◆◆ 第4篇 手繋ぎ・みんなでお絵描き ◆◆
Chapter15.遠野 清香
「俺も行こうか?」 勇兵が舞の様子を見て、心配そうに清香に囁きかけてきた。 けれど、清香は優しく首を横に振った。 「勇くんは、二ノ宮くんの家に荷物持って行ってあげて?」 「……そう。うん、わかった」 勇兵は清香の言葉に残念そうに目を細め、その後に、男らしい声で言う。 そういう表情を、舞の前でもすればいいのに、そんなことを清香は心の中で思いながらもすぐに打ち消した。 舞は一笑に付すだろうけれど、なんとなく、それをされたら、『今』がなくなってしまう気がしたからだ。 「遠野。アイツにあんま無理させねぇでくれな」 「うん、わかってる」 「ああ、じゃ、また明日」 「うん。……勇くんってさ」 「あ?」 「好きな人の前だと、おどけちゃうタイプ?」 「?! は? え、な、なに?」 「いや、損してるなぁって思っただけ」 「損……?」 「せっかく、カッコいいのに、勿体無いなぁ……なんて」 「ぶふっ……馬鹿か!」 清香の言葉に、焦るように勇兵はそう言って、ポスンと清香の頭を叩いた。 全然痛くない。 こういう気遣いまで自然に出来てしまうから、厄介なのだろうな。と心の中で呟く。 「本音しか言ってないんだけどなぁ……。それじゃ、明日の体育祭、頑張ろうね♪」 清香は手を振って、勇兵を送り出し、振り返る。 すると、すぐそこに舞が立っていて、思い切り、鼻をつままれた。 「んー……なに?」 「別に」 舞は静かにそう言うと、肩に提げていたバッグを持ち直して、足を引きずって歩き始めた。 清香もバッグを持ち上げ、舞よりも先に保健室の出口まで歩いていき、戸を引き開ける。 「別に、大丈夫なのに……」 「いいから。どうぞ、お嬢様?」 「ええ、ありがとう」 清香の行動に、舞はククッと笑みをこぼしながら、ゆっくりと保健室を出て行く。 「先生、遅くまですみませんでした〜」 舞は先程礼を言っていたようだったので、最後に清香はそう言って、礼をしてから保健室を出た。 先生がおかしそうにこちらを見て、プラプラと手を振ったのが、視界の端で見えた。 舞は足を引きずりながら歩いていて、清香はすぐにそれに追いつく。 「階段、肩貸す?」 「ああ、うん……そうだね、ごめん、お願い」 「全然問題なし。迎えは呼んであるから、たぶん、そろそろ着くと思う」 「そっか……ありがとう」 「いいえ♪」 舞の言葉がどことなく素っ気無いことが気になったが、そんなことを気にしている余裕がないほど痛いのかと思って、特に気にしないように清香は笑う。 「……不味かったよね」 「え、何が……?」 「あ……いや、その……」 柚子が立ち聞きしてしまった内容は、清香には全く聞こえなかった。 なので、舞の言葉に清香は首を傾げる。 すると、舞は困ったように目を細めた。 清香は舞に肩を貸し、階段を下りながら問いかける。 「あの時、何の話してたの?」 「怪我が酷いってこと、柚子には言わないで、って話してた」 「ふーん……」 「柚子が気にするのが、嫌だったの」 「私だったら怒るなぁ……そんなことされたら。誰かから又聞きなんてシチュエーションになったら、それこそ最悪だし。くーちゃん、勇くんの時のでわかってるでしょう?」 清香は話している内に、自分も共犯者だったことに気が付いて、苦笑が混じった。 舞はしょげるように目を細める。 「……ま、渡井さんは、泣くでも怒るでもなく、離れていっちゃいそうなイメージがあるけど」 「ッ……」 「あ、あくまで、イメージだよ?」 舞の表情の変化に、清香は様子をうかがうようにそう言って、舞の体をしっかりと支え、階段を下りきった。 清香は誰もいないことを確認して、階段の電気を消し、バッグを持ち直す。 舞はそれを見つめるように、こちらに視線を寄越して、不安そうに唇を噛んだ。 「くーちゃん?」 「あたしが一番近くにいるのに、気を遣ってるなんて言っちゃったんだから、もし、そうなってもしょうがないのか……」 「……くーちゃんって、そゆとこあるよねぇ」 「え?」 