◆◆ 第6篇 空音・桜咲くにはまだ早く ◆◆
Chapter2.丹羽 日和子
4月。 入学式。 漫画なんかじゃ、桜舞い散る校庭を通って、颯爽と校舎へ向かうものだけれど、東北の春は遅い。 底冷えもそこそこに、息は白くならないものの、涼しい空気の中、まだ蕾もつかない桜の木を見上げながら、校庭を歩くことになる。 丹羽日和子(にわひわこ)にとっては、子供の頃からそれが当然で、だから、テレビや漫画の入学式ほど違和感のあるものはなかった。 ゴールデンウィーク前の4月末に、ようやく咲いた桜を見上げて、春の訪れを感じる。それが、毎年のこと。 落ち着かず、短く切り揃えた髪に触れ、ドキドキする胸を押さえながら、校舎へと向かう。 電車に揺られて1時間と少し。駅から歩いて20分。 電車は約1時間に1本。乗り遅れたら、完全にアウトの距離。 この白いセーラー服が着たくて、親が渋るのを押し切ってまで、この高校を受験した。 でも、高校を遠くした理由は、もう1つある。 身長、148センチ。 小柄な体格に緊張しぃな性格。日和子という名前も起因して、ついたあだ名が『ピヨ』。 『ひわこ』と読むのだと何度言っても、意地悪をするように、みんなは面白がって『ひよこ』と読んだ。 人はくだらないと思うだろうが、日和子にとっては大問題なのだ。 高校からは。絶対に。『ひよこ』なんて呼ばれない女子になる。 ……そのためにも、自分を知る人がいる地元の高校は選ばなかった。 「男子バレーボール部でぇッす! マネージャー! ん? あ、ああ、はいはい。女子マネージャー募集してまぁッす!!」 校庭では、早々と部活勧誘をしている運動部員達がいた。 がやつくほど、多い人数ではなかったため、その声は校庭の端から端まで綺麗に通った。 その部員の声に立ち止まる生徒もいて、日和子もその中の1人だった。 バレーボール。その単語に惹きつけられたのもあった。 黒い髪をツンツンにセットした、人懐っこい笑顔の長身少年が、ユニフォーム姿で立ち、手をメガホンにして叫んでいる。 他の部員らしき人たちは学ラン姿なので、客寄せパンダ的役割が彼に与えられているのは明白だった。 客寄せパンダになるのも頷ける容姿。 まだ寒いこの時期に半袖のユニフォーム姿。 けれど、彼は肌寒さに動じる様子もなく、楽しそうに笑い、校庭を行く新入生らしき子たちに手をヒラヒラ振りながら叫ぶ。 「切ッ実ッに! 女子マネージャー募集中でッす! この、可哀想な野郎どもに、愛の手をぉ!!」 『この、』と言いながら、傍にいた学ラン姿の男子を指差したので、指差された側の人たちはすぐに、そんな彼にビシィッと蹴りを入れた。 傍を歩いていた新入生の女子がそれを見て、クスクスッと笑う。 「あ、ウケた。どうどう? 入らない?」 「……あ、何部があるのか、見てからにしたいので……」 物怖じせずに笑いかけられたことに驚いたのか、笑った女子は逃げるようにそう言って、そそくさと校舎へと駆けて行ってしまった。 「勇兵……なんで、お前はそうふざけるんだよぉ。真面目にやれば、お前の容姿に騙されて入ってくれるかもしんねーのに」 「ハハッ! 先輩たち、余命幾許も無いのに、そんなに女マネ欲しいすか?」 「だぁから、お前は一言多いっつーんだよ!」 「はい、すんません!」 「反省して無いだろ。ったく、もう……」 「……でも、やっぱり、女マネいるとモチベーション違いますもんね。男バレの長年の悲願、ここで叶えたいっすね」 「女マネ。それは、長きに渡る夢だ……」 どうでもよさそうなことを、真剣に語る3年の先輩らしき人の言葉が面白くて、つい、日和子はクスッと笑ってしまった。 勇兵と呼ばれた客寄せパンダがそれに気が付いて、こちらを見る。 先程のように大きな声で何かを言うことなく、にんまり笑って、ヒラヒラと小さく手を振ってくれた。 