◆◆ 第3篇 篝火・たこ焼き弾丸ストライク ◆◆

Chapter6.二ノ宮 修吾



 舞にけしかけられて誘ったはいいが、なんとも言えないこの距離。
 修吾の歩く速さについてこようと、相変わらず柚子は小走り。
 けれど、相変わらず、修吾はそれに気が付く余裕もない。
 お昼を過ぎて、人の入りが増えてきている中、修吾は人をひょいひょいかわすが、柚子は何度も避けきれずに人の胸に顔をぶつけたり、肩にぶつかってよろめいたりしていた。
「二ノ宮くん……!」
 どんどん離れる距離に痺れを切らしたように、柚子が修吾を呼び止めた。
 修吾はそれでようやく柚子のほうを向いた。
 柚子が若干疲れたような表情でこちらを見ていたが、すぐににこぉと笑って、修吾のところまで駆け寄ってきた。
「文化祭は逃げないからさ、もう少しゆっくり行こうよ」
 ほやぁんと笑って彼女はそう言い、一息つくように窓に寄りかかった。
 その様子を見て、修吾は目を細める。
「……ごめん」
「え?」
「歩くの、速かった?」
「ううん」
 頭を掻きながら反省するような表情の修吾に、柚子はにこにこ笑いながら首を横に振った。
 そんなのはどう見ても嘘なのがわかるので、修吾は唇をきゅっと噛んだ。
 本当に、自分は切羽詰ると気が利かないのだから……。
「そいえば、塚原くん、当番終わったんじゃないかなぁ?」
「え?」
「塚原くんも誘って、舞ちゃんのところ行こっか? そういう話だったよねぇ?」
「あ、ああ……」
 つまらなかったのではないかと、過ぎる不安。
 だけど、そんなのは顔に出せない。
 修吾は学ランの襟を正して、踵を返した。
「じゃ、勇兵のとこ、行こうか?」
「必要なかとですよ♪」
 ちょうど踵を返したところに、縁日での露店の兄ちゃんのような格好をした勇兵が白い歯を見せて立っていた。
 パタパタと団扇で扇ぎながら、にっこりと笑う勇兵。
「やー、すぐめっかってよかった♪ ねぇねぇ、腹減ってんだけどさ、先に食うとこ行っちゃだめ?」
「ああ……渡井、いい?」
「うん♪ 別にいいよー」
 勇兵の騒がしい空気に、チリチリした修吾の心が少しだけ和らいだ。
 柚子はスカートのプリーツを整えながら、寄りかかる体勢から元に戻り、修吾が握っていた出展リストを覗き込んだ。
「評判良いみたいだから、クレープ屋さん目指してたところだったんだよね」
「うん」
「あれ? でも、修ちゃん……」
「二ノ宮くん、付き合ってくれるっていうから。でも、食べないのに引っ張ってくのも悪いなぁって思ってたから、他のところにしようよ」
「別にいいよ? クレープ、食べたいんだろ?」
「……舞ちゃんと回る時でも食べられるから」
 柚子はにこりと笑ってそう言うと、意見を聞くように勇兵に視線を動かした。
 修吾は静かにその横顔を見つめる。
 いつもの柚子だ。
 先程見せた、疲れた表情はもう引っ込んでいる。
「焼きそば食いてぇなぁ」
「じゃ、そこ行く?」
「ああ、なんか途中乱入なのにごめんな」
「ううん。14時まで舞ちゃん待ってるだけのはずだったから、二ノ宮くんに誘ってもらえて嬉しかったし、塚原くんまで一緒に回ってくれるんだもん。全然問題ないよ」
 柚子が本当に嬉しそうにそう言うので、修吾の不安は簡単に薄れた。
 勇兵がほぉっと感心したように目を丸くして、すぐににぃっと笑う。
「いやー。きゅん♪ なんつってな」
「え?」
「渡井と話してると、癒されるわぁ、俺。もうね、さっき、シャドーから受けた傷が、塞がっていくわ」
「舞ちゃんと何かあったの?」
「……んー、まぁ、いつものことだよ。気にしなくていいんだ」
 柚子の問いに、勇兵は珍しく困ったように笑って誤魔化してそう言うと、修吾の肩に手を回して、出展リストを覗き込んできた。
「よし、修ちゃん、焼きそばのクラスだ」
「2−B」
「上の階か」
「うん」
「よしゃ、渡井少尉、二ノ宮准尉、上の階へ突撃〜」
 階段を指差して元気いっぱいに言う勇兵に、修吾は苦笑を漏らしつつも、従って歩き出した。
 柚子が小さく「アイアイサー」と言い、2人の隣に並んだ。



 焼きそばを買って、用意されていた椅子で食べていると、勇兵が何かを見つけたようにとある眼鏡の生徒を睨みつけた。
 修吾は意味が分からずに、勇兵にすぐに尋ねた。
「どうした? 勇兵」
