◆◆ 第4篇 手繋ぎ・みんなでお絵描き ◆◆

Chapter7.車道 舞



 体育の時間。
 体育祭前というのもあり、体育祭準備時間として、体育教師が授業時間を提供してくれた。
 そのため、それぞれ好きなように準備作業へ。
 応援用のポンポンやパネルを作るため、教室へと戻る者。
 応援を盛り上げるために簡単なダンスを練習する者。
 競技の練習として、騎馬を組んだり、タイヤ引き用のタイヤをゴロゴロ運んできたりする者たち。
 中にはやる気がない者もおり、ひなたぼっこしながら、練習風景をぼんやりと眺めているのも見受けられた。
 そんな中、舞はというと……。
「いっちに、いっちに、いっち……」
「ぅふぁっ……」
「だ、大丈夫? 柚子さん」
「……痛いぃぃ……」
 柚子と組んだ二人三脚の練習中。
 舞が柚子にペースを合わせるように掛け声を掛けても、それに上手く合わせられずに、柚子が見事にすっ転んだ。
 練習を始めて、彼女のみが転ぶのは何度目か。
 多少躓いたところで、柚子が舞の肩から手を離さなければ、こんなに簡単にずっこけるなんてことはないのだけれど。
 柚子は泣きそうな目で膝をさすり、いい加減嫌になったのか、すぐに立ち上がらず、ため息を吐いた。
 舞は2人の足を繋ぐタオルを解いて、柚子の目線に合わせるようにしゃがむ。
「やめる?」
 柚子が体を動かすことを好まないのはよく分かっているし、嫌なら嫌で、舞はそれでも構わないと思っている。
 だから、その言葉も、優しく包むように発した。
「…………」
 柚子は何も答えない。
 舞は周囲を見回してから、小声で尋ねる。
「柚子? やりたくないならいいのよ? それでも」
「……で、でも……。そうしたら、本番で、舞ちゃんが恥ずかしい思いするよ?」
「いいよ?」
「……良くないよ」
「いいよ、別に。その代わり、当日は何回転びそうになっても、ゴールに着くまでは、絶対にあたしの肩を離さない。そう約束して?」
 舞はにっこり笑って、すっくと立ち上がり、柚子に手を差し伸べた。
 柚子が困ったように目を細め、座り込んだまま答える。
「それじゃ、舞ちゃんまで転んじゃうじゃない……」
「転ばないよ。あたしが支えるもの」
 当然のようにそう言って、一向に伸びてこない柚子の手を取り、グッと力を込めて引っ張り上げた。
 柚子もようやくフラフラしながら立ち上がり、舞の肩にコンと鼻をぶつけた。
 舞はポフポフと柚子の頭を撫でる。
「じゃ、あたし、違う競技の練習してくるね」
「ぇ……あ、う、うん」
「? 練習、する?」
「ぇ……ぁ……う、ううん……」
 柚子は少々迷うように言葉を濁し、結局フルフルと首を横に振ってしまった。
 歯切れの悪さに舞はつい苦笑が漏れる。
 柚子はそんな舞を横目で見、けれど、何も言うことなく、ひょこひょこと歩き出した。
「柚子、怪我してない?」
「痛いだけだから……気にしないで」
「本当に?」
「うん」
 舞が心配するように柚子の顔を覗き込むと、そこでようやく柚子がふわりと口元を緩めてみせた。
「なんだ、渡井。もうやめるのか?」
 タイヤの引き合いを眺めていた永井先生が2人に気が付いて、そう尋ねてきた。
 柚子の体が一瞬萎縮するように反応して見えたが、すぐに顔には笑顔が浮かんだ。
「はいぃ。飽きました♪」
「飽き……? 全くお前は……体育担当として悲しいよ」
「はい。ごめんなさい」
 柚子は至って明るい声でそう言うと、高校に入学してから一度も使用されているのを見たことが無い朝礼台まで走っていって、ポンと腰掛けてしまった。
 舞にヒラヒラと手を振り、口だけ『頑張って』と動くのが見えた。
 なので、舞もそれに対して手だけ振り返す。
 永井先生はその様子を見て苦笑し、やれやれ……と声を漏らしたのが聞こえた。