180センチはあるだろうか。 バレーボールをやる上では、その身長でもまだまだ低いほうであるのは分かっているけれど、日和子は彼を見上げて、羨むように目を細めた。 バレーボールは、身長のスポーツ。 小柄な日和子が、追うのを止めた、夢の先……。 「……バレーボール、興味あるの?」 立ち去る気配を見せない日和子に、勇兵が静かにそう聞いてきた。 勇兵のその言葉で、傍で周囲に呼びかけを行っていた先輩たちまで、日和子に視線を寄越した。 10人弱の男子から視線を受けることとなるとは思ってもおらず、日和子は後ずさる。 視線が、なんだか、とっても怖い。 「ああ、気にしないでいいよ。こうやって、女マネ募集すんの、毎年の風物詩なんだ。1年以外は、アイツら今年もやってんのかってレベル。そんなに怖がらなくて大丈夫」 「あ、ああ……そなんですか」 「興味ある? あるなら、一度見学おいでよ。大歓迎するよ、あの人たちが。あ、勿論、俺もね」 勇兵はニヘッと笑い、親指でこちらを見ている先輩たちを指差す。 「……はい」 その人の空気が優しかったから、なんとなく、日和子は頷いてしまった。 選手ではなく、マネージャーか。 そういう選択肢もあるんだ。 心の中、少しばかり心が軋むのを感じながらも、自分を納得させるように、日和子は笑った。 「……うわ、それ、うちの兄。ご迷惑お掛けしました。ごめんなさい」 1年2組の教室。 自分の前の席の女子は、初対面だというのに、全く物怖じすることなく、日和子に「よろしく」と言って、そのまま、雑談へと発展した。 彼女の名前は、塚原歌枝。 校庭で声掛けをしていた男子バレー部の勇兵の妹だそうだ。 背が高いのは血筋らしく、歌枝も女子にしては背が高かった。 肩くらいまでの高さの髪をいじりながら、恥ずかしそうにため息を吐いている。 日和子はその様子を見て、すぐにふるふると首を振る。 「迷惑だなんて。むしろ、緊張してたから、その光景見て、少し心が和んじゃったよ」 「そうなの? うちの兄さぁ……、昔っから愛想と調子だけはいいんだよ。別に見学行かなくていいからね?」 「え? どうして? 行くつもりだよ?」 「えぇぇぇぇ?」 「わたし、バレーボール好きだから」 「そ、そうなんだ。でも、それだったら、女子バレー部見に行ったほうがいいんじゃないの?」 「……あはは、み、見るのが好きなんだよ。特に、男子の動きのほうがパワーあってかっこいいし」 「そんなもんかなぁ」 「つ、塚原さんは?」 「ん?」 「何部に入るか決めてるの?」 「バスケ部。……ただ、アタシの敬愛する先輩が、入ってなくてさぁ……ガックリなんだよねぇ」 「敬愛?」 日和子にはそういった先輩はいなかったので、すぐにそう返してしまった。 日和子の不思議そうな声に、歌枝は目をキラキラさせて、すごいテンションを上げて話し出した。 「すっごい目立つ人だから、そのうち、丹羽さんにも分かると思うよ。車道舞先輩。美人で、スタイルもいいし、性格もサバけてて、成績も良いし、スポーツも万能! 完璧な人って、こういう人を言うんだって感じ」 完璧……? 完璧、なんて人、そうはいないと思うけどなぁ……。 日和子は心の中でそう呟きながらも、合わせるように笑った。 入学式が終わって、体育館から戻る途中。 歌枝が敬愛する先輩とやらを見つけて、嬉しそうに声を掛けた。 日和子はその人を見上げて、なるほどなぁ……と心の中で声を漏らす。 あれだけ目をキラキラさせて語るだけのことはある。 本当に美人だ。 それに、話している時の所作も気取っておらず、とても自然。 友達の多そうなタイプだ。 「ねぇ、舞先輩。今からでもバスケ部入ってくださいよぉ。先輩とバスケしたいですよぉ」 「1年半、まともにやってないんだから、無茶言わないの。今更部活なんて入っても、はぁ? って感じでしょ」 「そんなことないですよ!」 