◆◆ 第3篇 篝火・たこ焼き弾丸ストライク ◆◆

Chapter2.二ノ宮 修吾



 教室の後ろに展示用のボードやら飾りが雑然と置いてある。
 まだ展示媒体を完成させていない班の生徒たちは、休み時間にバタバタと手を動かしていた。放課後は自分の部の準備や、運動部なら運動部で部活があるから、こういった時間が貴重なのだ。文化祭も一週間後に迫り、そういったばたついた空気が心地よい時期になってきていた。
「文化祭っぽい雰囲気になってきたなぁ」
 勇兵がそんなことを嬉しそうに呟いて、こちらを向いた。
 修吾は部の展示の特集用に小説を読み返している最中で、勇兵の言葉に返事をする余裕もない。
「修ちゃんはここ最近本の虫だね?」
「推薦文書いてて、実際どうだったかなって思う部分が多くてね。結局読んだことあるのに、全部読み返す羽目になってるんだ」
 文集用の話を書き終えた後は、クラス展示用の作業を優先していたものだから、特集用の準備に取り掛かれずにいたのだ。同時期に作業を終えて、こちらの準備に移るため、示し合わせて舞と同じ班になったのはよかったが、意外と骨の折れる調べ物で時間ばかりが過ぎてしまった。
「そんなの適当でいいのに」
「や、適当なこと書くと、後でシャドーに指摘されるからさ」
「……へぇ……」
 その言葉に勇兵が意外そうな顔をした。
 修吾は目に掛かった前髪を除けて、ページを捲る。
「くっやしいけど、シャドー、読み込みがすごい。読むの速いくせに、ちゃんと読んでんだ」
 むーと悔しくて頬を膨らませる修吾。
 その表情をクラスの女子が見たら間違いなく卒倒物だが、幸い誰もその表情には気が付いていなかった。
「解釈の違いは色々じゃないの?」
「そうなんだけど、出来るだけ意見を合わせた状態のものにしたいからさ。そうすると、シャドーの意見に敵わない訳」
「はは。シャドーは口が達者だからなぁ」
 勇兵は楽しそうに笑いながら、すっと舞と柚子のほうに視線をやった。
 なので、修吾も本から目を上げて、そちらを見る。
「どうしたの?」
「……ねぇ、修ちゃん」
「なに?」
「遠野清香ってどう思う?」
「…………」
 修吾は勇兵のその言葉に困って口元をひくつかせる。
 そういう質問を教室でされるのも嫌だし、何よりそれが誰なのか、修吾の脳内検索ではヒットしない。どこかで聞いたことがあるようには思うけれど。
 堂上ヒロトが彼女の過激派ファンなのだが、そんなことは修吾の頭の中からだいぶ前にアンインストールされてしまっていた。
「誰?」
「あれ? 知らない? 結構学年じゃ有名だよ? 可愛いから」
「そうなんだ。いや、言われてもパッと浮かばないなぁ。その子がどうかしたの?」
「ん? や、修ちゃんでも可愛いって思うのかなぁって思って」
 勇兵は目を細めて笑い、そっとしゃがんで修吾の机に頬杖をついた。
 修吾は少々唇を尖らせ、本に視線を落としながら返す。
「何? 僕でも、って……」
「ん、や、修ちゃん、あんまり女子に興味ないみたいだから、さ」
「勇兵だってそうじゃないの?」
 スポーツバカの部活バカ。
 とは口にしないまでも、修吾は頭の中でそんなことを思い浮かべながら言った。
「俺は興味あるよー。バレンタインはチョコ何個貰えるかなぁとか」
「それは、チョコに興味があるんじゃ……」
「今はやっぱ女マネだな。女マネ欲しいよ。渡井やってくんねーかなぁ。新人戦の時のきゅん度はかなりのものだった」
 ナチュラルにそんなことを言って笑う勇兵に、修吾は若干目を細めた。
 なんとなく、彼女の名前を他の男の口から聞くと複雑な気持ちになる。
「あ」
「ん?」
「あれだよ、あれ」
 勇兵が無造作に教室の外を指差したので、修吾もつられてそちらに視線をやった。
 色素薄めでウェーブの掛かった髪。ふわふわ、という擬音の形容が最も似合いそうな顔立ちの女子が、舞に呼び止められて立ち止まっていた。
 舞は廊下側に面してついている窓を開けて、何か笑いながら言っている。
 それを柚子が少し心配そうな表情で見つめていた。
「あの子が、遠野清香」
 そして、当の清香はというと、舞に何か指摘されたのか、慌てた手つきで髪の毛に触れていた。
 修吾はその様子を見つめて思い出したように呟く。
「ヨーグルトの子か」
 修吾にプレーンヨーグルトを譲ってくれた子だった。
「は?」
「や、なんでも。こっちの話」
「あ、ああ、そう」
 困ったように小首を傾げる清香。
 舞がちょいちょいと手招きをした。
 何があったのか分からないが、髪の毛に必死に触っている間に、どんどん顔が紅潮していっていた。
 髪の毛に何かついている、とか、そういう会話をしていたのだろうか?
