◆◆ 第5篇 恋水・風に揺れるスズラン ◆◆

Chapter7.車道 舞



 バス停に、清香の姿はなかった。
 バスの時間まで、まだ15分ある。
 彼女はこちら側には来なかったらしい。
 隣で気遣うように柚子がこちらを見上げている。
 勇兵も欠伸混じりで、自転車を引きながら後ろをついてきていた。
「……先、帰ってて」
「え?」
「あのバカ、どっか行ったみたい」
 舞は目を細めて、前髪を掻き上げると、落ち着くように息を吐き出す。
「舞ちゃん」
「大丈夫。その辺見てくるだけだから」
「探すんだったら、俺も行こうか?」
「……いいよ」
「あたしらの問題だから、ってか。……気を付けろよな」
 勇兵がいつになく真面目な顔でそう言うと、クリップタイプのイヤホンを耳に掛けて、自転車に乗る。
 勇兵は舞の頑固さをよく知っている。
 柚子が心配そうに舞を見るが、舞はそれに対して笑顔を返した。
「今日、仲直りしとかないと寝覚め悪いしね」
「……うん。今度は、ちゃんと話してきてね」
2人は、舞をしっかりとした笑顔で送り出してくれた。



 彼女に何を言われても平気だと思う?
 そんな訳ない。
 舞は彼女に嫌われないように必死だった。
 何をしていいのか、何をして駄目なのか。
 嫌われない以上に、どうすれば、好意を持ってもらえるのか。
 それすら見えない中で、舞は必死に、彼女の感じることを掬い取ろうと必死だった。
 だけど、人の感性はそれぞれ違う。
 相手が痛いと感じることが、舞にとっては痛くないこともあるのだ。
 だから、舞はいつも以上に神経を尖らせていたつもりだった。
 男子よりはマシでも、清香や柚子よりデリカシーに欠けている自信は余裕であったから。
 バッグを肩から掛け直し、今来た道を戻る。
 怒りの余り歩いて帰ろうとする……よりも、彼女だったら、舞が追って来てくれることを期待して、人通りの少ない道を行く。
 舞が探そうと思わなかったら、どうするつもりなのか。
 そういうことを全然計算して行動できない人だから、放っておけないのだ。
「人通りの少ない道……ってことは、学校裏のほうかぁ?」
 校門に辿り着いて、舞は春に暇潰しで放課後歩き回ったルートを思い返す。
 けれど、そちらに足を向けようとするよりも前に、誰かが駆けてきて、舞の体をそっと抱き締めてきた。
 さすがの舞もそれには驚いたが、ふわりとした甘い香りで、誰なのかがすぐにわかったので、安堵したように息を吐き出した。
「全く。……人来るところで堂々と」
「寒いーって抱きついてるふりすれば、誰もなんとも思わないもん……」
「そうなのかもね」
 舞は清香の腕に手を触れて、微笑む。
 クラスの女子たちも、冬のこの時期はそんなことを言ってふざけ合っている。
「清香はさー」
「何?」
「あたしが、あなたのことを傷付けないように気を付けてるのに、グッサグッサ、あたしのこと刺してくれるわよねー」
「気を付けてる……?」
 清香の疑問符付きのオウム返しに、舞は失笑した。
「あたしさ、本音言っていい?」
「何?」
「本当は、あなたが色んな人に配るアレ、好きじゃないのよ」
「…………」
「だけど、あなたは嬉しそうに準備してるから、駄目なんて言えないし」
「言ってくれれば……」
「言っても、清香はやめないでしょ」
「ぅ」
「それに、清香が楽しそうなのが、一番だと思うもの」
「…………」
「たださぁ……お願いだから、ツカ絡みはもう止めてくれない? あたしだって、嫉妬はするんだよ?」
「勇くんにあげちゃ駄目?」
「ええ。っていうか、気が付いてよね。あたし、ツカと清香が仲良くなるの、全っ然面白くない」
 体育祭の時も、仲良さそうに2人が話していて、イラッとした。
 彼女は全然そんなことを自覚もしていやしない。
 文化祭の時、勇兵のおふざけで嫌な思いをしてから、しばらくは口も聞いていなかったのに、気が付いたら通常通りと来ている。
 こちらはいつだって気が気じゃないのだ。
 清香はそっと舞から体を離し、周囲を確認し、校門と樹の影に隠れる形で移動した。
「今更気にするな」
 舞は清香の素振りがおかしくて笑う。
 もう聞かれたってどうでもいい。
 舞は今までの周囲への配慮全てをすっ飛ばして、そう思った。
 大体、誰が通ったって、先程のような口論でもない限り、話の内容なんて分かりはしない。
「あのね」
「?」
「くーちゃんは、まだ、私のこと、好き?」
「は?」
 清香が恥ずかしそうに目を細めている。
 舞は予期しなかった問いに思わず可愛げのない声が出てしまった。
 まだも何も……あなたの答えを待っているんですけど? というか、その前に、今のあたしの言葉聞いてなかった訳?