「来る者拒まず、去る者追わず? くーちゃんって、心の中ではたっくさん葛藤してるはずなのに、そういうのが表面に出ない人」 「……そんなこと……」 「私が、くーちゃんを好きになるの、やっぱり無理って言っても、笑顔でそっかって言いそう」 「ッ……そんなこと……」 「言うよ。くーちゃんは、自分の感情より、相手の言葉を優先出来てしまう人だから」 「…………」 「でも、時には、感情を出して欲しい時も、あるよ? 私みたいに、面倒くさいタイプの女からしたらね」 「さやか……」 「渡井さんも、面倒くさいタイプ……だと思うけど? あの子、私に似ているところがあるように思う」 「柚子と、清香が?」 「ええ。遠野清香、勘だけはいいので」 清香は笑いながらそう言うと、しっかりと舞の正面に立って、しっかりと告げた。 自分の見てきた車道舞を。 「くーちゃんは、どうでもいい人には気を遣わない。全然。全く。だから、いつも自然体でいられる」 「…………」 「気を遣うってことは、それだけその人のことを想っているから。私は、そう思うようにしてるよ?」 きっと、この人は、自分が離れていっても笑って暮らせる。 清香はそう思う。彼女には絶対に言ってやらないけれど。 でも、柚子が離れてしまったら、もう無邪気に笑う姿は見られないのじゃないか。 そんな風に思う。 だから、清香は、渡井柚子に嫉妬したし、ライバル視もしている。 彼女たちには絶対に言ってやらないけれど。 目の前の人は、それでも迷うように考えている。 さすがに痺れが切れて、清香は舞の手を取った。 「さ、行くよ?」 「ぇ」 「らしくないなぁ。本人に確かめれば早いでしょう? ここで、ゴチャゴチャ考えてても、何も進まないんだから!」 彼女は天然でこれなのだ。 普段の彼女は、なんでもそつなくこなせる……清香にとってしたら、理想の女の子なのに、殊、自分に関わるもののこととなると、身動きひとつ取れやしない。 本当に、どうしようもない人。 そんな一面を見られるのは、数少ない人間だけで、自分がその中に含まれていることに、今はとても満足している清香なのだ。 柚子の家から出たら、賢吾が車の外で煙草をふかして、柚子の部屋を見上げていた。 清香は一瞬迷ったが、笑顔を作って挨拶をした。 「こんばんは」 この人は、自分のことなど覚えてもいない。 だから、大丈夫。そんなことを言い聞かせる。 「ああ、この前のウェイトレスの子か。なんだ、お前も修の知り合い?」 「相関図を繋げばそうなりますね」 「そ」 賢吾は素っ気無く答え、ふー、と煙を清香のいないほうに吐き出した。 そして、携帯灰皿で煙草を揉み消す。 「長ぇなぁ……何やってんだ? 一体」 「うーん、青春、ですかね」 「青春? はっ、おれにはなかったな、そんな頃」 「……そうなんですか?」 「学生生活楽しいって言ってる奴ら、鼻で笑ってたタイプ。ふは、相当嫌な奴だよ」 賢吾は不敵に笑みを浮かべて、そう言うと、車に寄り掛かった。 清香はその仕草ひとつひとつを、目が追ってしまっていることに気が付いたが、気が付かなかったことにした。 意識したら、顔が赤くなる。 初恋の頃の感情や傷跡、一切合財が戻ってくる。 それだけは、絶対に駄目だし。絶対にあってはならないと思った。 「お前さんは、学生生活楽しいって思って過ごしなさい」 「え?」 「五つ年上のおっさんからの、為になるお言葉だ」 「ぇと……後悔、とか、してるんですか?」 「ん? してねぇよ?」 「え?」 「おれはおれで、その時、やれることをやりたいようにやった。だから、後悔なんぞは、微塵もしてない」 その時ばかりは、屈託の無い笑みを浮かべて、賢吾はそう言った。 清香は、あまりの邪気の無い笑顔に、思わず見惚れた。 その笑顔こそ、清香が子供の頃、好きになった……二ノ宮賢吾そのものだったからだ。 「ただ、意外とお友達の多い弟を見て、少しばかり羨ましくなっただけさ」 「け……あ、二ノ宮くんのお兄さん」 「ん?」 「あの、遠野清香って子、覚えてますか?」 