◆◆ 第4篇 手繋ぎ・みんなでお絵描き ◆◆

Chapter17.車道 舞



 応援だけというのは、なんともかったるいもので、舞は足に負担を掛けないようにと持って来ていた椅子にもたれながら、ふぁ〜とあくびをした。
 柚子に止められ、その上で、自分が出ないことが、二年の奴らにとって、最大の嫌がらせになると思い、体育祭を見学することにしたのはいいのだが、やっぱり、みんなが盛り上がっている中、一人だけ椅子に座って応援というのは、退屈この上ない。
 柚子も二人三脚からまだ戻ってこないし、次は借り人競走とかで、清香も修吾も出払っているし。
「暇……」
 思わず、舞はポツリと呟いた。
 いえ、周囲に話し相手はたくさんいるのだから、そんなことを言うのは随分と失礼なわけなのだけれど。
「舞、そんなに暇なら、借り人競走、飛び入り参加してきたら?」
 隣で応援していたクラスメイトが笑ってそう言う。
 飛び入り参加。
 面白そうではあるけれど、そこまでの熱はなかった。
「なんで、物じゃなくて人なのかな?」
「え? 物を用意するのが大変だからじゃないの?」
「うーん。でも、人って、パターンかなり少ないと思うんだけど。まさか、ヅラの校長先生、とか書けないじゃない?」
「そ、そこは、校長先生、でいいんじゃないの? ヅラかどうかは別として」
「ああ、そっか……」
「でも、校長室まで行くことになったら、大変そうだね」
 たかだか、生徒の一行事に過ぎないので、教師は担任くらいしか参加していないのだ。
「でしょ? 動くものだから、どこにいるかわかんないわけだし」
「髪を染めてる人、とか、眼鏡の人、とか……きっとそのくらいじゃないかな?」
「ああ……なるほど……ん?」
「どうしたの?」
「いや、なんか、あそこだけやたら人いるなぁって思って」
 舞が指差した場所はグラウンドに引かれた白線のコーナーのちょうど手前あたりだった。
 女子男子関係なく、やたら固まって立っている。
 応援とかでもなさそうだ。
 一体なんだろう?
「…………。なんか、この位置からでも、若干殺気立ってるのを感じるんだけど」
「なんだろうねー」
 舞がぼーっとその光景を見つめていると、放送委員のテンションの高い進行が入って、借り人競走用の課題が書かれた紙が並べられ、次の瞬間、パーンとスタート用のピストルの音がした。
 一組目のグループには知っているか思いなかったので、特に気にすることもなく、目の前を駆け抜けていくのを眺めていた。
 が、走者が紙を拾ったあたりから、先程の塊たちの女子のほうがキャーキャーと騒ぎ始めた。
 グラウンドが異様な空気に包まれる。
 二年の先輩たちは苦笑を漏らし、何も知らない一年はその状態についていけないように首を傾げる。
「え、何?」
 舞はその声に、首を傾げ返す形で応える。
 紙を見つめて立ち尽くす一年。当然のように、その塊に向かって走っていく二年。
 完全に一年生はその状況から置き去りだった。
「おお、やってるやってる。楽しそう〜」
 後ろでそんな声がして、舞は顔だけ後ろを向いた。
 文芸部の元部長が、楽しそうにその光景を見つめて笑っている。
「ぶちょ……何やってるんですか? 今、授業中」
「シーッ。いいじゃん、少しくらい。楽しそうな音聞こえてくんのに、授業とかないない」
 進学すると聞いたのだが、ちゃらんぽらんぶりは相変わらずか……。
 まぁ、ちょうどいいか。この人なら、いろいろ知っていそうだし。
「あれ、何ですか?」
「あれ? 地獄絵図」
「地獄……?」
「人間、ここまで出来んのかぁぁぁって、人生で初めて思わせてくれるすげー怖い代物」
「意味がよく分からないんですけど」
「んー、チャンスタイムとも言えるけど」
「チャンスタイム?」
「普通に過ごしてたら、手なんか絶対に繋げない人と、手を繋いでゴーーール! みたいなね。または、これをきっかけに落としにかかる馬鹿もいるとかいないとか」
「ん? 要するに、あそこにたむろってる人って」
「実際は高得点狙うための作戦だったらしいんだけど、繰り返されるうちに、あわよくば、おこぼれに預かろうって考えている亡者の群れも混じってしまったという悲劇の結晶。あれは怖いぞー。おれも何気に人気あって、二年とも出たけれど、酷かったぞ。そして、あれをきっかけに付き合った女は例外なく、はずれだった」
