◆◆ 第3篇 篝火・たこ焼き弾丸ストライク ◆◆

Chapter4.二ノ宮 修吾



「うーーー……眠い」
 修吾は昼休みに入ってすぐに机に突っ伏した。
 駄目。もう限界。
 元々睡眠時間が足らないとすぐにしんどく感じてしまう体質の人間なので、スケジュールには常に余裕を持たせるようにしていたのだが、今回の文化祭準備は……スケジュール通りにいかない。
 完全なる人手不足。
 求めるクォリティに対して貪欲な完璧主義者2人。
 クラス展示用の調べ物の多さ。
 同人誌販売にはページが足らなかったため、急遽書くことになった短編2つ。
 大体、部員数が少ないのだから販売できるほどのページ数に至らないなんていうのは、3年が気が付かなくてはいけないことだ。
 1年の修吾と舞にしてみれば、突然顧問の教師にそんなことを言われて、口あんぐり。
 どのくらい需要があるかはしれないけれど、そこはそれ。
 やれるだけやってみたいという気持ちがあったので無理をしてみた。
 ……その情熱のツケが、こうして回ってきているわけなんだが。
 案の定、本紹介特集がまだ作成完了していないため、まだへたばるわけにも、いか、ない、の、だ。
 そう思ってはいるのだが、意識はどんどん遠のいていき、そのまま、眠りの中に落ちてしまった。



「…………にの、…や、く……」
 誰かの声がしたように思うが、修吾の意識を揺り動かすほどではなく、修吾はそのまま眠りのリズムに乗って呼吸を繰り返す。
 体を揺さぶられたが、すぐに止んだ。
「しゅ、修、吾……くん……」
 修吾は小さく顔を動かして、少し抜け始めた眠気を懸命に追いかけた。
 ここで寝とかないと、日曜まで睡眠が足りないまま過ごすことになる。
 できれば、一度眠った今の状況から起きたくはなかった。
「あと……5分……」
 朦朧とする意識の中で、修吾はそれだけ口にした。
 相手が誰なのかもわからないのに、無防備が過ぎる。
 だが、それを考える余裕などあるわけはなかった。
 眠いから寝てしまったのだから。
 ゆらーんゆらーんと眠りの海を漂い、心地よさに身を委ねる。
 すると、そんな中で再び誰かの手が修吾の肩を揺さぶった。
 今度は耳元で声がする。
「二ノ宮くん、5分経ったよ……。次、体育だし。もう、授業も始まってるし。行かないと、不味いよぉ」
 その声に覚えがあり、あっという間に目が覚めた。
 慌ててガバッと突っ伏していた机から起き上がる。
 修吾の肩を揺さぶってくれていた柚子と目が合って、一気に顔が熱くなった。
「おはよう」
 柚子はなんでもないようににこぉと笑って、そう言うと、エンジのジャージの袖を少し捲くった。
 小柄な柚子にはどうやらそのジャージが大きいようで、若干だぼついている。
「教室に忘れ物しちゃってね、取りに来たら二ノ宮くんいたから……」
「え、あ、あ、あれ?」
「たぶん、男子、みんな昼休みから体育館行っちゃったんだねー。それで、二ノ宮くんだけおいてけぼり……」
「え、よ、予鈴とか……」
「鳴ってたけど、二ノ宮くん全然反応しなかったよぉ?」
 修吾は慌てて時計を見、焦ったようにロッカーからジャージの入った袋を取り出した。
「遅刻だねぇ」
「渡井、行けよ。出欠、間に合うかもしれないだろ?」
「ああ、でも、わたし、見学だから別に」
「え? どっか、具合悪いの?」
「ううん。頑張っても2なら、見学して1でも大差ないですって言ったら、先生も納得してくれて」
 納得ではなく、それは諦めた……という表現が的確かと思われる。
 修吾は柚子の言葉に苦笑し、学ランを椅子に掛けた。
 そして、柚子に背中を向けてワイシャツのボタンを外しながら呟いた。
「兄貴も、そんな感じだったなぁ……」
 ポソリと呟いた言葉。
 けれど、誰もいなかったのもあり、声は柚子の耳にすんなり届いたようだった。
「お兄さん……?」
 修吾はワイシャツを脱ぐと、着てあったTシャツの上からジャージを羽織った。
 チラリと柚子を見ると、不思議そうにこちらを見つめているので、修吾は顔を赤らめて、少し恥じらいつつ言葉を口にする。
「あ、あのさ、渡井、向こう向いててくれる?」
「ぇ?」
「……下、き、着替えるから……」
「…………。あ、あああ、ごめんなさい。全然気が付かなくて!」
 慌てて柚子は修吾に背中を向ける。
 ユラユラと長い三つ編みが揺れて、細い肩が落ち着かないように動いた。
 別に男なんだし、気にすることでもないんだけど、かといって、何も言わずに脱いで驚かれても困るし。
 そんなことを心の中で呟き、はぁ……とため息を吐いた。
 教室で無造作に着替えている男子なんて山ほどいるんだから、律儀に言うことでもなかっただろうか。
「二ノ宮くんのお兄さんって、どんな人?」
 ズボンを下ろした時、柚子がほやぁんとした声で尋ねてきた。
 修吾はベルトの部分を掴んで椅子に引っ掛け、ジャージの下をもぞもぞと履く。
 そして、そのまま答えた。
「……翼の生えた人だよ」
「え?」
「奔放で、自由で」
「…………」
「他人に厳しくて、自分に甘い」
 トランクスの位置を少し直しながら、ジャージに着替え終えると、修吾は脱いだ制服を丁寧に畳む。
「……僕とは、正反対……」
 一人称のことに気を配ることも忘れて、そんなことを呟いていた。
「二ノ宮くんは、色んな人の翼を見つけるのが上手いんだろうなぁ」
「へ?」
「たくさん、良いものを見つけてあげられる人だから、あんなに優しいお話を書ける」
 時々与えられる、彼女の魔法のような間。
 それが、背中越しに届いた。
 突然、そんなことを言われるなんて思ってもいなかった修吾は、困って頭をポリポリと掻いた。
「ねぇ、そっち向いて大丈夫?」
「え、あ、うん」
 修吾はワイシャツを綺麗に畳み終えて、柚子に視線を移した。
 柚子も三つ編みをユラユラさせながらこちらを向く。
 ふわぁと笑って柚子は言う。
「途中まで、一緒に行こ」
 女子はグラウンドでソフトボール。
 男子は第二体育館でバスケットボール。
 第二体育館は一旦外に出ないといけないので、昇降口までルートは同じ。
 断る理由もなく、修吾はコクリと頷き、廊下に出た。
 いつものように柚子が少々小走りで修吾についてくる。
 兄の話を出してしまったせいだろうか。
 嫌な考えが頭を過ぎって離れなくなった。
 柚子は、絵がなくなったら、一体どうするんだろう……?
 兄と同じように、ひとつのものに全てを捧げている柚子。
 それが叶わなくなった時……彼女は、どうするんだろう……?

