◆◆ 第4篇 手繋ぎ・みんなでお絵描き ◆◆
Chapter6.二ノ宮 修吾
この前の文化祭で、修吾は初めてまともに渡井柚子の『作品』を見た。 飾られていたのは4つほど。 そのどれもが風景画だった。 以前、絵を描くのを横で見た時も、そういえば、風景を描いていたな……そんなことを思った。 彼女のほんわかした性格とは全くイメージの違う、目の前の風景とクールに向き合った印象を受ける穏やかで静かな絵。 それは、柚子と仲良くなる前の彼女の印象そのものだったように感じた。 『渡井は……人物画は、描かないの?』 なんとなく、絵を見ながらそんなことを尋ねた。 オレンジ色の光に包まれた教室を描き出した絵の前。 おそらく、それは柚子の席から捉えた教室という世界。 けれど、その中には人が全くいなかった。 修吾があまりにまじまじと自分の描いた絵を見つめているので、恥ずかしそうにしていたが、その質問に対しては少々困ったように目を細めて、その後笑った。 『人は……動いちゃうし』 『……そう』 『わたし、ひとつ描き終えるために何度も何度も気に入らなかったらやり直しちゃうし……。だから、ここに並んでいる絵もね? 納得いくまで少なくても5枚くらい描いてるんだ。そんな感じだから、それに付き合わせちゃうのは良くないって思うし』 でも、ノートにはたくさんの手の素描があったよなぁ……と心の中で呟く修吾。 彼女が見られたことを気にしていたのを覚えていたので、口にまではしなかったけれど。 そういえば……彼女のあのノートにも、手の絵はあっても、それ以外のパーツは描かれていなかったのを思い出した。 『それに……わたしに描かれても……その人、喜んでくれないと思う』 『……どうして?』 『わたしの絵……写真みたいなんだって』 『え?』 『そこにあるものを綺麗に切り取るけど……本質まで捉えられてる気がして……気持ち悪いって』 柚子は少し俯いてそう言った。 修吾はその言葉に息を飲む。 必死に言葉を探すが、なかなか最適な言葉が見つからなかった。 柚子はきっと全てを捉えられたと実感するまで同じ絵を描く。 だから、ひとつの作品を完成させるまでに何枚も何枚も描く必要があるのだ。 風景は物を言わない。 けれど、人物は描かれたものに対して、なんらかの感想を言うだろう。 ……もしかしたら、柚子はそれが嫌なのかもしれない。 自分が納得のいく出来であっても、描かれた相手がそれを喜ばなかったら……それは全く意味のないものになってしまうから。 『渡井の気持ちが、真摯なだけなのに』 『え?』 修吾の言葉に、柚子が顔を上げる。 自分も、小説を書いているからわかる。 作品というのは……自分と向き合うことから始まる。 はじめから読者を意識した話なんて書けないし、どちらかというと、書こうとも思わない。 勿論、お金を貰って、それを生業にしようと思うのであれば、その姿勢でずっと行くわけには行かないだろうけれど、小説家にせよ、画家にせよ、芸術家というのはそういうものだと思う。 柚子の場合も、自分と向き合って、作品を仕上げている。 向き合った結果、その人の本質まで見抜いてしまう。 それだけのことじゃないだろうか。 けれど……本質を見抜かれて、心穏やかであれる人間など、そういる訳もない……か。 『……でも、いつかは、モデルに喜んでもらえる絵が描けるようになればいいね』 修吾は静かにそう言った。 柚子はその言葉を受けて、少し間を置いてからコクリと頷いた。 『……うん……』 小さく、搾り出すような声。 その、か細く、消え入りそうな……心許ないような声を、修吾はきっと、一生忘れないと思う。 「二ノ宮くん!」 呼び止める声と一緒に、パタパタパタ……と忙しなく駆けて来る足音がした。 修吾はゆっくりと振り返る。 三つ編みがぽんぽこぽんぽこと跳ねている。 その様子に、修吾はつい笑みが漏れた。 「渡井。今帰り?」 「うん。……二ノ宮くんも?」 「ああ。今日は……雨が降るって話だから、早めに帰ろうと思って」 「そっかぁ……。舞ちゃんは、部活?」 「……じゃないかな。きっと、部室にいるよ」 「そっか」 柚子はそっと部室棟に視線を動かし、すぐに修吾へと戻した。 