◆◆ 第4篇 手繋ぎ・みんなでお絵描き ◆◆

Chapter9.遠野 清香



「ゴンボ〜、いる〜?」
 放課後部活に行く前、多すぎて残したお弁当の残りを持って、清香は新校舎と本校舎の間の渡り廊下に立っていた。
 どうやら、本日はここにいる日ではないようで、ゴンボの返事はない。
 清香はふぅと息を吐き出して、上履きのまま、渡り廊下を降り、しゃがみこんで外壁に背中を付けた。
「にゃんこの行動パターンは読めないなー」
 そんなことをぶつくさ言いながら、ひゅ〜るり〜と吹き抜けていく風に、身を震わせる。
 仕方が無いので、お弁当の残りをパクパク頬張った。
 猫は気侭な生き物だ。
 人間に例えるのであれば、奔放な性格。
 自由な生き方に憧れるからこそ、清香は犬よりも猫が好きだった。
 それでも、登った木から降りることも出来ないようなドジな猫に懐かれてしまう辺り、自分が無意識に発しているおかしなフェロモンは何なのだろうか、と思う時がある。
 残していた魚肉ソーセージと玉子と春雨の和え物にフォークを伸ばし、ふー……と息を漏らす。
「わたし、このパイ、嫌いなのよね……って、あったなぁ……」
 清香は思わずそんなことを呟いていた。
 子供向けのアニメ映画。
 魔女と一緒に居る黒猫が可愛くて、何度もせがんでは見せてもらったものだった。
 その中のワンシーンに、主人公が届けた祖母からのパイに対して、孫の女の子が吐き捨てるように、今清香が呟いた言葉を言う場面があるのだ。
 子供の頃見た時は、何てひどい女の子だろうと思ったものだけれど。
 今にして思うと、孫の嗜好も理解していないのに、パイを贈った祖母も酷いなぁ……などと考えてしまう。
 本当は……感謝しなくてはならないことなのだけれど……。
 時折、母親を重荷に感じることがある。
 そのせいだろうか。
 この前久々に放映しているのを見た時、そんな風に感じてしまった。
 そして、そう感じた自分に、どうしようもないほどの罪悪感を覚えた。
「渡井」
 ぼんやりと考えていると、頭の上で声が飛んだ。
 修吾の声だったので、思わず、息をひそめてしまった。
「……何?」
「あ、あの、ちょっと、話が」
 おやおや。
 柚子と修吾だ。
 けれど、どうしたことだろう?
 柚子の声にハリが無い。
「うん。だから、何? って返したの」
「あの、渡井、一昨日から……ずっとオレのこと、怒ってない?」
「……怒っては、いないよ」
 悲しそうな修吾の声に対して、柚子の声が少しばかり、普段の柔らかさを取り戻したように感じた。
 なんとも、居づらいところに居合わせてしまったものだ。
 舞だったら、きっと喜ぶところなんだろうけれど。
 清香にはそこまで下世話な趣味はない。
「本当に?」
「うん」
「そっか……だったら、いいんだけど」
「どうして?」
「え?」
「どうして、わたしが怒ってると思ったの?」
「……だって、話し掛けようとしても、全部無視されたし。目が合っても、すぐ視線逸らされるし」
 ……それは不憫だ……。
 清香は心の中でそんなことを呟き、修吾に少々同情した。
「それで、用件なんだけど、今週の日曜日……空いてる?」
「……ごめん。日曜は、おばあちゃんのお家に遊びに行く日なの」
「……あ、そう、なんだ……。それじゃ、土曜日は……?」
「二ノ宮くん」
「ん? なに?」
「わたしに構う必要ないじゃない」
「え?」
「二ノ宮くんは、色んな人と仲良くできるもの」
「……渡井?」
 修吾は戸惑っているのか、絞り出すように声を漏らした。
 清香も、柚子のその返しに驚いて、眉を上げた。
 なんだか、あまり良い予感がしない。
 ただ、居合わせてしまっただけの人間だけれど、舞の大切な親友の異変に、空気を一変させられるようなことは出来ないだろうかと……思案した。
 それ以上は言っては駄目だと、心が言う。
 自分も感情に任せて、その時の思考に囚われて、言葉を吐き出してしまう気質であるから分かる。
 今、柚子が言おうとしていることは、絶対に後になって悔やむことだ。
「……お願いだから……わたしには、もう、構わないでくれるかな?」
 けれど、思いとは裏腹に、どうしゃしゃり出ていいのかが分からない。
 舞であれば、どうとでもできたろうに。
 こういう時、自分の機転の利かなさが嫌になる。
「……ぇ……? どうして? オレ、何か不味いこと言った?」
「……ううん……」
「それじゃ」
「わたし、おかしいの」
「え?」
「わたし、変な子なの。おかしいの。気持ち悪いの」
「……そんなことないよ」
「ううん。そんなことあるの。……だから、傍に来ないほうがいい」
「ねぇ、渡井。誰に言われたの? そんなこと」
「誰にも言われてない。わたしがそう思うの」
「……そっか。渡井が、そう、思うんだ。じゃ、関係ないや。オレはそう思わないし」
「…………」
 柚子は修吾の言葉で、それまで抑揚無く発していた言葉を、ようやく止めた。
「渡井、あのさ……」
「二ノ宮くん」
「ん?」
「考えたいことがあるの。……しばらく、ほうっておいて欲しい」
「…………。しばらくって、どれくらい?」
「…………」
「しばらく待って、それで、渡井の中で整理のつくこと?」
「…………」
 柚子は修吾の言葉に押されるように黙り込んだ。
 いや、もしかしたら、言葉はあるのかもしれない。
 ただ、それが声となって出てこないだけで……。
 清香はドキドキと跳ねる胸を押さえ、静かに柚子の言葉を待つ。
 きっと、修吾も同じような心境……いや、それ以上に苦しい感情を抑えながら、待っているだろう。
 柚子の様子がおかしい。
 そんなことは、彼女のことをよく知らない清香でも感じ取れる。
 いつも、舞と話している時のほわんとした雰囲気を微塵も感じられない。
 以前、話した時の、捉えどころが無い……それでも芯の通った強さを感じ取れない。
 一体……どうしたというのだろう……?