『疑問に思ったその時が、死ぬ時』

 丘の上での会話がちらつく。
 修吾はすぐにそれに思考が行くことを振り切ろうと頭を振った。
 羨ましい。それでも、愚かだ。
 彼女のように生きたい。それでも、転落はまっぴらだ。
 気がつくとそこにある……羨望と、軽蔑。
 父に逆らうことが敵わなかった兄の背中を見つめて、修吾は悲しい気持ちになった。
 ピアノの才能に恵まれていた兄を襲った悲劇。
 怪我をしたわけでもない。
 いくらでも続けられる体があるのに、表舞台に立つための切符を失うことになった現実。
 けれど、兄に同情的な意見を向けながらも、こうして育つ中で根強くなってしまった言葉もあった。
 何の保険もかけずに生きてきた兄も悪かった。
 だからこそ、大人になるまでの我慢だと、修吾は結論を出すことになった……。
 修吾はまたも軽く頭を振る。
 思考が嫌な方向に傾いている。
 駄目だ。
 変わるって決めたんじゃないか。
 後先を考えるんではなく、今、自分が出来ることをしていくと、決めたんじゃないか。
 昇降口まで来て、下駄箱から靴を取り出して履き、外へと出る。
 柚子は修吾よりも早く外に出て、空を見上げて待っていた。
「行ってもよかったのに」
「うん。でも、ほら、見て」
 柚子はすっと空を指差して、こちらを向いた。
 修吾は柚子に促されるままに、空を見上げた。
 秋の空は、驚くくらい遠くに見えた。
「こういう空を見ると、飛べるような気がしてこない?」
「こない」
「えぇぇぇ? なんでぇぇ?」
 修吾の即答に、柚子は動揺を隠すことなく、大きな声を上げた。
 修吾はその様子がおかしくて、クスクスと笑う。
「オレ、人間が飛べないの、知ってるもん」
「……も、もののたとえだよぉ。二ノ宮くんがいじわるだぁ……」
「……ああ、でも……」
「ぅん?」
「芸術の秋とは、よく言ったもんだよね」
「……?」
「この空を見ると、とってもイマジネーションがわいてくるような気がする」
「そう。それだよ。わたし、そう言いたかったの!」
 修吾の言葉を聞いて、嬉しそうに柚子は笑った。
 修吾は柚子のその様子を見つめて、優しく目を細める。
 あっという間に棘が抜けた。
 この人は、本当に、すごい。
 ……そう。
 全て、もののたとえだ。
 兄は駄目になった。
 けれど、自分たちはこれからだ。
 起こりえないことを考えて憂鬱になったところで、それがどれほど無駄な時間かを、修吾はよく知っている。
「さてと、どのみち怒られるけど、オレは少し急ぐね」
「あ、うん。バスケ、頑張ってね」
 柚子はヒラヒラと胸の前で手を小さく振り、修吾を送り出してくれた。
 修吾はその言葉に頷きを返して、そのまま第二体育館へと駆け出す。
 せっかく、舞に前向きだと誉められたばかりなのに、後ろ向きになってはどうしようもない。
 でも、やっぱり、こういう時に自覚させられる。
 前向きなのは、自分なのではなくて、他でもない……彼女だ。
 自分は、彼女の力を受けて、前を向いていられる。
 人間には、自分で輝ける人と、他人の光を受けて輝ける人がいる、という。
 そのたとえで言うのならば、自分は正に後者だろう。
 それでもいい。
 どんな形でもいい。
 どんなであっても、自分が、彼女と関わっていられる。
 それを実感できる瞬間がある。
 ……ただ、それだけでいい。



