◆◆ 第3篇 篝火・たこ焼き弾丸ストライク ◆◆
Chapter9.二ノ宮 修吾
修吾は1人で受付の席に座ってため息を吐いた。 部長が時間通りに来ないのではないかという懸念ははじめからあったので、特に問題ではないのだが、母を友人たちに任せなければならなくなってしまったことは……かなり憂鬱だった。 自分が腕を組まれて校内を歩き回らなければならないのも、それはそれで嫌だが、友達に迷惑を掛けるのは、その数倍嫌だった。 暇なのでぼんやりと、休憩スペースで見本誌を見ている中年の男性を見る。 全く顔も知らない人は、あの中身を見て、どんな評価をするんだろう。 そんな言葉が心の中を過ぎる。 思えば、自分が書いたものを、顔を知らない人が読んでいるのを見ることが出来るなんて、そうそうある機会ではない。 ドキドキと胸が鳴った。 ……これが、文化祭なんだ……。 修吾はそんなことを心の中で呟いて、きゅっと胸の辺りに触れた。 「あ、あの……」 「はい?」 突然、修吾の前に女子3人が立った。 修吾に控えめに声を掛けてきたのは、その真ん中に立っている割と美人めの女子だった。 靴を見ると、1学年上のラインが入っていた。 なので、鳴に用事かと思い、見上げて言った。 「古平良先輩のお友達ですか? 古平良先輩なら、もう当番の時間終わりましたよ?」 けれど、どうやらはずれだったらしい。 修吾の言葉に、全員が不思議そうな顔をした。 「ぇと……?」 修吾はその反応に困ってしまい、言葉が出てこなくなった。 用がないのならば、そこに立たれるのは困る。 いないとは思うけれど、見本誌を無断で持っていってしまう人もいるかもしれないから、そのへんも見ていなくてはいけないのだ。 「二ノ宮君」 「はい?」 「後夜祭、もう、誰かと約束してる?」 「……は?」 考えてもいなかった質問に、修吾の思考は完全に乗り遅れた。 後夜祭には参加せずに帰る予定だったのだ。 どうせ、文化祭で使ったものを校庭で燃やすだけのイベントだし、わざわざ炎を見つめて悦に入るような趣味も修吾にはなかった。 「約束、ないんだったら、一緒してくれませんか?」 …………。 その言葉で、完全に思考停止。 この人、何言ってるんだろ……? そんな言葉を心の中で吐き捨てた。 自分なんかと一緒にキャンプファイヤーを見て、何の得があろうか? 物好きな人もいたものだ。 「すいません、先輩」 修吾はゆっくり立ち上がって、そう言った。 勇気を出して言ったであろうその人は、少々悲しそうに目を細めて修吾を見上げている。 「参加する予定が、ありません。……なので、そのお誘いは、お受けできません」 「あ、やっぱりか」 その素っ気無い返事を聞いて、2人の様子を見守るように両脇に立っていた先輩たちがどこか不服そうな表情をしたが、真ん中の先輩がニコッと笑ってそう言ったので、特に何も言ってはこなかった。 「二ノ宮君、ああいうの、興味なさそうだもんね。ごめんね、変なことで当番の邪魔しちゃって」 「あ、いえ、別に」 修吾がフルフルと首を横に振ると、真ん中の先輩は優しく微笑んで、ペコリと頭を下げると歩いていってしまった。 修吾はその3人組が教室を出て行ったのを見送ってから、椅子に腰掛ける。 それと同時に、3人が出て行った入り口とは逆の入り口から部長が入ってきて、楽しそうに笑った。 軽い感じの人で、修吾はあまり得意な人ではなかった。 「もてるじゃーん、二ノ宮くん」 「部長?」 「わっりぃなぁ。腕時計が壊れちゃって遅れたわ」 見え透いた嘘をついてケラケラ笑うと、修吾の隣の椅子に腰掛ける。 同人誌の売れ行きを記しているノートを手に取って、パラパラと捲りだした。 「へぇ。今年、売れてんじゃん」 「そうらしいですね」 「……二ノ宮くんは、お相手いないん?」 