「付き合ったんかい」
「おれ、来る者拒まないから。なはは」
 元部長は楽しそうに笑って、舞を見つめる。
「誰でも、思い出は欲しいからな。特に、どんなにはずれだとしても、あったとなかったじゃ、全然違うじゃん」
「そんなもんですか」
「うん。もし、車道さんにも好きな人いるなら、あの群れに喰われないように気を付けなよ」
「……あたしの好きな人は、あんな群れじゃ喰い切れませんよ」
「ふはっ。そっか。さってと……それでは、おれはそろそろアランドロンするねー」
 陽気にそう言って、身軽なステップで校舎に向かって走っていく元部長。
 それを見送って、ようやく気が付く。
 彼の手にはカメラが握られていた。
 鳴との写真を撮るために、抜け出してきたのかもしれない。
 そんなことを思った。



「シャドー、見たか? 俺の華麗なる二ノ宮修吾防衛作戦!」
「はいはい、凄かったわよ。あんなに身軽に逃げ果せる騎馬は初めて見ました」
「おかげで、こっちは怖かったよ。打ち合わせと違い過ぎ……」
 勇兵と修吾は並んで話していたが、わざわざ振り返って、こちらにそう言ってきた。
 柚子がその言葉にクスクスと笑う。
 体育祭後の帰り道。
 いつもよりも少しばかり早く帰れることになったので、五人で坂の下の喫茶店に寄り道して行こうという話になった。
 いつの間にやら、固定メンバーになりつつあるその顔ぶれに、思わず舞は苦笑が漏れる。
「塚原くん、大活躍だったねぇ」
「柚子、ツカから体力取ったら、馬鹿しか残らないから」
「バッキャロ、シャドー」
「ばっ。アンタに馬鹿って言われたくないわよ!」
「体力があったから、馬鹿になったんだろ。履き違えるな!」
 勇兵は全く悪びれることなく、そう言い切った。
 そう言われて、舞は返す言葉もなく、ただ、可哀想な者を見る目で、勇兵を見つめる。
 後悔も何もないように、はっきりと言われると、凄いと思う反面、やはり不憫さが溢れてくる。
「俺だってな、運動できなかったら、他をもっと極めてましたーよ。へ〜ん」
「小学生か……」
 足が痛くなかったら、素早く駆け寄って、小突いてやるところなのに。
「二人って、昔っから、こういう低レベルな争いしてるの?」
 修吾が感心するような口調でそう言った。
 けれど、その言葉の端々から、憐れな者に対するそれと同じニュアンスを感じ取る。
 清香がその言葉に、ぷっと噴き出し、肩をふるふると震わせる。
「清香〜?」
「や、ごめんごめん。だって……」
「しかし、遠野も度胸あるよなぁ」
「え?」
「あの場面で、シャドーを迎えに行くと思わなかったからさぁ」
「あ、ああ……借り人競走?」
「おう。なんか、あれ、カッコよかったなぁって思ったぜ、俺。間違いなく、今日一番注目浴びてたの、お前ら」
「そりゃ、競走なのに、怪我人引っ張り込むなんて誰も思わないわよ」
「だって……しょうがないじゃない。あの人たちの中から選ぶの、やだったんだもの」
「とはいってもねぇ……注目の中、放送委員の先輩の実況ありで、手を繋いで歩く羽目になるなんて」
「ああ、わかったから。もうやめて」
 そこまで言われて、清香もようやく恥ずかしくなったのか、口元を覆って伏目がちにそう言った。
 本音は別にあるけれど、建前はこのくらいでいいだろうか。
 舞は話を一ミリ逸らすように勇兵を見た。
「ツカはゴール近くの女の子口説いてゴールだし」
「はぁ? あれのどこが口説きになるんだよ。単に仲良かったから頼んだだけだし。それにあの位置なら、間違いなく一位確実じゃん。全て計算の上じゃ」
「アンタさー、いい加減、そういう迷惑な生き方やめたら?」
「迷惑? 俺は、人様に迷惑なんぞかけとらんぞ。何を言うか」
「ああ……ホント、アンタと話してると頭痛する」
「修ちゃんは、文芸部の部長さんだったね」
「……ああ、たまたま、傍通ったから、お願いした」
「条件何だったの?」
「……オレより背の高い女子の先輩……」
 修吾は少しばかり言うのを躊躇ったようだったが、ボソリとそう言った。
 柚子がクスッとそれに反応して笑う。
 みんな、空気を読んで笑わないようにしたのに。
「随分局所的な条件だったわね」
 修吾は一年の中ではかなり人気が高そうだったから、広めの条件になるのかと思っていたけれど。
 バスケ部の先輩にでも、気に入られていたのだろうか……?
