◆◆ 第5篇 恋水・風に揺れるスズラン ◆◆
Chapter1.塚原 勇兵
『あれ? 斉藤じゃん。どったの? 花抱えて……』 今年の夏、部活の帰りに、勇兵はスズランの花束を抱えたユンに会った。 ユンは、体育会系のサバサバした女子で、女子とも男子とも相性が良い。 舞ほどではなかったが、誰からも慕われるしっかり者で評判が良かった。 特に彼女が仲良くしているのは、舞と清香。 だから、自然と勇兵も舞と仲の良い彼女とは話す機会が多かったように思う。 基本的におしゃれに気を配るタイプの子でもなく、花が大層好きそうなイメージもなかったので、印象のアンバランスさに思わず、そう尋ねてしまったのだと思う。 けれど、別に似合わないとか、そういう意味で言った訳ではないことを、ここに弁解しておく。 自分の名誉のために。 『あ、今日、お母さんの誕生日なんだ。だから……』 『へぇ……』 『スズランの花束はね、幸せを届ける、みたいなことを聞いたから、これにしようかなぁって思って』 『そうなんだぁ。可愛い花』 『でしょう? でも、こんなナリして、毒あるんだよ。気をつけてね?』 『へ? 毒?』 『うん。まぁ、ないだろうけど、花瓶の水とか飲むと危険らしいよ』 『そうなのかぁ……姉ちゃんとか、そういうの詳しそうだけど、俺、全然わからん』 『あはは、勇が詳しかったら、怖いからいいんじゃない?』 『なんじゃそら』 『あ、それとね。全然、印象違うけど、スズランってユリ科なんだ』 『そうなんだ……じゃ……』 『?』 『斉藤と、お揃いなんだな』 『え? ……あ……。バァカ』 ユンの本名は、斉藤百合という。 けれど、彼女自身は、自分の印象と名前がだいぶ離れているように感じるのか、自己紹介の時点で、さっさと「ユン」って呼んでねと愛想よく言ってしまう人だった。 だから、人によっては、彼女の下の名前をしっかりと覚えていない場合もある。 殊、勇兵のように苗字で呼ぶ男子なんかが、それを覚えているなんて、思いもしなかっただろう。 彼女は恥ずかしそうに俯き、その後、気を取り直したように、二言三言話してから、二人は手を振って別れた。 世に言うバレンタインデーが間近に迫った2月のとある日。 勇兵は相変わらず、ガツガツと部活の練習をこなしながら、鼻唄でバレンタインの歌を歌った。 すると、近くにいた光が素早く、ビシッとこちらを指差して叫ぶ。 「お前、憂鬱になる歌歌うんじゃねぇよ、バカヤロー!」 「え? なんで?」 「お前に、貰えない奴の気持ちはわからん! あーくそ、腹立つ!! あんなの、どうでもいいイベントなのに、テレビやらなんやらが騒ぐから、オレたちみたいなのがどんどん肩身狭くなるんじゃねぇかァッ!」 「ま、まぁまぁ……光」 地団太を踏んでいる光を、守が慌てて止める。 「守、お前だって、敵だからな! マジチョコ、一個貰えるお前は敵だからなー!」 「お前ら、部活中だぞ、私語すんな!」 「そんなこと言って、先輩だって気になるでしょう?!」 「お、オレを巻き込むなー!」 そう言いながらも、なぜか、光に肩を組まれてしまう先輩。 そして、肩を組んだ瞬間、悔しそうに先輩は言った。 「ああ……うちの部にもマネージャーさえいれば。女子のマネージャーさえ……」 「マネがいてもくれるとは限らないっすけどねぇ……」 「お前は敵なのか、味方なのかどっちだよ!」 「味方ですよ! 我らは同志です、先輩!!」 「……俺、いっつも思うんだけど、光みたいな奴って、チョコが欲しいの? 本命が欲しいの? どっち?」 「え? 難しい問題だな……」 勇兵の問いに、光は首を傾げたまま、押し黙る。 先輩も同様のようだったが、すぐに切り返してきた。 「そういう、塚原はどうなんだ?」 「俺っすか? チョコが欲しいす」 勇兵は正直に答える。 だからこそ、この時期は挨拶代わりに女子におねだりして回るのだ。 