「シャドーに用事?」 「ううん」 「? そう」 修吾は柚子の様子を眺めつつ、落ち着かずに学ランの袖を撫でた。 「……途中まで、一緒に帰ってもいい?」 柚子が上目遣いでこちらを見て、そう言った。 修吾はその言葉に、ドキッとしたが、彼女は普段どおりの表情でこちらを見ているので、出来るだけ顔には出さないように目を細めた。 「うん、いいよ」 ……いつも……。 落ち着かないのは、自分だけだ。 どんなに緊張しながら新人戦に誘っても、文化祭に誘っても、彼女は嬉しそうに笑う。 単に、修吾に余裕がなさ過ぎて、そのように見えているだけのことなのだけれど、彼がそんなことに気が付くはずもない。 どちらが言うでもなく、2人は歩き出した。 「バス停近くの、信号のところまでで、いい?」 「え? でも、二ノ宮くん、遠回りじゃない?」 「遠回りって言っても……15分が20分になるだけだよ」 修吾はおかしそうに笑ってそう返した。 だが、それだけでも申し訳ないように柚子は小首を傾げた。 「……話し……たいから、だから、気にしないで?」 修吾は前を見つめたままで、必死に声を絞り出した。 恥ずかしくて、彼女を見ることも出来ない。 けれど、柚子はその言葉で修吾を見て、ふわりと笑った。 「二ノ宮くんって、学校近くていいよね」 しばらくの沈黙の後、柚子は話を見つけたようにそう言った。 修吾はコクリと頷く。 「……近いから、ここにしたし」 「え? そうなの?」 「うん」 「あは。そうなんだ」 修吾の答えに、柚子はクスクス……とおかしそうに笑う。 「何か、おかしいかな?」 「え? ううん。この辺じゃ、進学校って言われているからかなって思ってた」 「……進学校なんてレベルじゃないよ。受験校、でしょ。うちの高校は」 修吾は苦笑混じりでそう返し、柚子はその言葉におかしそうに笑う。 「二ノ宮くん、クールだねー」 「……クールっていうか……父さんがよく言うから。父さん自体は、もっといいところ行って欲しかったらしいし」 「…………。そっか」 「うん」 修吾はそこでその話題を切ろうと、空を見上げた。 雲が多い。 まだしばらくは降らなそうだけれど、帰ることを選択して正解だったと思う。 「オレ、小学校も中学校も、歩いて15分圏内だったんだ」 「え?」 「だから、それ以上遠いの、嫌でさ」 修吾が真顔でそう言うと、先程の話で少々硬くなった柚子の表情が緩んだ。 「そっか」 「ものぐさだから」 「ううん、そんなことないよ。近いほうが良いに決まってるもの」 柚子は優しく笑い、その後にはぁぁ……とため息を吐いた。 「わたしなんて、バスで40分ですよ」 「遠いよね」 「うん。よく寝過ごしちゃうの」 「ふっ……バスでは寝ちゃうほう?」 「うぅん。窓の外見てるんだけどね、気が付くと寝てることが多い」 「渡井は乗り物酔いは?」 「……すごくするほう……」 「それじゃ、大変だね……」 「うん。だから、揺れない位置選んで座って、窓の外見てるしかないんだ」 「音楽とかは……?」 「外では、あんまり聴かない。……怖くて」 「怖い?」 ふと漏れるように出たその言葉は、本当に何かに怯えているようで、それが気に掛かって、修吾は反射的にそう返してしまった。 修吾の疑問符に対して、柚子が少々慌てたように首を振った。 誤魔化すように笑う柚子。 「わたし、ぼーっとしてるから、音楽なんて聴いてたら、色々気付かなそうでしょ? だから、怖くて……ってこと」 「…………」 修吾は柚子のその言葉に少々首を傾げてみせた。 分かる気もするし、もしも、それ以外の事情があったとしても、彼女が触れて欲しくないことならば、修吾は触れようとは思わない。 ただ、納得いかない。 それだけの意思表示のためにそうした。 心の中で呟く。ごめん、と。 こういう時、自分の性格が嫌になる。 表向きだけでも、なんでもない風に装える人間であれば、困らせることもないだろうに。 だけど、それは無理なのだ。 理由は簡単。 他の人だったらそれでもいい。 でも、相手が柚子だから、そういうのは嫌だった。 柚子が困ったように笑顔を引っ込める。 