこちらを向いて、白い歯を見せて笑うと、後ろ手をヒラヒラ振って駆けていってしまった。
 開いていた窓から風が吹き込んできて、舞の髪を揺らした。
 何? あいつ、そんなところまで見透かしてるの?
 舞はさすがに驚いて、勇兵の背中を見送ることしか出来なかった。



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