勇兵がそういう風に言って回るので、彼のことを好きな女子も気軽に渡せる部分はあるのだけれど、その分想いが伝わりづらいため、不運にも、勇兵は全くそんなことには気が付かない。毎年、そのサイクルが続くのだ。 「あ、でも、もし、本当に貰えるなら、好きな女だけから欲しいす」 勇兵は付け足すようにそう言った。 一人だけ、この時期じゃなくてもおねだりする相手。 本当に欲しいのは、その人からだけだ。 バスを待ちながら、その日あった話をたまたま帰りが一緒になった舞にした。 文芸部の三年生を送る会の打ち合わせで遅くなったのだとかなんとか。 もう、そんな時期らしい。 「ふーん。男子って、ホント、馬鹿だよねぇ……チョコの一つや二つで一喜一憂なんてさぁ」 舞が呆れたように息を吐き出す。 白い湯気がふわりと夜闇に立ち上り、静かに消えていった。 コートにマフラー、手袋まで。万全の装備。 それでも、体を動かしていないと凍えそうになるのだから、本当にこの辺の冬は厳しい。 「大体、二月なんて寒さでそれどころじゃないっつぅの。この寒さの中、台所でチョコ作るとか、それだけでその子が風邪ひいちゃうとか考えないのかしら」 勇兵はその様子を学ランにマフラー一つだけの軽装備で笑って返す。 コートを着ない代わりに、学ランの中にパーカーを着ているので、見た目ほどは寒くない。 「男は単純だからさ、そこまでは考えねぇよ」 「……ま、買ったチョコの場合もあるけどね」 「おう」 「しかし、ツカ、寒くないの?」 「ん? 寒いっちゃ寒いけど、俺、ベンチコートしか持ってなくて。ほら、カッコ悪ぃだろ? だから……」 「カッコなんてどうでもいいよ。風邪ひいたらどうすんの。ホント、馬鹿よねぇ、アンタは」 「ば……。ああ、どうせ、馬鹿だよ。んで、馬鹿だから風邪もひかねぇよ、安心しろ」 舞の言葉に、勇兵は唇を尖らせ、そう言い切ると、舞のいるほうとは反対方向を向いて、ふぅっと息を吐き出した。 白い湯気がさっきと同じようにほわりと上がる。 「何よ、人が珍しく心配してやってんのに……」 お前には一生わかんねーよ、あーくそ。心の中でそんなことを一人ごちる。 言ってやりたいけど、言ったところでどうにもならないから腹にしまう。 勇兵は体育会系だ。 言うならとことん。言わないなら言わないで、それもとことんじゃなくては嫌なのだ。 「カッコつけで風邪ひいたほうが、よっぽどカッコ悪いのに……」 「うるせぇ」 「しょうがないなぁ、これあげる。効力そろそろ切れる頃かもだけど」 「へ?」 舞がコートのポケットからホッカイロ入れを取り出して、ポイッとこちらに放り投げてきた。 「え?」 「あげるよ」 「俺、今月、お気に入りのアルバム買って金ねぇけど」 「……別にお金取らないよ」 勇兵の言い草に舞は失笑する。 猫の顔をしたホッカイロ入れ。 さすがに、男が持つには可愛すぎるけれど。 「これ、入れ物もいいの?」 「え? あ、それは駄目」 「だよな? だって、こういうの、それなりにすんじゃん? ホレ」 「うん、サンキュ」 勇兵はホッカイロを取り出して、入れ物のほうを舞いに向かって差し出す。 舞は決まり悪そうに、勇兵の手からホッカイロ入れを受け取ると、前髪を直しながら笑った。 「清香からクリスマスに貰ったものだから」 「なんだよ、プレゼントされたもの、人にあげかけるとか最悪じゃん」 勇兵はからかうようにそう言って、ホッカイロを学ランのポケットに入れ、手も突っ込んだ。 ほんのりとした暖かさが指先を包む。 思わず、勇兵の眉間が弛緩した。 「あったけぇ……」 「やっぱ、あたし、デリカシーないのかなぁ」 「なんだよ、唐突にぃ」 「いや、アンタにホッカイロあげようと思って、このことすっかり忘れてたから。ここに清香いたら、怒ったろうなぁって思って」 勇兵としては、その言葉はとてもありがたくて、嬉しかったので、なんとも言えないのだけれど。 