◆◆ 第3篇 篝火・たこ焼き弾丸ストライク ◆◆

Chapter8.遠野 清香



 自分が我慢すれば済む。
 ……そう学習してしまったのはいつのことだったか。
 今更思い返したところで、どうでもいいこと過ぎて、その頃を思い出すことも出来ない。
 ただわかるのは、自分が傷ついているのを知って、舞も同様に傷ついてしまうこと。
 彼女は何ひとつ悪くないのに。
 彼女が女の子であること。
 彼女が同性であること。
 彼女が非力であること。
 そのどれも、悪いことではない。
 清香はそれを今は十分に理解しているし、そのどれも彼女の欠点として見る事はない。
 けれど、……頭を撫でながら、彼女の心が見透かせた。
 彼女は自身の他との違いをきちんと受け入れている。
 それでも、清香を守れないことを自覚して、あの時は酷く自身を責めていたように思う。
 そんな必要はどこにもないのに。
 責めるために言った言葉ではない。
『くーちゃんは、女の子だよ』
 あの言葉を受けた時の、彼女の寂しそうな顔……。
 違うのに。
 そんな顔をしないでほしい。
 あなたが思っている以上に、……私は、あなたを大切だと想っているのだから……。
 清香は、ただ静かに、心の中で、舞に語りかけていた。
 勿論、その声が届くわけのないことは、分かっている。
 それでも、いつか舞に届けば良いと……そう願う自分がいる……。



