◆◆ 第4篇 手繋ぎ・みんなでお絵描き ◆◆

Chapter8.二ノ宮 修吾



『ご、ごめんね……急に泣いちゃって……』
 バス停近くの信号で別れる時、彼女はそう言って恥ずかしそうにスケッチブックを抱き締めた。
 修吾はそれに対して首を横に振り、優しく笑いかける。
『ううん。気にしてないから』
『……うん……』
 本当は、そっと彼女の頭を撫でてあげたかったり、抱き寄せてあげたかったり、色々な感情が綯い交ぜになっていたのだけれど、それをしていい人間は自分ではないと……そう思うことで、その感情を全て心の中に押し込める。
『二ノ宮くん……』
『ん?』
『わたし……』
『うん』
『前に、無色彩だって……言ったじゃない?』
『ん……? ああ、うん』
 修吾は柚子の言葉に記憶の糸を手繰り寄せ、コクリと頷いてみせた。
 初めて柚子と丘に登った時、彼女は得意気にそう言ったのだ。
 どの彩にも染まらない。
 無色という、柚子の彩。
 けれど、修吾は時折思うことがある。
 無色とは、どんな彩だろうと。
 カンバスの上であれば、それは白だろうか。
 それとも、透明な光や空気や大気のように……人間の視覚では認められない程静かな色のことだろうか。
 彼女を想う時、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』が心に浮かぶ。
 彼は……この世界のあらゆるものに、ひとつひとつ色を付けた。
 時には石に例えたり、飲み物に例えたり……そうして、そこに在るもの全てが綺麗で綺麗で仕方が無い、と、読み手に感じさせてくれるほど、鮮やかに散りばめられた世界を……そこに作った。
 名前の無い、綺麗な色たち。
 結局、柚子の心を想像する時、修吾が至るのはそれだった。
 彼女の中には、名前の無い彩がたくさんある。
 だから、無色なのだと、そう思うことにした。
『結局、わたしの中には、何色があるんだろう?』
『え?』
『……そう、思ったら……急に、こみ上げてきちゃった……』
『…………』
『二ノ宮くんなら、前みたく、例えて、教えてくれないかな……なんて……』
 柚子はその彩を誇りに思っていると思ったのに、そうではなかったのだろうか。
 修吾は静かに唇を噛み、首の後ろを撫でた。
 そして、言うのははばかられたけれど、そっと言葉にした。
『渡井』
『……はい』
『自分の中を、正確に捉えられるのは……自分自身だけだと思う』
 言葉にして、柚子の表情がピシリと凍ったのが見えて、修吾はやってしまった……とそう感じた。
 けれど、それには続きがあったから、慌てて、その次の言葉を引っ張り出す。
『ぼ、オレが教えてあげられるのは……オレから見える渡井で……。だから、その、オレがもし何か言って、その言葉で、渡井の欲しい答えが得られるかと言えば、それは違うような気がするんだ』
『…………』
 周囲の声で、傷つく心を知っている。
 自分の中身と、周囲の評価がかけ離れていることで、苦しくなる心を知っている。
 だからこそ、今ここで、柚子に対して、修吾の恋という光を浴びた……彼女にしてみれば、誇大表現と言えるかも知れない例えを放つのは……いけないことのように思った。
 時に、それで救われることもあるかもしれない。
 けれど、今は……どっちだろう?
 今、それを言えば、救えるのだろうか? 傷つけるのだろうか?
