◆◆ 第3篇 篝火・たこ焼き弾丸ストライク ◆◆
Chapter3.遠野 清香
5月の中旬だったろうか。 部活もなく、中学の時の友人たちと寄り道して帰ろうとしていた時のことだった。 大きなスケッチブックを持った三つ編みの子とすれ違った。 彼女は全くこちらに興味を示してなどいなかったのに、清香が何か発言して笑いを取った次の瞬間、引き返してきて、清香の腕をガシッと掴んだ。 驚いたのは、勿論こちら。 友人たちも怪訝そうにその子を見つめた。 その子は反射的に体が動いてしまったのか、すぐにカァァッと顔を赤らめ、掴んでいた手も離した。 小柄で線が細く、肌も白く、レトロなデザインの白いセーラー服がよく似合っている女の子だった。 「あ、あ、あの」 「はい?」 清香はなんとか笑顔で女の子の言葉を待った。 「あの……ちょっと、お話があります。い、いいでしょうか……?」 その言葉に、清香は友人たちを見、少し考えてから口を開いた。 「いいですよ。……先に行ってて。いつもの場所だよね?」 「うん、わかったー。早く来てね?」 「うん」 清香は小さく友人たちに手を振ってから向き直った。 女の子が落ち着かないように周囲を見回す。 細くて長い三つ編みに少し触れて、落ち着こうとしているのか息を吐き出した。 清香は記憶を搾り出すように目を細め、舞とよく一緒に歩いている子であることを思い出した。 警戒心を露わにしない程度に身構える。 「何のお話ですか?」 「ちょっと、ここだと、しづらいお話です」 そう言われて、清香は察した。 「……車道さんのことですか?」 小声で清香は言い、少しトゲのある眼差しを女の子に向ける。 誰かに話すような人ではないと思っていたのに、第三者が知っているという事実。 それに対しての失望が混じっていたと思う。 「そんな、他人行儀な……。もっと、可愛い呼び名で呼んでたのに」 女の子は静かにそう言って、寂しそうな目で清香を見上げてきた。 綺麗で澄んだ目。 吸い込まれそうなほどに真っ直ぐ、彼女は清香を見ている。 清香は射竦められるようにゴクリと息を飲み込む。 すると、突然女の子はにこぉと笑った。 「わたし、渡井柚子っていいます。舞ちゃんのクラスメイトです。はじめまして」 「あ、遠野清香です。こちらこそ、はじめまして」 なんだろう、ペースが狂う。 動きづらい。 柚子は名乗った後、人通りが少ない場所を探すように歩き出した。 清香はそれに従うようについていくだけ。 校舎から体育館への渡り廊下が通っている場所まで来て、柚子は立ち止まった。 確かに、ここならばそれほど人は来ない。 「舞ちゃんと、仲直りしてあげてくれませんか?」 話はすぐに本題に入った。 清香はあのことを再び思い出さなくてはいけないことに、眉根を寄せた。 「……それは、今は無理、じゃないかな?」 「どうしてですか?」 「どうしてって、普通に考えれば、わかることだと思います」 「普通? ……普通って何ですか?」 「え?」 「わたし、小学校からずっと変な子って言われて育ってきました。最初は3月生まれで成長が人より遅いんでしょうって言っていた先生たちも、わたしに対して呆れるくらい……たぶん、わたしは行動とか言動とか、色々おかしかったんだと思います」 いきなりそんなことを話されても、清香は言葉を失うだけで、何も言うことができなかった。 「変、と言われているわたしには、普通、はわかりません。わたしにとっては、変、が、普通、なんです」 「で、でも、……常識的に考えて、同性の友達に好きだって言われたら……色々考えるでしょう?」 「常識、が、普通? あなたにとっては」 「…………」 「必要な常識もあると思う。……でも、必要ない常識もたくさんあると思います。……人を傷つけてしまうような常識なら、それは要らないと思う」 持っていたスケッチブックをきゅっと握り締めて、寂しそうに柚子は言った。 清香は目を細めて、手を口元に持っていった。 難しいことを言う。 目の前の少女は、難しいことを言っている。 常識の中で生きていた人間に、常識を取っ払えと言っているのだ。 どれほどのことか、言っている本人はわかっているだろうか? 「って、全部お母さんからの受け売りだったりするんだけど……、でも、わたし、舞ちゃんの件は、本当にそうだと思ったから。本当はやってはいけないと思うんだけど、口、挟ませてもらいました」 常に同じテンポの少し間の抜けたような口調。 