「いらっしゃいませー。3名様ですね? はい、こちらへどーぞ」
 清香はめいっぱいの笑顔で客を迎え、空いている席へと誘導した。
 男子生徒3人。
 清香の笑顔を見て、満足そうに何かヒソヒソと小声で会話している。
 そして、その中の1人が代表して口を開いた。
「遠野さんが作ったお菓子あるって聞いてきたんだけど、まだ、ありますか?」
「え? あ、はい。ありますよ」
「どれですか?」
「チーズケーキです。甘さ控えめにしてあります」
「じゃあ、それ、3つ」
「飲み物は?」
「いいです」
「はい。ありがとうございます。チーズケーキ3つ、用意お願いしまーす!」
 清香はやけくそでウェイトレスらしく振舞い、そう声を張り上げた。
 裏方でお菓子を用意している男子が返事を寄越して、すぐに紙皿に乗ったチーズケーキが3つ出てきた。
 清香はすぐにそれをトレイに乗せて運び、テーブルクロスの掛かった机に置き、ペコリと頭を下げる。
「ごゆっくりどうぞ」
 売り上げ重視だけに、「ごゆっくり」というのは取ってつけたような言葉なのだが、清香が当番で入ってから客の回転が少し悪くなっていた。
 エプロンをつけて、飲み物用意組としてスタンバイしているユンに声を掛けると、明らかに不愉快そうな表情をした。
「お菓子ひとつで粘られるの厳しいよねぇ。こんな欠点があるとは気が付かなかった」
「あはは……せめて、飲み物頼んでもらえるといいんだけどね……」
「うーん……時間決めてもらおうか?」
「え? でも、後からそういうの決めるのはブーイング出るんじゃ……」
「だって、こっちもさ、目標あるでしょ。ちょっと、リーダーに掛け合ってくるよ」
「あ、ユンちゃん……」
 神妙な顔つきで、裏方グループがいる暗幕の中へとユンが消えていった。
 他のウェイトレスの子たちも、ほとんど埋まっているテーブルに、することがなくなって、足を止めていた。
 一般の客ならばもう少しお金を落としてくれるだろうが、今現在テーブルを占めているのは清香目当ての学生のようだ。
 そのため、余計にお菓子だけ頼んで粘る……という手段を普通に行ってくる。
 他もやっているから……という、赤信号みんなで渡れば怖くない心理。
 清香ははぁ……とため息を吐いた。
 売り上げの伸びの悪さも心配だが、何よりも心配なのは……。
 みんながチーズケーキばかり頼むから、折角舞の好みに合わせて作ったチーズケーキが、予想以上のスピードで減っている……現状だった……。
「あれ? なんだよ、ガキばっかで。席、空いてねぇのか?」
 突然、入り口からそんな声がした。
 少しドスの利いた低い声に、みんなビクリと体を震わせた。
 染められた赤い髪に、サングラス。
 ダボダボのジーンズのポケットに手を突っ込んだ状態で、教室の中を見ている青年がいた。
 ウェイトレスの子達は誰が行くかを必死に目配せで確認していた。
 だが、どの子もその風体に尻込みして動こうとしない。
 なので、仕方なく清香が彼に歩み寄った。
 少しこわばりそうになりながらも、笑顔を浮かべてどの客にでも言っている言葉を告げる。
「いらっしゃいませ、お1人様ですか?」
「……ん? ああ、1人だ。席、空いてる? 休みてぇんだけどどこも混んでて」
「はい、端になってしまいますけど」
「いいよ、座れりゃ」
「それでは、どうぞ」
 清香は指先まで気を抜かずに動かして、青年を誘導する。
 柄は悪そうだが、言葉を交わした感じでそれほど悪い印象は受けなかったので、清香は少しばかり緊張を解いた。
 こちらに好意か下心を抱いている男子を相手にするよりも数倍楽だ。
 テーブルに置いてあるメニュー表も見ずに、こちらを向いて聞いてくる。
「おすすめは……?」
「甘いのは、お好きですか?」
「弟が極度の甘いもの嫌いでね。その影響でおれもあんま食う機会ないんだが、嫌いではねーよ」
「それでしたら、アップルパイとダージリンティーのセットはどうでしょうか?」
「ふーん。いくら?」
「350円です」
「安っ。大丈夫かよ、そんなんで」
「学生の作っているものですから……」
 青年の反応につい清香は噴出しそうになりながら答えた。
 むしろ、学生の作っているものでそれだけのお金を取っていいのかが不明だし。
 青年は清香をジッと見つめてから、少し首を傾げる。
「アンタ、看板娘?」
「え? いえ、違います」
「そう。……最近のガキは無駄に可愛いのいるからなぁ。単におれの代の時の女が可愛くなかっただけか?」
 青年はブツブツと独り言を言い、テーブルに頬杖をついた。
 声がいいせいか、やたらとよく声の通る人だ。
 聞き覚えがあるような気もしたが、記憶の中の人とはだいぶシルエットが違っているので、まさかと思い、清香は浮かんだ人物をすぐに吹き消した。
「とりあえず、さっき言ってたやつ持ってきて。どのくらい入り浸って大丈夫?」
「え? 別に……」
 そこまで言いかけて、周囲を見回した。
 今、入り浸られて困っている。
 効果があるかは分からないが……言うだけ言ってみたほうがいいのではないか?
 清香は少し考えてから、笑顔でみんなに聞こえるような声を発した。
「大体長くても30分くらいでしょうか?」
「だよなぁ。この高校、1日しか文化祭ねーんだから、そんなもんだよな」
 青年があっけらかんとそう言うと、30分以上粘っていたテーブルの客が立ち上がった。
「ありがとうございましたー」
 ウェイトレスの1人がそう言うと、それに続くようにありがとうございましたが連呼される。
 そのおかげで埋まっていたテーブルの半分の客が捌けた。
 すぐにアップルパイとダージリンティーを用意して、青年のテーブルに持っていく。
 そして、小声で告げた。
「ありがとうございました」
「何が?」
 青年は言葉の意味がわからないというような表情ですっとぼけると、椅子を思い切り下げて、長い足を組んだ。
「ガキが減って、空気が美味くなった」
 フン、と居丈高に言い、紙コップに淹れたダージリンティーをズゾゾ……と音を立てて飲んだ。
 清香は目を細めてその様子を見守ると、ペコリと頭を下げて可愛らしい声で告げた。
「どうぞ、ごゆっくり」
 これは、本心からの言葉である。



