◆◆ 第3篇 篝火・たこ焼き弾丸ストライク ◆◆
Chapter7.車道 舞
清香がゴンボを見つけて、新校舎への渡り廊下を降りてしゃがみこんだ。 それに反応するようにゴンボが駆けてくる。 「……完全に懐かれてるね」 「ふふ……。うち、お母さんが猫アレルギーで飼えないから、ちょっと嬉しい」 舞が引っ張るように繋いでいた手が解かれて、清香はその手をゴンボへと向ける。 「たこ焼きって、食べるかな?」 「……たこだけにしてあげなよ。体にあんまよくないでしょ」 「……ああ、そっか」 清香は爪楊枝を持って、丁寧にたこだけをほじくりだしてゴンボに与えた。 舞はその様子を、棒立ちの状態で見下ろす。 なんと言えばいいのか。 先程の件はもう放っておいたほうがいいのか、どうなのか。 何ひとつ、読めない。 「くーちゃん、ごめんね」 「え?」 「お化け屋敷行く気分じゃなくなっちゃった」 「……いいよ、別に」 舞が電話の時に冗談で言ったことを、こんな場面で掘り出してこなくていいのに。 風でなびいた髪を押さえて、目を細める。 本当に、ほんの冗談だったのだ。 手を繋いでくれる、と、言ってくれただけで十分だった。 清香はたこなしのたこ焼きを口に含んで、もぐもぐと口を動かした。 ごくんと飲み込んで、舞を見上げてくる。 「これ、美味しいよ、くーちゃん。勇くん、すごい」 「たこなしの焼きで?」 「……あーん」 舞が呆れたように目を細めると、清香がそう言って、まだたこをほじくりだしていないたこ焼きを突き刺して、こちらへと差し出してきた。 舞は一瞬動きを止めたが、横髪を押さえて屈んだ。 パクリと口に含んで、モグモグと口を動かす。 ……ああ、確かに。あれだけ偉そうに言っていただけはある。 これは……かなりレベルが高い。 露店でもはずれがよくあることを考えたら、このレベルで200円は……安い。 「……美味しい……」 「さすが、バレー部秘伝」 清香がクスクス笑ってそう言い、舞もそれに合わせて笑った。 清香は今までもこうやって生きてきた。 だから、いいのだろう。 そうは思うけれど、清香の写真を不特定多数の人間が持っている、ということを考えると、鳥肌が立つ。 「清香、本当にいいの?」 気がつくと、その言葉を口にしていた。 清香はその言葉に、まるで無感情のような眼差しを寄越した。 「いいよ、別に。あの写真、撮った人わかるけど、どうでもいい」 そう言うと、またたこをほじくり出して、ゴンボに与えた。 ゴンボがニャーと可愛く鳴くと、清香は嬉しそうに笑みを浮かべた。 「わかるなら……」 「でも、配ってるのか売ってるのかわかんないけど、それをしている人が同じ人とは限らないもの」 「…………」 「……前に出すぎるとね?」 「え?」 「私みたいなのは、前に出すぎると、好き勝手言われちゃうの」 「清香……」 「くーちゃんみたいに、後腐れなく出来るような人間だったらよかった」 清香はとても静かな表情でそう言い、目を閉じた。 そして、しばらくしてから、目を開き、残りのたこ焼きからたこをほじくり出して、ゴンボの前にばら撒いた。 ゆっくりと清香が立ち上がる。 「当番の時間だよ。行こう」 「……どいつ?」 「え?」 「あたしが話つけるよ」 「……駄目」 「どうして? 素直に言ってよ、助けてって。なんで、いつも清香は言わないの? この子の時みたいに、言ってよ」 舞はゴンボを指差して、清香に一歩にじり寄った。 2人の間を風がすり抜けていく。 清香のふわふわの髪がなびいて、しばらくしてから肩のあたりに落ち着いた。 「くーちゃん」 「なに?」 「くーちゃんは、女の子だよ」 「っ……。だから、なに?」 「もしも。もしもの話だけど。男の子相手に喧嘩売って、何かされたらどうするの?」 「そんなの、あたしが負けるわけ……」 「男の子がみんな勇くんだったら、大丈夫だと思うけど」 舞が悔しさで唇を噛むと、清香がそっと舞の頭に手を添えた。 なでなで……と優しく手が動く。 舞は、その手の優しさに、切なくて涙が出そうになった。 本当は……こうしてあげたいのは自分だったのに。 「泣き寝入りなんて……」 「違うよ。私は、私たちは、何も知らなかった。それでいいの。それでいいんだよ、くーちゃん」 優しい声。 優しい手。 たこ焼きの匂い。 ニャー、と鳴くゴンボ。 「……本当に、時間だよ。