けれど、先程まではその口調が、十分に緊張感を放っていた。 この子は、全く表情や行動が読めない。 初めて話すのだから仕方ないのかもしれないけれど。 「あ、そっか。えっと……、舞ちゃんはあなたのこと、何ひとつだってわたしには話してませんから」 「え? 相談されたとかじゃないの?」 清香が目を丸くして尋ねると、柚子は三つ編みごとブルブルンと震えた。 「……実は、わたし、あの時、居合わせちゃって……。全部聞いちゃったんです。……だから、あなたの声聞いて、あ、この人だって……」 「…………」 舞が自分への想いを第三者にも話したのではないか。 そんなことを疑った自分が恥ずかしくなった。 本当に、いつまで経っても、自分は視野が狭く、心も狭い。 「わたし、あなたに考えて欲しい」 「……?」 「舞ちゃんのこと、『人間』としては、好きだったでしょう? だから、可愛い呼び名までつけて、お友達だったんじゃないんですか?」 「…………」 きっと目の前の彼女には、性別という括りなどはないのだろう。 『人間』として好きでしょう? その言葉は、その通り。 清香は、舞のことは好きだ。 いくらかの愚かな嫉妬の情を持ってはいても、それでも、舞のことは好きだ。 「だから、考えて欲しいんです。常識的にありえないって突っぱねるんじゃなくて、なんで、それが駄目なのか。それとも、考えたら実は駄目なんてことないんじゃないのか」 「……それは、とっても難しいこと、ですね」 「難しいけど、考えないで出される答えは、人を傷つけます」 「…………」 「撥ねつけるのは簡単で、理解することは難しいです。わたしも、数学ではいつもそう思います」 冗談なのか本気なのか、柚子は無駄な言葉をくっつけて、真面目な顔でこちらを見上げてくる。 清香は困って、目を閉じる。 今更。 どうして、この子は。 この話を持ち出してくるのか。 時と共に風化していけばいいと思っていたこと。 告白を聞いて、すぐに頭を過ぎったのは、『いつから?』という言葉だった。 舞との思い出はたくさんあった。 優しく。 時々怖いけど。 それでも、いつも飄々としていて。 そんな舞の良さに、友達として羨望の眼差しを向けていた自分にとっては。 やっぱり、突然のあの告白は、金槌で頭を叩かれるくらい、いや、それ以上の衝撃だったのだ。 世界が凄い速さで回って、具合が悪くなる。 答えに優しさを見出す余裕などどこにもなかった。 「恋愛対象として見られないのなら仕方ないです」 「…………」 「でも、常識的に考えて、っていうスタンスでの言葉だったのなら、もう少し、考える余地はあるんじゃないですか?」 柚子は真っ直ぐにそう言って、クルリ、と踵を返した。 「お時間取らせてごめんなさい。……でも、わたし、舞ちゃんには心から笑って欲しいから」 「私も」 清香の言葉に、柚子が首から上だけ振り返る。 「ぇ?」 「私も、彼女に泣いて欲しくなんて、ないよ」 清香は俯いて、そっと柔らかい髪を掻き上げた。 何でも出来る彼女が、恋愛的な面ではとてつもない障害を持っていた。 それを知った時、少しばかり湧き上がった優越感。 けれど、そんなものはすぐに消えた。 告白を突っぱね、美術室を出て、人のいないところを探して、清香はしゃがみこんで泣いた。 あれは、何の涙だったんだろう? 可哀想の涙だったのか。 あんな言葉を言わなければならない状況に陥った自分への涙だったのか。 それとも、それ以外の涙だったのか。 それさえ、考えないようにしていた。 辛すぎるから。 何かを考えるには、自分は、視野が狭く、心も狭く、見識も幼い。 考えれば考えるほど、舞への思いが同情的な面に傾きそうで。 もしかしたら、それが怖かったのかもしれない。 そのまま、風化すれば友達として戻れる日が来るかもしれない。 けれど、考えて……同情という感情を覚えてしまったら、もう……舞とは友達には戻れない。 同情を抱いて、友達でいるなんて、そんなことは、出来ない。 それは、清香が考える友達像とは差がありすぎた。 それなのに、彼女は言うのだ。 考えて、きちんと答えを出して欲しいと。 「寝癖、ついてるよ」 次の時間が体育で、体育館に向かっている途中、舞に呼び止められた。 振り返った清香に対して、にんまり笑って、舞はそう言った。 傍らには柚子がいて、2人のやり取りを心配そうに見つめていた。 