◆◆ 第4篇 手繋ぎ・みんなでお絵描き ◆◆
Chapter1.二ノ宮 修吾
『二ノ宮くん……わたし、駄目だね……。舞ちゃんに、迷惑ばっかり掛けて……』 彼女はとても掠れた声で、修吾にそう言った。 修吾は車に揺られながら、ただ、ふるふると首だけ振った。 大丈夫。全然そんなことないよ。 その言葉が、出てきてくれない。 柚子が、あまりにも弱々しい表情で、そこにいるから。 心が苦しくなって、悲しくなって……、それで何も言えない。 迷惑なんかじゃない。 舞は、柚子のことをそんな風に感じることは絶対にない。 修吾は二人を見ていて、そう思う。 柚子だって、それは分かっているはずなのに。 『だ……』 『迷惑掛けねー人間なんて、この世の中に一人もいやしねーよ』 修吾があまりにも遅い大丈夫を告げようとしたその時、煙草をふかしながら運転していた賢吾が吐き捨てるようにそう言った。 柚子がその言葉に視線を上げる。 『友達の面倒みるなんてのは、迷惑とは思わねーだろうが。それが違うって言ったら、そいつは友達じゃねーってこった。それだけのことだよ』 『…………』 『迷惑かどうか、本人に聞きもしねーで、へこむな。そんなのは不毛だ』 賢吾は煙を吐きながらそう言い、ただ前方を見つめていた。 修吾は思った。 昔から、いつもいつも、兄は自分の前を行く、と。 「よぉし、恨みっこなしだぞ、二ノ宮ぁ!」 ヒロトがそう言って、修吾の前にくじ引き用の箱を押し出してきた。 修吾は文化祭の一件以来、ヒロトと幾分よそよそしくなってしまっていたので、そんな元気なヒロトの様子を見て、ほっと胸を撫で下ろした。 文化祭が終わって二週間ほど経過し、二週間後に控えた体育祭のために出場種目を決定している最中だった。 いつもは教師の話で過ぎるホームルームも、この日ばかりは若干白熱していた。 白熱の原因は……みんな、大変な種目には出たくないから、である。 「くじも何も、さっき、借り人競争、押し付けられたばっかなんだけど……」 修吾は若干引きつり笑いをしながら、そう返した。 問答無用で借り人競争が回ってきたので、それ以外はよっぽどのことがなければ、やらずに済むかと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。 修吾の言葉を受けて、ヒロトが若干面白くなさそうに目を細める。 「はぁーぁ……だからヤなんだよなぁ……」 「ぇ?」 そんなことをポソリと呟くヒロトに、修吾は目を丸くした。 「とにかく、もう一種目くらい受けてくれよ。借り人競争なんて、お前の場合、ノルマみたいなもんなんだから」 「え?」 ヒロトの言葉に、修吾は先程よりも声を少し大きくした。 2人のやり取りを見ていた他の男子連中も、修吾のその様子を見て、失笑したり、表情を難しくしていたり……。 きっと、勇兵がいれば『もてる男はつらいねぇ、修ちゃん』とか言ってくれたのだろうが、お生憎様、このクラスにはそんな陽気なスポーツバカはいやしない。 「まぁ、いいから引けよ。ほら」 「あ、ああ……うん……」 ヒロトがすぐに表情を正して、白い歯を見せて笑うので、修吾は仕方なくおずおずと手を出して、箱からくじを引いた。 人差し指でスチャッと開くと、そこには丸文字で、『騎馬戦』と書かれていた。 「…………」 修吾はその文字を見た瞬間、目の前が少々揺らいだ。 中学でこの競技を初めてやって以来、かなりのトラウマが出来上がった。 体がそんなに大きくないのもあり、騎馬では当然のように上に上がらされるのだ。 ……弱いのに……。 しかも、なぜか、最初から集中攻撃を仕掛けられ、はちまきをあっという間に奪われて終わる。 戦力になれないのは、もう、容易に想像できる。 「おし、二ノ宮は騎馬戦と借り人競争なぁ!」 「……ご、ごめん。他の競技に……」 「駄目駄目。恨みっこなしって言ったじゃん」 「いや、だって、僕じゃ、戦力にならな……」 「戦力どうの関係ナーシ。問題なのは、さっさと参加種目決めて、残りの時間遊ぶことなーの!」 「そんな……」 修吾はくじを摘んだまま停止して、困ってしまい、むっと唇を尖らせる。 「な、なんだよ、凄んでも駄目だぞ」 「……え?」 別に凄んでなどいないのだが、どうやら見ている側からはそのように見えるらしい。 修吾は仕方なく俯いて、前髪を掻き上げる。 決まってしまったものは仕方ない……か。 修吾は自分の席へとトボトボ戻り、机に肘をついて、ため息を吐いた。 「ちょっと、男子! あんまり適当に決めないでよね〜。