◆◆ 第6篇 空音・桜咲くにはまだ早く ◆◆

Chapter4.渡井 柚子



「そんでさぁ、テニス部、初日からサーちゃん目当ての子が結構見学来ちゃって……」
「へぇ……あれ? 入学式から勧誘してたっけ? テニス部って」
「人伝で有名らしいよ、サーちゃん」
 基本的には、部活紹介後に入部する生徒のほうが多いのだが、たまに初日から見学に行く生徒もいるらしい。
 その点では、美術部は全く平和だ。
 ユンが清香を気遣うようにチラリと見て、おにぎりを頬張る。
 清香が浮かない表情で、ポテトサラダをつついていたけれど、ユンのその言葉に顔を上げて笑った。
 舞がそれを見て、静かに睫を揺らす。
 また、笑って誤魔化して。ってところかな。
 柚子は心の中で、彼女が考えたことを想像しながら、プリンをすくう。
 運動部だけに、1番食べる量の多いユンは柚子の前にプリンしかないことが不思議なのか、じっと見て、口を開いた。
「っていうかさー。渡井さん、ご飯(?)それだけ?」
「え? あ、う、うん」
「柚子はダイエット期間に入ったみたいよ」
「え? プリンダイエット? 効くの?」
「この子限定でね。この子、プリンさえ食べられれば、食のストレスと無縁らしいから」
「ああ、なるほど」
「……羨ましい……」
 舞の説明を聞いて、ユンが納得したように笑い、清香は自分の体を気にするようにポソリと呟いた。
「え? サーちゃん、落とすところないじゃん。何言ってんの?」
「まだ、冬服だからわからないだけだよぉ……そろそろ、私もダイエットしないと、夏が怖い……」
「清香って、普段どうしてんの? カロリーコントロール? それとも、運動?」
「お母さんと一緒に、ヨガを……」
「へぇ……」
「でも、毎週お菓子作って試食してるから……それだけだと落ちなくなってきちゃって」
 清香は困ったように目を細めて、はぁ……とため息を吐く。
「舞は?」
「あたしは、普段からカロリーコントロールと筋トレしてる。だから、変動ないよ」
 舞はそう言って、サンドイッチをぱくつく。
 清香がそれを横目で見て、口を開いた。
「くーちゃん家って、お弁当じゃないんだね?」
「ええ。うち、共働きだし」
「ぁ、そっか……」
「毎日ワンコイン制」
 頬張りながら喋る舞。
「こんにちは。ちょっといぃ?」
 いきなり、声を掛けられて、慌てたように舞が口を押さえて物を飲み込む。
 柚子は声の主を確認するように見上げた。
 秋行がニコニコと笑顔を浮かべて立っている。
 舞がすぐに言葉を返した。
「なに?」
「これ、よがったら食べで?」
「へ?」
 ダイエットの話をしてるところに、そんなことを言ってくる秋行。
 秋行の差し出した手には、大福の入ったプラスチック容器が乗っていた。
 タイミングの悪さに、思わず、柚子はクスリと笑う。
「南雲くん……また、なんで、大福なんか……」
 舞が苦笑しつつ、彼を見上げると、秋行はほわ〜っとした口調でのんびりと口を動かす。
「今、クラスのみんなに配ってっとご。1年間よろしぐの挨拶」
「ああ、そうなんだ?」
「うん。ボク、油断するどみんなに忘れられでしまいそうだがら、こういうこどだげは欠かさねぇようにしてんの」
「……そうなの?」
「ん!」
 舞の不思議そうな問いに、秋行は男子とは思えない可愛らしい笑顔で頷いて、机の上に大福入りプラスチック容器を置いた。
「んっと……三つ編みが渡井さんでぇ、ストレートがぁ、車道さん。ふわっとしたのが、遠野さん?」
「で、クラスメイトではないですが、ショートヘアが、斉藤です」
 その声に、ユンが少々恥ずかしそうに下を見た。
「んぉ! 塚原くん、ありがとう。この人、知らん顔ぉって今思ってだどごろ」