「大変そうだねぇ……」
「あ、くーちゃん」
 わたわたと片づけをしていると、教室の惨状に呆れたような顔をして、舞が教室を窓から覗き込んできた。
 客足は下降し始めているのだが、家族連れの子供が飲み物をこぼしたため、少々掃除に手間取っていたのだ。
「今片付けたから大丈夫だよ。何人?」
「ツカが性懲りもなくついてきてるから4人」
「あれ? 二ノ宮くん、当番じゃ……」
「二ノ宮は二ノ宮でも、春花さ……お母さんのほうね」
「ああ……なるほど。とりあえず、入って」
 清香がにこと笑うと、舞は見惚れるように目を細めた。
「……どうしたの?」
「よく、似合ってる」
「あは。……ばか」
 清香は小声でそう突っ込み、すぐに入り口へと回った。
 柚子が春花の話し相手をして、にこにこと楽しそうに笑っている。
 自分もマイペースだから言えることではないだろうが、どうやら、あのマイペースなお母さんと気が合うらしい。
「いらっしゃいませ、4名様ですね?」
「うん」
「こちらへどうぞ」
 2時間ほどドタバタと動き回っていたからそろそろ疲れてきたが、それでもしゃなりしゃなりと歩いて、テーブルまで誘導する。
 舞が手前に腰掛けて、右に柚子、左に春花、奥に勇兵という順になった。
「小母様、ケンゴさんは見つかりましたか?」
「いいえぇ。見つからないから、ついてきてるの。わたしひとりだとすぐ迷っちゃって。さっちゃんこそ、見かけなかった? 赤い髪でねー、柄の悪そうなサングラスしてるんだけど」
「……え……?」
 清香は春花の言葉に、カチンと時が止まったような錯覚を覚えた。
『おれはガキには興味ねーんだよ。お前みたいなガキがおれに釣り合う訳ねーだろ』
 中学1年にして、8歳の子供にそんな言葉を吐き捨てた、初恋の人は……同じピアノ教室に通っていたお兄さん。
 清香に多大なトラウマと、自信のなさを植えつけた張本人。
 本当に、あまりにもショックすぎて、3日ほど高熱を出して学校を休んだのだ。
 そんなこと、二ノ宮さんちの誰も知らない事実なのだけれど。
 それが、先程偉そうだったけれど、粘る客を追っ払うのに協力してくれたあの青年へと変貌を遂げたというのか……。
 それは正直詐欺に近い。
「清香?」
「あ、ご、ごめんなさい。ご注文は?」
「清香の、まだ残ってる?」
「うん、あと2つ……かな」
「げ、ギリギリセーフじゃん。危なかった」
「ふふ。じゃ、くーちゃんはチーズケーキね」
「あ、チーズケーキなんだ。うん、それで。あと、コーヒー」
「はい。チーズケーキとコーヒー、用意お願いしまーす!」
 清香は声を張った後に柚子に視線を動かした。
 柚子は真剣にメニュー表を見つめており、それを見て舞がクスクス……と笑った。
 それを見て、少し複雑な気分になる。
「柚子、プディングあるじゃん。これでいいんじゃない?」
「で、でも、わたしが好きなのはプリンだよ? 食感とか全然違うもん」
「うーん……そうだろうけどさぁ……。清香、かぼちゃのプディング、どうなの?」
「美味しいよ。私は好きだけど」
「だって」
「ごめん、わたし、あとでいい。もう少し考えたい」
「貪欲すぎ!」
 柚子のその言葉に、舞が堪えきれないようにお腹を抱えて笑った。
 なので、勇兵がパッと手を上げて言った。
「アップルパイと、ワッフル。で、牛乳」
「はい。アップルパイとワッフルに牛乳用意お願いしまーす!」
 春花に視線を動かすと、ニコニコと笑って答えてくれた。
「かぼちゃのプディング」
「はい。かぼちゃのプディングひとつ用意お願いしまーす!」
 清香はそこまで言うと、一旦取りに行くために踵を返した。
 あの悩みようでは、まだまだ掛かりそうだと感じ取ったからだった。
 トレイに全て乗せて慎重に運び、それぞれの前に注文の品を置く。
 そして、柚子の顔を覗き込んだ。
「渡井さん、決まった?」
「あ、ご、ごめんなさい……とろくて。えっと、この、タルトを……それと、ダージリンティー」
「はい。ありがとうございます」
 清香がにっこりと微笑みかけると、柚子のほうも応えるようににこぉと笑った。
 スタスタと歩いていき、裏方にタルトとダージリンティーの用意をお願いし、他のテーブルの確認をしながら、舞のテーブルへと戻る。
 お菓子の売り切れが多くなってきたのもあり、客の足も少しずつ緩やかになってきていた。
「小母様、そういえば、ケンゴさんのことなんですけど」
 清香が春花に話しかけると、柚子がそれを気にするようにこちらを見た。
 ……なんだ。お互い様か。
「ピアノは、おやめになったんですか?」
「……ええ。ちょっと、色々あって」
「怪我でも?」
「いいえ」
 ふるふると首を振る春花があまり話したくなさそうだったため、清香はただ、
「どういう事情があったのかはわかりませんが、おやめになったのは残念です」
とだけ告げて、その話を終わりにした。
 手が空いているウェイトレスの子が、柚子の分のティーセットを運んできて、
「どうぞ、ごゆっくり」
と言って、元の配置に戻っていく。
 舞がチーズケーキを食べながら、清香に目配せした。
 美味しい、という意味であるのはすぐにわかって、清香はそっと俯いて静かに口元を緩めた。
「どうぞ、ごゆっくり」
 清香は優しい声でそう言い、ゆっくりと踵を返した。



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