二年がうるさいんだからさぁ」 「知るかよ。どうでもいいじゃん、体育祭なんてさぁ。クラスマッチのほうが断然燃えるしよぉ。今更な行事としか言えねーよ」 「どうでもいいとか……どうでもいいんだけど、さぁ……ホント、二年うるさいから、練習とか指示あったら、そういうのは聞いてやってよね」 「あいあい」 「うわー、いい加減……」 女子は女子で参加種目を決めているので、教室の右側が女子、左側が男子、という状態になっている。 男子のふざけ半分のくじ引きに、女子は少々不満そうに唇を尖らせていた。 修吾はその様子を見つめて、ふー、と息を吐き出す。 クラスだけで行う行事ならばいいのだが、今回は縦……受験を控えた三年を抜かした二学年が組んで戦う行事になっている。 その分、クラスとしてのやる気はだいぶ欠如しているといえた。 五月に行われた球技大会(クラスマッチ)の盛り上がりは一体どこへ行ってしまったのか。 ……と思いつつも、修吾は球技大会でもほとんどやる気がなかった人間なので、それほど口うるさいことを言えるわけではないけれど。 頬杖をついて、男子と女子の睨み合いを見守っていると、舞がつまらなそうに机に腰掛けて足を組んだのが見えた。 こちらに気が付き、さりげなく視線を送ってくる。 なので、修吾も困ったような表情を返してやった。 それを受けて、おかしそうに舞が笑う。 修吾の困った表情を簡単に見分けられるクラスメイトなんて、そんなにいやしない。 その様子を見て、舞の傍にいた女子が舞に話し掛けた。 舞はそれに何か丁寧に言葉を返しているようだった。 少々肩をすぼめて、その後首を横にフルフル振る。 そして、修吾を指差してまだ何か言っている。 ……一体、なんだ? 修吾はその様子が気に掛かって、しばらくその様子を見つめていた。 すると、その女子がこちらに視線を寄越したので、バッチリ視線が合い、次の瞬間、慌てて視線を逸らされた。 修吾は耐え切れなくなって、口パクで、 『何?』 と訊いた。 けれど、舞は特にそれには答えることなく、種目決めをしている一団に声を掛けられて、体だけ捻った。 少々短めのセーラー服の上着が、くぃっと上がり、整ったプロポーションが少しばかり強調される形になった。 さすがの修吾も息を飲んだ。 当然のように男子が舞のその体勢に見惚れている。 修吾の傍にいた男子が静かに修吾に言ってきた。 「やっぱさぁ……女は胸だよなぁ…………っても、車道自体美人だけどさぁ……」 「…………」 修吾はその言葉に何も返せずに、ポリポリと頭を掻いた。 舞は見た目の割に話してみると気安いし、彼女の何気ない仕草から発されるフェロモンと言おうか……そういうものが、とにかく、同年代の女子の中では群を抜いていると言ってよかった。 入学して半年以上経ち、そんな中、男子の間で『学年のアイドル』というポジションを不動のものにした遠野清香とは別に、舞もやはり同レベルの人気を誇っていた。 可愛い・ふんわり・家庭的、というイメージの清香と、綺麗・サバサバ・ふとした仕草が可愛い、というイメージの舞は、好みだ、と言う男子の派閥がパックリ分かれる形になっているらしい。 ……これら全て、勇兵情報ではあるのだが。 因みに付け足されて困った情報として……。 そんなことは修吾だって察していたことなのだけれど……。 柚子もそれなりに人気があるらしい。 ……あのレトロな見た目が、どうやらウケの良い要因なのだそうだが……、ある意味、清香や舞以上に、ファンの間では高嶺の花扱いされている節があると言う。 理由は……箱入り娘的な清廉な雰囲気のため、らしい。 確かに、柚子が話さないでボーっとしている様を見ると、少々近づきがたい雰囲気があるので、そこは納得の出来るところではあった。 舞が柚子の腕を引っ張って、ポンポンと肩を叩きながら、何か告げた。 柚子が三つ編みを揺らし、落ち着かないように何度も首を動かす。 周囲の女子も、柚子を励ますように何か言ってあげていた。 それを受けて、柚子はようやくおずおずと首を縦に振る。 しばらくして、クルリと踵を返し、困ったような表情で柚子は天井を見上げた。 舞がその様子にすぐに気が付いて、楽しそうに後ろから柚子に抱きつく。 柚子が驚いたように体をビクリと動かしたけれど、舞はそんなことは気にも留めないようにニコニコ笑っている。 「なぁ……二ノ宮って、車道と部活一緒だったよな?」 「え? う、うん」 「話し掛ければ気さくに返事してくれんだけどさ、部活だとどうなの?」 「……オープンな感じかな。