 それが分からないなら……言わないほうがいい……。
 修吾の中では、そう結論づく。
『悩んでいることがあれば、いつでも聞くから』
『……うん……。ありがとう』
 けれど、その返しの言葉に柚子の表情は全く相応しくなかった。
 無表情。
 視線が修吾を向いているのかすら分からないほど、ぼんやりとしていた。
 修吾は……選んだ答えが間違いだったと……気が付いた。



 修吾はバスケの試合を眺めながらため息を吐いた。
 たまたま、同じチームになった勇兵がその様子に気が付いて、こちらを覗きこんで来る。
「何? どうしたの? 恋わずらい?」
「……うん……そんなようなもの……」
「え、マジで? マジでわずらってんの?」
「勇兵……わずらうって言いたいだけだろ?」
「ふは、うん。何、どうしたの? 何かあった?」
 壁によっこいせと寄りかかって、心配するような口調で勇兵はそう言った。
 普段のテンションも相まって、誤解されることも多いだろうけれど、勇兵はとても良い奴だ。
「光が、修ちゃんが女子と一緒にいたーって、俺に言ってきたけど、それと関係ある?」
「……うん」
「三つ編みの可愛い子でー……って言うもんだから、すぐわかっちゃうしなー」
「勇兵、声でかいよ」
「ああ、ごめんごめん。うん、でも、そっかって感じで。なんかさ、順調じゃん? 羨ましいなぁ……俺も恋してぇ!」
 心の底から吐き出すように、勇兵はそう言って、足をジタつかせた。
 全くもって、彼の言う『順調』の意味が分からないので、そこはスルーした。
 修吾は静かに見透かして言う。
「シャドーは違うの?」
「……修ちゃん、傷を抉らないでくれ……」
 以前はそんなんじゃないと言い張っていた男が、ついに気持ちを認めた。
 修吾はどういう心の変化だろうと思いながら、尋ねる。
「あ、ごめん。もう言ったりしたんだ?」
「ないない。言ってないし、言えねぇっつーか……。つーか、修ちゃん、ひでぇよ。振られたの前提だぜ、その言い方」
「ああ、ごめん」
 抉らないでというからそうしか言えなかっただけのことなのだけれど。
 それに、ここ最近、舞は放課後誰かと一緒に帰っているようだし。
「……俺さ……保育園の頃から、アイツのこと、好きなんだよね」
 勇兵は周囲を窺ってから、恥ずかしそうに膝を抱えてそう言った。
 ……10年以上……か。長いなぁ……。
 心の中、修吾は静かにそう思った。
「なんかさ、人生の3分の2、同じ奴好きだったから……もうライフサイクルみたくなってるっつーか? もう、どうでもいいや。なるようになれー。その内、また違う子が降ってくるさー。みたいな? そんな開き直りしてんだ」
「うん」
「よくあんじゃん? 脈あるなって思ってたのに、実は全然そんなことなかったってこと」
「……そう、だね」
「俺、ずっと、そうだと思ってて。だから、俺が言えば、それでゴール。そっから先はハッピーなんだって思って疑わなかった」
「…………」
「で、小3の時に俺がねだったら、バレンタインの時に、チョコ持ってきてくれて……けど、それで、他の男子どもが騒いでさ」
 よくある光景だ。
 正直、当事者同士はたまったものではない事柄なのだけれど。
 日常に、ちょっとした非日常が落ちてくるからか、子供はそういうのを面白がってもてはやす。
「すげー、嫌そうな顔して……。泣いちゃったんだよね」
「え?」
 失礼な話だが、あの舞が? と言いそうになった。
「実際は、すげー嫌そうな顔して、チョコぶん投げて、走ってっちゃったんだけどさ……」
「泣いたってのは嘘?」
「ううん、違うよ。舞の弟から聞いたんだ」
「……そっか……」
「アイツがそんなに嫌なら、俺はこのポジションでいいと思うし」
「…………」
「そんだけ。……で? 修ちゃんはどこが痛いのかなぁ?」
 それまでは少々男前な表情をしていたのに、その後、すぐにニヘニヘと笑ってそう言った。
「痛いというか……渡井の、様子がおかしいんだ」
「おかしい?」
「……うん。今朝会った時、挨拶しても……返してくれなくて……。機嫌悪いのかなって思ったけど、シャドーと話してるの見ると、そうでもないみたいだし」