「……あなたねぇ、あたしは超人じゃないんだから、経験の積み重ねが打ち止めになってるものを楽々こなせるわけないでしょうが。自分の都合で人を振り回さないの」 舞が呆れたように言ったその言葉に、歌枝が残念そうに目を細めた。 舞と一緒に居た可愛らしい先輩が、見かねたように舞をたしなめる。 「くーちゃん、何もそこまで言わなくても。慕って言ってくれてるんだから……」 「……嬉しいけどさ……でも、出来ないものは出来ないよ」 舞はたしなめた先輩を見てそう言い、困ったように笑う。 言葉に困っているのか、そこから先の言葉は無かった。 なので、代わりに先輩が顔の前で両手を合わせた。 「ごめんね。くーちゃん、今の部活、楽しいみたいなの。塚原さんは、バスケ頑張ってね?」 けれど、その言葉を受けて、歌枝は不満そうに唇を尖らせる。 まるで、話しているのはあなたではない、と言いたげに。 感情がストレートに出るタイプなんだな……と、横で見ていて感じた。 「……いつの間にか、仲良しになったんですね」 「え?」 「遠野先輩って、いつも特定のグループとつるんでるイメージありましたけど」 「ぁ……、そ、そうかな? 私は、そんなつもりなかったんだけど……」 「別に、どうでもいいですけど。アタシ、灰かぶり姫に興味無いですし」 「あ、あはは」 歌枝のストレートな言葉に、先輩は誤魔化すように笑うだけ。 けれど、すぐに舞が静かに言った。 「歌枝の、そういうとこ嫌いじゃないけど。生意気な口は、人選んでききなって、昔から教えてたはずだけど?」 舞の言葉に萎縮するように歌枝が縮こまる。 背は舞より10センチほど高いのに、舞のほうが大きく見えるような、そんなオーラがあった。 「ご、ごめんなさい」 「いいんだけどね。そういうこと言われて、笑って誤魔化しちゃう清香も悪いんだし」 先輩の肩に手を置いてそう言うと、すぐに笑った。 先程までの少し沈んだ空気など嘘のように、素早くその場の空気が塗り換わる。 「何はともあれ、入学おめでと。君たちの高校生活が楽しく彩られることを祈る」 「なんですか、それ?」 「ん? うちの部の作家が書いた新作の台詞」 「……さぶ……」 「ふむ。あたしはこの台詞は結構気に入ってるんだけどなー。そっか、寒いか。伝えておくよ」 「くーちゃんが気に入ってるのは、それで、シュウちゃんのこと、からかえるからでしょう?」 「ふっ……それを言わいでか☆」 茶目っ気たっぷりにそう言うと、歌枝に手を振り、先輩の腕を引っ張ってサクサクと歩いていってしまった。 日和子は2人が角を回るまで見送ってから、歌枝に視線を移す。 歌枝は少々納得がいかないように唇を尖らせていた。 「塚原さん、先輩に対して、ちょっと失礼だったんじゃないかな?」 「……だって、舞先輩と遠野先輩なんて……文化祭のシンデレラじゃあるまいし……」 「シンデレラ?」 「あ、ううん、なんでもない。ごめんね、変なトコ、付き合わせちゃって」 「あ、そ、それは、全然構わないよ。だいじょうぶ!」 教室にすぐ戻っても、まだまともに話せる人が、彼女しかいないわけだから、どんな場面に遭遇しようと、1人教室でぽつんといるよりマシだろう。 それに横で見ていて、彼女がどんな性格の子かも分かったように感じるので、不快でもない。 お兄さんと同様に人懐っこいようだけれど、気に入らないことなどもズケズケ言えてしまうところがある。 しかも、それを言い方で誤魔化すというテクニックは持ち合わせていないのだろう。 無自覚なのだから当然なのかもしれないけれど、そのへんは理解を示してあげなければいけないところかもしれない。 「ホント、凄い人なんだけどなぁ……。なんで、やめちゃったんだろう」 悲しそうな歌枝の声。 日和子はそれを横で聞きながら、静かに心の中で呟いた。 凄い人だからじゃないの? |