「にゃーー」

「ふわぁっ!」

 突然、横から猫の声。
 清香は思わず、声を上げてしまった。
 慌てて口に手を当てるも、時すでに遅し。
「……ごめん、二ノ宮くん」
「あ、渡井!」
 その声のすぐ後に、駆けていく足音。
 ……柚子が逃げるように、新校舎へと駆けていってしまった。
 横を見ると、そこには懐っこい目でこちらを見上げているゴンボがいた。
 ゴンボの馬鹿……。
 清香は思わず、心の中でそう呟く。
 頭の上で大きなため息。
 清香はツ……と視線を上に向けた。
 修吾の困った表情がそこにあった。
 ……子供の頃、よく見た泣きそうな困り顔だ。
 どう反応すれば良いか分からなかったので、清香はとりあえず、笑いかけてみた。
「……何、やってんの? さ……遠野さん」
 思わず、さっちゃんと呼びそうになったのを聞き逃さなかったが、現在の状況的に、そこを突っついてからかうのもどうかと思ったので、清香は静かに答えた。
「猫に、餌付けを」
「そ」
「ひとつ弁解させていただくと」
「ん」
「私がいるところに、あなたたちが来た、ってこと、かな?」
 清香は昔の修吾とのやり取りを思い出しながら、それに、現在のソフトさを付け加えたニュアンスでそう言った。
 けれど、修吾はそんなことは気に留めていないようで、はぁぁともう一度大きなため息を吐いた。
 言葉数が少ないことから見ても、泣きたいのを我慢しているのが手に取るように分かった。
「に……シュウちゃん」
「…………」
「そこは人目につくから、どうせなら、こっちに来ない?」
 清香は弁当の中身をゴンボが食べやすいように地面に全て出してから弁当箱を閉じ、いそいそと修吾がしゃがみこむ分のスペースを空けた。
 修吾は唇を噛んで、うぅん……と唸ったが、本校舎のほうから人の来る気配がしたので、見られるよりも早く、清香の隣へと滑り込んできた。
 外壁にピタリと背中を付けて、前髪を掻き上げ、はぁぁとため息を吐く修吾。
 清香はそれを横から眺めて、目を細めた。
 ……本人は嫌がるだろうけれど、中学の頃の賢吾に少しだけ似ていた。
 2人の顔立ちはかなり違うが、目元だけはそっくりだから、そう感じるのかもしれない。
 賢吾は見るからに、ゴーイングマイウェイな俺様タイプ。
 修吾は、繊細で律儀そうな……柴犬タイプ……。
 当人にそう言ったら、怒りそうなので、そんなことは言う気もないけれど、修吾を異性として意識せずに済むのは、そういうところにあるのかもしれない。
 修吾と清香は、傍目から見た分の性質が似ている。
 同じすぎる性質ほど……惹かれないものはない……。
 渡り廊下を渡っていく女子の集団の声がキャッキャッと飛び交う。
 修吾は目を細めて、先程のことでも思い返しているのか、納得できないような表情。
 清香は静かにその様子を見つめるだけ。
「なんだっけ? 車道……舞? あいつ、なんで、集団競技ばっか出てんの〜? なめてんのかって感じなんだけど」
「リレーだけだもんねー、ポイント高いの。集団も高いことは高いけど、さぁ……求めてるの、そういうんじゃないっての、言わなくてもわかんないもんかねー?」
「つか、借り人競争、あいつ入れろって男子から言われてたのに、入ってなかったし。超ウケるんだけど!」
「ああ、それ言ったら、渡井柚子……? って子もじゃない? 今年の1年、使えなーい」
「ま、いいじゃん? 女子的にはさ。二ノ宮くんも、塚原くんも、2年の垣内くんも入ってるし♪」
 清香の耳に、その会話はスルリと入ってきた。
 修吾も、柚子の名前に反応して顔を上げる。
「部活の後輩から聞いたんだけど、渡井って子、相当とろいらしいよ。そんなんで、車道って子と二人三脚とかさー。もう、完全に体育祭やる気ないよね〜。うちら2年の気持ちになって考えて欲しいわ、ホント」
「だよねー。今年で体育祭最後なんだしぃ」
「ま、あれじゃん? もし、駄目だったら駄目で、少し憂さ晴らしさせてもらえばさー。キャハハ」
「うわー、ここに極悪人がいるよー、怖〜い」
「そういう人が、実際問題、怖いことやるもんだよねー」
 本気なのか冗談なのか、楽しそうに笑いながら、通り過ぎていく2年の先輩集団。
 久々に清香は気分が悪くなるのを感じた。
 ……高校でも、ああいう類の、程度の低い人間というのは、いるものなのだな……。
