◆◆ 第3篇 篝火・たこ焼き弾丸ストライク ◆◆

Chapter NARU3.古平良 鳴




『篝火燈る庭を見下ろせる、鏡花の間で、お待ちしております。』


 鳴は眼鏡を外して、闇に浮かび上がるぼんやりとした炎を見つめた。
 部室からは校庭が見下ろせる。
 俊希はよく窓の外を見つめていた。
 はじめはなんとも思っていなかったが、次第に気が付いたことがある。
 外を見つめる彼の眼差しは、とても寂しそうだということ。
 気が付いたからといって、鳴は何ひとつ彼には聞かなかったけれど、……それでも、バスケから離れるために入った部の部室が、青春に燃える運動部の活動がよく見える場所にあったことは、ある意味、彼にとって皮肉でしかなかったのではないかと思う。
 いつから、などという言葉は無粋だ。
 どうして、と考えたところで答えはない。
 もしも、答えが出るのなら、その時が……この恋から醒める時なのだ。
 鳴は眼鏡を両手で丁寧に耳に掛けると、綺麗な動きで腕時計を見た。
 蛍光塗料の塗られた文字盤が時刻を教えてくれる。
 ……時間になる……。
 やはり、無理だったか。
 そう思った瞬間、自嘲の笑みがこぼれた。
 回りくどいことをして、相手を振り回して、結局気持ちも伝えられずに終わる。
 いや、むしろ、この結果を望んでいたのかもしれない。
 自分には、手を伸ばしても触れられない彩がある。
 それは、自身の中で一年余りグルグルと渦巻き続けた、綺麗で可愛らしく、それでもやはり汚らしい感情の彩。
 いいのだ。
 どうせ、これが最後だ。
 今日が過ぎれば、鳴と俊希を僅かに繋いでいた肩書きも消える。
 秋が過ぎ、冬を越えれば……彼はこの学校を去る。
 そうして、本当の本当に、2人の繋がりは一切なくなる。
 素直でない自分は、ただ逃げ続けて、素直でない行動を取って、そして、その自身の愚かさで……涙を流せばいいだけ……。
 鳴は目を細め、はぁと息を吐き、腕を下ろした。
 踵を返し、机に置いていた鞄を持つ。
 だが、ちょうどその時、バタバタ……と、誰かが走ってくる足音が聞こえた。
 鳴はふと動きを止める。
 足音の主は部屋の前を通り過ぎ、それから慌てて戻ってきた。
 ガチャリと開く扉。
 電気を点けていなかったので、顔は見えない。
 ただ、肩で激しく息をしているのだけは、影で分かった。
「な、鳴ちゃんさ……」
 その声で、やはり俊希であることを自覚した。
 俊希はゼェゼェと苦しそうに呼吸をし、膝に手をついた。
 どうやら、学校中走り回ったらしい。
 ……鏡花の間、としたのは、やはり意地悪だったろうか。
「酉の刻って、2時間もあるって、知ってた?」
 予想もしていなかった言葉に、鳴は少しばかり眉を動かした。
 勿論、そんなのは知っている。
 ただ、一般的に酉の刻といえば、18時のことなのだ。
 それを示したつもりだった……のだが。
「おれ、この前受験勉強してて、初めて知ったのよ」
「先輩が、勉強、ですか?」
「うーわー。すっげぇ馬鹿にしたような声が聞こえた。おれだって、目標くらいあんだぜ? 目覚めるの、ちょい遅かったかもしんねーけど」
 俊希はおかしそうに笑いながらそう言い、カチリと部屋の電気をつけた。
 俊希は明かりが点いて、眩しそうに目を細め、その後、鳴を見て優しく笑った。
「鳴ちゃんがここにいるの見たの、すっげー久々。やっぱ、鳴ちゃんはここにいたほうがしっくり来るね♪」
「…………」
 鳴は何にも言えずに俯いた。
 どうしよう。
 顔を見た途端、言葉が全部消えた。
「ひっでぇよなぁ。鳴ちゃん、おれのこと、総無視! 当番、交代までされて、ちょっと、さすがのおれでも傷ついちゃったよ」
「…………」
「挙句、変な問題出して、二ノ宮くんに伝言ゲームしてくし」
「…………」