「永井先生って変わり者ですよね」
 舞は以前から思っていたことをそのまま口にした。
 赤いジャージのよく似合う20代後半の永井先生は、ガッシリしたガタイには似合わないほど、採点が甘い。
 あの柚子ですら、1学期の成績が5段階中3だったのだ。
 2学期からは見学しかしていない柚子に、次はどんな評価を寄越すのか、ある意味興味深い。
「ん? そうかぁ?」
「はい。だって、サボりですよ?」
 舞は柚子をチラリと見て言った。
 なので、舞の意図を永井先生も察したように答えた。
「見学だよ。ぼくの許可をちゃんと取ってる」
「……それがわかんないんですよねぇ」
「ん? そう?」
「はい。だって、じゃ、あたしもずっと見学がいいなぁって言ったら、許可してくれます?」
「それは駄目だねー」
 永井先生はあはははと笑いながら、そう答えた。
 舞はふぅ……と息を吐き出す。
「何が違うんですか?」
「渡井は真剣な気持ちで見学させてくれって言ってきた」
「…………」
「だから、ぼくはそういう生き方もあるか、と、思った」
 永井先生は嬉しそうにニコニコ笑ってそう言う。
 ガッシリしたガタイとは正反対の人懐っこい笑顔。
「ぼくもねぇ、高校の頃は授業なんかより部活がしたかった人間だからさ。気持ちはわかるんだよ」
「……永井先生」
「ん?」
「あたしたちが卒業するまで、是非ここにいてください」
「ああ、どうだろうねー。そうだといいけど」
「柚子さんの行動に理解を示せる教師は、あなただけです」
「……そんなことないさ。一応、教師一同、彼女に関しては理解しているつもりだよ」
「……え?」
「……ん? あ、気にしないで。皆、渡井の才能に注目してるってことさ」
「はぁ」
 舞は少々の引っ掛かりを覚えるも、騎馬戦の練習をしているグループに声を掛けられたので、すぐに舞はそちらへ向かった。
 舞は少々首を傾げる。
 『彼女に関しては理解しているつもり』
 一体、どういう意味だろう?
 舞は首だけ朝礼台へ向け、柚子を見た。
 柚子はぼんやりと遠くの山を見つめており、舞の視線には全く気がつく様子も無かった。



「こんなに手冷やして……。わざわざ、外で待ってなくても、迎えに行くよ? 部活がいつも同じ時間に終わるとは限らないんだし」
「いいじゃん、別に。その分、清香の手、あったかいし」
 校門で待っていた舞の手を取り、清香がさすさすと暖めるように右手を包み込んでくれた。
 手が冷えやすい舞はそのぬくもりが心地よくて、触れられてすぐにふわぁと口元が緩む。
「その分、待たせてしまったんだなぁっていう罪悪感が私の中で大きくなるのですけど?」
 清香がため息混じりにそんなことを言って、今度は舞の左手を両手で包み込んだ。
「手袋、早めに着けたら?」
「去年の、穴開いちゃったんだよね。今月買うお金ないし……軍手じゃ駄目かなぁ……」
「くーちゃん……」
「いや、チャリ通の子で軍手の子いるから」
「それとこれとは意味が違います」
「そか」
「うん。コートとかは? ポケットに手を入れてるだけでもだいぶ違うし」
「まだ、早いでしょ。12月になってもないし」
「私、最近常々思うのだけど」
「何?」
「この辺の人って、我慢強くない?」
 清香はそう言って、ブルリと体を震わせ、はぁと息を強く吐き出した。
 街灯に照らされた校門前に、白い湯気がうっすら浮かんだ。
 そういえば、清香は厚手の黒ストッキングを一昨日あたりから着用していたなぁと思い当たる。
「この辺……と言われても、ここ以外住んだことないから、比較しようがないなぁ」
 舞は清香のほにゃほにゃした手の感触を楽しみながら目を細める。
 清香は段々暖まってきた舞の手を、包むというよりも、何か文字を書くように悪戯し始めていた。