 心の中で呟き、過去あった嫌がらせの数々が心を過ぎる。
 お姫様役を嫌がった時も、裏で何人かは陰口を叩いていたのを知っている。
『聞いた? 「嫌です」だって〜。何様? お前に選択の権限無いってぇの』
『そうそう。可愛い可愛いって男子に持ち上げられてんだから、こういう時こそ貢献してくださいよ、偶像さん、ってねー』
『全くさー、良いよねー。可愛いってだけでチヤホヤされるような人はさー』
 確か、立ち聞きしてしまったのは、こんな内容だったろうか。
 どうせ陰でコソコソ言うのなら、当人に聞かれるという間抜けなことはしないで欲しかったものだ。
 綺麗な部分もあるけれど、その中に時折存外汚い部分を持ち、恥ずかしげも無く、それを外に出す者が人間の中には存在する。
 その矛先が……舞に向かうようなことにならなければいいけれど……。
 清香は声が聞こえなくなるまで、そんなことを考えていた。
 渡り廊下に誰もいなくなり、修吾がふー……と息を吐き出した。
 清香はそれに反応して、修吾に視線を動かす。
 修吾は困ったように目を細め、ボソッと言った。
「女子、怖い」
「あんな子ばっかりじゃないよぉ?」
「分かってるけど」
「……まぁねぇ、女って、同性には……厳しい生き物らしいから」
「……なんというか、何が楽しいんだろうね?」
「え?」
「ああいうこと言ってさ。楽しいことひとつも無いのに。言われたほうだって、不愉快だ」
 修吾は真面目な顔で苦虫を噛み潰したように口元を歪めた。
 清香はその様を見て、クスクス……と笑う。
「何?」
「人の粗を探さないと生きられない人もいるんだよ。可哀想なものを見る目で見てあげれば良いんじゃない?」
 なんだか、修吾の言葉で、落ち込んだ気分が少しだけ良くなった気がした。
 どんなに理不尽なことを相手が言っていると分かっていても、自分にも何かしらの過失があったかしらと考えてしまうのが人間というもの。
 スッパリサッパリ切り払ってもらえると、それはそれでありがたい。
 修吾は清香の言葉に、うぅん……と唸り声を上げた。
「どうしたの?」
「可哀想な目で見る立場を選択した時点で、同類になってしまうのじゃないかと、思っただけ」
「…………。そうだけど……真面目に全部と向き合っていたら、それこそ、疲れちゃうよ?」
「うん……それは、分かってるんだけど、ね」
 静かに地面を見つめる修吾。
 清香はぼぉっとそれを眺める。
「あー、まぁいいや。とりあえず、へこんでる場合じゃないみたいだし」
「え?」
「渡井のこと」
「……ああ。様子がおかしかったから、気にしないほうが良いと思う」
「わかってる」
 修吾はそこでようやくふっと笑みを浮かべた。
 サササッと風が吹き、飛んできたビニール袋に向かって、ゴンボがタタタッと駆けていった。
 清香は静かに尋ねる。
「渡井さんのこと、好きなんだ?」
「……どうなんだろ?」
「ぇ?」
「特別なのは分かってるんだ。今までに無いくらい、自分の中で目映い光を放ってるって、そう思う。だけどさ、……言葉にしてみると薄っぺらくて、実感湧かなくって、違和感がある」
「……シュウちゃん」
「ん?」
「それを、人は、恋と呼びます」
「……や、それは分かってるけど」
「…………」
「…………」
「外したか……」
「さっちゃんってば」
 清香は折角決めたつもりだったのに、当たり前のように返されて、少々目を潤ませて舌打ちしてみせた。
 その様子を見て、修吾が軽く噴き出す。
「二ノ宮くん、しっかりね」
「ああ」
 その様子を見つめて、清香は優しくそう言った。
 柚子が考えて、それで答えが出るものならば、それで構わない。
 けれど、きっと、今回の場合は考えて答えの出るようなものではないし、暗中模索だからこそ、周囲が見えていないのではないかと思う。
 なぜならば、周囲が見えているのであれば、今の修吾の気持ちを受け取れないのは……そういう事情があると思うからだ。
 舞からは全然様子がおかしいというような話は聞いていなかった。
 彼女が話さなかっただけなのか、気が付いていないのか……どちらだろうか?
 今回の件を話すべきか、話さざるべきか……清香は少々迷っていた。



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