毒気もあるけど、……可愛げもある、よ」 「へぇ……好みのタイプとか、聞いたことある?」 「へ? い、いや……そういう話には、ならないかな……」 修吾は急にそんな問いを投げかけられて、内心ドギマギしながらも必死に言葉を返した。 「そっかぁ……」 「そ、そういうのは、たぶん、同じ中学出身の人に聞いたほうが、いいよ、たぶん」 「……ああ、塚原とか?」 「うん」 「なんか、アイツに聞くとどっかに広がりそうでさぁ」 「勇兵は、そんなことしないよ」 「……うーん。変なこと聞いて悪かったな。サンキュ」 「いや、別に」 修吾はフルフルと首を振って、クラスメイトの言葉に答えると、ふー、とため息を吐いて、窓の外に視線を動かした。 チラホラと、校庭の木々の色が変わり始めている。 比較的寒い地域に属しているのもあり、紅葉は始まると本当にあっという間だ。 修吾は目を細めて、それを見つめ、秋の先にある冬さえ、そこにあるかのように感じた。 「へぇ……体育祭ねぇ。そんな行事あったっけ?」 晩御飯の最中、ビールをグビグビやりながら、遅く来た反抗期を体現しているかのような赤い髪を掻き上げ、奔放な兄がそんなことを言った。 遊び歩いてばかりいたせいか、最近少々金銭的に苦しいらしく、この前の文化祭辺りからきちんと晩御飯は家で食べるようになっていた。 文化祭を境に、父がまた忙しい仕事を貰ってきたのも要因だったとは思うけれど。 それでも、食卓が2人だけではないのもあり、春花は嬉しそうに賢吾の好きな料理をマメに食卓に取り入れていた。 「あったけど、賢くん、指を怪我したくないからって、確か拒否したんじゃなかった?」 「…………。ああ、そうだっけ? あんま、覚えてねーなぁ」 賢吾は、修吾にそっくりの目を細めて、不機嫌そうに息を吐いた。 息がアルコール臭くて、修吾は少し椅子を動かして、息が掛からない位置に移動した。 あまりピアノを連想させるような言葉は聞きたくないらしい。 「で? お前、何やんの?」 「騎馬戦、と、借り人競争……」 「お前が騎馬戦?! ぶっ……弱っ……」 「……上って確定な反応しないでくれる?」 修吾は賢吾の反応に対して、だいぶ不機嫌な表情でそう言った。 賢吾は修吾のガタイを見て、おかしそうに笑う。 「だって、お前みたいな軽っこそうなの、上しかねーだろ。ジャニーズ君」 「……言うな」 「賢くん、駄目よ? 修くん、ジャニーズって言うと怒るんだから」 「諦めろ諦めろ。顔ってのは才能だ。おれも、在学中はもてたぞ。全部振ったけどな!」 「……自分で顔のこと言うかフツー……」 修吾は箸をくわえた状態でブツブツとそう言いながら、大きな皿に乗っているカキフライに視線を動かした。 箸を伸ばそうとした瞬間、賢吾の長い指が伸びてきて、大きいカキフライを摘み上げる。 「あっ!」 「早いもん勝ちだ」 「……毎回毎回……」 ひと口でカキフライを口に含み、満足そうにもしゃもしゃと口を動かす賢吾。 修吾は少々いじけるように唇を尖らせる。 すると、春花がすかさずタルタルソースの乗った小皿を持った。 「大きいの取られたくらいで怒らないの。ほら。まだあるんだから」 そう言って、カキフライを2、3個選り分け、修吾に手渡してくれる。 修吾はそれを受け取って、パクリとかじりついた。 「美味しい?」 コクリと頷くと、春花が嬉しそうに笑う。 「おじさんが持ってきてくれたのよ。やっぱり、獲れたてが1番よねぇ♪」 賢吾がゴックンと口の中のものを飲み込んでから口を開いた。 「そういや、体育祭、おれ、1個出たわ」 「え?」 「その、借り人競争、ってやつ」 そう言った後、またグビグビとビールをあおる賢吾。 「プハーッ、あー、うめー。お前も飲まない?」 「未成年に酒勧めるな……」 修吾が呆れたように目を細めると、賢吾がおかしそうにククッと笑った。 「親父そっくりな顔すんなって」 「……してないよ……」 「んー、まぁいいや。んで、借り人競争なぁ……あれ、気をつけろよ?」 「何を?」 「小細工の嵐だから、あれ」 「 ? 」 「もしかして、なんだが、お前、押し付けられなかった?」 「え? う、うん」 「やっぱなぁ。おれも、勝手に出場することになってたんだわ。しゃーねーから出てやったんだけど」 「……?」 「とにかく、面倒くせーから、気をつけろ」 ビール缶を持った手でビシッと指差され、修吾は意味も分からず、ただ頷いた。 春花がそんな2人のやり取りを見て、のほほんと笑いながら、パクパクとお上品な箸運びで、ご飯を平らげていった。 |