「お昼はよく熟睡なさっていたようで」
 部室に行くと、舞がそんなことを言って、ニヤニヤと笑った。
 ……全く、この人は、近所の色事好きなおばさんかなにかか。
 修吾はそんな言葉が心を掠めたけれど、普通の表情で舞を見つめ返した。
「最近睡眠足りてなくてね」
「忘れ物取りに戻ったら、教室でニノがぽつんと寝ててさぁ。あたしはほっとけって言ったんだけど、柚子さんがごねるから置いてったのよねー。どうでした? 柚子モーニングコールは」
 舞はからかうようにそう言うと、机に頬杖をついた。
「心臓に悪かった」
「へ? あの子、何やったの?」
 修吾の言葉に、頬杖の体勢はすぐに崩れた。
 修吾は鞄から弁当箱を取り出し、机の上に乗せる。
「食べてから作業でいい? 食べる暇なかったんだ。残してくと、母さんに泣かれるから」
「ああ、別に構わないけど……。質問には答えましょう、ニノくん」
 舞はピシッとこちらを指差してみせる。
「何も。単に心臓にはよくないってだけだよ」
「想像がつかない」
「……女子に起こされるだけでも、十分、心臓に悪いの。これでいい?」
「ふーん。さすが、奥手ニノくんだわ」
 修吾がむすっとして答えると、舞はからかうようにそう言って、楽しそうにケラケラと笑った。
 本当に、この人は他人(ひと)をなんだと思っているのか。
 ……ああ、わかってるけどね。
 玩具だよね。
「ああ、そういえばねー」
「む……ぐ」
 修吾は口いっぱいに詰め込んで咀嚼しながら、舞の言葉に頷いた。
 舞は修吾の顔をジッと見つめて、しばらくしてから、口元に手の平を当てて、笑う。
「ホント、リスみたい……」
 口に物が入っているため、何も言い返すことが出来ず、修吾はただ舞を睨みつけるだけ。
 きっと、舞も眠くてテンションがおかしいのだ。
 そうに違いない。
 修吾は全て飲み込んでから、ふーと息を吐く。
「ねぇねぇ、柚子さんがさ、『危うく痴女になるとこだった』って言ってたんだけど、何したの?」
 物が入っていなかったから良かったものの、その言葉を受けて、修吾は盛大にむせた。
 舞はその様子すら楽しむように笑って、すぐに言った。
「いやー、口に入ってる時に言ったら、あたしにご飯粒飛んでくるかと思ったから待ってみて正解だったわ」
「……飛ばしてあげようか?」
「いいえ、要らない♪」
 修吾はのどをさすりながら、うぅんと首を捻る。
 痴女になるような場面があったようには思えないのだが。
 舞は修吾の様子を伺うように頬杖をつき直して、全く思い当たるところがないのを感じ取ったのか、すぐに目を細めた。
「ま、ニノが分かるようなら苦労ないわね」
「何、つまんなそうな表情で言ってるのかな?」
「実際、つまんないんだもの〜。ちぇー、あたしも、残っておけばよかった」
 この物好きなクラスメイト兼チームメイトをどうにかしてください。
 しばらく、そんなあほらしい会話が繰り広げられたが、2人が部室に訪れた後、滅多に開くことのない部室の扉が、静かに開いた。
 修吾は物を口に含んだ状態で、振り返る。
 頬杖をついていた舞も、姿勢を正した。
「古平良先輩、珍しいですね」
 2人の視線の先に立っていたのは、古平良鳴(こだいらなる)だった。
 学年は2人のひとつ上。
 ショートボブの黒髪と、真面目そうな眼鏡が良く似合っている。
 女子の中では背も高くて、修吾よりも少し大きい。
「どうしたんですか?」