くーちゃん、行かなくちゃ」 「……うん……」 「ふふ」 「 ? 」 「くーちゃんの苦手な人、見れるの楽しみだなぁ」 本当におかしそうに笑って、清香はパクリ、とたこなしのたこ焼きを口に含んだ。 「3分23秒の遅刻ですね。構いませんけど、言い出したことは守るべきでは?」 文芸部展示教室に着くと、背の高いその人はそう言って、スチャッと音が聞こえるような動きで眼鏡を直す仕草をした。 清香が鳴を見て、ほわぁと口を開け、その後、クスクス……と笑った。 「ごめんなさい。ちょっと、思ったより混んでて……」 「言い訳は必要ありません」 「あ、はい……」 取り付くしまもない口調の鳴に、舞は俯いた。 あー、まずい。 1分でもう駄目だ。 鳴は短い髪をそっと撫で付けるように梳かしてから、受付用の机に置いてあったノートを開いた。 「午前中の同人誌の売り上げは11冊。……去年より、今年は売れています」 「そう、なんですか?」 「はい。去年は見に来られる方自体少なかったですから。今年は立地・展示の内容・同人誌の質、どれを取っても良いんでしょう。何より、休憩用のスペース、という発想が良かったのかもしれませんね。来年もやりましょうか」 「は、はぁ……」 珍しく歯切れの悪い舞に、清香がまだおかしそうにクスクスと笑っている。 舞が目を細めて、清香を見ると、そこで笑うのをやめた。 「じゃ、じゃあ……私、展示見てこようかな」 そう言って退散するように踵を返す。 舞は案内をする、と言っていたのに、そう言って逃げられてしまったので、動くに動けず、鳴の隣の席に座った。 「展示、本当に素晴らしいと思います」 「……ありがとうございます」 「読んでみようと思わされる内容です。ああいった親近感の持てる書き方は、私にはできません。羨ましい限りです」 スラスラと言われるので、心から言われているのかどうなのかがわからず、舞はただ頭だけ下げた。 修吾は言う。 悪い人ではないと。 悪い人ではないだろうが、話しづらい。 この話し方は高校生じゃない……。 「……悪かったですね」 「は?」 「急に変更しろと言ったことです」 「あ、い、いえ、別に……」 「仲が良いようでしたから、悪いことをしました」 「い、いいですよ」 今更なことだし。 「来年は、楽しい文化祭になりそうです」 「今年……じゃ、ないんですか?」 「…………。来年、ですよ」 だいぶ間を置いてから、鳴は舞を見て、ニコリと笑い、そう言った。 舞はその言葉の意味以上に、鳴が普通に笑っていることに驚いて、何も言えなかった。 だが、何も言わないと沈黙に包まれてしまうので、それに耐え切れずに舞は話題を探した。 清香は丁寧に展示を見ているのか、のろのろと横に移動している。 休憩スペースでは家族連れが買ってきた戦利品を食べていた。 「部長、なんであんなにいい加減なんですか? 本当に何にもやりゃしない。あれだったら、他の2人の先輩のほうがマシだった気がするんですけど」 「……さぁ、私には分かりません」 「そう、ですよね……」 「だけど」 「 ? 」 「いいところも、あるんですよ」 鳴はそう言うと、目を細めて眼鏡を直した。 「部長は、元は運動部の人間だそうです」 「それがどうして……」 「練習で怪我をして、再起不能」 「え?」 「私が1年の時の3年の先輩に聞いた話ですけどね」 「……そう、ですか」 「いい加減なのに、部長を押し付けられたんですよ。ろくに本を読みもしないのに。そのへんは、同情してあげてもいいかもしれませんね」 「他人のこと、見てるんですね」 「ええ、そりゃぁ……」 「はい」 「彼が部長になって、一番驚いたのは私でしたから」 そう言うと、またも綺麗な動きで眼鏡を直した。 どうやら、漫画のような仕草で眼鏡を直すのは癖らしい。 家族連れの母親が、見本誌をパラパラと開いて、あるページで手を止めて読み始めた。 舞はその様子を見つめて、買う気になってくれないかなぁ、と、心の中で呟いた。 すると、鳴が見越したように言った。 「来年は挿絵の描ける子が入ってくればありがたいですね」 「え……?」 「二ノ宮さんの書く童話に合うような絵を描ける人。……実際問題は難しいでしょうけど」 それを聞いて、舞は柚子の顔が頭を掠めた。 鳴が考えこむように遠くを見つめている。 「美術部に協力を仰いだら?」 「美術部?」 「はい。