「え? う、うそ? だ、だって、今日はきちんと……」 清香は舞に言われるままに、髪の毛に触ってフラフラと手を動かす。 けれど、寝癖がどこにあるのか発見できず、ただ、お昼の時間まで寝癖の頭を晒していたという事実で、顔が紅潮した。 「そんなに派手じゃないんだけど……。おいで」 舞はちょいちょいと手招きをして、悪戯っぽく笑っている。 仕方がないので、舞に歩み寄って背を向ける。 この前の一件以来、余裕があるのは舞のほうで、自分には全く余裕がないように感じてしまう。 彼女に見透かされてしまうのは、個人的には面白くない。 「このラインがねー、気に食わないんだよねぇ……」 「…………」 「これは、こうで……」 「ねぇ、くーちゃん」 「ん?」 「寝癖って、もしかして、嘘?」 「うーん……あたしには寝癖に見えたんだけど」 「……もう……」 清香がため息を吐いてから振り返ると、舞が楽しそうに白い歯を見せて笑っていた。 「いやね。いっつも、左に流れてる髪が右に流れてて、右に流れてる髪が左に流れてたんだよねー。だから、てっきり寝癖かと」 「それは、分け目を少し変えたからだよぉ。いっつも同じにしてると頭皮に良くないから」 「……あー、なるほどぉ」 分かっているくせにすっとぼけた表情で舞はそう言い、クスクスと笑った。 清香ははぁ……とため息を吐く。 大きな子供を抱えた母親の気分だ。 よくもまぁ、しょうもない悪戯を思いつく。 「サーちゃん、髪の毛ぐちゃぐちゃだよぉ?」 「えぇぇ? もう……。くーちゃんの馬鹿……」 「櫛ならあるよ。はい」 舞は素早く取り出して、清香に手渡してくる。 「そんなのは私も持ってるよ。まったく……くーちゃん、次やったら怒るからね」 「サーちゃん、今怒っても、たぶん許されると思うけど、なぁ……。本当にぐちゃぐちゃだし」 怒れない理由があるんです、色々と。 ユンにそんなことは言えないけれど、清香はもう一度ため息を吐いてから、ヒラヒラと舞に手を振って、その場を後にした。 「やっぱり、収益を上げるには遠野さんを前面に押し出すしかないよぉ……」 クラスの女子が仕立てたウェイトレスの服を着て、清香は仕方がないのでニコリと笑った。 ……あんまり、目立つのは好きじゃありません……。 心の中では本当に、イヤイヤ、イヤイヤと言い続けているのだが、さすがに断るにはちょっと色々とスケジュールが厳しすぎた。 テニス部の新人戦でいない時に、喫茶店をやることが決定して、満場一致で清香はウェイトレス決定、にされていた。 それを知った翌日、責任者の男子に声を掛けて交渉したのだが、あまり強く言うと角が立つ部分もあるため、やんわりやんわり話していたら、結局ウェイトレスをやらなくてはいけなくなってしまった。 ……単に、その責任者の男子も、清香のウェイトレス姿が拝みたい、というのが本音だったろうが、そんなことは清香の知ったことではなかった。 過激な衣装じゃなかっただけマシ、といったところだろうか。 中学の時、お姫様の衣装に身を包んだ身とはいえ、やはり人間には向き不向きというものが存在するのだ。 自分の性根には、こういったことは合わない。 周囲の期待と、自分が知っている自分、というものの差が大きすぎて、足元が落ち着かなくなる。 「……変、じゃない、かなぁ?」 おっとりとした口調でそう言い、清香は心許なくて、自分の着ている服を確認するように顔を動かした。 収益が出たら、その分は打ち上げ焼肉パーティーだーと騒いでいるクラスメイトたちを見ていると、やっぱり嫌です、なんてもう容易には言えない。 「サーちゃん、エクセレント☆ よく似合ってるよ」 「ユンちゃん」 「いやー、これはみんなに言っとかなくちゃ。とりあえず、中学の男子どもは来るねー」 「あ、はは……」 心の中ではやめてーと悲鳴を上げているが、なかなかそれを口には出せなかった。 ユンはいいのだ。 この子は清香ともそれなりに仲が良いし、変なやっかみも嫉妬も持たないような体育会系のさっぱり女子だから。 でも、怖い人って、結構、いるんです。本当に。 心の中でぼんやりと呟く清香。 舞が、絡まれた? いじめられた? というのは冗談でもなく、実際に色々あったからそう言ってくれるわけで、一応大丈夫とは言っているものの、実際大丈夫じゃないところも結構ある、というのが本音であったりする。 