「は?」 「だって、後夜祭出ないんだろ? 後夜祭のお誘いってさ、そういう意味もあるんだよ。実質、声掛けられたら脈ありの証拠。……あー、でも、1年は知らないかな」 「そうなんですか?」 修吾は全く頭の中になかったことを言われて、驚きを隠せず唇を尖らせた。 ……ということは。 ……そういうことだ。 つまり。 知らなかったとはいえ、断ったと言うことは、告白さえ聞くことなく、振った……ってことになるのでは? 失礼なことをしてしまった、と今更なことで頭を抱えた。 どうせ、面と向かって告白なんてされたら、何も言えずに立ち尽くすだけのくせに、そんなところばかり律儀な男。 「うん、そうなんです。おれも、1年の頃はもてたんだけどなぁ……遊びすぎて評判下がっちまってさぁ。それからはめっきり」 部長はおかしそうに笑うと、見ていたノートをパタンと閉じて、修吾の前に戻した。 「そういやさぁ」 「はい?」 「おれ、鳴ちゃんと一緒のはずなんだけど、なんで二ノ宮くんいるの?」 「あ、そっか。朝来ませんでしたもんね」 「? うん」 「古平良先輩が、木曜に、変更してくれって言いに来て、それで、僕と交代を」 「…………。ああ、そう」 修吾の言葉を聞いて、つまらなそうに部長は唇を尖らせた。 学ランの胸ポケットに引っ掛けていた、伊達眼鏡だと公言している眼鏡を掛け、もう一度呟く。 「ふーん、そっか」 修吾は意味が分からずに首を傾げた。 部長は今度は机に積み重なっている同人誌をパラパラと捲りだした。 見本誌ではないほうに手をつけたので、修吾は驚きを隠せなかったが、一応名ばかりでも部長なので何も言えずに、その様を見守っていた。 「二ノ宮くん、今回たくさん書いてるけどさ」 「はい」 「二ノ宮くんから見て、鳴ちゃんの作品て、どうなの? おれ、頭悪すぎてわかんねーんだよね」 「中途半端に終わらなければ」 「うん」 「面白い話だったんじゃないかなぁって思いますけど。アイロニーが効いてて」 「アイ……? 何?」 「あ、皮肉、です」 「皮肉?」 「読んだ感じだと……古平良先輩の話は、風刺、なんです」 「へぇ……」 修吾の言葉に感心したように頷いて、部長は鳴の作品が載っているページを開いたままで、ぼんやりと何かを考えていた。 先程、見本誌を手に取っていた中年の男性が、こちらまで歩いてきて、同人誌を2冊購入していった。 何か言われるわけではないけれど、読んで、それで欲しいと思ってくれたことが嬉しかった。 余韻を噛み締め、ガッツポーズをするように目立たない程度に拳をきゅっと握り締めた。 部長はそんなことには気が付く様子もなく、しんどそうな表情でページを捲っていたが、ふと手を止めて、こちらを見ずに口を開いた。 「なぁ、二ノ宮くん」 「はい?」 「これ終わったら、鳴ちゃんが部長になるけどさ」 「はい」 「お手伝いしてあげてね?」 「は?」 「あの子、こっちが聞かないと、何にも言ってくれないから」 「…………」 修吾は言葉に困って、ただ部長を見つめた。 部長はわざとらしく眼鏡を直し、目を細めた。 背もたれに腕を乗せて、静かに教室を見回し、口元を緩めて笑う部長。 まるで懐かしむように笑っているように見えた。 「初めての文化祭は、展示もなくて、人も全然来なかった」 「部長は、何かやろうと思わなかったんですか?」 「さぁねぇ。おれ、移ってきたばっかで、何もわからんかったから何も出来なかったんだぁ」 「…………」 「2年になって、鳴ちゃんが入ってきて」 そこまで言って、クックッと喉を鳴らすように笑った。 「すっげーの。強烈だよね、あの子」 「そう、ですか?」 「強烈だよー。部室で会う度、違う本読んでてさぁ。おれが、その本面白いの? って聞いたら、ええ、私にとっては。