「……まぁ、そんだけのこと、おれがしたんだから、当然っちゃ当然だったんだけど、さ」
 そこで、少しばかり俊希の表情に覇気がなくなった。
 過ぎるのは約1年前の出来事。
 突然キスされて、しかも、それが欲求からの行動だったことに憤り、逃げ出した日のこと。
 鳴はあれ以来、部室に寄り付かなくなり、2人の接点は、ただ、肩書きが一緒であること以外、何もなくなった。
「ごめんな。嫌われて当然だし、軽蔑されても、失望されても、おれは何も言えない。でも、今日で最後だからさ。もう、ここはおれの居場所じゃなくなるからさ。だから、これからは、去年みたく、絵になるくらいの調子で、その椅子に座って、難しそうな本読んでよ」
 ニィッと笑って、俊希は言いたいことだけ言う。
 鳴は、静かに目を瞑り、鞄を持つ手に力を込めた。
 必死に、自分を縛る呪縛を解こうと、歯を食いしばった。
 そして、口を開く。
「今年の展示は、場所が良かったですね」
「ん? ああ、運良かったよなぁ。同人誌も売れたし、鳴ちゃんの才能、みんなに少しは分かってもらえたかなぁ」
「今年のは、二ノ宮くんのおかげで売れたんですよ」
「……そんなこたねぇよ。おれ、頭悪いからわかんねぇけど、それだけじゃねぇだろ」
「……先輩、私、知っているんですよ」
「なにを?」
「場所を交渉してくれたのが、先輩だということ」
「…………」
「凄い粘られて困ったと、友人が言っていました」
「…………」
 鳴の言葉に、俊希は照れたように視線を外した。
 ガシガシと頭を掻き、唇を噛む。
「先輩の仮説は正解でしたね」
 鳴は眼鏡を綺麗な動きで直し、真っ直ぐに俊希を見つめた。
 抑揚のない話し方。
 可愛げの欠片もない。
 けれど、伝えなければならないことがある。
 だから、言葉を紡ぎ続けなくてはならない。
 そうしないと、すぐ、声が口から出て行かなくなってしまう。
 俊希は持っていた同人誌をこちらに見えるように掲げ、話を逸らすように言った。
「かがりびともるにわをみおろせる、きょうかのまで、おまちしております。ってさ、できれば、平仮名にして欲しかったな。しょっぱなから読めなくて困った。あと、詩的表現使われても、おれ、わっかんねぇし……。鏡花ってのだって、最初、『かがみばな』って読んでたよ。なんのことだかさっぱりだ」
 本当に疲れたようにそう言って、はぁぁとため息。
 けれど、その後にニィッと笑った。
「でもさ、ちょい、嬉しかった」
「え?」
「鳴ちゃん、あんな会話覚えててくれたんだなぁって」
 本の中の文字を丸で囲って、それを繋ぐと、相手の名前や、相手への言葉になる。
 それがあまりに切なくて泣けた、と、彼は言っていた。
 こんなことのために使っていいのか分からないけれど、自分なりに出来た、彼へのアプローチ。
「いつ届くか知れない。誰に気が付いてもらえるかもわかんない。それでも、残さずにいられない」
「…………」
「それが、最期を目前にした人なら、尚のことだよな……」
 俊希は今まで見せたことがない、男らしい表情でそう言い、すぐに軽く笑った。
「ねぇ、鳴ちゃん」
「はい」
「学生にとっての、後夜祭の時間の意味、知ってる?」
「……知ってます」
「知ってるんだったら、なんで、和解の日が今日かなー」
 俊希は困ったように笑い、すっと本棚に視線を向けた。
「でも、それなら都合いいや」
 そう言って、1歩1歩踏みしめるように歩き、本棚の本を抜き取る。
 泉鏡花全集の中の1冊。
「見覚えある字だったはずだよね。こいつのこと言ってるんだって気付くのに、すっげー時間かかっちまった」
 そう言いながら、パラパラとページを捲り、あるページで手を止めて、その本を鳴に差し出してきた。
 鳴はそれを受け取り、首を傾げる。
「いつ読まれるかってドキドキしながら書いたのに、鳴ちゃんがこれ読む前に、おれがやらかしちまったから……。自分から見せるなんて、かっこ悪ぃけどさ……もう、いいや。そういうの気にしてらんないよね」