「…………。なんか、この前、母さんもその名前で盛り上がってたな……。記憶に無いし、思い出そうとする気にもならん。その子がどうかしたか?」 私です、なんて言ったら、どれほど滑稽だろう。 清香はすぐになんでもないですとだけ言って、首を横に振る。 いつか知れるかもしれないなどということは、一切頭になかった。 「おれね、こう見えて、ピアノやってたんだ」 知っています。本当はそう言いたかった。 賢吾は赤い髪を撫ですかして、ククッと笑う。 「これでも、才能あるってもてはやされてたんだぜ、ガキの頃は」 知っています。そんなあなたに憧れました。 心の中で、言葉だけは流れる。 目の前の人は、普段の素振りとは全く別の、優しい音を奏でる人だった。 笑い話をした次の瞬間、ピアノを弾き出せば、それだけで空気が変わった。 子供の頃の清香は、その音楽に、見事に惹きこまれてしまったのだ。 だから、春花から賢吾がピアノを止めたことを聞いた時は、どれほど悲しかったろう。 「……もう、ピアノは弾かないんですか?」 「…………。さぁねぇ……弾かないっていうより、もう、弾けないかもしんねぇな、あの頃みたいには」 「弾きたくはならないんですか?」 「もう、弾く気にはならねーよ、きっと」 「どうして?」 「大成しねぇ器に、水は注がない主義なんだ」 賢吾は静かにそう言って笑うと、寄り掛かっていた車から体を起こした。 「?」 「電気消えた。ようやく、帰れるな」 「……あ……」 「お嬢ちゃんも、車戻ったら? なんだかんだで、運転席のお父さん? がこっち睨んでて怖いのなんのって」 「ふふっ」 「ぁ?」 「お兄さんのほうが、風貌だけならうちのお父さんより怖いですよ?」 清香は賢吾の言葉がおかしくて、笑いながらそう言った。 すると、賢吾はその表情を見て、優しく目を細める。 「親父さんも気が気じゃないだろ」 その声にはからかいが混じっているように感じた。 思ったほど、心は動かない。 大丈夫。 自分は、ちゃんと前に進んでいる。 そのことを実感して、安堵する。 家の玄関が開いて、修吾と修吾の肩を借りた舞が出てきた。 その後に柚子が続いて出てきて、楽しそうに言葉を交わし、2人に手を振ったのが見えた。 どうやら、大丈夫だったようだ。 まぁ、何の心配もしていなかったけれど……。 柚子が、こちらに気が付いて、小さく手を振ってくれたので、それに応える。 その間に賢吾は車に乗り込んでしまい、清香の前には、修吾と舞が並ぶ形で立った。 修吾は涼しい顔で舞の体を支え、確認するように舞と清香を見る。 「これ、車まで乗せるの手伝う?」 「こら、ニノ。これとは何? これとは?」 「だって……」 どうやら、先程の柚子との会話を聞いてしまったことを根に持っているらしい。 「くーちゃん? 平面は歩けるでしょう? 私、そこまでは面倒見ないからね?」 「えぇ? けちぃ」 「はいはい。じゃ、その人は預かるから、シュウちゃんも気をつけて帰ってね」 「ふっ……。それは、兄貴に言ってくれ」 舞を軽くあしらい、手を取って優しく引き寄せ、修吾に対して柔らかく微笑みかける清香。 修吾はそう言われて、自分は気を付けようがないというように、おかしそうに笑った。 その慣れたやり取りを見て、舞が目を細める。 「あ、シュウちゃん」 「なに?」 「あの……遠野清香の話は、お兄さんとはしないでね?」 「…………。よくわからないけど、わかった」 「うん。それじゃ、明日、頑張ろうね」 清香がそう言って踵を返すと、舞ももたつきながらもターンをした。 だが、すぐに足を止めて、もう一度修吾を見る舞。 車のドアを開けかけていた修吾はそれに気が付いて、こちらを見た。 「ニノ」 「なに?」 「柚子のこと、サンキュ」 「……友達なんだから、当たり前だろ」 二ノ宮修吾の照れ隠しは、本当に愛想が無い。 舞が笑顔を向けながらも、拳をキュッと握り締め、拳骨を作ってみせた。 「本調子なら、今すぐ小突いてやるのに」 その言葉に修吾は1歩後ずさり、清香は不意を突かれて笑った。 |