 そろそろ、バスの時間だなぁと思いながら、清香の手の動きを見つめる。
「お母さんが、東京の人なんだけど……この時期になるとそう言うの。この辺の人は、どうして寒いのに防寒着着ないの? 鼻すすりながら学ランで登校している子とか見ると、こっちのほうが寒くなるとかね。私は、昔からママのそういう方針もあって、コート着るのも、手袋するのも、全部早め早めで……。そうすると、折角普段周囲から浮かないように浮かないように頑張っている私の努力が、年に一回、その時ばかりはいつも台無しになった」
「台無し?」
「やっぱり、さやかちゃんは他の女子と違うよなぁ……とか」
「…………」
「台無し、というよりも、まざまざと思い知らされるって表現が正確かな。ひとつの決められた枠があって、自分はそこから抜け出ることが出来ない。しがらみというか……鎖に繋がれて、狭い部屋の中にいる感覚に囚われる。きっと、他の人は大したことないことだと、思うんだろうけど……私は……自分に自信ないし、やっぱりって言われるほどの何かを、持っているとも思ってないから……だから、時々、皆の視線が怖くなるの」
 繊細な清香らしいその言葉に、舞は静かに唇をすぼめた。
「羨望の間は良いけど……いつか、それが失望に変わる日が来るんじゃないかって……そう思うとね」
 舞よりも5センチばかり背の高い清香が、少々小さく見えた。
 勿論、それは気のせいなんだけれど……最近少しずつ、舞の中で、清香がどんどん近しい者になってきている。そう感じるからこそ、そう見えるのかもしれない、と思った。
「清香」
「ぅん?」
「大丈夫だよ」
 舞の言葉に清香が目を細める。
 風が吹いて、柔らかい髪がふわふわと波打つ。
「……清香が言っているようなしがらみなんてどこにもないし。仮にあったとしてそのイメージに添えなかったとしても、それで失望する人なんて、相手にしなくていい。だって、それはその人の勝手だから。だから、そんなに気にする必要なんてないよ」
 舞がそう言うと、清香は静かに微笑み、俯いた。
「……くーちゃんは」
「?」
「とっても、純粋な人だと思う」
「…………?」
 舞は清香の言葉の意図がよく掴めずに首を傾げた。
 純粋……?
 その言葉ほど、自分からかけ離れてしまっている単語は無いように思うのに。
 清香はそう言った。
 誉め……言葉か? それとも、遠まわしな嫌味か……?
 つい、そんなことを考えてしまった。
「……変わらないで欲しいな……」
「清香?」
「いつでも、……味方で、いて欲しいな」
「…………。姫のお望みとあらば」
 清香の言葉に、舞は若干間を空けたが、ふと思いついて、胸に手を当て、去年の今頃やった王子役のような口調で言った。
 舞のその仕草に、清香はふわりと和むように笑った。
「あのね、くーちゃん」
「ん?」
「わかったことがあるの」
「……わかったこと?」
「私が、くーちゃんから告白されて、思い切り突っぱねちゃったあの時の……自分の気持ち」
「…………」
 舞はあまり触れたくない過去だったので、無言で次を促した。
 清香は少々困ったように目を細め、前髪を掻き上げる。
「部活が一緒でもなかったし、たくさん遊んだって訳でもなかったけど、それでも、一番に心を許せる人だと……心のどこかで思っていたんだと思う。くーちゃんは、『遠野清香』っていうフィルターを……唯一持たずに接してくれていた人だから」
「……でも、あたしが好きだなんて言ったから、ああこの人も、皆と同じ目で見てたって思った?」
「……かもしれない……って、程度だけど、でも、そう考えれば、あの時の意味の分からない憤りに対しても、説明がつくかなぁって……そう思って」
「過ぎたこと、そんなに丹念に考えてたの?」
「ぇ、だめ?」
「駄目じゃないけど……」