けれど、貰った物を人にあげるというのは、やはり良い印象のものではない。 今回の場合、舞はホッカイロ入れの存在をすっかり忘れていてのことだったわけだが、贈った側は良い顔はしないだろう。 「……ま、まぁ、気をつけろよ。お前、時々、やったら抜けてるから」 無防備だから、なんて言ったら、また何を言われるかわからないので、少しばかり言葉を濁す。 本当に、他人のことになるとやたらガード堅いのに、自分のことになると無自覚だから、時々本当に心配で仕方なくなるのだ。 「……うん」 勇兵を見上げて、何か考えるように目を細めた後、舞は素直に頷いた。 頷いてすぐに、手袋に顔を埋めて、はぁぁぁ……と息を吐き出す。 なんだか、いつもと雰囲気が違うので、違和感を覚えた。 素直に頷かれたからだろうか? いや、それだけでもないような気がする。 長い睫を伏せて、手袋に顔を埋めるその仕草が可愛らしくて、勇兵は思わず、ドキリとする。 風が吹いて、舞の髪がなびく。 ホント、コイツ、罪作りだなぁ……。 思わず、そんな言葉が心に浮かんだ。 言うならとことん。言わないならとことん。それが勇兵のモットーだ。勇兵はそうやって生きてきたのだ。 言うならとことん。……言わないなら、とことん……。 小学生の頃、最初で最後の、舞がチョコレートをくれた日のことを思い出す。 そして、出掛かった言葉は、いつも、そこで止まってしまうのだ。 泣いたのは、からかわれたのが嫌だったからか? それとも、俺が嫌だったからか? いつも、そうやって考えて……、結局、答えは出ずに、堂々巡りで思考は止まる。 言ってしまって、それが不味い言葉だったら、謝る。想いは伝わると思うから。 でも、舞に伝えたい言葉だけは、それとは全く別のところにあって、だから、自分でも不甲斐ないけれど、踏み出そうとも、蹴破ろうとも思えなかった。 「……なんか、悩み事か?」 「ぇ? いや、別に。なんで?」 「なんか、いつもよりおとなしいから」 「……あたしだって、いつでも元気なわけじゃないわよ……」 「ああ、そうだよな……」 「それ言ったら、ツカだって、今日はおとなしいほうじゃん」 「お前が食って掛かってこねーからな」 「ふっ。ニノと一緒にいないからじゃないの?」 「はぁ?」 「ニノと話してる時、アンタ、本当に犬みたいだもんね。目なんかキラキラさせちゃって」 「本当にも何も、俺は人間だけど?」 「ふふ、そうだったねぇ……あははは」 勇兵の言葉に、舞はおかしそうに笑う。 勇兵はその笑顔を見て、ほっと息を漏らした。 いつもの舞だ。取り越し苦労か。 勇兵は白い歯を見せて笑う。すると、白い湯気がほわほわと舞い上がった。 「なぁ」 「ん?」 「今年、誰かにチョコやんの?」 「なに? 突然」 「や、だって……好きなヤツ、いるみたいだから」 「…………」 「あー……こゆ話、嫌いだよな。悪ぃ。やめる」 「……あげるかどうかで、迷ってる」 舞が迷うように黙ったので、勇兵はすぐに話を取りやめようとしたが、彼女は少し考えてからそれだけ言った。 勇兵は、その言葉に、思わず、眉を上げる。 うわー……何やってんだろ、俺。自分で、自分の傷抉って、馬鹿みてぇ……。 そんなことを心の中で考えながら、すぐにわざとらしく、笑い声をこぼした。 「なんで、迷うの? あげればいいじゃん。喜ぶよ」 「……ええ、そう思う」 「…………。そう思うなら、なんで迷うの?」 「ホント、あたしもそう思う」 「複雑なんだな……」 「いや、極めて単純な問題なんだと思うんだけどね」 「そっか。舞から貰えたら、俺は嬉しいけどなぁ」 勇兵はボソリとそれだけ言って、ぼぉっと遠くを見つめた。 舞は、風で落ちた横髪を耳に掛け直して、マフラーを巻き直す。 「それでさぁ……ホントに、サーちゃん、今年もやるわけ? 