◆◆ 第6篇 空音・桜咲くにはまだ早く ◆◆

Chapter1.二ノ宮 修吾



「よっしゃー、修ちゃん、修学旅行、一緒だな☆」
 始業式の日。
 教室に入ってきて、席に着いた途端、振り返って嬉しそうに勇兵がそう叫んだ。
 その声で、雑談に花が咲いていたクラスメイト達の視線が一気にこちらに集まる。
 けれど、勇兵はそんなことは知ったことではないように、にひひと笑う。
 2年3組。
 クラス分けはご都合主義、かつ、学年で一目置かれている生徒オールスターの状況。
 勿論、天然野郎・二ノ宮修吾はそんなことを全く自覚していないわけだけれど、クラスメイトの何割かは、クラス表を見上げて、心の中でガッツポーズしたであろう、そんなメンバーが揃った。
 車道舞。
 塚原勇兵。
 遠野清香。
 二ノ宮修吾。
 渡井柚子。
 そして、修吾の前の席。まだ、席の主が現れていないが、彼も、そんなメンバーの中の1人だった。
 始業ベルの鳴るギリギリの時間。
 修吾の前の席の主は、ようやく教室に姿を現した。
 息を切らせながら、教室へ入って来て少しふらつき、廊下側の後ろの席にあたる柚子の席にぶつかった。
 160センチ無いであろう、小柄な体躯。
 色素の薄い髪はクセッ毛なのか、クルクルとウェーブが掛かっており、顔立ちも幼いので、同級生には全く見えない。
「あ、もうさげね」
 その容姿からは想像も出来ない年季の入ったイントネーションで、彼はほんわりとそう言った。
 のんびりとした話し方に可愛らしい容姿。
 彼は、南雲秋行(なぐもあきゆき)という。
「? あ、ううん、大丈夫だよ」
「わり、ゆるぐねくて」
「え? だ、大丈夫? 保健室、行きますか?」
「いぃ。いづものごどだがら」
「そう?」
「ん。心配してけで、ありがとー」
「いいえ。あ、もう、時間になっちゃうから、早く席着いたほう、いいですよ?」
 柚子の言葉に、少年はニッコリと笑って、少々よろよろしながらも、修吾の前の席に腰掛けた。



「二ノ宮くんは、ぎっちょ?」
 修吾が新入部員募集のチラシを書いているのを、純粋無垢な眼差しで見つめて、静かに秋行がそう言った。
 修吾たちだって他の地方の人から見たら、発音が違う等思われる部分もあるのだろうけれど、祖父と一緒に暮らしているとかで、彼のイントネーションにはかなりの年季を感じた。
 一緒に暮らしていても、テレビなどで覚えた言葉を使ってしまうものだけれど、彼は全くそんなことはないようで、そのイントネーションから感じ取れる素朴さに思わず頬が緩みそうになる。
 秋行の視線に気圧されつつも、修吾は頷く。
 因みに、「ぎっちょ」というのは左利きのこと。
「ボクも、ぎっちょ。でも、無理くり直されで、今は、両利き」
「直す?」
「おじいちゃんが、おしょすがらって。直されだの」
 『おしょす』とは、恥ずかしい、みっともないの意味がある。
 修吾はそれを聞いて静かに子供の頃のことを思い返した。
「ああ……昔の人はそう言うよね。僕も、本家のじいさんは、直せって言ったらしいんだけど、父さんも母さんも、そのへん気にしない人だったから、何もしなかった」
「んでも、書き方習う時とか、ちょっと混乱しねがった?」
「……どうだったかな? 覚えてないや」
「そが」
 遠巻きにされがちな修吾に、クラスが一緒になった初日から話しかけてきたのは、秋行が初めてかもしれない。
「南雲くん、人見知りとか、しないの?」
「え? んー……。ボク」
「うん」
「欠席、多いがら。来た時、ぴゃっこでも仲良ぐなっとがねど、後悔しそうで」
「え……?」
「ボク、あんまり、体強ぐないの」
「あ……」
「去年も、出席率ギリギリだったの」
 困ったようにそう言いながら、それでも、秋行は朗らかに笑った。
「ほんでがら、二ノ宮くんさえよがったら、仲良ぐしてもらえっと、嬉しい」
「うん。勿論」
 秋行の笑顔につられて、修吾もしっかりと笑顔を返した。
 彼のほわーんとした雰囲気に、修吾は柚子に似たものを感じていた。