文化祭ですから……ありじゃないですか? あたし、ニノの話を活かせる……ううん、どんな絵でも描ける友達が美術部にいます」 「しかし、それだと大変でしょう、その子が」 「……来年のことを言うと鬼が笑う、ですね」 「……そう、ね」 「でも、それは思いつきませんでした。古平良先輩、さすがですね」 見直しました、という言葉は心の奥底に引っ込める。 この人、作品の話だけしていれば、もしかしたら、修吾とも舞とも、話が合うのではないか? 舞は先程まで引け腰だったのにも関わらず、つい乗り気で話をしてしまった自分が恥ずかしくなって、髪を掻き上げた。 「一緒に来た子、こちらを見ていますけど、用があるんじゃないですか?」 「え?」 舞がその言葉で顔を上げると、清香が見本誌を手に持って、こちらを見ていた。 なので、断りを入れて舞は立ち上がった。 清香のところまで行くと、にっこりと彼女が笑った。 「大丈夫そうじゃない」 「あ、ああ、そうね」 「くーちゃん、私、これ1冊欲しいんだけど」 「え? わざわざ買わなくても、あげるよ? 清香になら」 舞の言葉に、清香は一瞬動きを止めたが、すぐにふるふると首を横に振った。 「それは駄目だなぁ」 「なんで?」 「買いたいと思ってる人には、売って欲しいな」 おっとり笑うと、見本誌に書かれていた額を財布から取り出して、舞に手渡してきた。 細い指が、舞の掌に乗った。 そのまま、2人の動きが止まる。 「シャドー! 来てやったぜー!!」 勢いよく戸が開いて、勇兵が教室に飛び込んできた。 教室にいた全員がそちらに視線をやる。 清香も、それでビクリと体を揺らして手を引っ込めた。 相変わらず、騒がしいヤツだ。 その後ろから、柚子と修吾……と春花が遅れて入ってきた。 春花は修吾と腕を組んで嬉しそうに笑っている。 修吾が明らかに嫌がっているが、そんなのは全く気にしていない様子だ。 舞は清香に渡す本を取りに行くついでに、4人のほうへ歩み寄った。 まず、スパンと勇兵の頭を叩く。 素早く、勇兵は頭を押さえた。 「いってーなぁ!」 「うっさいのよ。他の人の迷惑でしょ。……それに、どの面下げて来たわけ……?」 勇兵に顔を寄せて小声で言うと、勇兵は少々複雑そうな表情をしつつも、コソコソと耳打ちしてきた。 急にでかいのが近寄ってきたから、舞はびっくりしてつい後ずさってしまった。 「こら」 「バカ、いきなり近づくな。変態のくせに」 「ひ、……酷い言われようだな……。男なんて、どーせ、全部変態だっつの」 「…………」 舞は清香の様子を伺うように視線を動かし、勇兵を引っ張って廊下に出た。 騒がしいが、このほうがよっぽどいいだろう。 「変態が、何に使うために、あの写真をもらってくのかしらね」 「……今回のことは、ハッキシ言って、俺も酷いと思うよ」 「よく言う。あんただって貰ったくせに」 「ぐ、あれは……。いや、言い訳はしねぇ。その通りだ。実質俺のせいで遠野傷つけちまったんだし」 「ええ、しばらく、あんたの顔見たくもないわ」 「……その罪滅ぼしになったかわかんねーけど」 「 ? 」 「これ以上の、被害の拡大は、ねーから」 「……え?」 「遠野も、……他の女子のも、出回らないようにしたから。……回っちまった分の回収は出来なくて悪ぃけど」 「え、ちょっと、状況が見えないんだけど……」 「いいだろ、別に。とにかく、今回はそれでチャラにしてやってくれよ」 「……あの子の傷は塞がらない」 「ああ、分かってる。だから、俺も今後はそのへん気配っとくから」 「…………」 舞は勇兵を真っ直ぐ見つめた。 勇兵も真っ直ぐに舞を見ている。 腐れ縁の幼馴染の、信用に足る眼差しであることは、10年来の付き合いだけにわかった。 「……あと」 「なに?」 「お前も、あんまし気安く男子からの写真撮影に応じるな」 「はぁ?」 「いいな、俺はちゃんと言ったからな」 ビシッと指差して勇兵は言うと、舞の横をすり抜けて教室の中へと入っていった。 舞は何のことを言われたのかわからずに、首を傾げたが、その場にいてもどうしようもないので、教室へと戻った。 清香に渡す本を受付の机から1冊取って戻る。 清香は見本誌を眺めて待っており、特に勇兵と何かを話した様子もなかった。 「はい、これ」 「ぅん、ありがと」 清香はおっとり笑って、それを受け取り、展示してある模造紙を見上げた。 「これ、くーちゃんが書いたでしょう?」 「? なんで?」 