 清香らしいし。
「……だって、色々考えるんだもの……」
 そこで清香は舞の手を離して、キュッと拳を握り、ゆっくりと歩き出した。
 バスの時間だということを思い出したのだろうか。
「疲れない?」
 そんなに細かいことばかり気にして。
「……昔から、だし」
 清香はおっとり笑うと、はぁぁとため息を吐いた。
 清香の様子を見ていると、もしかしたら、自分が余り物事を気にしなさすぎなのではないかということに考えがいった。
 一応、気配りは出来ているつもりなのだけれど、清香のようにここまで深く悩んだことはないような気がする。
 ……ただ一点、現在進行中の恋の悩みを除いて、ではあるが。
 舞は鞄を持ち直して、空いているほうの腕をクルリと回した。
 さすがに寒い中立っていたのもあって、肩が少々強張っているような気がする。
「……あのね、その、だから、言いたかったのは……」
 しばらく歩いて、バス停近くの信号まで来た時、清香がようやく口を開いた。
 行き交う車を眺めていた舞は、その言葉で清香に視線を動かす。
「くーちゃんといる時、緊張もするけど……精神的には、凄く楽なんだ」
 清香は鞄を持ち直し、落ち着かないように髪をいじりながら、もじもじとそう言った。
「ユンちゃんといても、楽だけど……やっぱり、弱音までは吐けないし」
 ちょうど、信号待ちしている人間がいない。
 一応、そこを自覚した上で言う清香。
 彼女のほうが……こういう面では、とても気を遣ってくれているように思う。
 自分は、どこでどのように接していいのか、そのことで悩むから、結局何も出来ていない。
 彼女が何かする度、言葉をくれる度、ほんの少し、心の中に暖かい風が吹く。
「私が失言しちゃったって思っても、そっか、それが清香なんだねって……、そう返してくれるから……ほっとするの」
 そう言って、和やかに笑い、清香は真っ直ぐに舞を見つめてきた。
「今は、こういう細かいところ、自分で良かったなって思ってる。答えが欲しいから。ゆっくりでも、なんでも、あなたに……答えを伝えられるように、頑張りたいの」
 舞は目を細め、白い歯を見せて笑い返した。
「うん。あたしは、いつでも、絶賛解答受付中だから。赤ペン持って、待ってるわ」
 舞の言葉に清香がクスクスと笑う。
 舞は、一瞬躊躇ったが、口元に手を当てて、清香から視線を外した。
 そして、ボソリと相手に聞こえるように呟いた。
「出来れば、花マルをつけられるような解答だと、いいです」
 言った後、恥ずかしくなって、クシャリと髪を掻き上げ、更に咳払いをプラスした。
 あー、もう。もっと、自分は器用な人間だと思っていたのに。
「……くーちゃん」
「ん?」
「私ね」
「うん」
「渡井さんとは、良い友達になれそうな……そんな気がするの」
「……え?」
 以前までは、嫉妬の対象として見ていたようだったのに、彼女はそんなことを言った。
 そういえば、先日も清香から柚子に話し掛けたのだったか……。
 一体どういう心の変化なのか、気になるところだ。
「だから、その時は……出来るだけご協力お願いします」
「あ、ああ、うん。あたしは構わないけど、さ」
 舞が戸惑いながらそう返すと、清香はにっこりと笑い、車の流れが途絶えたのを見計らって信号を軽やかに渡っていく。
 舞もすぐにそれに続き、ちょうどバス停に着いた頃に、バスも黄色い目をランランに光らせてやってきた。
 バス待ちのメンバーの中には、堂上ヒロトもおり、清香の存在に気が付いた瞬間、それまで友達と馬鹿話をしていたのが、一気に静かになった。
 舞はその様子を見て、ついクスリと笑いが漏れてしまった。



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