 日が変わって入学式の日の放課後。
 部室で、3人が書いた新入部員募集のチラシを突き合わせた。
 何しろ、現在、文芸部員は3人。
 部発足の基準が5人であることを考えると、今年、なんとか2人部員を確保しなくてはならなかった。
 一昨年は、3年が1人・2年が3人・1年が1人。
 昨年は、3年が3人・2年が1人・1年が2人。
 というように、凌いできたものの……。慢性的な部員不足は相変わらず。
 とはいえ、昨年まではほぼ帰宅部と化していたのが問題だったわけで、文芸部らしい活動を取り入れていけば、入部してくれる生徒も現れるのではないかと、3人の意見が一致し、今年からは活動日も固定する方法を取り入れるなど、部内の制度の取り決めに、3月中旬から着手した。
 元3年組である俊希から「厳密な活動日がないからこそよかった」と言われ、鳴は少々懸念したようだったが、やる気のある人が全然入ってこない状況は避けたいわけで、その言葉は無視で、断行した。
 3人がチラシを見つめて、真面目に話し合っている時、部室のドアが開いた。
「すみません……ゲ……」
 低い声に、修吾が顔を上げ、思わず目をこすった。
 隣で舞も、入ってきた主と同じ顔をしていた。
 苦虫を噛み潰したような不快そうな表情。
 面白いことに、2人はそっくりだった。それこそ、性別と背の高さと、髪の長さ以外は。
 鳴も眼鏡を外して、眼鏡拭きで拭ってから、再度彼を見た。
「車道さんの弟さん?」
「……はい。何しに来てんのよ、バカ」
「姉貴、文芸部かよ」
「言ってなかったっけ?」
「……聞いてねぇ」
「そ。ま、そゆことだから、他の部、行きなさい。車道2人って紛らわしいでしょ」
「シャドー、待って!」
 稀少な入部希望者を追っ払う馬鹿がどこにいるか。
 踵を返しかけた車道弟も、動きを止めてこちらを見た。
「す、好きな、作家は……?」
「……星新一は、よく読みます」
「最近読んで、気に入った小説は?」
「加門七海の『鳥辺野にて』。怪談なんだろうけど、あの短編集の幻想的な雰囲気がたまらなく好きです」
「……ガク、あんた、小説なんて読んでたの?」
「小説読んでれば、人が話しかけて来ないから。3年上がってから始めたら、はまった。でも、家では読んでないから、姉貴が知らなくても当然」
 朴訥な話し方。
 姉の舞とはかなり対照的な性格のようだ。
「文芸部のメインの活動は、文化祭なんかで小説・エッセイ・評論などの文章を書いて発表することです。書くことに興味は?」
「……うーん。やってみないとわかんないすけど、読んだ小説の感想とか、言い合ったり出来るんすよね? だったら、全然問題ないす」
「ニノ、鳴先輩、まさか……?」
 嫌そうな表情の舞。
 それを見て、鳴が眼鏡をわざとらしく直して笑う。
 修吾も、それに合わせるように目配せした。
「1人目、確定ですね」
「あなた、名前は……?」
 鳴が穏やかに尋ねると、車道弟は入部届けの紙をピラリと出して、低い声で言った。
「1年3組、車道楽(くるまみちがく)」