「何したの? まさか、襲った?!」
 勇兵はバッと自分自身を抱き締めて、軽蔑するような目で修吾を見た。
「ばっ……そんなことするか! むしろ、してたら、心当たりありすぎで言えるか!!」
 修吾が顔を真っ赤にしてそう叫ぶと、ちょうどバスケの採点とタイム係をしていた連中がこちらを不思議そうに見た。
 勇兵が慌てて、ニヘーッと笑って誤魔化し、少しだけ身を縮めて、話を続ける。
「……じゃ、なに?」
「あのさ……言っていい事かどうか迷ったら、勇兵ならどうする?」
「迷ったら、とりあえず、言う」
 即答。
「返し早いなー」
 自信がなくなるじゃないか。
「うん、だって、そうじゃん。もし、失言だったなら、謝ればいいし。こうこうこういう意味だよ、勘違いしないで。俺、お前のこと、すっげー大事なんだぜーって、ありったけの想い込めて喋る。大事って気持ち、これだけはさ、伝わるって信じてるんだ」
「……そっか……」
「大事って気持ちが迷惑なんてことは、俺は、絶対に無いと思うから」
「そうだよね」
 勇兵は、本当に羨ましいくらいに真っ直ぐな人間だと思う。
 迷ったり悩んだりすることもたくさんあるはずだけど、彼はそれを相手には全然重くならないようにして、でも、相手の重さはきちんと受け止めて、軽くしようとしてくれる。
 きっと……それを感覚でこなせている……。
 この人間性は……天性のものだ。
「言っちゃいけないことも言っちゃう俺が言っても、説得力ないかもしんないけど」
 勇兵はそう言ってケラケラ笑い、修吾の様子を窺うようにこちらを見た。
「僕の一言って、重くないかな?」
「……そう? 俺は全然気になんないけどな。ほら、なんだっけ? 英語であったじゃん。沈黙は金、勇兵は銀」
「雄弁は銀、ね」
「そうそれ。口だけだと信用無くすしさ。それに、修ちゃんは、自分が出来ると思うコトを話す人じゃない? んで、心にいっとう大事なものは、一切口になんか出さない人だと思う」
 柚子にも言われた。
 不言実行の人だと。
 けれど、口にしないと、形にしないと……それを外の人に伝えることが出来ない。
 自分は……柚子から受けた光を、同じように光として返せる人間になりたい。
 ……昨日、不安げな彼女を見て、一晩考えて、自分はそう思った。
 ずっとずっと、太陽だと思っていたその人も、自分と同じで、光を受けて輝いている人だったのだとしたら、ならば、自分は精一杯に支えてあげたい。
 本当に心からそう思う。
 不安に思うことがあるのなら……話して欲しいのだ。
 彼女は修吾の悩みを何ひとつ知らずに、修吾の心を救ってくれた。
 けれど、修吾にはそんな力はないから、柚子に関わって、たくさんたくさん彼女を知って、そうすることで、ようやく、彼女と同じことが出来る位置に行けるのじゃないかとそう思う。
 そこまでしても、救えない場合もあるかもしれないけれど、そんなことを今考えたって仕方ないのだ。
「俺、役に立てた?」
 修吾の表情が変わったのを見て、勇兵は嬉しそうにそう言った。
 だから、修吾は笑い返して頷く。
「うん」
 すると、勇兵は目を生き生きさせて笑った。
「修ちゃんが成長してくの見るの、今の俺のささやかな楽しみなんだ♪」
「なんだよ、それ」
「光や守さ、修ちゃんのこと、すげー気に入ってくれたぜ? 修ちゃんは、理解してもらえれば、絶対人気者になれる人だもん。世話焼きだし、優しいし、真面目だしさ」
「人気者になんてなりたくないよ」
「なんで? 色んな人と話すって、話を書く人には大事なことじゃないの?」
「…………」
 その言葉には言い返せずに修吾は黙り込む。
 勇兵はそれを見てククッと笑い、拳を握り締めた。
「俺は俺なりに、修ちゃんの夢を応援してるんだぜ」
「スパルタ」
「当たり前じゃん。修ちゃんのこと、大好きなんだもん」
 勇兵は本当に得意そうにそう言って笑った。



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