修吾は静かに首を回した。 「…………」 「…………」 2人の間に沈黙が流れた。 修吾は空気を変えようと話題を探す。 せっかく一緒に帰れるのに、澱みのある雰囲気で彼女と別れたくない。 「……ま」 「え?」 「舞ちゃんだったら……もっと気の利いた話とか、出来るのにね……。駄目だね、わたし」 「え? ……そんなことないよ」 突然、舞の名前が出てきたので、修吾は少々戸惑う。 別に修吾はそういうつもりで、首を傾げたつもりはなかった。 いつも教室で静かにしている柚子が、修吾や舞といる時、楽しげに話を切り出してくる。 その様子がとても可愛らしくて、いつも修吾は目を細めてしまう。 彼女と話すと、いつも、何か暖かいものを貰った気分になる。 だから、そんなことを彼女が口にする必要なんてないし、そんなことを言うなんて想像もしていなかった。 「……渡井」 「……はい?」 「何か、あった?」 修吾はそこで足を止めて、彼女の様子を見つめた。 柚子も、ワンテンポ遅れて立ち止まる。 風が2人の間を通り過ぎていった。 柚子の前髪がサラサラと動く。 スカートも軽くなびいた。 修吾と柚子は見つめあい、しばらく、そのまま2人とも言葉を発さなかった。 修吾は柚子の言葉を待ったし、……もしかすると、柚子も、修吾の次の言葉を待ったのかもしれない。 後ろから人が来たことに気が付いて、修吾が柚子のほうに寄って、道を譲った。 柚子を正面から見つめて、修吾は口を開く。 「何かあったなら、聞くよ?」 幼子をあやすようなトーンで、気が付いたらそう言っていた。 柚子は真っ直ぐに修吾を見つめて、目を細めた。 言おうか言うまいか、躊躇っているのが手に取るように分かった。 「あの……」 そして、決意したように柚子が口を開きかけたのだが、都合悪く、そこに浅賀光が声を掛けてきた。 「よぉ、修吾〜! 今帰りか?」 寒空の中、半袖ハーフパンツ姿で、修吾のほうに手を振りながら駆けて来る。 どうやら、バレー部の練習メニューをこなしている最中のようだ。 「あ、うん。そうだよ!」 修吾は仕方なくそう返事して笑いかけた。 「気をつけて帰れよー!」 光は修吾の脇にいた柚子が少々気になったのか、チラリと見てから、タタタッと2人の脇を駆け抜けていった。 柚子が光に視線を動かし、それから、手を振っている修吾を見る。 そして、不安げに目を伏せた。 「渡井?」 「しゅ……二ノ宮くん、今の、友達?」 「あ、うん。騎馬戦で……組むことになって。勇兵と同じバレー部の奴なんだ」 「そっか……」 「うん」 それきり、柚子は言葉を探すように黙りこくる。 修吾は柚子が話してくれるのじゃないかと思い、ただ、彼女が話してくれるのを待つ。 そっと空を見ると、先程よりも機嫌の悪そうな空模様が広がっていた。 柚子の体が微かに震え、修吾はすぐに屈んで柚子の目線で覗き込む。 「わた……」 ポタポタと……涙が2粒落ちた。 「わ、た、らい?」 突然のことに、修吾は言葉に詰まった。 柚子は袖で目の辺りを拭い、フルフルと首を横に振る。 なんでもない。 おそらく、そう言っているのだろう。 「……ッ……っく……ふぇ…………ぅっ」 けれど、拭っても拭っても……柚子の目からは涙が溢れ出してくる。 まるで、子供のように、言葉にならない気持ちを表すような泣き方だった。 修吾はどうすればいいのか分からずに、彼女が泣いているのを見つめることしか出来ない。 「渡井」 修吾は静かに彼女の名を呼んだ。 柚子はまだ泣き続ける。 下校時間でそこを通る学生たちの幾分かが、修吾と柚子のことをチラチラ見ながら通り過ぎてゆく。 けれど、修吾はそんなことは特に気にならなかった。 「……大丈夫だよ……」 何に対しての大丈夫なのか、修吾にも分からない。 けれど、柚子が何かを不安に思っているのなら、不安に思う必要なんてないよ、と、それだけは伝えたかった。 柚子は……自分の感情を上手く言葉に出来ない人だ……。 修吾は、彼女を見ていてそう思う。 だから、こんな風にただ泣き続けることに、戸惑いはしても驚きはしない。 修吾は柚子の感情のフラストレーションが治まるまで、静かにその様子を見つめていた。 |