「なんとなく」 「…………」 「当たり?」 「当たり」 「ふふ」 舞は目を細めて、先程の勇兵とのやり取りを伝えるべきかどうか考えたが、結局黙っていることにした。 自分が解決してあげられない問題を、勇兵が解決したらしいことも癪だったし、なかったことに、と言っている彼女に再びこの話を持ち出しても、笑って誤魔化されるだけのような気がしたからだ。 「賢くんってば酷いのよぉ。わたし置いてどっか行っちゃうんだもの」 「兄貴、来てるの?」 それまで舞しか視界に入っていないような素振りを取っていた清香が、修吾と春花の会話が聞こえてきて、視線を向けた。 「ええ、わたしが行くって言ったら、久々に行ってみっかなぁって。……お父さんがいるから、家に居たくなかっただけかもしれないけど」 つまらなそうに春花がそう言いながら、見本誌……ではなく、どうやらもうお買い上げいただいたらしい同人誌をペラペラと捲っていた。 柚子も買ったらしく、大事そうに胸のあたりできゅっと抱き締めるように持ち、修吾の兄に関心があるのか、興味深そうに2人の会話を聞いていた。 舞は清香の顔を覗き込む。 「どうしたの?」 「え? あ、ううん、なんでも……」 清香はすぐに首を横に振った。 ……が、修吾と話をしていた春花がふと顔を上げて、こちらを見ると、清香の表情がにわかに揺れた。 舞は小首を傾げてその様子を見つめる。 春花が何か思い当たったように、こちらへと歩いてきた。 「母さん?」 清香が舞の後ろに隠れるように肩を縮めたが、舞のほうが小さいので勿論隠れられずに、春花に話しかけられる形になった。 「間違いだったらごめんなさい。遠野さんのお宅の、さっちゃんじゃない?」 「あ、えっと、その……」 珍しいことに、気まずそうな表情を清香がして、舞のセーラー服のカーラーを握った。 舞は意外な組み合わせに驚いて、状況を見守ることしか出来ない。 修吾がすぐに春花の傍に来て、腕を引っ張る。 「母さん、色んな人に絡むのやめてよ!」 「え、だって……。修くん、覚えてない? 賢くんが行ってたピアノ教室で一緒だったさっちゃんよ? 仲良かったじゃない」 「ぇ……」 修吾も、そう言われてから思い当たったように顎に手を当てた。 「え、あの、さっちゃん……?」 観念したように清香は舞から手を離して、横に並ぶと、ペコリと頭を下げた。 「ご無沙汰しております」 「え? あらあら、ご丁寧に。こちらこそ。もう。同じ高校に入ってたのに、修くん気が付かなかったの?」 「あ……だって、子供の頃だったから苗字まで覚えてなかったし。頭もぼんぼりじゃないから……それに、雰囲気だって全然……」 「全然思い出さないから面白かったのになぁ」 清香は修吾をからかうようにそんなことを言って、ふふっと笑った。 「突然、レッスンの日を変更したとかで会えなくなっちゃって……本当に懐かしいわ♪」 春花があまりに嬉しそうに笑うので、清香も合わせるように微笑んだ。 舞はそれを横で見ていて、唇を噛む。 要するに、修吾と清香は昔馴染……ということか? 「ねぇ、今度遊びに来てちょうだいな」 「え?」 「だから、母さんは、誰でも彼でも家に呼ぼうとしないでよ」 「だって、舞ちゃんとお友達でしょう? 舞ちゃんと、柚子ちゃんと一緒においでよぉ」 春花があまりに無邪気にそんなことを言うので、清香は躊躇するように動きを止めたが、いくらかしてからコクリと頷いた。 「そう、ですね……そのうちにでも……」 「学校帰りでも構わないからね? もう、さっちゃん、可愛くなっちゃって……。子供の頃も可愛かったけど、もう、なんというか……。ああ……なんで、修くん女の子じゃなかったのかしらねー。きっと可愛く育ったのに……」 頬に手を当てて、そんなことを言ってため息を吐いた。 勿論、修吾が不快そうな顔をして、春花を睨んでいた。 「もういいだろ? 展示見て、他行くよ」 「修くん、ついてきてくれるの?」 「……14時までならね」 「それまでに賢くんに会えるといいんだけどなぁ」 「この際、放送で呼び出せば? 兄貴派手好きだから喜ぶんじゃないの?」 「……でも、修くん恥ずかしいでしょう?」 「っ……はぁ……」 マイペースな母親の相手に疲れるように、修吾は額に手を当ててため息を吐いた。 舞はそれがおかしくてクスッと笑ったが、清香は考え事でもするように、目を細めていた。 |