「……そのほうがいいよ。じゃなかったら、あそこの人たちにお願いしなくちゃいけなくなったから」
 修吾は本当にかったるそうにそう言って、ため息を吐いた。
「さすがの二ノ宮修吾もドン引き?」
「さすがっていうのがどこから来たかわかんないけど、オレはここ最近ずっと、女子にはドン引きしてるよ」
 その言葉に心当たりがあったのか、清香が失笑する。
 舞は状況が分からずに首を傾げるだけ。
 柚子も不思議そうに首を傾げた。
「……まぁ、女子三人いるとこで言うことじゃないけどね」
 すぐにそう言って、気にしないで、と付け加える修吾。
「なになに? 修ちゃん、何があったの?」
「いいよ、もう済んだことだから」
「……そう。あ、そういや、来月期末じゃん。最悪ー」
「また、勉強会やる?」
「へ? いいの?」
「別に、いいよ」
「やりー☆ なぁなぁ、お前らも来るだろ? 二ノ宮勉強会!」
「なんでもかんでも、オレの苗字付けないでよ、勇兵。恥ずかしいから」
「あ、わたしもお願いしたいな。二ノ宮くんの教え方、上手だから……」
「……聞いてくれれば、いつでも答えるのに」
「だって、いつも、二ノ宮くん、周囲気にするような顔するじゃない?」
「そう、かな?」
 修吾の言葉に苦笑する柚子。柚子の言葉に首を傾げる修吾。その二人の見つめあいを楽しそうに見ている勇兵。
 舞はそんな三人の様子を眺めつつ、隣の清香にも尋ねる。
「清香も行く?」
「……あ、私は、いいや」
 先程まで朗らかだった語調が、少しばかり強張っているのを感じ取って、舞は清香に視線を動かした。
 なんだろう。この違和感。
 文化祭の時に春花に会ってしまった時の反応に似ていた。
「……そうだね。清香は、教えてもらうほど、困ってないか」
「あ、ううん。教えてもらえたら、嬉しいことは嬉しいんだけど」
「だったら……」
「うん、でも、いい」
「……そう……。じゃ、それとは別で、一緒に勉強しようか」
 舞は静かにそう言って、足を引きずりながら歩く。
 清香の横顔が心なしか微笑んだような気がした。
「ユンちゃんも誘っていい?」
「え? うん、いいよ」
「ここずっと、くーちゃんと遊んでないって、ユンちゃんいじけてたから」
「いじけるほど、中学の頃、遊んでないはずだけどなぁ」
「私はたまにみんなとも遊ぶけど、くーちゃん、高校入ってから、同中の子とほとんど遊んでないでしょ? あれだけ、親しくしてたのに、つまんないーってみんな言ってるよ」
「親しく……?」
 舞は清香の言葉を不思議に思い、首を傾げた。
 仲良くはしていたけれど、親しい、という自覚はほとんどなかった。
 こういうところが自分でも薄情だなぁと思うところなのだけれど、親しいと思えていたら、自分一人で思い悩むようなこともなかったように思うのだ。
 舞の反応に清香がため息を吐く。
「あーあ。ユンちゃんには言わないどこ。可哀想だから」
「あ、別に、そういう意味じゃないって!」
 慌てて、舞は胸の前で手を振る。
 さすがに、今のは失言過ぎた。
 ユンのこと自体は好きなのだ。変な誤解を買うような言葉は言ってはいけなかった。
 舞の表情が翳ったのを見て、清香がおかしそうに笑う。
「言わないから大丈夫だよ。さ、行こ? みんな、もうお店入っちゃうよ」
「あ、うん」
「それと……」
「ん?」
「明後日、何の日か知ってる?」
「明後日……?」
 清香がニコリと笑う。
 それに合わせるように風が吹いて、二人の髪をさらっていった。



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