 ぼんやり床を見つめていた柚子も、その声で顔を上げる。
 勇兵は普段では見せないような険しい表情で立ち上がると、眼鏡の生徒のほうへ歩いてゆく。
 そちらに視線をやると、その生徒の隣には堂上ヒロトがいて、写真らしきものを数枚開いて検討するように見ているところだった。
 勇兵に気が付いた眼鏡の生徒が、親しげに手を上げる。
「よぉ、勇兵」
「よぉ」
 勇兵も同じように手を上げて、愛想よく応えたが、次の瞬間、ヒロトが持っていた写真を素早く奪い取った。
「な、何すんだよ?!」
 ヒロトは奪い取られた写真を奪い返そうとすぐに立ち上がったが、勇兵がヒロトの頭を押さえて、高々と掲げるので、全く手が届かなかった。
 わたわたと動く手が宙をさまよう。
 勇兵は周囲を気にするように、すぐに写真をクシャッと握り潰した。
 ヒロトが唖然として勇兵の手を見上げ、今にも殴りかかりそうな勢いで、勇兵のTシャツを掴んだ。
 けれど、勇兵は物ともせずに、ヒロトの手をどかし、2人の傍にあった椅子を引き寄せて、ドッカリと座り、なんでもない風を装って周囲に笑いかけた。
 ガヤガヤとお祭り騒ぎの教室内は、ただ男子がふざけあっているだけ、と受け取ったらしく、すぐに騒がしい空気に戻った。
 修吾は少し心配になったので、柚子に焼きそばのパックを預けて、勇兵の傍に歩み寄った。
「俺さぁ」
 いつもヘラヘラしている勇兵の表情が明らかに殺気を放っていた。
「宣伝用だから、言い触らしてくれって、お前に頼まれたから、この写真受け取ったんだけどぉ」
 勇兵はポケットから1枚写真を出して、笑った。
 何の写真かと覗き込むと、清香のウェイトレス姿の写真だった。
 とても可愛く映っている。
「そ、それはホントだよ? ほら、勇兵、顔広いから宣伝してくれんだろ?」
「うん。してやるよぉ。頼まれりゃいくらでもねー」
 眼鏡の生徒はゴクリと息を飲んだ。
「てっきり、他の奴らにも同じ意味合いで配ってたんだとばぁっかり思ってたんだよねぇ。俺としたことがさぁ」
「…………」
「どうしてくれんの?」
「ぇ?」
「……10年かけて積み上げてきた俺の面子、丸潰れたんだけど」
 清香の映った写真をグシャッと握り潰して、勇兵は低い声で言った。
 眼鏡の生徒の顔色が徐々に悪くなっていき、状況を理解したらしきヒロトはそそくさと逃げようとした。
「修ちゃん、逃がすな」
 そう言われて、反射的にヒロトの腕を掴んだ。
 ヒロトと目が合うと、気まずそうに彼は目を逸らした。
「お、おれは、ただ、売ってくれるって言うから、ここにいただけで……な、なんも関係ねーよ。二ノ宮、見逃してくれ……」
 まさにその発言が決め手。
 眼鏡の生徒は弁解のしようがなくなった。
「なぁ? ウェイトレスのやつは宣伝用でいんだろうけどよ。他のはなんだよ」
「…………」
「隠し撮り? コラージュ?」
「……かっこつけんなよ……」
「あ?」
「お前だって、好きな女のなら食いつくんだろ? 誰のがいい? もしかしたら、おれが持ってる中にあるかも……」
「なめんな」
 眼鏡の生徒が鞄をガサゴソ漁り始めたが、勇兵はそれをピシャッと遮った。
 明らかに目には怒りが揺らめいていた。
「無許可のなんか要るかよ。あっという間に軽蔑の対象だ。っざけんなよ」
 勇兵のその言葉に、ヒロトが恥じ入るように俯く。
「修ちゃん、いいよ、放して。堂上は本当に知らないっぽいし」
「え、あ、うん……」
 修吾が手の力を弱めると、ヒロトはキュッと拳を握り締める。
「……言わないでくれ……」
「え?」
 ヒロトが小声で呟いたので、修吾は真っ直ぐにヒロトを見つめた。
「噂聞きつけて来たはいいけどさ……やりすぎな写真出てきて、ちょっと引け腰だったんだ……タイミング悪かっただけで、おれ、買う気なかったんだ……ウェイトレスの写真以外は……」
「…………」
「た、頼む。車道さんに言わないで……。彼女にばれたら、……遠野さんにまで、伝わっちまう……」
 いつも自信満々で笑っているヒロトが、怯えるように震えていた。
 修吾は息を飲み込んでから、搾り出すように口を開いた。
「言わない。約束する」
「…………」
 修吾を一瞥すると、それでヒロトは立ち去っていった。
 彼がどれだけ清香のファンか、修吾は知っていた。