 3月28日が誕生日だった柚子のために用意していた誕生日プレゼントを渡しそびれること、新学期2日目。
 入学式の後片付けの最中、舞に柚子への伝言をお願いして、帰る時間を合わせてもらった。
 校門でまだ花の咲かない桜の木を見上げ、綺麗な姿勢で彼女は待っていた。
「ごめん、遅くなって」
「あ、しゅ、二ノ宮くん。大丈夫。待ってないよ」
「そう?」
「うん。新しいクラス、慣れた?」
「慣れてはいないけど、南雲くんがよく話し掛けてくれる。勇兵も入ると、わやわやうるさくて落ち着かなくなるよ」
「南雲くん?」
「うん、昨日、渡井の椅子にぶつかった子」
「ああ……、つ、て、と、な、に、か。」
 席順のことを頭の中に描いて納得しているらしい。
 考えるように宙を見つめて呟く柚子が可愛らしくて、修吾はつい笑ってしまった。
「? どうか、した?」
「いや。渡井は慣れた?」
「明日から、一緒にお弁当食べるの。舞ちゃんと清香ちゃんと、えっと、隣のクラスの、百合ちゃんって子と」
「そっか。じゃ、大丈夫そうだね」
「うん。まだ、自分でお友達は増やせないけど、わたしも頑張っています」
「……うん」
 柚子が大きなスケッチブックを握り締め、口をきゅっと引き結んで言うので、修吾は優しく頷いた。
 そして、本題に入ろうと鞄のふたを開ける。
「……シャドーに呼び出してもらった用件なんだけど」
「うん」
「誕生日、過ぎちゃったんだけど……これ」
 綺麗に包装された薄い長方形型の箱を取り出し、柚子に差し出した。
 柚子はそれを見つめ、意味がわからないように、動きを止めた。
 そして、頬をぼっと赤らめ、慌てて、パタパタと顔を扇ぐ仕草をした。
「溶ける溶ける……」
「?」
「あ、なんでもない。あ、ありがとう。す、すっごく嬉しい」
 両手で仰々しく受け取って、本当に嬉しそうに頬をほころばせる柚子。
 その表情に、思わず見惚れて、顔が熱くなる。
 すぐに修吾はひとつ咳き込んで心を落ち着けた。
「あ、開けても、いい?」
「あ、うん」
 修吾の返事が聞こえてすぐに柚子は包みを開けた。
「あ……クレヨン?」
「蜜蝋で出来たクレヨン、だって。ほら、渡井、時々、描くのに夢中になって、消す用のパンの欠片食べちゃうって言ってたじゃない? これだったら、間違って食べちゃっても、大丈夫なんだって。だから……」
「さすがに、画材は食べないよー」
 修吾の言葉に苦笑しながらも、嬉しそうにクレヨンの箱を見つめて目を細める。
「わたし、クレヨン、苦手なの」
「え?」
「あ、苦手っていうか……クレヨンって、子供用に与えられることが多いから、基調色が多いでしょう? 私、薄い色で絵を描くのは満足できてるんだけど、ビビッドな色遣いは、まだまだなんだよね。だから、油彩画も、苦手で……」
「じゃ、これで、頑張って練習だね」
「……勿体無いなぁ……」
「無くなったら、またあげるよ」
「ふふ……さすがにそこまでは。自分で買いたいから、今度、買ったお店教えて?」
「うん。わかった」
 修吾の笑顔を見て、柚子は穏やかに微笑み、その後に周囲をキョロキョロ見回す。
 部活がある者はまだ部活動中。ない者は帰っている。
 だから、特に目に付くこともないだろうと、修吾はあまり気にしていなかったため、柚子の仕草で反射的に周囲を見る。
「……途中まで、一緒に帰っていい?」
 柚子が静かに言った。
 修吾はその言葉に、ただ、コクリと頷き返した。
 ……付き合うことができれば、こんなことを気にする必要も無いかもしれないのだけれど。
 修吾の脳裏には、昨年の秋に柚子と話した言葉が残っていて、彼女にとっての1番であるためには、それは恋愛的な位置に立ってではいけないのだと、言い聞かせる弱虫な自分がいた。
 きっと、まだ、自分は彼女の光に照らされている。
 彼女も、自分や舞の光によって輝いているのだ、と知った今でも、自分は彼女の光に照らされているのだ。
 だから、今、その光を失うようなことが起きてしまったら、自分を保てるのかが分からない。
 ……まだ、踏み出すための1歩は、修吾の目の前には出来上がっていなかった。



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