 清香は手招きされるままに、教室の窓辺に寄って、舞に背を向けた。
 舞が手で梳かして、丁寧に髪の毛を整え始めた。
 そこでようやくわかった。
 寝癖だ。
「めっずらしい」
「え?」
「遠野って、中学の頃から隙がなかったんだよなぁ」
「それがどうかしたの?」
「……いやー、あんなに顔赤らめてるの見るの、初?」
「へぇ……」
「あれは可愛いな。あっちのほうがいいな、俺」
「いいって……」
 無防備な勇兵の発言に、修吾はつい噴出してしまった。なんというか、勇兵が言うと、全く性的な意味に繋がらないのは人柄のおかげなんだろうか。
「やー。遠野のこと、俺、結構苦手でさー」
「なんで?」
「よく出来たお人形、ってとこ?」
 いつも朗らかな勇兵の声が、その瞬間だけやけに冷えた印象を放った。
 表現が勇兵らしくなかったからだろうか。
 修吾はそんなことを考えながら、勇兵の横顔を見つめる。
「ふわふわして、お姉さんっぽくて、感情もあんまり大袈裟に出さない」
「ふーん」
 笑顔でヨーグルトを差し出してきた彼女の表情を思い出しながら、修吾は勇兵の言葉に首を傾げる。
「おっとりしてるんだね」
「……んー」
 修吾の言葉に納得いかないように首を捻るが、自己完結したようにすっくと立ち上がった。
「ま、いっか。俺も、似たようなもんだし」
「え?」
「へへっ。修ちゃん、俺のクラス、たこ焼き売るからさ、是非とも来てね。はい、1個おまけ券進呈〜」
 ポケットに手を突っ込んだかと思うと、くしゃくしゃになった紙切れを取り出して、修吾の机の上に置いた。
「これ、何枚綴り? こんなに要らないよ」
「んー、じゃ、1、2、3、4! よし、オケ☆」
「4?」
「修ちゃん、シャドー、渡井。あと……予備」
 ピリピリと破った紙を、軽いテンポで置き、ニヘッと笑う。
 修吾はそれを丁寧に回収して財布に入れた。
「勇兵、焼くの?」
「うん♪ たこ焼きなら任しとけ☆」
「時間帯は?」
「ん? 午前中〜。午前終わったら、文化祭満喫だぜ〜」
「そっか。じゃ、午前中に当番にならずに済んだら行くね」
 修吾が笑顔で言うと、勇兵はコクコクと頷き、思い出したように付け加える。
「シャドーは時間帯関係なしに欲しがるだろうから渡しといて」
「直で渡せばいいのに」
「忘れそうだから修ちゃんに任すよ。さって、次移動だから、そろそろ行くわ〜」
 ポケットに残りの券を突っ込み、髪の毛を少しいじくってから勇兵は明るい声でそう言った。
 修吾も頷いてそれを見送り、本を閉じて、次の授業の教科書を取り出した。
 清香はまだ舞と話をしていて、柚子が退屈そうに目を細めて顔を動かした。ちょうど修吾と視線が合い、柚子はにこーと笑って、小さく手を振ってみせた。
 修吾はただ目を細めて笑うだけで、特に何も返すことなく、また本を開いて、小説の世界へと戻った。






「あー、もう、あーだこーだ言ってる余裕ないんだけど。どうにかしてよ、ニノ」
 舞が2人分の紹介文を見比べるようにノートを交互に見ながら、うんざりしたようにそう言った。
 修吾は決定稿が出た本の紹介文を模造紙に書き写していたが、舞のその言葉で顔を上げる。
「どうにかしてよって言われても……。シャドーがレベル下げたくないって言うから」
「だって、時間ないじゃん。これ以上、凝ったら自滅よ」
「はは、確かにね」
 修吾は展示予定の模造紙5枚を見回してから、ふーと息を吐き出した。
 今週の日曜日が文化祭だというのに、月曜の現在、埋まっている模造紙が1枚。書き始めが1枚の状態。
「大体、頑張ったからって読んでくれるのかなぁ」
 随分と弱気な舞の発言に修吾はキュポとマジックの蓋を閉じて立ち上がった。
「読んでもらうかどうかじゃないって。参加することに意義があるんだろ? 少なくとも、オレ、この忙しさ、嫌いじゃないな」
「ニノは前向きねー」
「そう? ただ、単に楽しいって思ってるだけなんだけどな。元々、こういう行事ごとって引け腰で、ちゃんと参加したことなかったし」
「ふーん……あたしは色々中心でやりすぎちゃったから、高校からはパスって感じだなぁ」
「でも、適当にやらないって決めたんでしょ?」