 舞が尋ねると、鳴は無言で1枚のプリントをペラリと開いた。
「……ぇと」
 仕方なく、舞がわざわざ立ち上がって、鳴の傍まで寄った。
 そして、プリントを受け取る。
「当番表……?」
「時間帯、変えて」
「は?」
「正午から14時。そっちだったら都合いい」
 全く感情のこもっていないような口調で、鳴はそう言い、舞のことを見つめている。
 修吾はとりあえず口の中に入っているものを飲み込んでから、2人に歩み寄った。
 正午から14時は、修吾と舞の当番の時間帯だ。
 プリントを見ると、鳴の当番の時間帯は14時から16時。
「いや、そんな身勝手なこと言われても」
「……だって、当番決める時、部員の予定とか少しは聞きましたか? 急にこんなものが回ってくるほうが理不尽かと」
「理不尽ったって、3年がやるべきことを何ひとつしないから、今週てんてこ舞いで作成して回すしかなかったんですよ。申し訳ないですけど、我慢してもらえませんか?」
 舞の言葉を受けて、鳴はスチャッという擬音が似合いそうな仕草で眼鏡を直した。
 ほんの少しだけ口元が吊り上がったのが見えた。
 笑っている?
「3年が無能なのは認めます。けど、こっちにも予定があります。この当番表では、わたしには不都合」
「…………。そんなこと言われたって、あたしたちだって、この当番表に合わせて、色々スケジュール組んでるんだし……」
「いいですよ。オレ、代わります」
「っ……ニノ?!」
「オレ、別に回るところ決まってないし。回る人も特に決めてないし、問題ないよ」
 舞が困惑したような表情でこちらを見たが、修吾はなんでもないような表情でそう言い、鳴に対して優しい眼差しを向けた。
「古平良先輩が正午から14時で、オレが14時から16時……でオッケーですよね? その代わり、当番だけはちゃんと出てくださいね」
「ええ、出ます。活動に協力するのは部員として当然だから。心配なのは3年です。それでは」
 鳴はスラスラとそう言い、すぐに踵を返して去っていった。
 舞が扉を閉めた後に、ため息を吐く。
「……あああ、変人、変人、変人〜〜〜〜」
「変人って……」
 嘆いて頭を抱える舞を見て、修吾は苦笑を漏らさざるをえなかった。
「変人でしょ? 話しづらいんだもん……」
「ま、まぁ、変わった間で話す人だけど……基本的には悪い人ではないと思うけど」
「あのねぇ、あの人と2時間一緒になったあたしの身になってよ! なんで、ニノ譲っちゃうかなぁ……」
「あ……ごめん」
「あんた、あたしらと文化祭回る気ないわけ?」
「え? そ、そんなの、考えてもいなかったよ」
「全く、ホント、頓着のないヤツねぇ……」
 舞は呆れたようにため息を吐いて、鳴の持ってきた当番表のプリントに視線を落とした。
 月曜に舞が慌てたようにして手書きで作って、わざわざ部員の教室まで行って配ったものらしい。
 修吾は渡されずに口頭で言われただけだった。
「そっか……オレ、回る友達いるんだな」
「何よ、今更……」
「いや、はは。じゃ、当日は勇兵でも誘おうかな」
「そうしなさい。せっかくのお祭りなんだから」
 舞が優しい声でそう言ってくれたので、修吾はコクリと頷き返した。
 そのお祭りの前に、修羅場が待っているけれど、……まぁ、どうにかなるだろう。



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