「ふっふ。アキちゃん、わがんねー時は、俺に聞いで! 俺、学年のほっとんどの子、わがるがら!」
「ツカ、感染ってる感染ってる」
 勇兵が大声で、秋行と同じイントネーションになっているのを見て、舞がすかさず突っ込む。
 清香がクスクスと笑い、秋行を見上げた。
 秋行が清香を見て、ニッコと笑い、そのままペコリと頭を下げた。
「南雲秋行です。ちょくちょく欠席すっがもしんねぇけど、みんなど仲良ぐしたいので、名前覚えでくれっど嬉しい」
 4人もつられて、彼に対してペコリと頭を下げる。
 そして、その後すぐに、秋行は柚子に視線を向けてきた。
「渡井さん、絵描ぐの好きって聞いだんだげど」
「ぁ……うん」
「ボクも、絵、結構好きなの。今度、もしよがったら、教えでけんねぇ?」
「あ、わ、わたし、人に教えるのは苦手だから、そういうのは、ちょっと……」
「あー……そうなの?」
 柚子の言葉に、秋行の表情が寂しそうに揺れる。
 それを見て、思わず柚子の口が勝手に動く。
「でも、一緒に描くだけなら、いつでも」
「ホント?! うん。じゃ、そのうち、道具持ってくんね!」
「うん」
 あまりに嬉しそうに笑うから、こちらもつられて頬がほころぶ。
 とても優しくて素直な人なのだろう。
 柔らかい感情がストレートに表情に出ている。
「あ、っと、じゃ、他の人にも挨拶しねばなんねがら、そろそろ」
「アキちゃん、そんなんしなくても、うろちょろしてりゃ、そのうち、覚えてもらえるって」
「んだって、それじゃ、ボクがみんなのごど、覚えられねもの」
「……ふーむ。よっしゃ、じゃ、俺も付き合ってやる。誰だ? 誰がわかんねーんだ?」
「塚原くんは、本当に、良い人だなぁ……」
 のほほんと秋行が言うと、さすがの勇兵も照れたように咳き込んだ。
「なんだよ、それ。普通だよ、こんなん。普通普通」
「えぇ〜……んなごどねぇよぉ」
 2人はそんなやり取りをしながら、他の席の生徒に話しかけに行ってしまった。
 2人がいなくなってから、舞がふぅ……とため息を吐いた。
「何あれ? 人懐っこい子犬と、ゴールデンレトリーバー?」
「舞ちゃん、そんな言い方……」
「あそこの一角は、わんこゾーンかぁ」
「え? しゅ、に、二ノ宮くんも?」
 舞の言葉に柚子が首を傾げると、清香が舞の言葉の意を察したようにクスクスと笑った。
 修吾のことをよく知らないユンも不思議そうに2人のことを見る。
「シュ……あ、二ノ宮くんは、そこにいなさいって言われたら、ずっとそこで待ってる、柴犬って感じかな? って」
 清香は「シュウちゃん」と言いかけ、すぐに言い直した。
 舞伝いで仲が良いのは知っているだろうが、さすがに、公で愛称呼びをしようものなら、どこで聞かれるかわかったものではない。
 あまりに絵になりすぎると、人は穿った見方をしたがるもの。
 修吾と舞の関係ですら、そういう誤解があったと聞いたくらいなので、清香はそこを気にしているのだろう。
 ただの幼馴染なのだと、最初に言ってしまえば楽だったのだろうが、それも今更な感じがある。
 ユンがその言葉に感心したように頷く。
「ああ……。そうなんだ。そんな感じなんだ?」
「ユンも話してみなよ? すっごい律儀に言葉返してくれるから」
「ぇ? や、い、いいよ。なんか、オーラが違うんだもん。こうやって、昼休みに来て、チラッと見るだけで眼福、みたいな」
「オーラねぇ……」
 秋行の置いていった大福に手を伸ばしてパクつき、それからチラリと修吾に視線を動かす舞。
 修吾はいつも通り自分の席で小説を読んでいる。
 柚子は手元を見て、思わず口元が緩んだ。
 青色のブックカバー。本当にきちんと使ってくれている。
