◆◆ 第5篇 恋水・風に揺れるスズラン ◆◆
Chapter2.車道 舞
「舞はさぁ、お菓子作りは嫌いじゃないんでしょ? じゃ、交換しようよー」 バスの一番後ろに乗って、清香を挟んだ向こう側から、ユンが楽しそうにそう言った。 サバけてはいるけれど、彼女はとても女の子らしい無邪気さを持っている。 表面上の気質のために、それに気が付いている者は少ないようだが、それを舞は十分に承知していた。 「くれたら、ホワイトデーに返すよ。どれが美味しいか勝負みたいで、嫌なんだもん、あれ」 「しょ、勝負ってことになったら、完全にサーちゃんの一人勝ちじゃん」 舞の言葉に、ユンは苦笑を漏らしながら、そう言った。 清香はそう言われて、どう返せばいいのか困るように、ただ、二人の間で笑った。 勇兵が窓の縁に肘をついて、音楽を聴きながら、時折、三人のやり取りに視線を寄越す。 「くーちゃんは、今年もホワイトデーで頑張るの?」 「ええ」 「……そっか」 清香の問いに、舞は視線を俯けて静かに答えると、清香が少々寂しげに目を細めた。 「ホワイトデーと言えばさぁ」 「なに?」 「去年、舞、ツカより貰ってたじゃん?」 「…………。ああ、そうね」 「あれ、全部返したの?」 「まぁ……ね」 「だって、あの時、ちょうど受験期間じゃなかった?」 「試験終わってすぐ準備した」 「ああ、なるほど。さすが、要領よしだねぇ。アタシ、思ったんだけど、別にあれ返さなくてもよかったんじゃないの? 舞だって、いい加減嫌そうだったじゃん」 「そんな不義理なことできないわよ」 「あー、それ、男子に言ってやってほしい」 「え?」 「だって、サーちゃんから貰って、返してきた男子って、勇とか数人だけなんだってよ」 「そう、なんだ?」 「あ、べ、別にお返し欲しくて作ったわけじゃないから。ユンちゃん、そういう言い方はよしてよ。それに、私が勝手に作っていったんだし、むしろ、迷惑していた人だっていたかもしれないし」 「……これだもんなぁ……」 「まぁ、貰ったら返さなくちゃいけないルールがあるわけじゃないしね」 「確かにそうだけどぉ……」 ユンは清香と舞の言動に、くるくると表情を動かしながら、考えるように目を細めた。 「普段、散々、サーちゃんのこと、話の種に使ってるくせにって思うじゃん」 「……しょーがねぇよ」 ユンのその言葉に、勇兵がイヤホンを外しながら、こっちを向いた。 ユンと清香がその声に、勇兵のほうを向き、舞も静かに彼の表情を見つめる。 勇兵は普段は見せないようなクールな目つきで、静かに言った。 「少なからず意識してる相手に、簡単に意思表示出来るようだったら、男は苦労しねーの」 「えぇぇ、そういう問題、かなぁ?」 「男はデリケートな生き物なんだよ」 勇兵は最初こそ真面目な顔をしていたが、三人ともこちらを向いたのがおかしかったのか、誤魔化すように笑いながら視線を逸らして、そう言うと、またイヤホンをして、窓のほうに顔を向けてしまった。 清香と舞はすぐに話に戻ったけれど、視界の端に、ユンがそんな勇兵の背中を横目で見つめているのが映って、首を傾げた。 柚子の部屋には、やかんの乗ったストーブが置いてある。 女の子らしさのある室内で、一つだけかなり違和感のある代物だけれど、正直、冬の必需品だから仕方が無い。 ストーブ以外、暖を取るためのアイテムは特になかった。 なので、舞はコートを膝から掛けた状態で過ごす。 柚子は特になんともないような顔で、編み物をしていた。 一時期、東京にいたと聞いたのだが、それでも、柚子は舞や清香なんかよりよっぽど寒さに耐性があった。 「へぇ……器用なもんねぇ」 舞は机に頬杖をついて、柚子の編み物の様子を見つめていた。 「あはは、わたし、手先器用なくらいしか取り柄ないから」 柚子はそんな舞に優しく視線を向けて笑い、すぐに手元に意識を戻す。 「それ、ニノに?」 「え? あ、うん、そう。ほら、甘いの駄目だって言ってたから」 「面倒くさい男よねぇ……」 「そうかな? 正直でいいと思うけど。喜ばれないものあげるより、よっぽど良いし」 「でも、アイツ、言い方気を付けないから、いつもハラハラすんのよ。あたしらならいいけど、無意識に敵作ってそうで、心配になるわ」 「あは……大丈夫だよ」 「なんで?」 「人柄が良いもの」 柚子は本当に自信満々にそう言って、編み物の手を止めた。 そして、机の上に置いてある文庫本を手に取って、サイズを確認するように添える。 「ブックカバー?」 「うん。クリスマスは、塚原くんからブックマーカー貰ってたみたいだし」 「……柚子さぁ」 「なぁに?」 「もう、君ら、付き合っちゃいなよ」 なんとなく、テレビのバラエティで見かける口調を意識しながら、そんなことを言った。 柚子がその言葉を聞いて、目をパチクリさせ、その後に困ったように笑う。 「……今のままでいいよぉ。楽しいし。それに、わたし、自分からなんて言えない。怖いし、気まずくなりそう……」 「そう……だよねぇ」 前ならば、慌てて否定する場面を、彼女はそう言って誤魔化した。 