「そうよ。やるわよ。それでも、愚痴りたい時ってあるでしょ? 少ない先輩が全くサポートする気ゼロの時とか」
「ふっ、そだね」
 舞の言葉に修吾は軽く笑い、再びマジックの蓋を抜いた。
「あ、シャドー」
「ん?」
「オレ、その紹介文だけは自信あるんだよね。使ってくれない?」
「……ああ、あたしが読んでない本だ……。今晩読んでみるわ。それからでいい?」
「うん」
 修吾は舞の言葉にニコリと笑い返して、床に膝をついた。
 少し開けてある窓から涼しい風が入ってきて、前髪が揺れた。
「あ、そういえば、当日の当番の話どうなった?」
「ああ、案をそのまま押し付けてきた」
「マジ?」
「当日まであたしらに押し付けられると思ったら大間違いよ」
 舞がしてやったりといった表情でそう言い、ふふふふふ、と不敵な笑い声を漏らした。
「一応、当日は休憩にも使えるように椅子くらいは置いておくとして……」
「打倒漫画喫茶、ってとこかな」
「打倒?」
 修吾は舞の言い回しがおかしくて、再び顔を上げた。
 話し出すと作業が進みゃしない。
 律儀な修吾は、2つのことを同時に出来ない。
「漫画だけ集めて、休むスペース作って楽しようってクラスあるでしょ? でも、あれは学生が楽しいだけだからさ。父兄は休み処に困る。そこで」
「文芸部兼休憩スペース?」
「そそ。それで読んでくれる人、買ってくれる人が出たらご馳走様」
「ただで配れりゃ一番いいんだけどね」
「印刷代だって馬鹿にならないもの。そうもいかないわよ」
 舞はそう言って、髪の毛をいじくる。
 この子が部長になったら、色々とやりくり上手な部になりそうな気がする。
 思わず、そんなことを考えてしまった。
「で、当番は、あたしらどっちも正午から14時ね」
「それだけでいいの?」
「だって、10時から16時までだよ? 2時間交代だもの。こんなもんでしょ?」
「はは……今更だけど、うちの部、ホント部員少ないねー」
「3年3人、2年1人、1年2人。まぁ、確かに、素晴らしい閑散具合だわ。ニノ、来年からはあんた書く作品の数増やしてね」
「……急遽書くことになって、3つでも厳しかったんだけど……」
「だって、あんたの作品ぐらいしか売り物とは言い難いんだもの。あんたがいなかったら、同人誌販売なんて無理だったと思うわ」
「あ、はは……」
「あと、2年の先輩か。あの人、意外だったなー」
「ああ、ちゃんと書いて欲しかったな、オレも。もっと、ちゃんとしたの、読んでみたかった」
 修吾はそう言って、残念そうに眉を歪めた。
 舞は修吾のその表情を見て、ふっと笑う。
「やる気ない人に限って、無駄に才能持ってたりすんのよねー」
「そうだよねぇ」
「……単に、隣の芝生は青く見えるだけ、かもしれないけど」
「へ?」
「ないものねだりなのよ。才能あるなぁって思ってたって、開けてみたら只の人、なんてよくあることよ」
「そう、かな?」
「古平良(こだいら)先輩に関しては、あたしはそう見えるよ。浮かばなくなったから中途半端な作品なんでしょ」
 舞は冷静な声でそう言い、印刷で上がってきている同人誌を開いた。
「あたしは、どんなに面白い作品書いても、ゴールを書けない作家は、駄目だと思ってるわ」
「…………」
「その点では、ニノは合格よ。今回は期間が短すぎたのもあるし、次回は頑張って。……結構、ニノの作品読ませてもらうの、楽しみなんだから」
 修吾はそう言われて、カァッと顔が熱くなった。
 そんなことを面と向かって言われたら、照れるしかないじゃないか……。
「へぇ、この人がこんな恥ずかしいこと書くんだーって思えるからね」
 修吾の様子を見て、舞はすぐにそう付け加えて、意地悪っぽく笑った。
「……どーせ、青いよ」
「ふふっ」
 舞はおかしそうに笑い、しばらく体を震わせていたが、収まってから赤ペンを握って、紹介文の決定稿作成を開始したようだった。
 なので、修吾も模造紙にマジックを押し付けた。
 キュッキュッキュッという、少々耳障りな音が静かな部室に響き渡った。



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