 鳴は文章を追い、丸に囲まれた文字に目を止めた。
 『す』。
 鳴はページを捲った。
 『き』。
 鳴はそこで息を飲む。
「捲って」
 俊希の恥ずかしそうな声。
 『だ』。
 『な』。
 『る』。
 ぼわっと、自分の顔が赤くなったのが分かった。
「先輩、……こんな恥ずかしいことしたの、どこの誰ですか?」
「……ここのおれです……」
 当然、そう返ってくるだろう。
 鳴は口元に手を当て、困ったように眉を歪めた。
 馬鹿だなぁとは思っていたけれど、この人は真性の馬鹿だった。
「知らないところで読まれんのがロマンチックかなぁって思ったりしてさ。卒業後に鳴ちゃんが読んで微笑んでくれればベストかなぁとか? でも、やっぱ無理」
 俊希は唇を尖らせてそう言うと、気を引き締めるように息を吸い込んだ。
「好きだって伝えらんねーなんて、やっぱ、たまんねー」
「…………」
 鳴はその言葉に言葉を失った。
 冗談、ではない。
 思い切り本気の顔だ。
「……でも、先輩、彼女……」
「今はいない」
「……でも、どうせ、私も飽きたら別れますよね?」
「……おれ、自分が嫌いになった女の子なんて、1人もいないよ……。ただ、おれに愛想つかして、あっちが離れてくんだ」
「そりゃ、二股すれば、ね……」
「二股は、あの時が初めて……だよ……。ちょっと、男のしょうがない部分ってやつで」
「……信じろってほうが、無理ですよ」
 言うつもりだったことを、まさか相手から言われるなんて思ってもいなかった鳴。
 素直でない虫が騒ぎ始めたのを感じた。
 でも、が重なる。
 彩が遠くなる。
 必死に手を伸ばそうとしたが、それに届かない。
「だって、これ書いた時も、書いた後も……付き合っている人、いたんじゃないですか……?」
「……ッ……」
 鳴の言葉に、俊希は息を飲んだのを感じた。
 鳴が真面目な部類の、俊希とは対極に位置するところにいる人間であることは、彼が一番よく分かっている。
 その指摘は、きっと一番恐れていたことだったろう。
 自分も、本当はこんなこと言いたくない。
 ただ、その気持ちを受け入れて、こちらの気持ちを伝えたい。
 けれど、自分の中の虫が言う。
 俊希の女グセの悪さだけは、やっぱり許容できない……。
 今、好きだと、それだけ聞けたなら、よかった。
 けれど、以前に書いた言葉を読んで、それから受けた告白は、キラキラしたロマンスよりも、鳴の心をザワザワと黒々と掻き乱した。
「説得力、ねーかもしんないけど……。ずっと、意識はしてて……でも、おれ、鳴ちゃんみたいなタイプに好かれたこと、1回もなかったから……。だから……」
「他の人と?」
「すぐ他の子に夢中になれると思ったんだよ」
 ギリッと奥歯を噛んだのが分かった。
 俊希は額に手を当て、頭を抱えるような形で目を閉じた。
「……けど、どっか満たされなくて……。前なら、手繋いで、チューして、一緒に寝てれば幸せだったのに……それが、全然すっからかんで、薄っぺらくしか見えなかった……」
「…………」
「どうしてくれんだよ……」
「そんなこと言われても……」
 自分も好きだと言うには、心が疑心に染まり過ぎていた。
「噛まれたのに……あの時、久々に満たされたんだ……」
 クシャリと髪の毛を掻き上げ、俊希は静かにこちらを見つめた。
「覚悟はしてる。……答えだけ、聞かして……。今日で、最後だもん」
 意図しない限り、2人がこうして会話する機会はなくなる。
 疑心に染まる心に、その言葉が響いた。
 どうして、自分が今日を選んだのか……。
 わかっている。
 繋がりを消したくなかったからだ。
 勿論、断られれば結果は同じだけれど、それでも、望みを託すには、告白しかないと、意を決したのは……昨夜。