 そんな言葉が頭の中を過ぎったけれど、そのまま言うのは堪える。
 言ってもいいのだろうけど、なんだか、またデリカシーのない反応と思われるような気がしたのだ。
 とは言え、刺さるなぁ……。
 どれだけ、自分、信用されてないんだよ。
 心の中でぼやきながら、舞は髪を掻き上げ、クシャクシャと弄ぶ。
 女の子は言葉で伝えられることを好むそうだし、しつこいくらいに確認し過ぎて、それで重いと言われて振られた子の話も聞いたことがあるから、清香のそういう行動が特殊とは全く思わないけれど、今身を持って知った。
 この問いは、問われた側が辛い。
 問うた側は全くそんなつもりがないからこそ、尚更。
「好きだけど?」
 視線は外した。こういうシチュエーションはあまり得意ではない。
 無自覚で出来る時もあるけれど、今は完全に甘ーい空気であることをビシビシ肌で感じてしまっている。
 なんか文句ある? テイストの言い方になってしまったことは許して欲しい。
 舞は天然ホスト体質ではないのだ。
「そっか」
 けれど、その答えで満足したように、清香は笑った。
「くーちゃん、私も本音言う」
「え?」
「くーちゃんから、チョコ欲しいな。くーちゃんはさ、きっとくだらないって思うんだろうけど」
「……柚子にもツカにも、部長にすら、あげたほうがいいって言われたあたしからすると、清香にそう言われても、全く意外じゃないわ……」
「え?! そ、そんなに? 相談したの?」
「相談というか……そういう流れになって。なんか知らないけど、みんなに同じような感じでお説教された」
「…………。それでも、くれる気ないんだ?」
「だって」
「ぅん?」
「あたし、まだ、清香から答えもらってないもの」
 誰にも言えないと思った大きな不安。
 だけど……それを言えなかったら、先はないのかもしれない。
 言葉で告げられなくて不安なのは、自分だって一緒だった。
 清香の先程の問いを、責めることが出来ないことを実感する。
 彼女の決死の歩み寄りを好意以外の何だと言うのだ……。
 くだらないと言いながら、周囲のバレンタインムードに飲まれて、勝手にナーバスになっていた自分が恥ずかしい。
 舞は奥歯を噛み、静かに息を吐く。
「あたしだって……怖いんだよ……」
 音になるかならないかくらいの小さな声だったことが情けなかった。
 けれど、その搾り出した声に、清香はピクリと反応した。
「やっぱり無理って言っても、そっかって笑いそうって、前に清香は言ったけど……そんなことないよ」
「…………」
「そっかって笑って、あたし、その後、家で1人で泣くよ。あなたの前では、頑張って笑っても、だからって、平気な訳じゃない。清香が思ってるほど、あたし、強くない……ずっとずっと、あなたに要らないって言われるんじゃないかって、怯えてるんだから……」
「……うん。そうだよね。ごめん」
 清香が舞の言葉を真摯に受け止める。
 舞は清香を見上げると、清香が覚悟を決めた表情で、真っ直ぐ舞を見つめていた。
「本当は、明日、伝えるつもりだったけど」
「ぇ?」
 そこまで言って、清香は緊張をほぐすように、深呼吸をしてから再び口を開く。
「好きって言われたから、意識するようになったって言われてしまったら、それまでだけれど。今、私が一番好きなのは、くーちゃんだよ」
 舞はその言葉を受けて、呼吸が止まってしまった。
 端々から感じてはいても、いざ言われてみると、何と返せばいいのか、言葉にならない。
「どうすればいいのかは、なんにもわからないけど……。私のくーちゃんであってほしい」
 清香の眼差しが妙に熱っぽく潤んでいて、艶があった。
 それは舞の苦手な女の子の色をしていたけれど、清香から向けられるそれは、苦手な色でもなんでもなく、ただ、舞の顔まで熱くなってきた。
 ゴクリと唾を飲み込んで、ようやく、声を発する。
「なんっか……」
「?」
「……あたしを何だと思ってるのよ」
 穏やかで優しい声だったので、清香はその言葉にびくつくようなことはなかった。
 ただ、呆れたように舞は笑う。
「あたしのものになる気はないんだもんなぁ……」
 髪を掻き上げ、気を取り直すように清香から視線を外し、落ち着こうと息を吐き出す。
「あ、え、いや、そういう意味じゃ……」
