◆◆ 第4篇 手繋ぎ・みんなでお絵描き ◆◆

Chapter13.二ノ宮 修吾



 保健室。
 舞は柚子の心配を振り払うように、笑って見せた。
 足を氷水に浸けた状態。
 保健医の先生が、舞を心配して保健室に訪れたクラスメイトたちの数に、呆れたようにため息を吐くのが見えた。
 舞は柚子の袖を引っ張って、隣に座らせ、優しく微笑む。
 クラスメイトたちの輪から外れた、部屋の隅に、様子を窺うように立っている清香。
 修吾は勇兵と並んで、壁にもたれかかり、その様子を見つめた。
「大丈夫なの? 舞」
「ああ、平気平気。大したことないよ。ってか、この時期に氷水は寒いわ、さすがに」
「すっごい痛そうに見えるんだけど、明日、出られるの?」
「え? あたしは、出る気満々だったけど? だって、明日のためにやったらバタバタしまくったわけだし」
「……無理しなくていんじゃない? 正直、アイツらのために頑張る必要性を、あたしら感じてないし」
「そうだよねぇ……学年上だから、少し気遣ってたけど、なんか馬鹿らしいし」
「さっきだって、いくらなんでも酷すぎるしね……」
 クラスメイトたちの言葉を聞いて、舞が不思議そうに首を傾げる。
 流れていく話の流れに、柚子が慌てるように視線をふらふらと動かしたが、止めに入るには至らず、舞が口を開く。
「何か、あったの?」
「あ、ま、舞ちゃん……!」
「渡井さんにさぁ、絡んできたの。車道さんが怪我したって話聞きつけて」
「体育祭のために、あそこまで言っていいのかってくらい、酷い言いようでさぁ」
「さすがに、ちょっと……ね」
 クラスメイトたちは顔を見合わせてそう言うと頷き合う。
 舞がその話を聞いて、目付きを変える。
 修吾はそれを見て、目を細めた。
 舞にとっては、それは火に油を注ぐような行為でしかないように思う。
「ホント? 柚子」
「え……? ぅ、ううん、わたし、別に、何もされてないよ?」
 柚子が舞の声に反応するように、ブンブンと首を横に振り、柔らかく笑った。
 三つ編みがその動きに合わせて、ブルブルと動く。
 舞はその返しだけで十分だったようで、にこぉっと不気味な笑みを浮かべる。
「へぇ……そう。そっかぁ……」
「車道さん?」
「もう、暗いし、みんな帰ったほういいんじゃない?」
 舞の言葉に、クラスメイトたちは一様に窓の外を見、時計を見た。
「あ、本当だ。次のバス逃すと、わたし、やばいんだった」
「あたしも、電車の時間だ……」
「じゃ、車道さん、お大事にね?」
「うん、ありがとう」
「渡井さんも、今日のこと、あんまり気にしないようにね」
「あ、う、うん。ありがとう」
 ヒラヒラと手を振り、保健室を出て行く際に、軽い会釈をし、みんな出て行く。
 残ったのは、保健医の先生と、修吾と勇兵、清香に、舞と柚子だった。
 勇兵が横で苦笑を漏らしたのが聞こえ、修吾は横目で勇兵の顔を見た。
「逆効果だっつーの」
 その声に、同意するように、修吾も苦笑混じりでコクリと頷いた。
 清香が心配そうに舞に歩み寄り、床に膝をついた。
 真剣な眼差しで、舞の足を見つめている。
「不思議なものよね」
 保健医の先生が修吾と勇兵にだけ聞こえるように言った。
「何がすか?」
 勇兵が首を傾げて尋ねると、保健医の先生は懐かしいものでも思い出すように笑う。
「人間って、ああいうこと、普通に出来ちゃうところあるから」
「ああいうこと?」
「その時、あなたはどうしてたの? ってところを棚上げにしちゃうところ」
「……ああ……」
「ある意味、ああいう行動を取れちゃう子達のほうが残酷かもしれないわね……。そういう自分に気が付いてないかもしれないんだから」
「シャドーの怪我、どうなんすか?」
「酷くはないけど、明日すぐ動きますって言われちゃうと、先生は困っちゃうかな」
「ですよねー」
「でも、聞きゃしないんでしょうね、ああいう子は」
 既に分かりきっているように、先生は笑った。
 勇兵もその言葉に納得するように目を細める。
 修吾は静かに二人の会話を聞きながら、舞に視線を動かした。
 舞はからかうように清香に何か話しかけ、すぐに柚子にも話を振った。
 その言葉で、おかしそうに二人がほぼ同時に笑う。
 それを見て、満足そうに笑う舞。
 舞は、色々な人と仲良く出来る子だけれど、あれほどに楽しそうに笑うのは、あの二人の前だけだろう。
 なんとなく、そんなことを思った。