 約1年逃げ続けて、結局、その気持ちを追い払うことが出来なかった自分。
 廊下ですれ違えば、気が付かれないように振り返って背中を見送った。
 体育の時間、俊希が走り回っているのを授業中だというのに、ずっと見つめていたこともあった。
「……断れるわけ、ないじゃないですか……」
「え?」
 鳴の言葉に、俊希は本当に驚いたように目を見開いた。
 鳴は眼鏡をクィッと上げ、唇を噛む。
「察してください……呼び出した理由くらい……」
「…………。だって、鳴ちゃんとこういうことって、イコールにならねぇから……。最後の最後で、仲直りだけは出来んのかなぁって思って、それで、……はは、おれ、必死すぎ」
「ただ、条件があります」
「条件?」
「私は、浮気されたらすぐに別れますから」
「……大丈夫だよ。おれ、最近もてないから」
 俊希はとても嬉しそうに笑って、1歩鳴に近づいた。
 俊希の手が鳴の肩に伸びてくる。
 ……どうしようもない人。
「……それと」
 鳴の言葉に、俊希の手が止まった。
「ぅん」
「この泉鏡花全集、買い直す必要があります」
 全く、ご丁寧にボールペンで丸を書くなんて、信じられない。
「え、だ、だって、その本、鳴ちゃんくらいしか読んで……ないじゃん……」
「…………。こんな恥ずかしいものを置いておけと?」
「う…………だって、おれ、金、ないもん」
「……では、お金が入って入手できたら、寄贈しましょうか。初版ではなくなってしまうけど」
「へ?」
「それまで、この本は私が……借りておきます」
 伝わりますか? この意味が。
「はは……おれ、やっぱ、誤ったのかなぁ」
「ええ、私を選んだ時点で、それはミスです」
 鳴は静かにそう言い、眼鏡を掛け直す。
 俊希は肩に置こうとしていた手をきゅっと握り締めてから、鳴の持っている本を手に取った。
 鳴の視線がそちらに向くと、俊希は鳴の視線に合わせ、耳を向けてきた。
「まだ、聞いてないよ」
「え?」
「先輩、好き好きー! って」
「……馬鹿……」
「ふふー」
「……好きです」
 それを言うために、呼び出した。
 彼のその気の抜ける雰囲気に動かされて、言葉は想像よりも簡単にするりと出た。
「うん、おれも♪」
 言葉を受けて、俊希ははしゃぐように笑い、次の瞬間思い切り抱きついてきた。
 鳴の体がビクリと強張る。
「好き。大好きだよぉ、鳴ちゃん」
 耳元で言われて、顔がどんどん熱くなっていく。
「なんもしないから怖がんないで」
「……その言葉、説得力ないんですが」
 抱き締めて、もぞもぞと体に触れてくる俊希に鳴は苦笑を漏らした。
「あ、いや……これは条件反射。や、やめる」
 慌てて俊希は鳴から離れ、首を掻いた。
 そして、鳴に本を返し、踵を返す。
「帰ろっか」
「はい」
「ぇと、送るよ」
「方向逆ですけど」
「チャリだから平気だよ」
 俊希は頼もしく笑い、さっと手を差し出してきた。
 意味を察し、鳴は鞄に本を入れてから、彼の手を取る。
 ギシギシ、と音の鳴る床。
 キャーキャーと騒がしい校庭の生徒たちの声。
 手から伝わる彼の体温と、少し速い鼓動。
 鳴は自分の胸が凄い速さで脈打つのを感じて、恥ずかしくなった。
 手を触れていると、そんなことまで手に取るように分かられてしまう。
「そ、そういえば」
「ん?」
「先輩の、目標って、なんですか?」
「ああ。知りたい?」
「はい」
「保父さん♪ おれ、子供好きだからさぁ」
「……ああ」
「納得?」
「性犯罪者には、ならないでくださいね」
「こら、ちょっと待てぇい」
 鳴の言葉に俊希は素早く突っ込んできた。
 鳴はそこでようやく頬を緩ませる。
 約一年ぶり。
 俊希の前で、鳴は優しく笑った。



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