 清香のことなどわかりもしない修吾にまで可愛い可愛いとひたすら言い続けていた時期があった。
 それを思うと、やはり、彼が可哀想に見えてしまった。
 ただ単に、彼は恋をしているだけなのだから。
「教師に言われたくなかったら、写真売るの、やめろ」
 そんなことを言ったところで、裏でいくらでも売る手立てはあるだろうに、勇兵はただ静かにそれだけ言った。
 言葉はシンプルだったが、声はとてもドスが利いていた。
 顔色が真っ青な眼鏡の生徒を見て、勇兵は突然表情と声を緩めた。
「……せっかく、いい腕してんだからよぉ。遠野のウェイトレスの写真、元がいいだけじゃ撮れねーもん。……勿体ねーから、もっといい使い方しろって」
「勇兵……」
「それにさ、こういうの、女子、嫌がんのね? 男なんてこんなもんですって開き直らんでさ、少しは努力しようぜ。な?」
「綺麗ごとだなぁ」
「まぁねぇ」
「……今回はこのへんが引き際か」
「うん、そうね」
 眼鏡の生徒かため息を吐き、勇兵の懐っこい笑顔を見つめる。
「ホント、お前には敵わんわ」
「いやー、さすがに今回の件は俺も沸点過ぎちゃってさー。怖かった? ごめんねー」
「……お前、普通にしてりゃかっこいいんだろうになぁ」
「ん?」
「いや、こっちの話。ああ、これだけ、残したいから預かっといて」
 持っていた鞄から眼鏡の生徒は1枚の写真を取り出して、勇兵の手に忍ばせた。
「は?」
「写真もデータも削除しとくよ。お前と友達やめたくないしな」
「……おい、これ……」
「おれのとっとき。おれ、遠野よりその子のほうが好みなんだよねー。だって、いい目してんだもん。食われそうな感じ? あ、見りゃわかんだろうけど、それは無許可じゃねぇぞ? 彼女、勘いいから隠し撮りできねーんだもん」
 眼鏡をくぃっと上げてにこっと笑うと、その生徒は立ち上がって修吾の脇をすり抜けて教室を出て行ってしまった。
 修吾は勇兵の持っている写真を覗きこんで動きを止めた。
 清香と一緒にピースして写っている舞。
 とっても綺麗に写っていた。
「ったく。……あんだけ怒るなら無防備に撮られてんじゃねーよ……」
「え?」
「んにゃ、なんでもない。焼きそば食って、文芸部行くべ、修ちゃん」
「あ、ああ、うん……」
 勇兵がなんでもないように、ポケットに写真を突っ込んで、柚子の元に戻ったので、修吾も同じように戻った。
 柚子が修吾の焼きそばを律儀に持ったまま待っていた。
 勇兵は椅子に置いておいた焼きそばのパックを持って、バクバクと食べるのを再開する。
 なので、修吾も柚子から受け取って食べ始めた。
 柚子は不思議そうな顔で2人を見ていた。
「なんだったの?」
「ん? 肖像権侵害の罪で事情聴取を」
「え?」
「渡井は気にしなくていいよ。もう済んだからぁ」
「ふ、ふーん、そっか」
 勇兵がふざけるような口調で言うと、柚子もそれ以上興味もないのか、にこっと笑って、持っていた紙コップに口をつけた。
 修吾が口いっぱいに頬張ってもぐもぐと口を動かしていると、柚子はおかしそうにふふっと笑った。
 喋れないので小首だけ傾げる。
 柚子は紙コップを両の手で持って笑った。
「焼きそばは逃げないからさ、もっとゆっくり食べたら?」
 先程と同じようなことをほんわりとした空気を発しながら言われて、修吾はモグモグしながら鼻の頭を掻いた。
 柚子から見ると、修吾はどうにも忙しないらしい。
 歩くのが速くて置いてけぼりとか、ついていくのが大変とか。
 そういうのはどうでもよくて。
 ただ、柚子にとっては。
 そんなに急がなくてもいいのに……と。
 ただ、それだけのことが頭の中にあったらしい。
 修吾は焼きそばを飲み込んでから、一息ついて笑った。
「どうしたの?」
「ううん。渡井」
「なに?」
「やっぱり、クレープ屋寄ってこう」
「え?」
「文芸部までの通り道だからさ」
 修吾は静かな表情で出展リストの一点を指差し、柚子を見た。
 柚子はそれを見て目を丸くし、その後にほんやぁとまるでとろけるような笑顔を浮かべた。
「じゃ、俺もクレープ食おう♪」
 横で焼きそばを平らげた勇兵も、2人の会話を聞いて、そう言い、腹ごなしでもするように体をグィグィと捻った。



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