 舞の荷物を取りに、柚子と清香が保健室を出て行き、勇兵も自分の荷物を取りに行くついでに、修吾の荷物も持ってきてくれるというので、舞が座っているベッドの真向かいのベッドに腰を下ろし、話し相手になっていた。
 少し話してから、舞は暇そうに天井を見上げて、ため息を吐く。
「先生、そろそろいいんじゃないですかぁ? 足冷たくて、寒いよぉ……」
「あなたのお友達がなかなか離れないから、先生は気を利かせたつもりだったんだけど?」
 そう言いながら、先生はタオルと湿布と包帯を持って、床に膝をついた。
 舞が足を上げ、先生はタオルで足を丹念に拭く。
 足を拭くだけでも、舞は足が痛いのか、顔を歪める。
「そんなに強く触ってないわよ?」
「ッ……痛がりなんです。先生、サドでしょ。あんまり触らないでよ」
 舞は冗談でも言うように笑いながらそう言う。
 けれど、本当に痛そうな表情に、思わず修吾は尋ねた。
「シャドー、明日、本当に出るの?」
「……出るよ。当然でしょ?」
「だって、痛いんじゃないの?」
「テーピングすれば、平気。ですよね? 先生」
「うーん……なんとも言えませんねぇ、こちらとしては」
「……いじわる……」
「駄目って言わないだけ、寛容なつもりだけど。本当は、駄目、な状態よ」
 舞の甘えたような声に、キッパリと言い切る先生。
 話しながらも、テキパキと湿布を貼り、包帯を巻いて、足首を固定し始めていた。
 舞はそう言われて、長い睫を伏せた。
「だって、柚子が気にするじゃん」
 舞はか細い声でそう言い、髪を掻き上げる。
 先生は何も言わず、修吾は静かに舞を見つめる。
「ニノ、お願い。柚子には言わないでね」
「……オレ、なんか、そういうのは、違う気がする……」
「柚子って、こゆことすっごい気にするのよ。時々、すごく不安定な感じがするし……どうしても、気を遣っちゃうとこあって」
「シャドーは……」
 それじゃ、ついこの間、勇兵が張った意地と大して変わらないよ、と修吾が反論しかけた時、保健室の外で、清香の声が響いた。
「渡井さん、ちょっと待って!」
 その声に、舞の顔が硬直した。
 修吾はすぐに立ち上がり、踵を返す。
 戸を開けると、二人分の荷物を押し付けられた、制服姿の清香がフラフラしながら、そこに立っていて、困ったように目を細めた。
「あ、シュウちゃん。渡井さん、一人で行っちゃって……。外暗いし、もう、バスもないから」
「わかってる」
「……お願いしていい?」
「……うん。兄貴に頼んで、車で送ってく。勇兵に、オレの荷物、家まで持ってって欲しいって伝えてくれる?」
「わ、わかった」
 修吾の言葉に頷く清香。
 駆け出そうとする修吾を、舞が呼び止めるので、振り返る。
 舞は真っ直ぐな視線でこちらを見据えていた。
「ニノ、あたしも、あとで行くから」
「ああ、わかってる」
 修吾は頷き、すぐに駆け出す。

 舞の懸念通り、最近の柚子は不安定だった。
 まるで何かに脅えるように。
 それを当人には全く見せることはなかったようだけれど。
 修吾はそれを知っていたし、取り去ってあげたいと思っていた。
 けれど、彼女は必要ないと首を振り、自分の差し伸べた手を取ってはくれなかった。
 それでも、修吾は差し出した手をまだ出したままで、彼女を待っていた。
 いつでも、彼女の力になれるように。
 いつでも、彼女の心を救える男でありたくて。
 柚子は知らないのだ。
 彼女が、どれほどの輝きを放って、修吾を照らし出してくれたのかを。
 あの丘の上で、彼女はくれたのだ。
 修吾が歩き出すために必要な光を。
 その輝きがあったからこそ、修吾は翼を持って、文章の空を駆けることが出来た。

 彼女は、自分自身の彩に迷っていた。
 確かにそこにあるはずの彩に、当の本人は気が付かない。
 気が付きもしない。
 けれど、それが普通なのかもしれない。
 修吾だって、自分の彩なんて分からない。
 柚子や、勇兵や舞、その他たくさんの人たちがくれる評価が、そのまま自分の彩なのだと考えてきたから。
 だから、この前の柚子からの問いへの答えは、もう出ているのだ。
 簡単なことだった。
 そして、この前の自分の答えに、ただただ、馬鹿、と言いたくなる。
 会話に正解はない。
 柚子の問いにも、正解なんてありはしない。
 それでも、あの時、修吾の答えた『自分の中を、正確に捉えられるのは自分自身だけ』という答えだけは、確実に不正解だったと今は思う。
 0点だ。
 彼女を想う者として、その答えは、0点だったのだ。

「渡井!」
 昇降口を出て行こうとする柚子を、修吾は階段を駆け下りながら呼び止めた。
 柚子が修吾の声にビクリと肩を震わせる。
 昇降口の外灯が柚子の姿を照らし出す。
 修吾は、柚子に見えるかは分からないけれど、精一杯優しく笑みを浮かべて、優しい声で言った。
「渡井、一緒に、帰ろう?」
と。



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