大変だよ、絶対」 「それじゃ、ユンちゃんも手伝ってくれる? 二人からでーすってやれば、渡しやすいし」 「まぁ、中学の時みたいに、変なところで何か言われないかもね」 「あ、やっぱり、言われてたんだぁ」 「あ。ご、ごめん」 「ううん、別にユンちゃんが言ったんじゃないでしょ? なんで、謝るのぉ?」 「や、だって……。おかしいじゃん。別に、サーちゃんは、男子だけにあげてたわけじゃないのにさぁ」 「……そこはしょうがないのかなぁって最近は思うようにしてる」 「サーちゃん……」 「明日、部活終わったらダッシュで材料買いに行く予定なんだけど、ユンちゃんも来る?」 「あ、う、うん、手伝うよ、任せて。作るの手伝うのはあんまり力になれなそうだから、それくらいは」 「じゃ、明日、早めに後片付け終わらせられるように頑張ろうね」 「うん! 何作るの?」 「ふふっ、まだ考え中なんだ。今晩、決めるよ」 「そっかぁ」 楽しげな会話と共に、清香とユンが信号を渡って、こちらに歩いてきた。 勇兵はすぐにそちらに顔を向けるが、舞は何か考えるように目を細めていた。 清香はコートに、髪の毛をマフラーの外に出さずにグルグル巻きにして、可愛らしい手袋をしていた。 清香は大層寒がりなのか、昔からコートを着るのも誰よりも早かった。 見た目には気を付けてはいるけれど、他の女子よりも、明らかに厚着なのが、面白いといつも勇兵は思っていた。 ユンはコートと手袋はしているが、清香に比べたらだいぶ薄着に感じられた。 「あー、舞と勇だ!」 「よぉ、今帰りか?」 「うん、そう。こう寒いと、後片付けがなかなか進まなくてさぁ」 「外は大変そうだもんなぁ」 「そうなのよねぇ……」 ユンは髪が短いくせに、全然首筋の寒さを気にしないように笑う。 清香がニコッと笑って、勇兵を見上げる。 「勇くん、チョコ、何がいい?」 「え? みんなと一緒でいいよ、別に。大変だろ?」 「サーちゃん、いいんだよ、コイツは。色んな子に無心してるんだから!」 「だって、11月から予約済だったし」 「へ……? そ、そうなんだぁ……そっか」 ユンが二人の関係に感心したように二人を見比べて、困ったように目を細める。 清香はその素振りを見て、ユンが何を考えているのか分かったらしく、すぐに手を横に振った。 「ユンちゃん! ユンちゃんが考えてるようなことじゃないから! ただ、ほら、くーちゃんや、柚子ちゃんにあげるねーって話になった時に、ちょうど、勇くんもいただけだから。ね? くーちゃん!」 「え? あ、う、うん」 舞は聞いていたのかいないのか、関心なさそうに頷く。 「あ……へ、へぇ、そっかぁ」 「斉藤〜」 「な、何よ、勇」 「斉藤もちょうだい〜」 勇兵は物欲しそうにそう言った。 毎年言っているから、挨拶代わりみたいなものだった。 それに、ユンはいつもチョコは女子の間で交換するくらいのもので、勇兵にくれたことはなかったから、完全に駄目元だった。 けれど、それに反して、ユンの反応がいつもと違った。 ユンは何も言い返してこずに、困ったように目を伏せる。 「ユンちゃん?」 「斉藤?」 二人が不思議そうに声を掛けると、ユンは我に返ったように顔を上げて、すぐに笑った。 「余ったらあげるよ♪」 「……お、おう」 「舞は、相変わらず、勇にはあげないのぉ?」 「……あげるわけないじゃん。お金が勿体無いよ」 「これだもんなぁ」 「てゆうか、こんなに女子にちょうだいちょうだい触れ回るほうが珍しいんだかんね。ツカ、ホント、自分の人間性疑いなよ」 「……だ、だって、くれって言ってるだけで、別にくれなくても、俺は気にしないぜ?」 「はぁ……」 「ふふ、勇くんらしい」 「無自覚にも程があるわよねぇ」 呆れたようにため息を吐く、ユンと舞。 おかしそうに笑う清香。 勇兵はそう言われて、首の後ろを掻くだけだった。 |