 舞は念じるように修吾を見つめた。
 修吾は前髪を邪魔そうに除けながら視線を上げ、それで、舞の視線に気が付いた。
 怪訝そうな目付きでこちらを見る修吾に、柚子はつい苦笑してしまった。
 舞がおいでおいでと手を動かし、ユンがその仕草を見て、慌てたように舞の肩を叩いた。
「ちょっと、舞!」
 けれど、そんな反応なんて関係無しに、もう、柚子の横に修吾は立っていた。
 柚子は面映くて少しだけ体を揺らし、プリンに視線を落とす。
 修吾がそんな柚子の様子をチラリと気にしてから、舞に話しかける。
「…………。呼んだ?」
「ね? 忠犬でしょ?」
「は?」
 舞の言葉が不可解だったのか、修吾は短く不思議そうな声を発した。
 柚子は俯きながらも、上目遣いでユンの表情に目をやる。
 ユンは慌てたように口をパクパク動かしているだけ。
 そりゃ、「忠犬でしょ?」なんて当人の前で問われて、「うん、そうだね」なんて返せるわけもない。
 特に、話したこともない人なのだから、それは余計にそうだった。
「あ、ニノ。この子、あたしの中学からの友達で、斉藤百合っていうの」
「はぁ……」
「顔覚えた?」
「……斉藤さん、よろしく」
 修吾はいまいち状況を理解できていないようだったが、静かにそう言って、ぎこちなく笑った。
 が、笑った後、照れたように視線を逸らす。
 気圧されていたユンも、ようやく、そこで口を動かす。
「よ、よろしくねぇ。二ノ宮くん」
「……ああ」
「よし、ニノ」
「何?」
「戻っていいよ! ハウス!」
「なんだそりゃ」
「あ、来てくれたお礼に大福あげるよ」
「甘いの得意じゃないの知ってるだろ? さっき、1個食べたので限界……」
 舞の差し出した大福を手を振って断って、秋行のほうを気にするようにそう言った。
 秋行は別の生徒と楽しそうに話しているので、こちらのそんな様子には気が付いていない。
 修吾が踵を返しかけたところで、舞が思いついたように尋ねた。
「あ、今、何読んでる?」
「『銀河鉄道の夜』。久々に、読みたくなって」
 修吾は言葉だけ返して、スタスタと自分の席に戻っていった。
 修吾が席に着いたのを見てから、ユンがはぁぁぁ……と深く息を吐き出す。
「もう! ビックリさせないでよ!!」
「だって、ユンがあんまりにもニノのこと、特別視してるからさー」
「そりゃそうだよ。話したことないし、あの容姿だし。当然でしょ? か、絡んだだけでも、女子の視線が怖いよ……」
「……ま、あたしも最初、そんなこと思ってたかも」
 舞はケロッとそんなことを言って勝手に納得し、誰も大福に手を付けないのを見て、もう1つパクつく。
「舞、カロリーコントロールは……?」
「ん? 別に、今日多かったら、明日減らせばいいじゃん」
「……そんなもんなの?」
「え? 何? あたし、細かい計算なんて、全然してないよ。ざっと食べた感じで決めてるだけだもん」
「……羨ましい……」
 清香が舞を見て、またもや、そう呟いた。
「何言ってんの。清香も、食べればいいじゃん。どうせ、あんたの気にしてるのなんて、大したことじゃないんだから」
「たっ、大したことあるってばぁ……」
「舞。サーちゃん、本気で気にしてるみたいだから、ここは勧めないであげなよ。アタシ、1個貰う」
「柚子、食べない?」
「あ……今日くらい、いいかな?」
 残り1個の行き場に困っている舞を見て、柚子はコクリと頷いて、それを手に取る。
 大福を小さく噛んで、チラリと修吾を見ると、修吾は真剣な表情で、文庫に視線を落としていた。



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