でも、あなたには、この本の味はわからないかもしれません。ってさ。きょとん、だよ。何、コイツって思って、その後噴出して笑っちまった。親しくもないヤツにあそこまではっきり言えねーよ、フツー」 「……すごいですね」 「ぅん。でも、おれが会う度聞くのが嫌になったのか、去年の冬くらいから部室に来なくなっちゃってねー。でも、晴れて明後日からは、鳴ちゃんも部活部活って張り切ってやってくれんだろーなぁ……」 そこで寂しそうに部長は目を細めた。 「……だから、サポート、してやってね」 「……部長?」 「本当はさ」 「はい」 「去年、鳴ちゃんが部長になるはずだったんだー」 「え?」 「でも、おれが邪魔しちゃった♪」 茶化すような声で言い、クックックッと笑う部長。 修吾はどうにもその起伏の激しさについていけずに、軽い相槌を打つだけ。 しばらく、そんな取り留めのない話に付き合わされ、修吾はヘラヘラと笑う部長を横目で見ていた。 「……ちょいトイレ行ってくるわ」 話すだけ話して、突然落ち着かないように部長は立ち上がった。 修吾は頷いて、出て行くのを見送ってから背もたれにもたれかかった。 「……何が言いたいんだろう……?」 話を振って(?)くれていた人に対してかなり失礼な一言を呟き、ぼんやりと天井を見上げる。 あと30分くらいだ。 それで、高校初の文化祭は終わる。 そんなことを考えながら、少しばかり目を閉じる。 ここ1ヵ月の忙しかった日々が走馬灯のように流れた。 ふぅと息を吐き出し、頑張ったなぁ……と自分を誉める修吾。 カタ、と音がしたので、その音に反応して修吾は目を開けた。 目を開けると、長袖の白いセーラー服。 赤いリボン。 短い黒髪。 デザインのスタイリッシュな眼鏡。 「古平良、先輩?」 鳴は切れ長の目をそっと伏せて、修吾の隣の席を見る。 「部長、来てないの?」 「あ、い、いえ……ちょっとトイレに」 「そう」 鳴はそっと袖を握って、何かを考えるように目を動かした。 そして、持っていた財布からお金を取り出し、机の上に置いた。 「?」 「ペン、貸して」 「あ、はい、どぞ」 修吾はすぐに手元にあったペンを差し出す。 すると、鳴はそれを受け取って、部長が開いたままにしていった同人誌を掴んだ。 「あ、それ……」 「いいの。どーせ、部長のことだから、お金も払わずに読んでいたんでしょう?」 「…………」 鳴は同人誌を胸に引き寄せて、シャッシャッと何かを書き込み、パラリパラリ……とページを捲るのを繰り返した。 修吾はその様子をただ見守るだけ。 数分ほど、真剣な表情で鳴はその動作を繰り返し、ふと、同人誌を閉じて、机の上に置いた。 「ありがとう」 ペンをコトリと修吾の前に丁寧に置いて、落ちてきた横髪をそっと掻き上げる。 そして、静かに囁いた。 「最後くらい、活字というものを読んでください、と」 「え?」 「……伝えてください……」 修吾は意味が分からずに、ただその言葉を受けて頷く。 「タイムリミットは……ひねくれ者のトリが鳴く時間」 「とり?」 「よろしくお願いします。それでは、片付けの時間になったらまた来ます」 鳴は静かにそう言うと、姿勢よく踵を返して、教室を出て行った。 修吾はその同人誌を、他のものと混じらないようにしてから、うーん……と唸る。 ……なんだかよくわからないけど、何かに巻き込まれている気がする……。 そんな言葉が心の中で回る。 伝えれば済むことなのだろうから、何も気にする必要はないんだろうけれど。 伝えたら伝えたで、部長は困ったような表情をした。 時計を見て、マジかよ……と呟き、食い入るように同人誌を読み出す。 その様を見て、どうやら2人にとっては大切なことらしい、と修吾は感じ取った。 |