「分かってる。清香は、天然だもんねー……」
 天然小悪魔。
 彼女を例えて言うとしたら、この言葉がなんとしっくり来ることか。
「あのさ、興を殺ぐような問いで申し訳ないんだけど」
「なに?」
「清香に、はじめに聞いておきたい」
「ん。だから、何?」
「付き合うってことは、さ……。キスしたり、その、それ以上のことしたりするかもしれないじゃん? 清香は、それを分かった上で、言ってる?」
「……分かってるよ。くーちゃんが、そういう目で見てるからこそ、困ってることだって、分かってる」
 清香は静かに舞の手を取り、優しく包み込んだ。
「今は無理だけど、少しずつ……頑張るから。今は、くーちゃんを他の人に奪られてしまうかもしれないことのほうが、怖い」
「頑張る、じゃ、駄目だなぁ」
「え?」
 舞の言葉に清香の表情が不安げに揺らぐ。
 なので、舞はすぐに言葉を継いだ。
「清香が、してもいいなって思ってくれたら。その時、しよう? 頑張ることじゃ、ない」
「ぁ……」
 舞は目を細めた後、顔が熱くなるのを感じながら、穏やかな口調で告げる。
「好きよ、清香。あたしは、あなたのこと、ずっと好きでいる自信あるの。お願いだから、信用ならない人、みたいな扱い勘弁してね」
 清香はその言葉をこそばゆそうに受け止め、ポツリと一言「ごめん……」と言った。
 ふわりと風が吹いて、清香の前髪が揺れる。
 舞は優しく笑うと、清香から手を離して、彼女の脇をすり抜ける。
 怖いのも分かる。
 不安なのも分かる。
 先程は、問われて悔しかったけれど、そう問われる分だけ、彼女は自分を好きでいてくれるのだと考えれば、それは全然嫌な問いではない。
「帰ろ、清香」
「ぁ、うん。でも、バス……」
「コンビニ寄りたいから、途中まで歩こ。その頃には次のバス来るでしょ」
「……コンビニ?」
「チョコ、買って帰るから」
「え?」
「全く。お姫様におねだりされたら、断れないでしょ」
 その言葉に追いついてきた清香が嬉しそうに微笑んだ。
 可愛らしい顔で、本当に嬉しそうに笑みを向けられたら、何でもやってやろうと思ってしまうじゃないか。
 中学の文化祭のあの時と同じだな……。
 舞は思わずそんなことを思って、苦笑した。
「どうしたの?」
「や。なんで、あたし、あなたに惚れちゃったんだっけ、って考えてた」
「思い出せた?」
「いいえ。困ったことに、あたし、いつ落ちたのか、未だに思い出せないんだよねぇ。言うなれば、いつの間にか……としか」
「そっか……。私も、いつの間にか、だから、一緒だね」
「…………。清香もなの?」
「だって……、言われた時からと思ったけど、それはきっかけに過ぎなかったのかもしれないし。そうじゃないのかもしれないし」
「ま、そんなものよね」
 舞はクスクス笑って、清香の腕に腕を絡める。
「あー、寒い!」
「ちょっと……」
「清香、チョコくれるのは嬉しいけど、風邪引かないでね? 今夜、寒いらしいから」
「……そういえば、さっき、私が怒った時、作らなくてもいいからとか言ってたよね。ちょっとショックだったな」
「チョコより清香の体が大事なの、あたしは」
 舞は朗らかに笑って、清香の鼻の頭をピンと弾く。
 何も考えずにこんな風に彼女に接するのはいつ以来だろう?
 清香が鼻をさすりながら、舞の言葉に困ったように苦笑する。
「そんなところにも気が回らずに、チョコ欲しいほざいてる野郎どもに、わざわざ清香があげることが、あたしは凄ーく気に入らないのよ」
「……あ……」
「ま、さっきも言ったとおり、清香がいいならそれでいいんだけどね。でも、文化祭の時みたいなことになるかもって懸念があるんだよ。気をつけてよね」
「ぅん。……くーちゃんは、私を天然天然って言うけど、くーちゃんもよっぽどだと思うよ」
「はぁ? あたしは、天然じゃないって」
「そう言われたら、私だって天然じゃありませんって返すよー」
 清香が楽しそうに笑うので、舞もすぐに笑う。
 付き合うことになって、何が変わるかは全然分からないけれど、確かな気持ちだけはそこに感じられる。
 それだけのことで、今は、胸を張れる気がした。



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