信じられないだろうが、信じられないようなことで文句を言う人は、この世に結構存在していて……。 清香は出来るだけ、そういう人たちと揉めたくない。 ……本音を出して切れたら静まり返らせる自信もあるのだが、そうしたら、自分の今までの努力はなんだろうとも、思うから、出来ない。 やはり、高校生活は平穏無事に暮らしたいものだ。 「ねぇねぇ〜、遠野さんに着せてみたよぉ!」 衣装係の子に押されるままに、更衣室から教室へ移動する清香。 廊下を歩いている間も、すれ違う男子がわざわざ振り返ってまで見ていた。 教室に入ったら入ったで、内装の準備や看板作成をしていたクラスメイトたちが振り返って、それぞれ感嘆の声を上げた。 清香用の衣装を作ってくれた女子は仕事が早かったようで、他のウェイトレスをやらなくてはいけない子たちで身に纏っている人は1人もいなかった。 「こんな感じになりまーす☆ 他も乞うご期待だよ♪」 一応体型が似ているクラスメイトと交替で着ることになるのだが、はじめに清香が着せられてしまったのは、本当に運が悪いとしか言えない。 「やっぱ、遠野さん似合うなぁ……」 「他もって、遠野見れりゃ、本望だよなぁ」 「馬鹿、そういうことでかい声で言うなよ」 「うーん……やっぱり、可愛いね、遠野さんは」 「あはは、目の保養だけど、自分と比べちゃいけない人って感じがする……」 それぞれの声がザワザワ耳に届いて、清香は落ち着かずに俯いた。 笑わないと。 …………。 笑わないと。 『嫌なら、やらなくてもいいんだよ?』 過去の声が過ぎって、清香ははっと我に返った。 舞は、清香がお姫様役を渋っている時も、1人だけそう発言してくれた人だった。 クラスはもうノリで、清香で決定、という空気だったのだが、当時委員長をやっていた舞は教壇の上から優しくそう言ってくれた。 けれど、流れに水を差す形となってしまったのもあり、そう言った舞にはブーイングが飛び、『そんなに言うなら、委員長やれよー』という声を皮切りに押さえが利かなくなってしまった。 さすがにその流れに任せる形でのクラスメイトたちに舞は憤慨し、ほとんど逆切れの形で言い返した。 『わかったよ。やればいんでしょ? やれば! 腑抜け男子しかいないから、王子役も決まらないし。ホント、あんたら、他人任せも大概にしなさいよね!』 その言葉に教室内も静まり返った。 『んじゃ、お姫様なんて柄じゃないけど、あたしがやります。で? 王子役は? 誰? 誰がやってくれるわけ?』 『あ、じゃ、俺、やろ……』 勇兵が何か言いかけたことを、清香は聞き逃さなかったけれど、勇兵の言葉に被さって男子が発言したので、その声はすぐに掻き消えてしまった。 『お姫様が遠野で、王子様が車道でいいんじゃねーのぉ? 宝塚みたくさぁ』 『え……?』 戸惑うように舞が目を泳がせ、すぐに髪を掻き上げて、言い返した。 『バッカ。清香はヤダって言ってんのよ。だから、こういう流れになってんでしょ? 空気読めないわけ?』 『あ、あの……』 『なに? 清香』 『や、やります……。くーちゃんなら、いいです……』 やりたくないのは舞も同じはずだった。 けれど、彼女はその場の空気を読んで、それに沿った答えを示した。 なのに、自分はどうだ。 ただ、ごねただけだ。 それでは、配役に参加もしないでただ意見を言っているだけのクラスメイトたちと一緒じゃないか。 羨望の向こう側の人に近づくには、ひとつひとつ、それを当然のようにこなせる人間にならなくてはいけない。 勇兵を王子役に推薦してあげることも勿論出来たのだけれど……。 それ以上に、自分が自分として成長するにはどうするべきか。 そちらのほうを優先してしまった結果だった。 頑張ろう。 ……あの時、その気持ちをくれた人は、間違いなく、舞だった。 笑え。 清香はそう心の中で合図してから、顔を上げて笑った。 「いらっしゃいませ。お客様、何名様ですか?」 わざとしなを作って、清香はそう言った。 「採用!」 「馬鹿、もう本採用だから服着てんだよ」 おどけた男子が両手で大きく丸を作ると、横にいた男子が素早くそれに突っ込んで笑いを取った。 清香もクスクス笑い、その後にそっと自分の手を見つめた。 どうせなら、楽しまなくちゃ。 お祭りというのは、楽しんだ者勝ちだ。 そんなのは中学の時で十分実感した。 憂鬱だろうと、きっとその先には、それなりの楽しみが待っているはず。 そう、信じている。 |