柚子と修吾の間に流れる空気は、過ぎ行く季節と共に、そういう自然さを纏いつつあった。 柚子も自信がある訳ではないけれど、一番近しい位置にいる女子であることだけは感じ取っているのだろう。 言ってしまえば、余裕で行けるよと思う反面、柚子から言ってしまったら、修吾は修吾で、何か面倒くさいことを一人で考えてしまうように感じる。やはり、理想としては、修吾から言って、のほうがベストだよなぁ……とも思うところがあるのは事実だ。 とはいえ、告白なんてナシで、気が付いたら付き合ってたパターンもあると聞くし、この二人の場合は、周囲が察して、そうなっていくような気もする。 そんなことを舞はぼんやりと考える。 自分が応援しなくても、その内、二人は上手く行くのだ。 そう思うと、なんとなく、胸があったかくなるのと同時に、心のどこかが妙に冷えた。 「舞ちゃん?」 「ん?」 「遠野さんには、あげるの?」 柚子は手元を動かしながら、ごく自然にそう聞いてきた。 舞は考えていたことを全て振り落として、その問いに苦笑してみせた。 「あたし、バレンタインはあげない主義なのよねぇ」 「欲しいと思うけどなぁ」 「え?」 「遠野さんは欲しいんじゃないかな?」 「そう?」 「うん」 「その心は?」 「……バレンタインは、あなたのことが好きです・大事に想ってますって気持ちを送る日だと、わたしは思っているから、で答えになる?」 「ホワイトデーに返すのでは、不十分?」 「うん、不十分」 「どうして?」 「想ってくれてありがとうって返すものは、全然意味が違うと思うから」 「…………。あんなの、単なるイベントなのに、そこまで考えるかぁ?」 「考えるよぉ、遠野さんだったら、きっと」 清香が柚子は自分に似ている気がする、と言ったのも、満更ではないのかもしれない。 柚子も同様のことを感じているのだろうか。 けれど、そう言われてみて、舞は目を細めるしかない。 勇兵に対して、あげるかどうか迷っている、という発言をしたのも、そういう面で頭を悩ませていたからなので、柚子にそう言われて、むしろ、納得している自分がいるのも確かだ。 清香の誕生日が過ぎ、テスト勉強会が過ぎ、クリスマスが過ぎ、年を越して、バレンタインが来る。 想いを告げたのが、四月末。 その想いに対して、清香なりの答えをくれたのが、夏休み前だった。 半年程、時は流れ、今の自分たちの関係は、一体何だろうと、考えてしまうのだ。 これ以上を望むのは贅沢。 そう考えていたこともあったけれど、いつまでもはっきりしない関係で、時を過ごすのは、自身にも彼女にもよくないような気がする。 かと言って、何かしらの行動を起こすに至るまでの、知識も勇気も無いと来ている。 自分がそんなことばかり考えているから、清香との会話もあまり弾んでいるように感じない。 明らかな悪循環だった。 「舞ちゃん?」 「ん? あ、ごめんごめん。ぼーっとしちゃって……」 「ううん、普段はわたしがぼーっとしてるから、別に気にはしないけど」 柚子はまったりとそう言うと、編んでいたブックカバーになりかけのそれをテーブルの上に置いて、立ち上がった。 「お茶冷めちゃったよね。淹れ直すね」 「あ、うん」 柚子は姿勢よく立ち上がると、ストーブの上のやかんを持ち上げ、急須にお湯を入れた。 やかんを元の場所に戻し、ゆっくりと腰掛け、湯飲みにお茶を注ぐ。 淹れ直すと言うよりは、注ぎ足すという表現が的確だが、やかんのお湯の温度的に、冷めたお茶と足してちょうどいい塩梅になると考えてのことだろう。 「舞ちゃん、最近、ずっと難しい顔してる気がする」 「え? そ、そう?」 「なんだか、見ていて心配になるよ」 「あー……ごめん」 基本的に顔に出さないようにしているつもりだったのだが、気の置けない人の前では気が抜けてしまっていたかもしれない。 舞は最近の自分の行動を振り返って、反省するように、横髪を掻き上げた。 「謝ることじゃないけど……」 柚子は物言いたげな表情で舞を見て、すぐに口を噤んだ。 舞は柚子のその様子に首を傾げ、それから話を切り替えるために笑った。 「そういえば、文芸部じゃ、今の時期に送る会やるらしいんだけど、美術部ってどうなの?」 「美術部は、文化祭終わった後にやったみたいだよぉ。わたしは行かなかったけど……」 「ああ、そうなんだぁ。じゃ、今の時期、バタつかなくていいねぇ」 舞の笑顔を見て、柚子は少し考えるように目を細めたが、舞が話を逸らしたがっているのを感じ取ったのか、それ以上は何も言ってこなかった。 誰かに言って解決するようなことなら、最初から悩まない。 だから、誰かに聞いてもらうのは筋が違う。 舞はいつもそう考える。 そう考えてしまうから、気が付くと、相談する、という手段が手札から消え失せてしまう。 聞いて貰えると思う人物が周囲にいなかったのも事実ではあったけれど、舞が中学時代、誰にも相談できなかったのは、そういう性分もあったからだ。 要領よしなようでいて、不器用。 それが、車道舞なのだ。 |